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番外編

とっても偉い人

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 真那がオレとの関係を公表してから一年が経ちオレは今年高校を卒業する。父さんからも許可が下りてじゃあ一緒に暮らすかってなったんだけど、志摩さんから、「真那の部屋に住むなら社長の許可を取った方がいいんじゃないか?」って言われてそれもそうだって気付いた。
 あのマンションは事務所保有であり、そのオーナーは言わずもがな社長さんだ。しかも真那がお世話になってるんだからせめて挨拶くらいはしておくべきなのに、当の本人が嫌がってる。

「ヒナをあの人に会わせたくない」
「何でだよ。ここに住むってなると、オレも世話になるって事なんだぞ? 家賃も水道光熱費も払わないんだから」
「分かってるけど、あの人に関わるとヒナが穢される」
「穢される…?」

 一体どんな人なんだ?
 業界でも大手事務所の社長さんだから、厳しそうに見えて優しいダンディなおじ様を想像してるんだけど…穢される発言で一気に崩れ落ちた。もう想像さえ出来なくなったし。
 ソファに座って難しい顔をしている真那に仕方ないなと苦笑して膝に跨って座り、顔を挟んでこっちへ向けさせる。

「なぁ、真那。許可貰えないと一緒に住めないぞ?」
「俺が貰ってくる」
「挨拶もしないで、恋人だけに任せるような奴を受け入れてくれると思うか?」
「………」
「オレは真那との事で妥協したくない。自分でしなきゃいけない事はちゃんとしたいんだよ」

 今までずっと真那に甘えてきた。真那がオレの事を良く分かってるっていうのもあるけど、オレだってもう言葉を飲み込む事はなくなったんだ。
 ちゃんと出来るってところを見せたい。

「……俺がいないと何も出来なくなればいいのに……」
「ん?」
「……分かった。でも、俺が一緒に行ける時にしてね」
「元よりそのつもりだよ」
「ヒナ」
「?」
「キスして」

 小さな声は聞き取れなかったけど、どうにか譲歩してくれたみたいでホッとし笑顔で頷くと、頬を挟んでいた手が握られそんなおねだりをされる。目を瞬いている間に緑がかった瞳が閉じられ、口元が緩むのを感じながら形のいい唇へと自分の唇を押し当てた。
 軽く真那の唇を啄んでから離すと「もう一回」と間髪入れずに求められる。
 だけどキスが終わるたびに「もう一回」が続き、いい加減ムズムズしてきていたオレは差し出された舌に軽く歯を立ててベッドに連れてけと抱き着いた。
 甘い言葉と甘い快感でグズグズに蕩けさせられたのは言うまでもない。



 それから一週間ほど経って土曜日。今日なら時間があるという真那と一緒に、二度目の来訪となる大きなビルまで来ていた。
 今はエレベーターで社長室がある最上階に向かってるんだけど、今までした事ないくらいに緊張してて吐きそうだ。

「ヒナ、大丈夫?」
「…どうにか…」
「顔色悪いよ、やっぱりやめた方が…」
「嫌だ。ここまで来て帰るなんて失礼すぎる」
「ヒナ…」

 心配してくれる気持ちは嬉しいけど、一度決めた事を体調が悪いから覆すなんてしたくない。
 胸を押さえて数回深呼吸をし階数を確認すると、あと少しで最上階だった。

「真那、ぎゅってしてくれ」
「うん」

 腕を広げてそう言えばすぐに応えて抱き締めてくれる。
 絶対的に安心出来る真那の腕の中と香りに包まれて、オレの不安な気持ちが嘘みたいに軽くなった。あー、ずっとここにいたい。
 だけどそれからすぐに軽い浮遊感と共にポーンって音がしてエレベーターが止まり、扉が開いた目の前に背の高いオシャレなドアが現れた。
 ここ、社長室オンリーのフロアだったのか。警備員さんとかいないけど、大丈夫なのか?
 真那がドア前まで行き躊躇いなくノックすると、しばらくして優しそうな男の人が出て来てオレたちを招き入れてくれた。

「お疲れ様です、真那さん」
「うん」

 うんって、真那は重役か何かか。
 おおよそ社長室にいる人への態度じゃない真那に顔を引き攣らせていると、オレに気付いたその人はにこっと笑いかけてくれる。

「貴方が陽向さんですね。初めまして、私は秘書の高橋と申します」
「あ、初めまして、楢篠陽向です。今日は宜しくお願いします」
「こちらこそ宜しくお願い致します。さ、中へどうぞ」
「し、失礼します」

 いよいよ社長さんとご対面だ。
 先に入った真那に続いて緊張しながら入室すると、奥のデスクに座っている人が見えた。
 肩下まで真っ直ぐに伸びた黒髪の凄く綺麗な人。この人が社長さん? 芸能人じゃなくて?

「君が陽向くんか。初めまして、ハヤテプロダクション社長、颯 傑はやて すぐるだ。よろしく」
「は、初めまして。ご挨拶が遅くなってすみません、楢篠陽向です。今日はお時間を頂きましてありがとうございます。あの、これ…お好きだと伺ったので良かったら召し上がって下さい」
「はは、丁寧な挨拶をありがとう。これも、あとで頂くね」

 なんていうかオーラが凄い。でも仕草とか話し方とか落ち着いてて大人だなって思う。
 社長さんに持って来た手土産を高橋さんに渡していると、社長さんがおもむろに立ち上がりオレの方へと近付いて来て……デカ! 真那も相当だけど、この人もかなり背が高い。

「聞いていた通り、陽向くんは可愛らしい子だね。細身で小さくて…思わず食べてしまいたくなる」
「ひぇ…」
「ヒナに触らないで」

 見上げていると社長さんの指が顎に触れてなぞる。ゾワッとして情けない声が出るのと真那が割って入ったのはほぼ同時だった。

「可愛い子には触りたくなるものだろう?」
「俺が触りたくなるのはヒナだけだし」
「はいはい。ほら、どきなさい。まだ陽向くんと話してる途中だから」
「……話すだけだよ。触らないで」

 凄い、真那がちゃんと相手より年下に見える。
 変わった人だけど、大きな会社を纏めるならこういう人の方がいいのかもしれない…のか?
 僅かに眉を顰める真那がオレの後ろに回りお腹に手を回してくる。

「話には聞いてたけど、見事なまでの溺愛っぷりだね。というか執着? こんな真那が見れるなんて思わなかったな」
「あの…?」
「ああ、ごめんね。そうだね、とりあえず座ろうか」
「は、はい」

 広い社長室には応接用のソファとテーブルがあって、オレと真那はそこに案内された。いつの間にかいなくなっていた高橋さんが、紅茶とお茶請けを盆に乗せて現れてちょっとだけ驚く。
 さすが秘書さん、仕事が早い。

「ありがとう、高橋くん。…それで、話は大体真那から聞いてるけど、あの部屋で一緒に暮らしたいって?」
「はい。泊まりは何度かあるんですけど、やっぱり住むなら社長さんの許可が必要だと思って…」
「律儀だね。ああそうだ、〝社長さん〟は余所余所しいから、傑って呼んでくれると嬉しいんだけどな」
「え? えっと…」
「ほら、呼んでごらん?」
「……す、傑、さん…」
「陽向くんはホントに可愛いね」

 大手芸能プロダクションの社長を名前で呼ぶ一般人が果たしているだろうか。しかも初対面で。
 艶やかに微笑まれて目を瞬いてると真那の手に視界が遮られた。

「そういう目でヒナの事見ないでくれる」
「嫉妬深い男は嫌われるよ」
「嫌われないし」
「こんなに可愛い子に今まで会わせてくれなかったなんて、真那はケチだな」
「そうやって口説くから嫌だったんだ」

 え、オレ口説かれてたの? ってか、男に可愛いは口説き文句になり得ないと思うんだけど……。
 それより、二人が話してる間にお茶請けのカステラを食べたいのに、真那の手しか見えないからどこにあるかも分からない。

「想像以上にタイプだったからつい」
「俺のだから」
「本当に残念だな。あー、残念だ残念だ」
「一生残念がってて」

 いや、たぶんそれ揶揄われてるだけだぞ、真那。
 それにしても一向に話が進まない。
 仕方なく眼前にある真那の手を掴んで握り膝の上に置くと、居住まいを正して傑さんを見た。

「あの、それで、一緒に住む事を許して頂く事は可能でしょうか?」
「そうだね。陽向くんには真那の件でたくさん助けられてるし、迷惑も掛けてるから全然構わないんだけど……どうだろう、今度僕と一緒にご飯食べに行かない?」
「え?」
「傑さん」

 あ、分かった。この人、真那を弄るの好きなんだ。
 ご飯くらいならと言いたいところだけど、真那の気持ちを考えたら受けるべきじゃないよな。
 まぁ、傑さんは真那の反応を見るために言ってるっぽいけど、当の本人は気付いてないからいい様に遊ばれてる。

「えっと、ご飯は行けません。というか、真那が不安になるような事はしたくないので…」
「振られた上に釘を刺されたか」
「いい加減にして。許可してくれないなら他に住む場所探すから」
「それは困る。真那はうちの看板メンバーの一人だから何かあったら大変だ。それに僕は駄目とは言ってないよ」
「だったら回りくどい事しないでくれる」
「初めて見る真那の反応が楽しくて」

 やっぱりそうだったか。
 変わった人だけど、真那の事を可愛がってくれてるのは確かで安心した。何だかんだ真那も信頼してるみたいだし。
 二人が話している間にカステラを頂き、いい香りのする紅茶に口を付ける。気付いた真那が自分の分もオレにくれたから遠慮なく食べると、傑さんがクスクスと笑い出した。

「陽向くん、美味しそうに食べるね」
「美味しいです」
「そうか。じゃあお土産で持って帰るといいよ」
「え? でも…」
「余っても誰も食べないし、それなら美味しく食べてくれる人にあげた方が作ってくれた人も喜ぶだろう?    だから遠慮しなくていいよ」
「あ、ありがとうございます」

 許可を貰う為に挨拶に来たのに、逆に思わぬお土産を頂いてしまった。でもカステラを食べたのも久し振りだし、お言葉に甘えて持って帰ろう。
 紅茶まで飲み干した頃を見計らってか、オレの手を引いた真那が立ち上がりそのまま抱き上げられ驚いた。

「ちょ、真那…」
「許可してくれるみたいだし、もう帰ろう。ここにいたらヒナが危ない」
「別に傑さんはオレに何かするつもりはなくて…」
「ヒナは簡単に人を信用しすぎだよ」
「人を見る目はあるんだけどな」

 いつか日下部にも言ったセリフを口にすると真那が怪訝そうな顔をする。そんな目があったら攫われかけないだろと言いたげだけど、それだって中学生の時の事なんだからもう時効だろ。
 何を言っても降ろしてくれる気はないらしく、真那は礼儀として傑さんに頭を下げると廊下に出る扉に手を掛けた。

「真那」
「……はい」
「益々の活躍を期待してるよ」
「…………はい」

 ずいぶん間があった気がするけど、傑さんは気にしていないようで手をヒラヒラと振ってオレたちを見送ってくれた。完全に挨拶するタイミングを逃してしまったオレは閉まる扉を呆然と見る事しか出来なくて、気を悪くしなかったかなとちょっと不安になる。
 抱っこされたままという情けない姿でエレベーターに乗り込むと、紙袋を持った高橋さんが現れにこやかにそれを差し出してきた。

「こちら、社長が仰っていたカステラです」
「あ、ありがとうございます。…上からすみません」
「いえいえ。……良かったですね」
「はい」

 両手が塞がっている真那の代わりに受け取り申し訳なく思いながら頭を下げるも、高橋さんはにこやかに首を振ってくれる。続く言葉の意味を知り笑顔で頷くと、柔らかく目を細めて会釈した高橋さんがエレベーターの扉の向こうに消えていった。
 軽い浮遊感と共にエレベーターが下り始め、オレは小さく息を吐く。

「何はともあれ、ホント良かった」
「許可をくれた事に感謝はしてるけど、ヒナに触った事は許してない」
「あれ、真那を揶揄ってただけだぞ?」
「だとしても、俺のヒナに触るのは駄目。ヒナに触っていいのは俺だけなんだから」
「……こういう事するの、真那だけなのに?」

 ご機嫌ナナメになってる真那の首に腕を回し軽く触れるだけのキスをすると、驚いて目を瞬いたあと珍しく照れた顔をして拗ねたように呟く。

「ヒナ、それ反則だよ」
「あはは、いつもされてるからお返しだ」
「…可愛すぎて困る」
「何はともあれ、これからもよろしくな、真那」
「うん。よろしくね、ヒナ」

 ほんのり目元を染めた真那にしてやったりと笑い再び口付けたオレはハッと気付く。このままでは抱き上げられたままの姿を人目に晒されてしまうと。
 一階に辿り着く前に急いで降ろして貰ったのは言うまでもない。



 それから二週間後、オレは真那の部屋へと自分の荷物を運び込んだ。余ってた一部屋を貰ったけど、着替えを取りに行ったり片付けたりする以外に入る事はなさそうでただの荷物置き場みたいになってしまった。
 ちなみに、オレは卒業したら大学に通う事になっていて、一度は諦めたバイトを真那と相談中だ。めちゃくちゃ渋ってたし、何なら「ヒナが必要なものは俺が全部与えたい」とまで言われたけど、そんなおんぶに抱っこ状態で面倒を見られるのは嬉しくない。
 妥協案として真那が出して来たのは所属事務所…つまりは傑さんの下で働くという事で、驚くべき事にその話が現実になりそうでオレは頭を抱えた。どれだけ傑さんに世話をかけるつもりなんだか。
 いや、雇って貰えるなら有り難い事ではあるんだけど、コネみたいな感じで嫌なんだよなぁ。

「ヒナ、傑さんが事務の手が足りてないから来てくれると助かるって」
「え…」

 つい今し方コネが云々って胸中でボヤいてたところだったんだけど。
 それからトントン拍子に話が進み、オレのバイト先は〝ハヤテプロダクション〟に決定したらしい。
 本当にいいのかなって気持ちはあるけど、働けるのならあとは精一杯頑張るだけだ。真那の顔に泥を塗らないように、傑さんや社員の方々に迷惑をかけないように。

「春からは家だけじゃなく、事務所でもヒナに会えるね」
「そうだな。ちゃんと見てるから、頑張れよ」
「うん」

 どこにいたって何をしてたって、オレは真那の一番のファンだ。ずっとずっと応援し続けるから、いつだってオレのナンバーワンアイドルでいて欲しい。
 優しく微笑んでオレの肩を抱く真那に寄りかかると、甘く爽やかな香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
 

 暖かな日差しが降り注ぐ春オレは無事に高校を卒業し、改めて傑さんにお世話になる挨拶をしに行った際にまた真那を揶揄う傑さんの姿があったのはここだけの話。





FIN.
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