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〝高級〟に釣られました
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明日からいよいよ【soar】のツアーが始まる。現地入りするために移動を始めてる事は真那からの連絡で知っていたから、持ってる限りの応援スタンプを送っておいた。
今日まさに誕生日を迎えた真那は二十二時以降も働けるようになったから更に忙しくなるらしく、志摩さんや水島さんから相談されて、こっちで仕事をしてる時は差し入れを用意する事になった。
「真那の陽向くん不足が一番の問題だから」って言われたけど、果たして今をときめく人気アイドルグループの一人がそれでいいのだろうか。
まぁマネージャーやメンバーに言われるくらいなんだからよっぽどの事なんだろうな。オレが楽屋にまで呼ばれるくらいなんだから。
初めてのライブ参戦を間近に控えたオレは、スマホを駆使して必要なものの準備をしていた。真那が「あげる」って持ってきた【soar】のぬいぐるみやアクキーなどのグッズは大事にしまってるけど、ペンライトは持ってないから出来れば物販で購入したい。ただそういったものはすぐに売り切れるらしく、オレは不安に抱いていた。
ペンライトがなくても大丈夫だよと千里も円香も言ってくれたから、もし買えなかったら残念だけどナシで応援する。
それで肝心の座席なんだけど、何と驚く事にアリーナ席だった。と言ってもメインステージからは離れてる方だけど、それでも二階席とか三階席よりも近くて、きっとオレは運を使い果たしたと思う。
「チケットは電子だからスマホでオッケー。身分証…は学生証で良さそうだな。財布と……モバイルバッテリーっているのか? 分かんないけど、念の為持ってくか。あとはハンカチとティッシュ」
先人の知恵というものは偉大だし、なくて困るよりあって安心する方がいいしな。んで、入れてくカバンはリュックでいい。学生証以外は全部入れて、忘れないようメモだけして玄関のシューズボックスの上に置いておく。
「よし。そんじゃあ仕込みするか」
明日は金曜日だけど、設立記念日で学校が休みらしくそれならと真那に差し入れする日になった。今から鶏肉を一口サイズに切って漬けてお昼くらいに揚げて受け取りに来た水島さんに渡す。
マネージャーさんは大変だ。
「ん?」
ビニール手袋をして鶏肉をブツ切りにし、ジップタイプの保冷袋に入れて調味料を加えてモミモミしてる時、ダイニングテーブルに置いていたスマホが短く通知音を鳴らした。
電話じゃないからとりあえず今してる事を終わらせて、洗い物まで済ませてから手を拭いて確認すると、今日は一人で特集記事の撮影をするらしい志摩さんからメッセージが来ていて目を瞬く。
『明日お寿司取るから、陽向くんも事務所の控え室においで』
「……はい?」
楽屋の次は事務所の控え室? ……控え室!?
志摩さんはどうしてそんな簡単に一般人を事務所やら控え室やら楽屋やらに入れるんだ? 社長さんにバレたら怒られないか?
ってかこれ、水島さんも容認してるって事だよな?
「トップアイドル、恐るべし」
でもお寿司は惹かれるなぁ。一人でいると食べられるものじゃないし、オレはバイトもしてなくて親に食費やらなんやら貰ってる身だからな。
一ファンとしては身の程を弁えるべきなんだろうけど、真那の事を好きだって自覚してからは不意に真那の顔がみたいなーって思う事もあって、今は寿司と真那とファンとしての気持ちとで天秤が拮抗してる。
どうしようかと悩んでいると、再び通知音がして志摩さんから二通目のメッセージが来た。
『回らないお店のお寿司だよ』
「ま、回らないお店…!」
それはいわゆる高級なお寿司という事では? 人生で一度は食べてみたいものランキング上位に食い込むお高いお寿司。
ちなみに一位は霜降り黒毛和牛。分厚いステーキを食べてみたい。
グラグラ揺れていた天秤は、〝高級〟というステータスによりあっさりとお寿司に傾き、オレはさっそく志摩さんへとメッセージを返した。
『ありがとうございます、お言葉に甘えてお邪魔させて頂きます!』
『堅いよ、陽向くん(笑)』
やっぱり文字だけだとそう見えるよな。オレは少し考えてから、円香から貰った〝ぶちゃ猫〟とかいう面白い顔をした猫の、『ありがとうだニャ』と言いながらニヤリと笑っているスタンプを送った。
すぐに志摩さんから可愛らしい猫の『気にするニャ』というスタンプが返って来る。志摩さんは割とお茶目な人だ。
そういえば、初めて会った時に食べさせて貰ったいくらも物凄く美味しかったけど、あれも回らないお寿司屋さんのだろうか。回転寿司のいくらも美味しいは美味しいのに、あの大粒いくらの味と食感を知ってしまった今、回って来ても手を出す事を躊躇うかもしれない。
でも回転寿司は、たまに無性に行きたくなる。
もう一度ぶちゃ猫のスタンプを返したあとはスタジオ入りしたのか志摩さんからの返事はなくて、小さく息を吐いたオレは先に風呂に入る事にし、スマホをテーブルに置いて洗面所に向かった。
翌日、いつもより遅めに起きたオレは身支度を整え食事を摂ってから揚げ物に取りかかる事にした。唐揚げはもちろん揚げたてが美味しいけど、その場で揚げる以外はどうしたって無理だからそこは目を瞑って貰う。
前日に水島さんから、事務所を出た時と着いた時に連絡するってメッセージが来てたから、スマホはいつでも見られるように後ろのキッチンカウンターに置いておいた。
水島さんはオレの連絡先を志摩さん経由で聞いたらしい。最初は真那に聞いたみたいなんだけど、絶対嫌って言って教えてくれなかったそうだ。志摩さんの時でも妬いてたし、オレが教えた訳じゃないけど内緒にしといた方がいいかも。
唐揚げを揚げ終わって一時間後、『着いたよ』と水島さんから連絡が来た。保冷バッグに唐揚げ、髪皿と割り箸、除菌シートを入れたのを確認して自分のボディバッグと一緒に持ち玄関を出る。
しっかり施錠して門を抜ければすぐ水島さんの車が見えた。前の時のように後部座席の方に周り乗り込む。
「おはよう、陽向くん」
「おはようございます。迎えに来て頂いてすみません」
「いいよいいよ、無理を言ってるのはこっちだからな。特にここ最近の真那は陽向くんに会いたいって毎日のように言ってて、志摩くんが怒ってたよ」
「毎日……」
「仕事はきちんとこなしてくれるからいいんだけどな」
さすがに仕事にまで影響が出てたらオレも怒ってる。ホント、志摩さんには苦労かけてるなぁ。真那が申し訳ない…って、オレはアイツのお母さんか!
そういえば、超美人なママさんとイケメンなパパさん、元気かな。三枝家はご近所でも評判の美形一家だったし、ホントに十八の息子がいるの? ってくらい二人は若かった。
「もうすぐ事務所に着くよ」
「あ、はい。芸能事務所は初めてなので、めちゃくちゃ緊張してます」
「はは、大丈夫だよ。【soar】のメンバーしかいないから」
「しかって……」
充分贅沢すぎる。でも知らない人がたくさんいるよりは、まだ【soar】の三人だけの方が落ち着くからそれはそれで有り難い。
車に揺られる事しばらく、連れて来られた先は大きなビルでオレは眩しさに目を細めた。さすが大手芸能プロダクション、事務所もデカい。
オレは将来、中小企業のしがない平リーマンになる予定だから人生でこんな立派なビルに入る事なんてないだろうし、闊歩してる人たちみんなエリートに見えるしで恐縮しきりで水島さんの後を必死について行く。
エレベーターに乗って、何階かは知らないけど降りた場所はエントランスとは違って凄く静かで、少し歩いた先の扉の前で止まった水島さんはノックをして返事を待たずに開けた。
中にはソファに座った真那、志摩さん、風音さんがいて、テーブルの上には木で出来た寿司折が五つ重なってる。
「あ、水島さんお疲れっす」
「お迎えありがとうございます」
「……ヒナ」
あれ、この驚いた真那の顔、前にも見た事あるんだけど……あれか、また内緒にされてたのか。志摩さんって意外に意地悪なんだな。
ソファから立ち上がりオレの傍まで来た真那に保冷バッグを渡すと不思議そうに首を傾げる。
「じゃあ俺はお寿司貰って出るから、みんなでゆっくり食べなさい。二時間後に迎えに来るよ」
「水島さん、ありがとうございました」
「どういたしまして。真那を宜しくな」
「はい」
水島さんを見送り真那に手を引かれてソファの隣に座らせられる。オレと真那の前に折箱が置かれたけど、真那は保冷バッグの中身が気になるのかいそいそと開けて確かめてた。
「ヒナが来るからお寿司五つあったんだ」
「そういう事」
「あ、それ、唐揚げ。オレからの差し入れ」
「食べる」
「うん。でもお寿司も食べろよ?」
「え、これだけでいい」
「ダメだって」
言うと思ったけど。オレは真那が出したタッパーを自分の方に寄せて蓋を開け、割り箸を割って二枚の紙皿に乗せるとそれを志摩さんと風音さんの前にも置く。鶏肉四枚分だから結構量あるけど、真那ならペロッと食べるんだろうな。
「減った」
「二人よりは多いんだから文句言わない」
「陽向くん、お母さんみたいだね」
「似たようなもんだろ」
「あはは……」
自分でも思ってた事を言われてしまった。乾いた笑いで答えると、隣では真那が唐揚げを食べ始めていて苦笑する。志摩さんと風音さんはちゃんと手を合わせてから唐揚げを口に運び、二人同時に目を瞬いた。
「美味しい」
「うま!」
「陽向くん、料理上手なんだね」
「漬けて揚げただけですから。あ、にんにくは隠し味程度にしておきました。口臭ケアのタブレットもありますので」
「後々の気遣いまでしてくれるんだ」
「マジで母ちゃんみてーだな」
「ヒナは母さんじゃないよ」
「例えだっての」
オレの頭を抱き寄せながら少し怒ったように言う真那に風音さんはしれっと返す。というか、いつまで唐揚げを食べ続けるんだろう。
みんなが蓋を開けないから、オレも何となく開けづらい。
「ヒナ」
「ん?」
「食べていいよ。好きなのあったら俺のもあげる」
オレがじっと折箱を見ていたからか、真那が気付いて蓋を開けお寿司に付いていた箸を割って渡してくれる。何か急かしたみたいで恥ずかしい。
志摩さんも風音さんもニコニコ顔で頷いてるし。
「あ、ありがとう」
「ん」
箸を受け取り照れ笑いを浮かべるオレに自分の折箱の蓋も開けて寄せてきた真那は、いつもよりも優しい顔で微笑むとオレの頭を撫でてまた唐揚げを食べ始めた。
自覚してから真那の笑顔に弱くなった気がする。
オレは手を合わせて油がのったマグロ……中トロ? 大トロ? を崩さないよう箸で挟み口へと運ぶ。
「……!」
「美味しい?」
「めちゃくちゃ美味しい!」
「陽向くんは本当に美味しそうに食べるよね」
「色んなもん食べさせてやりたくなる」
「今度は何がいい? やっぱり男子高生だし、肉かな」
「焼肉行きてー!」
「駄目。ヒナは俺と行くから、志摩さんは風音と二人で行って」
「わざわざ別行動するんだ」
「ってか、陽向のヤツもう聞いてねーぞ」
あまりの美味しさに交わされる会話など何のその、オレは夢中になってお寿司を食べてた。ネタもシャリも最高。
半分くらい食べ終わってから視線を感じて顔を上げると三人から生暖かい目で見られてて、驚いたオレの横隔膜までびっくりしてしばらくしゃっくりが止まらなかったのは、逃げ出したいくらい恥ずかしかったです、まる。
今日まさに誕生日を迎えた真那は二十二時以降も働けるようになったから更に忙しくなるらしく、志摩さんや水島さんから相談されて、こっちで仕事をしてる時は差し入れを用意する事になった。
「真那の陽向くん不足が一番の問題だから」って言われたけど、果たして今をときめく人気アイドルグループの一人がそれでいいのだろうか。
まぁマネージャーやメンバーに言われるくらいなんだからよっぽどの事なんだろうな。オレが楽屋にまで呼ばれるくらいなんだから。
初めてのライブ参戦を間近に控えたオレは、スマホを駆使して必要なものの準備をしていた。真那が「あげる」って持ってきた【soar】のぬいぐるみやアクキーなどのグッズは大事にしまってるけど、ペンライトは持ってないから出来れば物販で購入したい。ただそういったものはすぐに売り切れるらしく、オレは不安に抱いていた。
ペンライトがなくても大丈夫だよと千里も円香も言ってくれたから、もし買えなかったら残念だけどナシで応援する。
それで肝心の座席なんだけど、何と驚く事にアリーナ席だった。と言ってもメインステージからは離れてる方だけど、それでも二階席とか三階席よりも近くて、きっとオレは運を使い果たしたと思う。
「チケットは電子だからスマホでオッケー。身分証…は学生証で良さそうだな。財布と……モバイルバッテリーっているのか? 分かんないけど、念の為持ってくか。あとはハンカチとティッシュ」
先人の知恵というものは偉大だし、なくて困るよりあって安心する方がいいしな。んで、入れてくカバンはリュックでいい。学生証以外は全部入れて、忘れないようメモだけして玄関のシューズボックスの上に置いておく。
「よし。そんじゃあ仕込みするか」
明日は金曜日だけど、設立記念日で学校が休みらしくそれならと真那に差し入れする日になった。今から鶏肉を一口サイズに切って漬けてお昼くらいに揚げて受け取りに来た水島さんに渡す。
マネージャーさんは大変だ。
「ん?」
ビニール手袋をして鶏肉をブツ切りにし、ジップタイプの保冷袋に入れて調味料を加えてモミモミしてる時、ダイニングテーブルに置いていたスマホが短く通知音を鳴らした。
電話じゃないからとりあえず今してる事を終わらせて、洗い物まで済ませてから手を拭いて確認すると、今日は一人で特集記事の撮影をするらしい志摩さんからメッセージが来ていて目を瞬く。
『明日お寿司取るから、陽向くんも事務所の控え室においで』
「……はい?」
楽屋の次は事務所の控え室? ……控え室!?
志摩さんはどうしてそんな簡単に一般人を事務所やら控え室やら楽屋やらに入れるんだ? 社長さんにバレたら怒られないか?
ってかこれ、水島さんも容認してるって事だよな?
「トップアイドル、恐るべし」
でもお寿司は惹かれるなぁ。一人でいると食べられるものじゃないし、オレはバイトもしてなくて親に食費やらなんやら貰ってる身だからな。
一ファンとしては身の程を弁えるべきなんだろうけど、真那の事を好きだって自覚してからは不意に真那の顔がみたいなーって思う事もあって、今は寿司と真那とファンとしての気持ちとで天秤が拮抗してる。
どうしようかと悩んでいると、再び通知音がして志摩さんから二通目のメッセージが来た。
『回らないお店のお寿司だよ』
「ま、回らないお店…!」
それはいわゆる高級なお寿司という事では? 人生で一度は食べてみたいものランキング上位に食い込むお高いお寿司。
ちなみに一位は霜降り黒毛和牛。分厚いステーキを食べてみたい。
グラグラ揺れていた天秤は、〝高級〟というステータスによりあっさりとお寿司に傾き、オレはさっそく志摩さんへとメッセージを返した。
『ありがとうございます、お言葉に甘えてお邪魔させて頂きます!』
『堅いよ、陽向くん(笑)』
やっぱり文字だけだとそう見えるよな。オレは少し考えてから、円香から貰った〝ぶちゃ猫〟とかいう面白い顔をした猫の、『ありがとうだニャ』と言いながらニヤリと笑っているスタンプを送った。
すぐに志摩さんから可愛らしい猫の『気にするニャ』というスタンプが返って来る。志摩さんは割とお茶目な人だ。
そういえば、初めて会った時に食べさせて貰ったいくらも物凄く美味しかったけど、あれも回らないお寿司屋さんのだろうか。回転寿司のいくらも美味しいは美味しいのに、あの大粒いくらの味と食感を知ってしまった今、回って来ても手を出す事を躊躇うかもしれない。
でも回転寿司は、たまに無性に行きたくなる。
もう一度ぶちゃ猫のスタンプを返したあとはスタジオ入りしたのか志摩さんからの返事はなくて、小さく息を吐いたオレは先に風呂に入る事にし、スマホをテーブルに置いて洗面所に向かった。
翌日、いつもより遅めに起きたオレは身支度を整え食事を摂ってから揚げ物に取りかかる事にした。唐揚げはもちろん揚げたてが美味しいけど、その場で揚げる以外はどうしたって無理だからそこは目を瞑って貰う。
前日に水島さんから、事務所を出た時と着いた時に連絡するってメッセージが来てたから、スマホはいつでも見られるように後ろのキッチンカウンターに置いておいた。
水島さんはオレの連絡先を志摩さん経由で聞いたらしい。最初は真那に聞いたみたいなんだけど、絶対嫌って言って教えてくれなかったそうだ。志摩さんの時でも妬いてたし、オレが教えた訳じゃないけど内緒にしといた方がいいかも。
唐揚げを揚げ終わって一時間後、『着いたよ』と水島さんから連絡が来た。保冷バッグに唐揚げ、髪皿と割り箸、除菌シートを入れたのを確認して自分のボディバッグと一緒に持ち玄関を出る。
しっかり施錠して門を抜ければすぐ水島さんの車が見えた。前の時のように後部座席の方に周り乗り込む。
「おはよう、陽向くん」
「おはようございます。迎えに来て頂いてすみません」
「いいよいいよ、無理を言ってるのはこっちだからな。特にここ最近の真那は陽向くんに会いたいって毎日のように言ってて、志摩くんが怒ってたよ」
「毎日……」
「仕事はきちんとこなしてくれるからいいんだけどな」
さすがに仕事にまで影響が出てたらオレも怒ってる。ホント、志摩さんには苦労かけてるなぁ。真那が申し訳ない…って、オレはアイツのお母さんか!
そういえば、超美人なママさんとイケメンなパパさん、元気かな。三枝家はご近所でも評判の美形一家だったし、ホントに十八の息子がいるの? ってくらい二人は若かった。
「もうすぐ事務所に着くよ」
「あ、はい。芸能事務所は初めてなので、めちゃくちゃ緊張してます」
「はは、大丈夫だよ。【soar】のメンバーしかいないから」
「しかって……」
充分贅沢すぎる。でも知らない人がたくさんいるよりは、まだ【soar】の三人だけの方が落ち着くからそれはそれで有り難い。
車に揺られる事しばらく、連れて来られた先は大きなビルでオレは眩しさに目を細めた。さすが大手芸能プロダクション、事務所もデカい。
オレは将来、中小企業のしがない平リーマンになる予定だから人生でこんな立派なビルに入る事なんてないだろうし、闊歩してる人たちみんなエリートに見えるしで恐縮しきりで水島さんの後を必死について行く。
エレベーターに乗って、何階かは知らないけど降りた場所はエントランスとは違って凄く静かで、少し歩いた先の扉の前で止まった水島さんはノックをして返事を待たずに開けた。
中にはソファに座った真那、志摩さん、風音さんがいて、テーブルの上には木で出来た寿司折が五つ重なってる。
「あ、水島さんお疲れっす」
「お迎えありがとうございます」
「……ヒナ」
あれ、この驚いた真那の顔、前にも見た事あるんだけど……あれか、また内緒にされてたのか。志摩さんって意外に意地悪なんだな。
ソファから立ち上がりオレの傍まで来た真那に保冷バッグを渡すと不思議そうに首を傾げる。
「じゃあ俺はお寿司貰って出るから、みんなでゆっくり食べなさい。二時間後に迎えに来るよ」
「水島さん、ありがとうございました」
「どういたしまして。真那を宜しくな」
「はい」
水島さんを見送り真那に手を引かれてソファの隣に座らせられる。オレと真那の前に折箱が置かれたけど、真那は保冷バッグの中身が気になるのかいそいそと開けて確かめてた。
「ヒナが来るからお寿司五つあったんだ」
「そういう事」
「あ、それ、唐揚げ。オレからの差し入れ」
「食べる」
「うん。でもお寿司も食べろよ?」
「え、これだけでいい」
「ダメだって」
言うと思ったけど。オレは真那が出したタッパーを自分の方に寄せて蓋を開け、割り箸を割って二枚の紙皿に乗せるとそれを志摩さんと風音さんの前にも置く。鶏肉四枚分だから結構量あるけど、真那ならペロッと食べるんだろうな。
「減った」
「二人よりは多いんだから文句言わない」
「陽向くん、お母さんみたいだね」
「似たようなもんだろ」
「あはは……」
自分でも思ってた事を言われてしまった。乾いた笑いで答えると、隣では真那が唐揚げを食べ始めていて苦笑する。志摩さんと風音さんはちゃんと手を合わせてから唐揚げを口に運び、二人同時に目を瞬いた。
「美味しい」
「うま!」
「陽向くん、料理上手なんだね」
「漬けて揚げただけですから。あ、にんにくは隠し味程度にしておきました。口臭ケアのタブレットもありますので」
「後々の気遣いまでしてくれるんだ」
「マジで母ちゃんみてーだな」
「ヒナは母さんじゃないよ」
「例えだっての」
オレの頭を抱き寄せながら少し怒ったように言う真那に風音さんはしれっと返す。というか、いつまで唐揚げを食べ続けるんだろう。
みんなが蓋を開けないから、オレも何となく開けづらい。
「ヒナ」
「ん?」
「食べていいよ。好きなのあったら俺のもあげる」
オレがじっと折箱を見ていたからか、真那が気付いて蓋を開けお寿司に付いていた箸を割って渡してくれる。何か急かしたみたいで恥ずかしい。
志摩さんも風音さんもニコニコ顔で頷いてるし。
「あ、ありがとう」
「ん」
箸を受け取り照れ笑いを浮かべるオレに自分の折箱の蓋も開けて寄せてきた真那は、いつもよりも優しい顔で微笑むとオレの頭を撫でてまた唐揚げを食べ始めた。
自覚してから真那の笑顔に弱くなった気がする。
オレは手を合わせて油がのったマグロ……中トロ? 大トロ? を崩さないよう箸で挟み口へと運ぶ。
「……!」
「美味しい?」
「めちゃくちゃ美味しい!」
「陽向くんは本当に美味しそうに食べるよね」
「色んなもん食べさせてやりたくなる」
「今度は何がいい? やっぱり男子高生だし、肉かな」
「焼肉行きてー!」
「駄目。ヒナは俺と行くから、志摩さんは風音と二人で行って」
「わざわざ別行動するんだ」
「ってか、陽向のヤツもう聞いてねーぞ」
あまりの美味しさに交わされる会話など何のその、オレは夢中になってお寿司を食べてた。ネタもシャリも最高。
半分くらい食べ終わってから視線を感じて顔を上げると三人から生暖かい目で見られてて、驚いたオレの横隔膜までびっくりしてしばらくしゃっくりが止まらなかったのは、逃げ出したいくらい恥ずかしかったです、まる。
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