焦がれし星と忘れじの月

ミヅハ

文字の大きさ
上 下
58 / 133

【二十九ノ星】頑固な暴君

しおりを挟む
 詩月は唖然としていた。
 ずいぶん長い時間を掛けて移動するんだなと思っていたら、いつの間にか観光地に来ていて、いつの間にか立派な旅館の前に立っていて、いつの間にか部屋に案内されている。
 しかも用意した覚えのない荷物まであって、龍惺の用意周到さには思わず感心してしまった。
 部屋につくなり見えた窓の外は見事なオーシャンビューで何だか違う世界に来た気分だ。海なんて何年ぶりに見ただろう。
 ぼんやりと窓の外を眺めていると、後ろに立った龍惺が頭に顎を乗せてきた。

「どした?」
「……いろんな感情が入り交じってよく分かんなくなってる」
「例えば?」
「何でここにいるのかなとか、ここって現実なのかなとか、もしかして夢でもうすぐ目覚ましが鳴るんじゃないかなとか」
「とりあえず、夢じゃなくて現実っつー事だけは答えとく」
「そっか……」

 現実か。だがやはり自分がここにいる理由は分からない。
 頭の中でいろんな考えを張り巡らせてみた結果、一つだけ思い当たるものがあり詩月はハッとした。
 もしかして、龍惺がここ一ヶ月以上働き詰めだったから、その疲れを癒すために旅行に来たのではないだろうか。
 それならば詩月のする事はただ一つ、龍惺が楽しめてスッキリとして帰れるよう精一杯ご奉仕する事だ。
 頭に顎が乗っているため少しだけ下げてくるりと身体を反転させると、詩月は龍惺を見上げてにこりと笑った。

「龍惺、して欲しい事あったら何でも言ってね」
「いやちげぇ、そうじゃねぇ。言うのはお前だ」
「え?」
「して欲しい事もそうだけど、しようと思ってる事も言えよ。車ん中で言ったろ?」
「うん」

 確かにそんな事を言われた気がするけど、これは龍惺のための慰安旅行的なものではないのか。それだと本人がご奉仕する事になるのだが。
 ますます訳が分からなくて怪訝な顔をしていると苦笑した龍惺に抱き締められた。

「あんま難しく考えんな。あと、お前は今日財布出すの禁止」
「え! 何で!?」
「何でも。出したら通りにある店の商品全種類買う」
「お、横暴だ……」

 俺様ではあるが理不尽な事は言わないのが龍惺だったのに、今日ばかりは妙に暴君ぶりを発揮している。
 断固拒否したいところだが、龍惺はやると言ったらやる男だ。通りにどれだけの店があるかは知らないが、もし最初の店に五種類の食べ物があればそれを全部買われるという事で、そうなると詩月の腹は絶対にもたない。
 納得はいかなくとも諦めるしか選択肢のない詩月は渋々頷いた。

「まぁそれも夜になったら分かるから」
「うん……」
「よし、じゃあ外行くか」
「わっ」

 乱暴に頭を撫でられ思わず目を閉じた瞬間唇に何かが触れた気がした。だが開いた時には何もなくて、詩月は視線だけで龍惺を見上げる。
 ニヤリと笑った恋人に少しばかり意地悪をたくなった詩月は、龍惺の襟元を掴んで引き寄せて口付けたあとその唇をペロリと舐めた。

「仕返し」

 にこっと笑って手を離し、何かを言われる前にと荷物を纏めて置いている場所へ向かいショルダーバッグを下げて龍惺を振り返る。しかしそこにはしゃがみ込んで項垂れる龍惺がいて詩月は目を瞬いた。

「…………俺は一生お前に敵わねぇ気がする」

 赤い顔で悔しそうに呟く龍惺の姿に可愛さを感じた詩月は、クスクスと笑いながら彼の頭を撫でた。





 旅館から出て少し歩くと、そこはまるで昭和時代のようなノスタルジックな雰囲気漂う町並みが広がっていて詩月は目を輝かせた。
 その時代を過ごした事はないが、こういったどこか懐かしさを感じられる風景は大好きだ。

「龍惺、すごいね!」
「ああ、すげぇな。でも前見ろ、転ぶぞ」

 通りには石畳が敷かれサイドに店が建ち並んでいるが、この道は土産物メインというよりは飲食店が多く、甘味処や喫茶店のような軽食屋がほとんどだ。
 喫茶店よりも甘味処に惹かれた詩月は、龍惺と繋いでいた手を引き一番外観が好みの店を指差した。

「龍惺、あそこ入りたい」
「はいはい」

 甘い物が苦手な龍惺は渋ると思っていただけにあっさり頷かれて少し拍子抜けするものの、気が変わらないうちにと中に入ると可愛らしい格好をしたお姉さんが席へ案内してくれた。
 周りには女性客が多く入店した際には注目を浴びてしまったが、椅子に座ってメニューを見るとそれも気にならなくなる。

「あ、龍惺。コーヒーあるよ」
「んじゃ俺はそれで」
「僕は白玉あんみつにしようかな」
「よくそんな甘いの食えんな」
「龍惺だって、たまにチョコ食べてるじゃない」
「ブラックだけどな」

 逆に詩月は苦い物は苦手で、ブラックコーヒーもブラックチョコもとてもじゃないが口に出来ない。世間ではカカオ何パーセントなどというチョコもあるが、一番低い数字のものでも無理だった。
 詩月は案内してくれた店員に注文を受け付けて貰いその後ろ姿を見送る。

「店員さん可愛いね。制服も可愛い」
「そうか? ……ああでも、制服は詩月の方が似合うな」
「そんな訳ないでしょ」

 可愛らしく控えめな柄の着物にフリル付きのエプロンだ。いくら男っぽくないと言われる詩月でもさすがに似合わないだろう。
 だが龍惺は半分以上は本気だったみたいで、「絶対似合う」と一人言のように呟いている。ないとは思うが、着せられない事を思わず祈ってしまった。

「お待たせしました~」
「ありがとうございます。美味しそー」
「……匂いがやべぇ……」
「いただきまーす」

 顰めっ面で鼻を押さえる龍惺にクスリと笑い、詩月は人生初のあんみつにワクワクしながら白玉をスプーンで掬い口に運んだのだった。


 財布を出すのは禁止と言われていた事を忘れて危うくバッグから取り出すところだった詩月は、じっと見ている龍惺に気付いて慌てて何でもない風を装い手を挙げた。
 ほぼ掴んで引っ張るまでいっていたが、どうやら端も出なかったようでホッとする。
 うっかりだけは避けないと命取りになる事は分かっていた。

「詩月、坂の上とあっちとどっちがいい?」
「えっと……じゃああっちで」

 支払いを終えて出てきた龍惺がおもむろに選択肢を出してきたが、半引きこもりの詩月に正直坂を登り切る自信はない。
 へらりと笑って平坦な道を選べば最初から分かっていたとばかりに吹き出され手を握られる。

「あっちは土産物屋がいっぱいあるみてぇだし、欲しいのあったら言えよ」
「僕が人にあげるお土産は自分で買ってもいい?」
「ん? 駄目。全部俺が出す」
「でもほら、バイト先とか彩芽さんとか」
「一緒に来てんだからどっちが買っても一緒だって。いいから、今日は俺に出させろ」
「……もー、頑固なんだから」

 どうしても出させたくないらしい龍惺にこれ以上言っても聞いては貰えないと溜め息を零した詩月は、仕方がないと彼の隣に立ち土産物屋が並ぶ通りを目指した。



 龍惺に支払いを任せる買い物は非常に疲れるものとなってしまった。少しでも視線に入れた物を買おうとするから、それを止めるのが本当に大変だった。他も見て、それでも欲しいと思ったら買って貰うからと何度言った事か。
 旅館に戻りテーブルに顔を伏せて項垂れていると、頭に何か柔らかい物が乗せられる。

「?」
「大浴場行くぞ」
「今から?」
「この時間で貸し切ってんだよ」
「……貸し切り……」

 二人しかいないのに、大浴場を貸し切る必要はあったのか。
 しばらく呆けていた詩月は、動かないなら抱き上げて連れて行くと龍惺に言われて慌てて立ち上がり浴衣を抱えて大浴場に向かった。


 海の見える大浴場は、内装も綺麗で湯加減もちょうどよく、広々とした浴槽に二人で浸かれて大変良かったのだが、少しだけ龍惺にイタズラをされたのは内緒だったりする。
しおりを挟む
感想 30

あなたにおすすめの小説

恋愛対象

すずかけあおい
BL
俺は周助が好き。でも周助が好きなのは俺じゃない。 攻めに片想いする受けの話です。ハッピーエンドです。 〔攻め〕周助(しゅうすけ) 〔受け〕理津(りつ)

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

【完結】悪役令息の従者に転職しました

  *  
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。 依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。 皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ! 本編完結しました! 『もふもふ獣人転生』に遊びにゆく、舞踏会編、はじめましたー! 他のお話を読まなくても大丈夫なようにお書きするので、気軽に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。

そばにいられるだけで十分だから僕の気持ちに気付かないでいて

千環
BL
大学生の先輩×後輩。両片想い。 本編完結済みで、番外編をのんびり更新します。

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

【完結】冷血孤高と噂に聞く竜人は、俺の前じゃどうも言動が伴わない様子。

N2O
BL
愛想皆無の竜人 × 竜の言葉がわかる人間 ファンタジーしてます。 攻めが出てくるのは中盤から。 結局執着を抑えられなくなっちゃう竜人の話です。 表紙絵 ⇨ろくずやこ 様 X(@Us4kBPHU0m63101) 挿絵『0 琥』 ⇨からさね 様 X (@karasane03) 挿絵『34 森』 ⇨くすなし 様 X(@cuth_masi) ◎独自設定、ご都合主義、素人作品です。

嫌われ公式愛妾役ですが夫だけはただの僕のガチ勢でした

ナイトウ
BL
BL小説大賞にご協力ありがとうございました!! CP:不器用受ガチ勢伯爵夫攻め、女形役者受け 相手役は第11話から出てきます。  ロストリア帝国の首都セレンで女形の売れっ子役者をしていたルネは、皇帝エルドヴァルの為に公式愛妾を装い王宮に出仕し、王妃マリーズの代わりに貴族の反感を一手に受ける役割を引き受けた。  役目は無事終わり追放されたルネ。所属していた劇団に戻りまた役者業を再開しようとするも公式愛妾になるために偽装結婚したリリック伯爵に阻まれる。  そこで仕方なく、顔もろくに知らない夫と離婚し役者に戻るために彼の屋敷に向かうのだった。

処理中です...