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【三十三ノ月】腹が立つ
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時を遡り、詩月が洋司から告白される数時間前。龍惺は机の上に置かれた週刊誌を見て眉を顰めていた。
『玖珂コンツェルン社長、玖珂龍惺氏の恋人は人気アパレルブランドの創始者であるAさんだった!』
そう見出しでデカデカと書かれた記事には、数日前にグランドホテルのラウンジで再会したあさみとの写真が数枚貼られており、見事なでっち上げの文が書かれていた。
出会いだの何回目のデートなど、よくもまぁこんなにも適当な事が書けるなと感心する。
「これ、怪しくないですか?」
「やっぱそう思うか? ……あさみにはあの日以降会ってねぇし、話したのもほんの十分ほどだ。それでこんな記事が載るって、どう考えても謀ってるとしか思えねぇよな。……っつか、アイツ起業してたのかよ」
「仲悪かったんですか?」
「いいか悪いかで聞かれたらいい方だろ。アイツが俺に詩月の事いろいろ教えてくれたんだし」
「え、貴方、そんな事も人任せにしていたんですか」
「うるせぇ」
仮にこの件にあさみが関わっていたとして、龍惺としてはあまり信じたくない気持ちはあった。裏表のない気のいい奴である。こんな卑怯な真似はしないと思うのだが。
溜め息を零し、勢い良く週刊誌を閉じた龍惺はそれを瀬尾に渡して立ち上がりエレベーターに向かう。
「どちらへ?」
「コーヒー買いに行ってくる」
「そういう事はご自分でなさるんですね」
「嫌味か。大体、お前に頼むと温くなった頃に持って来やがるからな」
各部署の社員からいろいろ頼まれてこなすのは構わないが、熱いコーヒーも冷たいコーヒーも買った時と大差ない温度で持って来て欲しいものだ。
龍惺の恨み言に肩を竦めた瀬尾は自分の机に戻り弁護士へと電話を掛け始めた。
仕事を終え、詩月に今から行くというメッセージを送ったのだが、週刊誌の件を誤解しないように伝えたところから既読がついておらず龍惺は首を傾げる。
昼頃には園で発熱した美玖を迎えに行ってくるという連絡が来ていたのは知っているが、それが関係しているのだろうか。
車を走らせ洋司の家へと向かう。いつもの場所に停めて着いた事を知らせ、既読がつくのを待っていると視界の端で玄関が開くのが見えた。
顔を上げて視線をやると、困った顔をした洋司がこちらへ歩いて来ていたためエンジンを止めて車から降りる。
「洋兄、詩月は?」
「中にいるよ。……龍惺、すまない」
「何だよいきなり」
「とりあえず、中に入ろう」
突然の謝罪に意味が分からず眉根を寄せるが、それに対して返事をする事なく前を歩き出した洋司に更に首を傾げる。
玄関扉を大きく開け放った状態で止まり先に入るよう促されますます訳が分からない。
仕方なく靴を脱いで上がりリビングに向かうと背中を向けて固まっている詩月の姿が目に入った。
「詩月?」
「…っ……」
「どうした? 何でそっち向いて……」
一向に振り向かない詩月に違和感を覚えた龍惺は近付いて顔を覗き込み、その表情に驚いて目を見瞠ったあと思い切り眉間に皺を寄せた。
リビングの扉の前に立つ洋司を睨み付ける。
「洋兄、これはどういう事だよ」
「……詩月くんに告白した」
「はぁ? 俺の恋人だぞ」
「分かってるよ。でも好きになってしまったから……だから、もうここには来ないよう伝えた」
「……は?」
先程からまともな言葉が出て来ない。
龍惺は詩月が掴んでいたティッシュを取り上げて捨てると、目を真っ赤に腫らした彼を抱き締め髪を撫でた。
いつから泣いていたのか、しゃくり上げる姿に胸が痛くなる。
「美玖の件はどうにかなりそうだし、これ以上詩月くんがうちにいたら俺は絶対に手を出す。だから、ここが潮時なんだよ」
「……手ぇ出す?」
「一度我慢出来ずに抱き締めてしまった事があるからね」
「!」
ビクリと腕の中にいる詩月の身体が震えた。
その反応からどうやら本当の事だと伺えるが、龍惺はその話を一度も聞いていない。
「美玖には俺から話しておくから、二人共もう帰りなさい。詩月くん、明日からはもう大丈夫だから」
「…………」
「……とりあえず、泣かせたから殴っていいか?」
「そういう約束だったね」
「……っ、龍惺、ダメ……!」
「何でだよ、泣かされたんだろ?」
「違う、立川さんのせいじゃないの…! 僕が勝手に泣いただけで…っ」
「……洋兄を庇うのかよ」
「え……」
自分という恋人がありながら他の人から告白され、泣くほどの何かがあったくせに洋司を庇う詩月に苛立ちを覚える。
舌打ちをし、一度離れて詩月の荷物を持つと乱暴に細い腕を掴んで玄関へと歩き出した。
「洋兄」
「何だ?」
「仕事上はいつも通りにするけど、当分は顔も見たくねぇ。必要な連絡は瀬尾を通してしてくれ」
「……分かった」
「待って、龍惺、こんなのダメ……っ」
「…………」
何かを必死に伝えようとしている詩月を無視して靴を履き、待つ時間さえも煩わしいと詩月の靴を拾って彼を担ぎ上げた。
挨拶もせず扉から出て車に向かうが、いつにも増して詩月の声が頭に響く。
「龍惺、お願いだから僕の話を聞いて……!」
「………………」
ドアのロックを解除し助手席の扉を開けて詩月を乗せる。ついでに靴も足元に置いてからドアを閉めるとのそのそとそれを履き始めた。
運転席に座りシートベルトを掛けエンジンを入れる。
「ねぇ、龍惺……」
「ちょっと黙ってろ」
「……っ」
いつもなら詩月の話を遮ったりしないし、こんな冷たい言い方はしない。龍惺にとって詩月は愛でる存在であって、こんな風に乱暴にしていい存在ではないのだ。
だが今はどうしてもいつも通りに出来ない。
洋司の言葉にももちろん腹を立てているが、洋司にされた事を言わないでいた詩月にも怒っている。
詩月の自宅に向かう車内は沈黙が降りてただひたすらに重い空気が漂っていた。
四十分ほどして詩月のマンション近くのコインパーキングに到着すると、駐車した龍惺は一声もかけず車から降りる。
同じように車を降りた詩月の腕を掴んでマンションに入りエレベーターで居住階に上がると、月のキーホルダーが付いた鍵を取り出して玄関を開け詩月を押し込んだ。
よろめいて上り框に座り込んだ詩月に溜め息をつく。
「お前、何で洋兄にされた事黙ってた?」
「それは……」
「黙ってた理由、言えねぇの? それとも洋兄に抱き締められて嬉しかったのか?」
「そんな訳ない…っ。びっくりはしたけど、嬉しいなんて思わなかった!」
「じゃあ何で俺に言わなかったんだよ。言ったよな? 何かあったら言えって」
詩月の事なら何でも知りたいのに、よりにもよって一番伝えて欲しかった事を黙っていられた事が龍惺にはショックだった。詩月が洋司に気があるのではないかと疑ってしまっても仕方ないと言える。
「言、おうとは、した……でも、龍惺、立川さんの事、慕ってたから……」
「だから言わなかったって? ざけんな、洋兄がした事は裏切りだよ。お前が俺の恋人だって分かっていながら惚れて、おまけに抱き締めただ? 大体、お前も何で洋兄庇ってんだよ。違うっつってたけど、泣かされた事には代わりねぇだろ。俺は洋兄に、お前を泣かせたらぶん殴るっつってたんだ、殴られて当然なんだよ」
「泣かされた訳じゃないよ……ねぇ龍惺、落ち着いて話し合いをしよう? このままじゃちゃんと向き合えない」
「話し合い? 何の? お前が俺に黙ってた事と、洋兄がお前に惚れて抱き締めた話は間違いねぇんだろ? これ以上何を話す事があるんだよ」
「今冷静じゃないから、僕の話をちゃんと聞けないでしょ? 言わなかった事は僕が悪いよ。でも、あんな風に仲違いして欲しくなかった。立川さんだって龍惺の事……」
ピクリ、と龍惺の眉尻が跳ね上がる。ここまで言ってもまだそんな事を言うか。
「……は、結局お前は洋兄の味方なのかよ」
「違う! どうしてそうなるの? 龍惺が立川さんを……」
「分かった、もういい。お前の言う通り今の俺は頭に血が上って冷静じゃねぇ。だから今日は帰る」
「待って、ダメだよ…っ、今帰ったら…」
「頭冷やす時間欲しいから、引越しまではうち来んな」
「……! 龍惺……!」
慌てたように詩月が立ち上がろうとするが、龍惺はそれを振り切るように扉を開けて外に出ると、いつもは閉まるまで押さえる扉から手を離して詩月の部屋から離れた。
分かっている、これは〝逃げ〟だ。詩月の口から少しでも洋司を擁護するような言葉が出れば耐えられない。
龍惺は自分の情けなさにギリッと奥歯を噛み締め、先程停めたばかりのパーキングエリアへと向かった。
『玖珂コンツェルン社長、玖珂龍惺氏の恋人は人気アパレルブランドの創始者であるAさんだった!』
そう見出しでデカデカと書かれた記事には、数日前にグランドホテルのラウンジで再会したあさみとの写真が数枚貼られており、見事なでっち上げの文が書かれていた。
出会いだの何回目のデートなど、よくもまぁこんなにも適当な事が書けるなと感心する。
「これ、怪しくないですか?」
「やっぱそう思うか? ……あさみにはあの日以降会ってねぇし、話したのもほんの十分ほどだ。それでこんな記事が載るって、どう考えても謀ってるとしか思えねぇよな。……っつか、アイツ起業してたのかよ」
「仲悪かったんですか?」
「いいか悪いかで聞かれたらいい方だろ。アイツが俺に詩月の事いろいろ教えてくれたんだし」
「え、貴方、そんな事も人任せにしていたんですか」
「うるせぇ」
仮にこの件にあさみが関わっていたとして、龍惺としてはあまり信じたくない気持ちはあった。裏表のない気のいい奴である。こんな卑怯な真似はしないと思うのだが。
溜め息を零し、勢い良く週刊誌を閉じた龍惺はそれを瀬尾に渡して立ち上がりエレベーターに向かう。
「どちらへ?」
「コーヒー買いに行ってくる」
「そういう事はご自分でなさるんですね」
「嫌味か。大体、お前に頼むと温くなった頃に持って来やがるからな」
各部署の社員からいろいろ頼まれてこなすのは構わないが、熱いコーヒーも冷たいコーヒーも買った時と大差ない温度で持って来て欲しいものだ。
龍惺の恨み言に肩を竦めた瀬尾は自分の机に戻り弁護士へと電話を掛け始めた。
仕事を終え、詩月に今から行くというメッセージを送ったのだが、週刊誌の件を誤解しないように伝えたところから既読がついておらず龍惺は首を傾げる。
昼頃には園で発熱した美玖を迎えに行ってくるという連絡が来ていたのは知っているが、それが関係しているのだろうか。
車を走らせ洋司の家へと向かう。いつもの場所に停めて着いた事を知らせ、既読がつくのを待っていると視界の端で玄関が開くのが見えた。
顔を上げて視線をやると、困った顔をした洋司がこちらへ歩いて来ていたためエンジンを止めて車から降りる。
「洋兄、詩月は?」
「中にいるよ。……龍惺、すまない」
「何だよいきなり」
「とりあえず、中に入ろう」
突然の謝罪に意味が分からず眉根を寄せるが、それに対して返事をする事なく前を歩き出した洋司に更に首を傾げる。
玄関扉を大きく開け放った状態で止まり先に入るよう促されますます訳が分からない。
仕方なく靴を脱いで上がりリビングに向かうと背中を向けて固まっている詩月の姿が目に入った。
「詩月?」
「…っ……」
「どうした? 何でそっち向いて……」
一向に振り向かない詩月に違和感を覚えた龍惺は近付いて顔を覗き込み、その表情に驚いて目を見瞠ったあと思い切り眉間に皺を寄せた。
リビングの扉の前に立つ洋司を睨み付ける。
「洋兄、これはどういう事だよ」
「……詩月くんに告白した」
「はぁ? 俺の恋人だぞ」
「分かってるよ。でも好きになってしまったから……だから、もうここには来ないよう伝えた」
「……は?」
先程からまともな言葉が出て来ない。
龍惺は詩月が掴んでいたティッシュを取り上げて捨てると、目を真っ赤に腫らした彼を抱き締め髪を撫でた。
いつから泣いていたのか、しゃくり上げる姿に胸が痛くなる。
「美玖の件はどうにかなりそうだし、これ以上詩月くんがうちにいたら俺は絶対に手を出す。だから、ここが潮時なんだよ」
「……手ぇ出す?」
「一度我慢出来ずに抱き締めてしまった事があるからね」
「!」
ビクリと腕の中にいる詩月の身体が震えた。
その反応からどうやら本当の事だと伺えるが、龍惺はその話を一度も聞いていない。
「美玖には俺から話しておくから、二人共もう帰りなさい。詩月くん、明日からはもう大丈夫だから」
「…………」
「……とりあえず、泣かせたから殴っていいか?」
「そういう約束だったね」
「……っ、龍惺、ダメ……!」
「何でだよ、泣かされたんだろ?」
「違う、立川さんのせいじゃないの…! 僕が勝手に泣いただけで…っ」
「……洋兄を庇うのかよ」
「え……」
自分という恋人がありながら他の人から告白され、泣くほどの何かがあったくせに洋司を庇う詩月に苛立ちを覚える。
舌打ちをし、一度離れて詩月の荷物を持つと乱暴に細い腕を掴んで玄関へと歩き出した。
「洋兄」
「何だ?」
「仕事上はいつも通りにするけど、当分は顔も見たくねぇ。必要な連絡は瀬尾を通してしてくれ」
「……分かった」
「待って、龍惺、こんなのダメ……っ」
「…………」
何かを必死に伝えようとしている詩月を無視して靴を履き、待つ時間さえも煩わしいと詩月の靴を拾って彼を担ぎ上げた。
挨拶もせず扉から出て車に向かうが、いつにも増して詩月の声が頭に響く。
「龍惺、お願いだから僕の話を聞いて……!」
「………………」
ドアのロックを解除し助手席の扉を開けて詩月を乗せる。ついでに靴も足元に置いてからドアを閉めるとのそのそとそれを履き始めた。
運転席に座りシートベルトを掛けエンジンを入れる。
「ねぇ、龍惺……」
「ちょっと黙ってろ」
「……っ」
いつもなら詩月の話を遮ったりしないし、こんな冷たい言い方はしない。龍惺にとって詩月は愛でる存在であって、こんな風に乱暴にしていい存在ではないのだ。
だが今はどうしてもいつも通りに出来ない。
洋司の言葉にももちろん腹を立てているが、洋司にされた事を言わないでいた詩月にも怒っている。
詩月の自宅に向かう車内は沈黙が降りてただひたすらに重い空気が漂っていた。
四十分ほどして詩月のマンション近くのコインパーキングに到着すると、駐車した龍惺は一声もかけず車から降りる。
同じように車を降りた詩月の腕を掴んでマンションに入りエレベーターで居住階に上がると、月のキーホルダーが付いた鍵を取り出して玄関を開け詩月を押し込んだ。
よろめいて上り框に座り込んだ詩月に溜め息をつく。
「お前、何で洋兄にされた事黙ってた?」
「それは……」
「黙ってた理由、言えねぇの? それとも洋兄に抱き締められて嬉しかったのか?」
「そんな訳ない…っ。びっくりはしたけど、嬉しいなんて思わなかった!」
「じゃあ何で俺に言わなかったんだよ。言ったよな? 何かあったら言えって」
詩月の事なら何でも知りたいのに、よりにもよって一番伝えて欲しかった事を黙っていられた事が龍惺にはショックだった。詩月が洋司に気があるのではないかと疑ってしまっても仕方ないと言える。
「言、おうとは、した……でも、龍惺、立川さんの事、慕ってたから……」
「だから言わなかったって? ざけんな、洋兄がした事は裏切りだよ。お前が俺の恋人だって分かっていながら惚れて、おまけに抱き締めただ? 大体、お前も何で洋兄庇ってんだよ。違うっつってたけど、泣かされた事には代わりねぇだろ。俺は洋兄に、お前を泣かせたらぶん殴るっつってたんだ、殴られて当然なんだよ」
「泣かされた訳じゃないよ……ねぇ龍惺、落ち着いて話し合いをしよう? このままじゃちゃんと向き合えない」
「話し合い? 何の? お前が俺に黙ってた事と、洋兄がお前に惚れて抱き締めた話は間違いねぇんだろ? これ以上何を話す事があるんだよ」
「今冷静じゃないから、僕の話をちゃんと聞けないでしょ? 言わなかった事は僕が悪いよ。でも、あんな風に仲違いして欲しくなかった。立川さんだって龍惺の事……」
ピクリ、と龍惺の眉尻が跳ね上がる。ここまで言ってもまだそんな事を言うか。
「……は、結局お前は洋兄の味方なのかよ」
「違う! どうしてそうなるの? 龍惺が立川さんを……」
「分かった、もういい。お前の言う通り今の俺は頭に血が上って冷静じゃねぇ。だから今日は帰る」
「待って、ダメだよ…っ、今帰ったら…」
「頭冷やす時間欲しいから、引越しまではうち来んな」
「……! 龍惺……!」
慌てたように詩月が立ち上がろうとするが、龍惺はそれを振り切るように扉を開けて外に出ると、いつもは閉まるまで押さえる扉から手を離して詩月の部屋から離れた。
分かっている、これは〝逃げ〟だ。詩月の口から少しでも洋司を擁護するような言葉が出れば耐えられない。
龍惺は自分の情けなさにギリッと奥歯を噛み締め、先程停めたばかりのパーキングエリアへと向かった。
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