小指の先に恋願う

ミヅハ

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関わってはいけない人

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「だからね、久堂凌河や関係者には近付いちゃダメなのよ」
「そ、そうなんだ…」

 転校初日の休み時間、早々にクラスメイト―主に女子─に囲まれた天宮 七瀬あまみや ななせはこの学校一の不良と呼ばれる久堂凌河の話を延々と聞かされていた。
 正直名前を言われても分からないし、近付くなと念押しされても同じ学校ならうっかり廊下でバッタリなんて事もあるかもしれないのに、と苦笑する。
 中途半端な時期での転校理由を根掘り葉掘り聞かれるだろうと心の準備をしていただけに、その人物の話ばかりでちょっと拍子抜けだ。

「天宮くん、綺麗な顔してるから絶対目ぇ付けられちゃう」
「ホントに気を付けてね? いかにもな不良には近付かない事」
「う、うん、ありがとう」

 女の子というのはどうしてこんなにも押しが強いのだろう。七瀬はとりあえず頷いておこうと愛想笑いで返し、持ったままだったプリントを広げた。
 昨日も遅くまで書類を読んでサインをしていたのだが、文字数が多くて眠くなってしまい諦めて残りを今日に回したのだ。あと数枚だし書いてしまおうとペンを持つと、細くてしなやかな指先が頬をつついてきた。

「天宮くんって肌綺麗ねぇ…何かしてるの?」
「え? 特に何もしてないけど…」
「お手入れなしでこれ? 羨ましい~」
「髪もサラサラ~」
「あ、あの、俺、これ書きたいんだけど…」

 両側から頬やら髪やら触られオマケに女の子のいい匂いがして、慣れていない七瀬は顔を赤くしながらプリントを示す。その姿がまた庇護欲をくすぐるのか、女子の攻撃は止まらない。

「やだ~、天宮くん可愛い~!」
「照れてる~」
「や、もう、ほんとに勘弁して…」

 見た目は綺麗でも七瀬だって男の子だ。バッチリお化粧していつも以上に可愛くなった女子にはときめくし、ボディタッチには照れてしまう。
 いい加減茹で上がりそうだと思っていると、物凄い音を立てて教室の扉が開かれた。

「!?」

 驚いて静まり返る教室をぐるりと見回した訪問者は、七瀬を認めるとニカッと笑って近付いてきた。
 燃えるような真っ赤なツンツンヘアーに吊り上がった目、〝いかにもな不良〟…一目見て久堂凌河の関係者だと分かってしまった七瀬が頬を引き攣らせる。

「天宮七瀬ってお前?」
「え? は、はい…」
「そ、んじゃついてきて」
「え、あの、でも次の授業……」
「いいからいいから」
「わ…っ」

 初日から授業をサボりたくないと控え目に意思表示してみるが、赤髪の青年は聞き入れてはくれないようだ。動かない七瀬の腕を引き無理矢理連れて行こうとする。
 助けを求めるように教室を振り返るが、全員が全員慌てたように視線を逸らされてしまった。
 それもそうだ、どう見たって関わってはいけない人物だもの。
 七瀬は腕を引いたまま大股で歩く青年に必死について歩き─ほぼ小走りだが─、今から自分は意味もなくボコられてしまうのかと恐怖に怯える。
 転校して来たばかりでどうやって目を付けられたのかは分からないが、気付かない内にお仲間にでも何かしらの粗相をしてしまったのだろうか。そんな記憶は微塵もないのだが。
 遠慮なく引かれる腕は痛いくらいで、足の長さも歩幅も違うが故に転びそうになりながらも階段を上がった先は屋上だった。

(屋上…?)

 鼻歌でも歌いそうなほどご機嫌な青年が扉を開け、七瀬を先にくぐらせる。太陽が近くなり、眩しさで目を細めた。

「連れて来ましたよ、凌河さん」
「ありがとー」

 上がった息を整えつつ光に慣らすため目を瞬かせていると、青年の声に続いて妙に明るい声が聞こえて来た。今赤髪の彼は“凌河さん”と言わなかったか?
 凌河なんてそうそうある名前じゃない。七瀬は恐る恐る声がした方を振り返り驚いた。とんでもない美形がじっと自分を見ていたのだ。

(な、何…?)
「あーあ、残念」
「ひゃ…っ」

 見つめられる居心地の悪さに視線をさ迷わせていると、不意に背後から不機嫌な声が掛けられ、同時に首筋を細い何かで撫でられ肩が跳ねた。
 勢い良く身体ごとずらして振り向くと、甘めの顔立ちをした青年が冷たい表情で七瀬を見下ろしている。人差し指がこちらに向いていた為、撫でたのはその指だろう。

「進」
「オレが先に見付けてグッチャグチャにしちゃおーと思ってたのにー、あー、残念」
「進」
「……チッ」

 氷のように冷めた表情にこのまま刺されるのではと怯えた七瀬だったが、二度目のほんの少し怒気を孕んだ凌河の声に舌打ちをして離れてくれた事にホッとする。
 それにしても、なぜ自分はここにいるのだろう。
 七瀬の不安気な様子に気付いたのか、凌河が立ち上がり近付いてくる。目の前まで来てその威圧感に驚いた。

(こ、怖い…!)

 七瀬の身長は百七十センチと一般的だが、凌河はそんな七瀬よりも確実に十センチ以上は高く見える。加えて細身の七瀬との体格差も相俟ってそれ以上に大きく感じてしまい恐怖を覚えた。手の大きさも腕の太さも違うため、これで首でも掴まれたら一溜りもないだろう。
 その手が七瀬へと伸ばされ思わず目を瞑る。
 出来れば痛くしないで欲しい、顔は目立つから見えないところを殴って欲しい。ボコられる前提でそう思っていたが、骨張った手は予想に反して七瀬の頬にそっと触れて来た。

(……え?)

 まるで壊れ物を扱うかのように触れる手に戸惑い視線を上げると、切れ長の目元を和らげた凌河が見下ろしていた。そのとんでもない破壊力に赤くなった七瀬は慌てて俯く。

(え、え? 何、何でそんな目で俺を見るの…?)

 心臓がドキドキしている。超絶美形というだけでもヤバイのに、そんな優しい目で見つめられるとどうしていいか分からなくなってしまう。

「七瀬」

 頭の中がパニックになっている七瀬の鼓膜を柔らかな声が震わせた。顔が良い人は声も良いのかと若干現実逃避してみる。

「七瀬」

 顔を上げられないでいる七瀬にもう一度声がかかる。
 これはあれか、反応するまで呼ばれてしまうやつか。
 七瀬はどうか顔の熱が治まっていますようにと願い、顔を上げる。せめてもの抵抗として本当にゆっくりと。
 そうしてなるべく視線を合わせないようにして、先程から気になっていた事を問い掛けてみた。

「あの…どうして俺の名前…」
「調べた」
「え、調べ……?」
「やっと見付けた、七瀬」

 何をどう調べたのか、どこまで調べられているのか、七瀬は若干心配になる。転校生を、転校初日に調べ上げる能力が凄い。
 だがそれ以上問い掛ける事は出来なかった。
 逞しい腕が七瀬の背中に回り、ぐっと抱き締められたから。

「……!!」
(は……ええ!?)

 目の前には凌河の肩があり、ムスクの香りがふわりと広がる。耳元に頬擦りされ身体が強張った。
 転校初日、不良に腕を引かれて連れて来られた先で刺されそうな恐怖を味わい、今は最も危険と言われている学校一の不良の腕に包まれている。
 しかも、関わらない方が良いと言われてまだ数十分しか経っていないのに思い切り抱き締められている。

(どういう事……!?)

 もう訳が分からない。
 七瀬は凌河の胸に手を当て力一杯押し返した。意外にあっさり離れてくれた事に驚きつつ、赤い顔を隠すように手の甲で口元を覆う。

「な、何で…」
「んー?」
「あの、だから、何でこんな…」
「……覚えてない?」
「え?」

 抱きしめられた理由を知りたいのに答えてくれない凌河にヤキモキしながら言い募ると、どこかガッカリしたような声で問われ目を瞬く。
 覚えていない、とは何の事だろうか。

「えっと……」

 正直分からない。覚えているいない以前に、何の話かさえ見えない七瀬は、申し訳なさそうに視線を逸らす。
 凌河は溜め息をつき肩を竦めると七瀬に背を向け元の場所に戻って行った。

「ごめんね、もう戻っていいよ」

 戻っていいって、一限途中ですけど……でもそんな事を言えるはずもない七瀬は、少しだけ逡巡して頭を下げた。

「あの…覚えてなくてごめんなさい。そ、それじゃあ失礼します」

 最後の方は早口になってしまったが、言いたい事は言えたため急いで階段への扉を開ける。その際チラリと見えた進はゾッとするような笑みを称えていて…七瀬はそれを振り切るように走った。
  出来ればクラスメイトに言われたようにもう関わりたくない。
 七瀬は今回限りでありますようにと願いながら、誰もいない静かな廊下の先へと急いだ。

 それから二週間経っても凌河の姿は疎か、赤髪さえも見なくなった事にほっとした七瀬は、凌河の言っていた覚えていない事さえも頭から消し去り平々凡々な日常を送るのだった。
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