焦がれし星と忘れじの月

ミヅハ

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【四十五ノ月】おやすみ

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「瀬尾、来週の木曜日、午後だけでも空けられるか?」

 仕事中、通知の来たスマホを確認した龍惺は棚の整理をしている瀬尾へとおもむろに問い掛けた。
 訝しげに眉を顰めた瀬尾はスケジュール帳を取り出すと小難しい顔をして考え込み、パタンと閉じて淡々と言い放つ。

「その日は午後一で会議の予定が入っております。その後は新規プロジェクトの事前打ち合わせと桜物産との商談の手筈でしたが、桜物産は先日社内トラブルに見舞われたそうで日を改めたいと昨日連絡がありました」
「社内トラブル?」
「幸い現在は解決済みだそうですが、その後処理に少々手間取っているようです」
「大丈夫なのか? それ」
「取引先とはいえ他社なので、桜会長にご尽力頂くしかありませんね」

 確かにあくまで取引先であり子会社でもない他所の会社だが、それにしたって心配の言葉一つないのは如何なものだろうか。
 相変わらずの塩対応っぷりに苦笑した龍惺はもう一度スマホを確認して机に頬杖をついた。

「二、三時間でもいいんだが」
「そんなに大事な要件なんですか?」
「式場見学。予約取れたんだよ」

 さっきから見ているのは詩月からのメッセージで、ブライダルフェアの予約を申し込んだところ直近ならその日に空きがあると言われたらしく、とりあえず入れて貰ったようだ。龍惺が行けるなら一緒に行きたいと来たのだが、無理なら早苗辺りに頼むしかない。

「桜物産の空きがまだ埋まっておりませんでしたので、そちらを当てれば会議後三時間は可能です」
「……じゃあそれで」
「畏まりました」
「…………」

 恐らく詩月が関わっていなければこうも簡単には提案してくれなかっただろう。別に龍惺も瀬尾も仕事人間ではないが、スケジュールが組まれている以上それを遵守すべきだとは思っている。
 ただそれをどうにかしてでも二人が優先するのが詩月であり、付き纏いの件で会社を抜け出した事を瀬尾からうるさく言われなかったのも詩月が当事者だったからだ。

(詩月も案外罪な男だよな)

 人当たりが良く素直で愛嬌もあり、人の悪口は言わないし誰に対しても優しい彼は、龍惺の周りにいる人たちに大層モテる。
 父親と母親と、目の前にいる有能秘書がその最たる証拠だ。
 それに対して詩月が喜んでいるから何も言わないだけで、自分以外が詩月を甘やかす事を龍惺は良しとはしていない。

(我ながら独占欲ヤバすぎだろ)

 さっさと自分の仕事に戻った瀬尾の背中を見て自嘲気味に笑った龍惺は、気持ちを切り替えるべく息を吐いてから目の前の書類に取り掛かった。





 今日はいつもより遅い帰宅となってしまった。
 あらかじめ連絡を入れていたとはいえ、いつも夕飯を食べている時間は大幅に過ぎてはいるが、恐らく詩月は食べずに待っている事だろう。
 何度先に食べてろ、寝てろと言っても帰って来るなら待っていると言って聞かないのだから困ったものだ。
 カードキーを挿して解錠し玄関の扉を開けて中へと入るが、いつもならすぐに開くはずのリビングの扉に影すら映らない。

「?」

 聞こえない場所にいるのか、はたまた仕事でもしているのかと不思議に思いながらリビングに入った龍惺は、ソファに横になっている詩月を見付けて目を瞬いた。
 近付いてみるとどうやら眠っているようで、床に見学予定にある式場のパンフレットが落ちているから、おそらく読んでいる途中で限界が来たのだろう。それを拾ってテーブルに置き、目に掛かっている前髪を避けて寝顔を眺める。

(良く寝てんな。動かしたら起きるか?)

 出来ればベッドへ運んでやりたいが、抱き上げた時に起こしてしまうのは可哀想だ。ならば自分が行く時でいいだろうともう一つのソファに置いてあったブランケットを取り詩月へと掛けてやる。
 空調は常に最適な温度を保てるように設定はしているが、風邪を引かないための予防策は大事だ。

 既に入浴済みの詩月は、コスプレの代わりにと購入した例のルームウェアを身に付けていた。肌触りが堪らないといたく気に入っていて、あの日以来部屋着として毎日洗濯しては着用している。
 ちなみズボンは気分によって変えるらしく、今日は短い方を履いていたから若干目のやり場に困ってしまった。
 何せ色が白くスラッとした足をしているのだ。女性と違い柔らかな肉付きをしている訳ではないが、それでも充分煽情的でついつい触りたくなる。

(いや、起こしたくねぇってのに触ったら駄目だろ)

 何のためにブランケットを掛けたのやら。
 無意識に伸びていた手で頭を掻き、煩悩を消すために早く風呂に入ってしまおうとジャケットを脱いで浴室に向かった。
 頭から爪先までサッと洗い、シャワーだけで済ませて出ると適当に拭いてからシャツとズボンを身に付け今度はキッチンに向かう。
 思った通り、詩月はワークトップに夕飯を置いてくれていた。ただやはり詩月の分もあったためどうしようかと悩んだが、熟睡しているのだからと寝かせておく事に決めておかずを覗き込む。

「今日はハンバーグか。美味そう」

 温め直してから盛り付けるつもりだったのか、ハンバーグだけ別の皿に移されており、龍惺はそれをレンジに入れてスイッチを押した。デミグラスソースも小皿に用意されているあたり、いつもいろいろと考えて料理を作ってくれているんだなと気付く。

「あ、やべ。弁当箱忘れるとこだった」

 レンジに掛けている間に保冷バッグから空の弁当箱を取り出してシンクに置く。食べた後でまとめて洗うかととりあえず水に浸けておいて、温めのいらないおかずからダイニングテーブルへと運んだ。
 必要な物を温め終え椅子に座り、手を合わせて食事を始める。詩月の声がしない夕食は初めてだが、見える場所にいるからかそこまで不安にはならない。
 まぁ欲を言えば、楽しそうに話す詩月の笑顔は見たいのだが。

 肉汁たっぷりの美味しいハンバーグを含め全部完食して食事を終えると、さっさとテーブルの上を片付けて洗い物も済ませ、詩月の分は冷蔵庫にしまってからソファへと近付く。
 静かに寝息を立てる詩月の頬をそっと撫でそのまま首筋へと手を滑らせれば僅かに身動いだが、起きる気配はないため指先をネックレスのチェーンに引っ掛けトップを引き出した。
 月と星、これ以上ないほどに詩月と龍惺を示す唯一の物。
 離れていても、お互い手放せなかったあの星と月のキーホルダーは、今は小さな小箱に大事にしまわれている。
 たまに詩月がそれを出して眺めているのは知っているし、何ならそれ専用にガラスケースでも作ろうかと考えているくらいだ。

「さて、そろそろベッド運ぶか」

 ブランケットを背凭れに放り横抱きで詩月を抱き上げるとピッタリと閉じられている瞼がピクリと震える。
 寝室以外の照明を消し、ベッドへ寝かせたところで袖を引かれ目を瞬いた。

「……龍惺……?」
「悪い、起こしたか?」
「…んーん……いつの間に帰って来たの……?」
「二時間くらい前」
「……僕、もしかして寝てた?」
「ああ」

 まだ寝ぼけ眼だが、受け答えがちゃんと出来ている辺り意識は浮上しているようだ。だが龍惺はこのまま起こす気はないため、隣に転ぶと腕を頭の下に差し込み腰を抱き寄せ額に口付けた。

「ご飯は?」
「食った」
「ごめんね、自分でさせちゃった……」
「ンな事気にしなくていいから。ほら、寝るぞ」
「……龍惺」
「ん?」
「おかえりなさい」

 詩月が絶対にしなければいけない訳ではないのに、本当に気にしいだなと思っていると、不意に柔らかい声が迎えの言葉を告げた。そういえば今日は言われていなかったなと気付き、肩口に擦り寄って来る詩月の髪を撫でた龍惺の口元が緩む。

「ただいま」
「言えて良かった……おやすみなさい」
「おやすみ」

 〝行ってらっしゃい〟と〝おかえりなさい〟が詩月にとって特別な言葉だというのは理解しているが、そんな風に嬉しそうに言われるとどうしようもない気持ちになる。
 思わず口付けたくなってしまったが、そこは堪えて息を吐き愛しい恋人をしっかりと腕の中に収め龍惺も目を閉じた。
 詩月の香りと温もりはいつだって安らぎを与えてくれる。

 仕事の疲れもあってかすぐに瞼が重くなった龍惺は、一足先に眠りについた詩月の寝息を聞きながら微睡む意識を手放すのだった。
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