焦がれし星と忘れじの月

ミヅハ

文字の大きさ
上 下
104 / 133

【五十二ノ星】このタイミングで?

しおりを挟む
 挙式本番まであと三週間を切った日の夕方。
 鼻歌交じりに夕飯の支度をしていた詩月は、いつもより早く帰って来た恋人に目を瞬く。エプロンのポケットに入れていたスマホを確認して首を傾げていると、リビングの扉が開いて龍惺が入って来た。

「あ、おか……」

 おかえりなさいと言おうとした声が途中で止まる。
 いつもは詩月に気付くと微笑んでくれるのに、今の龍惺の顔は人生で一番の不幸でもあったのかというくらいどんよりしていた。
 心配になりそっと近付いて顔を覗き込むと勢い良く抱き締められる。

「龍惺?」
「……に……った……」
「うん?」
「一週間、海外出張に行くことになった」
「……え!?」

 予想外も予想外な言葉にさすがの詩月も驚きの声を上げる。
 出張は出張としてあっても、海外への出張は今まで一度もなかったのに、何故あと数週間後には結婚式を控えているこの時期に一週間も海外に行く事になったのか。

「今までは親父が行ってたんだけど、今別んとこ行ってて……今回のは急遽決まったから行けんの俺しかいねぇんだよ」
「そ、そうなんだ……」
「一週間で帰って来れるから結婚式に間に合いはするんだが、その間お前を一人にするのが心配」
「僕ちゃんと待ってるよ?」
「それは疑ってねぇ。そうじゃなくて、俺がいねぇと飯ちゃんと食わねぇだろ、お前」

 そこを引き合いに出されると何も言えなくなる。さすがに一週間ずっと納豆ご飯やうどんという不摂生はしないつもりだが、三食を自分のために用意するのはとてつもなく面倒だ。
 思わず視線を逸らすと龍惺がジト目で顔を覗き込んでくる。

「ほら見ろ。お前、明日から一週間俺の実家にいろ」
「へ?」
「あそこなら三食時間になりゃ出て来るし、何もしなくていいからゆっくり休めるだろ」
「で、でもご迷惑じゃ……」
「な訳、むしろ歓迎されまくるわ」

 以前お邪魔した時の事を思い返せば、何人かの使用人が食事を用意して運んで来てくれていた。だから龍惺の心配事もあっさり解消されるのだろうが、詩月はどちらかと言うと暇よりも忙しい方が好きなため、果たして手持ち無沙汰に耐えられるかどうか。

「龍惺はそうした方が安心してお仕事出来る?」
「そうだな。あっちにいてくれた方が何かあっても対応して貰えるし、何より寂しくないと思うぞ」
「それは……そうかも」

 就寝以降はともかく、あちらには常に人がいる状態だから例え早苗が出掛けても寂しいと感じる事はないかもしれない。 
 一週間この部屋に一人、という事を考えたら存外悪くない話だ。

 少し考えてこくりと頷いた詩月にあからさまに安堵した龍惺は、先ほどよりも腕の力を強め「ごめんな」と耳元で囁いた。





 翌日、ベルガモットの香水を纏ったイルカと、部屋着類や洗面用具を詰めたカバンを下げた詩月は龍惺の車で実家まで送って貰った。
 すぐに空港に行かなくてはいけないという彼とキスとハグをして別れ、玄関を開けるとにこにこ顔の早苗が待っていて少しだけ驚く。

「久し振りね、詩月くん」
「お久し振りです。お世話になります」
「相変わらずの他人行儀なんだから。じゃあはい、おかえりなさい」
「た、ただいまです……」

 法的な証明はないが、言うなればなのだから〝義実家〟になるとはいえ、今だにこれを言うのは恥ずかしい。
 照れながら小さな声で答えるとふふっと笑った早苗に促され玄関からリビングへと移動する。
 少ない荷物は使用人が運ぶからと言われ、イルカだけは自分で抱えてお願いした。
 柔らかなソファに座るとすぐに紅茶とケーキが運ばれる。

「挙式前でバタバタしてる時にごめんなさいね。あちらさんがどうしても玖珂の人間を寄越してくれって言うもんだから」
「いつもは航星さんか行って下さってるんですよね?」
「業務のほとんどは龍惺が引き継いでくれてるから、せめて海外出張くらいはって言ってね。ほら、あの子が社長になったのは詩月くんのためだから、離れるのは可哀想だって」
「え?」

 それは初めて聞いた。
 目を瞬いていると、しまったと口を押さえた早苗が苦笑する。

「今話した事、龍惺には内緒ね」
「……仲直りしたから、継いだんじゃなかったんですか?」
「詩月くんはそう思ってるのね。あの子が継いだのは、あなたを探すためよ」
「……!」

 そのために吐き捨てるように拒絶した椅子を継いだのかと、驚きよりも嬉しさの方が大きく感じてしまった。
 あまりの衝撃にぽかんとしていると、早苗は詩月の頭を撫で微笑む。

「私たちは本当にあの子が嫌なら、親戚の誰かに継いで貰えばいいって思ってたの。でもあなたを探すためには必要な場所だって言って、あの人に頭を下げたのよ」
「……龍惺が……」
「それなりの地位に就けばほとんどの人は文句を言って来ないから。でも玖珂の名前を使うのは違うと思ったのね、だから時間も掛かった」
「…………」
「あなたのためなら、龍惺はいくらでも身を削るわよ」
「………………」

 どうしよう。さっき別れたばかりなのに、もう龍惺に会いたくなってる。あと一週間は会えないのに、どうしてこんな話を聞いてしまったのか。
 イルカに顔を埋め龍惺の香りで気持ちを落ち着かせていると、肩をつんつんと突つかれた。

「?」
「恋人なんていた事のないあの子があんなにも必死になって探す相手がどんな子なのか不安だったけど、詩月くんで良かったわ」
「早苗さん……」
「まずはここにいる間、遠慮なく甘えられるようになりましょうね」
「う……はい……」

 なかなかハードルの高い課題を出して来る早苗に口端を引き攣らせた詩月は、この強引さにも一週間で慣れるといいなと思いながら頷いた。




 事前に龍惺からフライト時間が長く、詩月が寝るまでに連絡出来るか分からないと聞いていたため、夕食後に暇を持て余し始めた詩月は前回早苗に案内して貰った、自分の服が大量に置かれた部屋に行き一着ずつ確認していた。
 たくさんありすぎて服ってこんなに種類があるんだと思っていると、ズボンのポケットでスマホが震え慌てて引っ張り出す。
 まさかと思って見た画面に表示された名前にパッと表情を明るくすると、勢い良く通話ボタンを押した。

「もしもし!」
『はは、勢いすげぇな』
「良かった、無事に着いたんだね」
『ああ。っつってもこっちはもう深夜回ってっけどな』
「時差ボケ大丈夫?」
『今んとこはな。何してた?』

 今日はもう連絡が来る事はないと覚悟していたためこれは嬉しい。
 自分でも声が弾んでいるなと思いながら話していると、いつもより少しだけゆっくりめの口調で話す龍惺に問い掛けられた。

「服見てた」
『服? ……ああ、おふくろが買いまくったやつ』
「うん。せっかく頂いたんだし、出来れば全部一回は着たいんだけど……」
『一年くらいあれば着れそうだけどな』
「そうなると、毎日ここに来ないといけないね」

 来る事自体は構わないのだが、如何せんマンションから距離がある。毎日龍惺に送って貰う訳には行かないし、さすがに無理な話だ。

『お前が来るっつったら、南を迎えに寄越してくれるんじゃね?』
「そ、それこそ申し訳なさすぎるよ」

 南とは以前に会った事はあるが軽い挨拶しか出来ていなかった。しかも彼は玖珂家の専属運転手だ。詩月のために車を出して貰う訳には行かない。
 一人で首を振っていると、電話口の向こうで欠伸を噛み殺したような声が聞こえた。

「あ、眠いよね。そろそろ切ろうか」
『でもせっかくお前と電話してんのに……』
「いつでも出来るから。今は龍惺の睡眠時間の方が大事だよ。長い時間飛行機に乗って疲れてるのに、電話してくれてありがとう」
『……ごめんな』
「謝らないで」

 顔を見なくても分かるくらい声が申し訳なさそうで、逆にこっちがごめんなさいを言いたくなる。名残惜しげな「おやすみ」に同じ言葉を返して通話を終えると、待ち受けに変わった画面をじっと見つめ少しだけ赤くなった耳に触れた。

(眠そうな時の龍惺の声、いつも以上に低くて掠れてて……耳元だと余計にドキドキする)

 まだ耳奥に龍惺の声が響いている気がして撫でていると、扉がノックされ早苗が顔を覗かせてきた。

「詩月くん、ここにいたのね。もしかして眠れない?」
「あ、いえ、そういう訳では……」
「何か温かい飲み物でも飲みましょうか」
「……はい」
「あ、服は明日コーディネートしてあげるわね」
「ありがとうございます」

 また遊ばれるのかなと微苦笑しスマホの画面を真っ暗にした詩月は、手招きする早苗の背中を追い部屋をあとにした。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【完結】異世界行ったら龍認定されました

BL / 完結 24h.ポイント:213pt お気に入り:468

当て馬ヒロインですが、ざまぁされた後が本番です

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:369pt お気に入り:1,717

【※R-18】私のイケメン夫たちが、毎晩寝かせてくれません。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:624pt お気に入り:722

この腕の中で死ね

BL / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:5

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:204,578pt お気に入り:7,321

典型的な政略結婚をした俺のその後。

BL / 連載中 24h.ポイント:809pt お気に入り:2,158

追放されたΩの公子は大公に娶られ溺愛される

BL / 完結 24h.ポイント:241pt お気に入り:1,971

祝福という名の厄介なモノがあるんですけど

BL / 完結 24h.ポイント:631pt お気に入り:93

浮気αと絶許Ω~裏切りに激怒したオメガの復讐~

BL / 連載中 24h.ポイント:25,028pt お気に入り:1,970

冒険者ギルド品質管理部 ~生まれ変わっても品管だけは嫌だと言ったのに~

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:45

処理中です...