56 / 133
【二十八ノ星】バイト先
しおりを挟む
詩月はパソコンの画面を見て難しい顔をしていた。
そろそろ新しい依頼を受けようかとDMを開いたのだが、その未読数が尋常ではなく、しかもそのほとんどが『しずくさんですかー?』という謎のもので首を傾げる事しか出来ない。
確かに〝星月〟という名前でサイトにこれまでの作品やポートフォリオを載せているし応募したりもしているが、それでもここまで悪戯かと思われるDMは来たことがなかっただけに現状困惑していた。
おかげで依頼メールに辿り着くまでが大変だったのだが。
全てを見た訳ではないものの、どのメールも〝しずく〟という名前が気になっているようで居心地の悪さを感じる。
加えて最近ではバイト先でも困った事があり、詩月は少し疲れていた。
「あ、またあの人来てる」
「詩月くん、奥で在庫確認お願い」
「は、はい」
いつも行く繁華街から少し外れた場所にある書店は、三年前から詩月がお世話になっているバイト先だ。
店長を始め従業員はみな優しく何かと気にかけてくれるのだが、ここ数週間ほどは別の意味で過保護になっていた。
その理由は、一月前から連日来店するようになった一人の男性客にある。
ある日、その男性客から執拗く絡まれていた女性従業員を助けるために詩月は間に入ったのだが、それ以来目を付けられたらしく〝彼〟は事ある毎に詩月に「連絡先教えて」と迫ってくるようになった。
最初はすぐ近くにいた先輩が困惑しきりの詩月を救出してくれて事なきを得たが、今では店内に詩月の姿を見付けるとすぐに声をかけてくるためバイトに行くのが憂鬱になってきている。
恋人がいると言っても「大丈夫」と訳の分からない事を言うものだからほとほと困り果ててしまい、それを見兼ねた従業員が詩月と会わせないようにするという手段を取って今に至っていた。
詩月は言われた通りバックヤードに向かい伝票を手に在庫確認を始める。
〝彼〟の滞在時間はおおよそ三十分。詩月がいないと分かればもっと早く退店するかもしれない。
(お店にもみんなにも迷惑掛けてる……)
ちゃんとハッキリ断っているはずなのに、どうして諦めてくれないのか。
つきたくもない溜め息が出てしまうのは仕方がないだろう。
実は、この事は龍惺に相談しようと思っていた。
だが彼は現在仕事が大変忙しいようで、洋司の家へ迎えに来る時間も遅くなっている。
何度も一人で帰ると言っても絶対に聞いてくれない龍惺は、家にいても時折目合を揉んでいるし、無意識に息を吐くほど傍目にも疲れていると分かるため申し訳なくて言い出せずにいた。
それに加えて洋司の行動も若干気になっており、詩月は一気に出来た悩みに痛む頭を押さえる。
勘の良い龍惺は何かしらに気付いてはいるが、無理に聞き出すような事はしないから自分のペースで考えられるのは有り難い。
三十分後、一年先輩である片岡 真奈がバックヤードに顔を出した。
「詩月くん、もう大丈夫よ。それとね、詩月くんに会いたいって人が来てるんだけど」
「?」
「あの人なんだけど、知ってる?」
今度は誰だろうと少しだけ顔を出して指差された方を見ると、スーツ姿の美丈夫が周りの注目を集めながら立っていた。
真奈はその人物を見た詩月の顔がパッと明るくなったのを見て目を瞬く。それなりに長い期間一緒に働いてはいたが、ここまで嬉しそうな顔をする詩月を見たのは初めてだった。
「知ってる人です。ちょっと行って来ますね」
「う、うん……。……詩月くん、あんな可愛い顔するんだ」
途端にご機嫌になった詩月の姿にいいものを見たと微笑んだ真奈は、後輩に代わって在庫確認をするべく残りの伝票を手に取った。
「龍惺」
「詩月、お疲れ」
「お疲れ様。どうしたの?」
「お前の顔見に来たのと、残念なお知らせをしに来た」
「残念なお知らせ?」
先程の事もあり危うく勢いのまま抱き着きそうになったのをどうにか堪えて龍惺の傍まで行くと、彼の指が頬に触れそのまま摘まれる。
残念、という事は二人にとっては良くないという事なのだろうが、少しだけ不安になり眉尻を下げると今度は頭を撫でられた。
「今日はいつも以上に遅くなる。迎えに行けそうにねぇから、タクシーでどっちかに帰ってろ。いいな? 絶対タクシー呼んで貰えよ?」
「分かった。今日も龍惺の家で待ってるね」
「ん、家着いたら連絡しろ」
「うん」
仲直りしてから半年ほど経つが、これまでも多少遅くなる事はあっても、ここまで何日も続く事はなかった。やはり詩月か思う以上に忙しいのだろう。その状況で更に詩月の事で負担は掛けたくない。
頷いた詩月にふっと笑った龍惺はもう一度今度は梳くように頭を撫でてから、「じゃあな」と言って店から出て行った。
おそらく仕事の合間を縫って来てくれたのだろうが、その後ろ姿に余計に寂しさを感じて見つめていると、するりと腕が絡め取られビクッと肩が跳ねる。
「安純さん、もしかして今の人彼氏っすか?」
「へ? あ、うん」
「マジっすか。爆イケメンじゃないっすか」
言い方は驚いているのに、声には少しも感情が篭っていないような変わった話し方をするのは、詩月より一年あとに入ってきた女子高生、田崎 明穂だ。
マイペースで無表情で無感情。にこりともしない女の子だが、話好きな子らしく暇さえあればこうして詩月に声を掛けてくる。
普通に彼氏と言われて頷いたものの、特に大きな反応を示さない明穂に少しだけ面食らった。
「田崎さんは、気にならない人?」
「何がっすか?」
「えっと、男同士とか……」
「あー、自分は別にどうでもいいっすね。好きならいいんじゃないっすか?」
「そ、そうなんだ……」
「むしろご馳走様って感じっす」
「?」
どうでもいいと言えるのは凄いなと思っていたが続いた言葉は理解出来ずに首を傾げる。だが明穂は腕を離して眠そうな目で詩月を見上げると、どこから出したのか一冊の本を取り出して「これっす」と見せてきた。
二人の男の子のキャラクターが表紙の漫画のようだが、ヒーローものだろうかと不思議そうな顔をしている詩月に明穂はなんて事ないように答える。
「男同士の恋愛漫画っす。自分、こういうの好きなんすよ」
「へ?」
「これ、結構凄いっすよ。ラブラブなのはもちろんの事、エロ多めでなかなかに萌えるっす」
「え、えろ……」
「安純さん初心っすね。大人であんなイケメン彼氏いて、そういう事しないんすか?」
「や、あの……その質問はおかしいと思う……」
あれ、こんな話をしていただろうか? そもそも人の性事情を尋ねるなど女の子として恥ずかしくはないのか。
いや、明穂だからこそサラッと聞けるのかもしれない。
現役女子高生のペースに飲まれかけているとレジの方ですみませんと呼ばれた。返事をし慌ててカウンター内に入り「お待たせしました」と頭を下げて対応を始める。
明穂は真奈に頼まれて本の品出しを始めたが、詩月と目が合うと無表情のまま親指を立てた。それは一体どういう意味なのか。
(今だに田崎さんって謎が多い子なんだよね……)
悪い子ではないのだが、如何せんマイペースで発言も意味不明な事が多い。それが今時なのか明穂の性格なのか、すでにアラサーとも言える年齢の詩月には十代の、しかも女子の考えは理解出来なかった。
それにしても、今日は龍惺は遅いのか。〝彼〟が来店した日は特に龍惺に引っ付いていると落ち着いたのだが、今夜は帰ってくるまでは一人で過ごさなければいけない。
再会するまでは一人が当たり前だったのに、ずいぶんと欲張りになったものだ。
詩月は仕事に追われながらも、遅く帰ってくる龍惺のために何が出来るかを考えていた。
そろそろ新しい依頼を受けようかとDMを開いたのだが、その未読数が尋常ではなく、しかもそのほとんどが『しずくさんですかー?』という謎のもので首を傾げる事しか出来ない。
確かに〝星月〟という名前でサイトにこれまでの作品やポートフォリオを載せているし応募したりもしているが、それでもここまで悪戯かと思われるDMは来たことがなかっただけに現状困惑していた。
おかげで依頼メールに辿り着くまでが大変だったのだが。
全てを見た訳ではないものの、どのメールも〝しずく〟という名前が気になっているようで居心地の悪さを感じる。
加えて最近ではバイト先でも困った事があり、詩月は少し疲れていた。
「あ、またあの人来てる」
「詩月くん、奥で在庫確認お願い」
「は、はい」
いつも行く繁華街から少し外れた場所にある書店は、三年前から詩月がお世話になっているバイト先だ。
店長を始め従業員はみな優しく何かと気にかけてくれるのだが、ここ数週間ほどは別の意味で過保護になっていた。
その理由は、一月前から連日来店するようになった一人の男性客にある。
ある日、その男性客から執拗く絡まれていた女性従業員を助けるために詩月は間に入ったのだが、それ以来目を付けられたらしく〝彼〟は事ある毎に詩月に「連絡先教えて」と迫ってくるようになった。
最初はすぐ近くにいた先輩が困惑しきりの詩月を救出してくれて事なきを得たが、今では店内に詩月の姿を見付けるとすぐに声をかけてくるためバイトに行くのが憂鬱になってきている。
恋人がいると言っても「大丈夫」と訳の分からない事を言うものだからほとほと困り果ててしまい、それを見兼ねた従業員が詩月と会わせないようにするという手段を取って今に至っていた。
詩月は言われた通りバックヤードに向かい伝票を手に在庫確認を始める。
〝彼〟の滞在時間はおおよそ三十分。詩月がいないと分かればもっと早く退店するかもしれない。
(お店にもみんなにも迷惑掛けてる……)
ちゃんとハッキリ断っているはずなのに、どうして諦めてくれないのか。
つきたくもない溜め息が出てしまうのは仕方がないだろう。
実は、この事は龍惺に相談しようと思っていた。
だが彼は現在仕事が大変忙しいようで、洋司の家へ迎えに来る時間も遅くなっている。
何度も一人で帰ると言っても絶対に聞いてくれない龍惺は、家にいても時折目合を揉んでいるし、無意識に息を吐くほど傍目にも疲れていると分かるため申し訳なくて言い出せずにいた。
それに加えて洋司の行動も若干気になっており、詩月は一気に出来た悩みに痛む頭を押さえる。
勘の良い龍惺は何かしらに気付いてはいるが、無理に聞き出すような事はしないから自分のペースで考えられるのは有り難い。
三十分後、一年先輩である片岡 真奈がバックヤードに顔を出した。
「詩月くん、もう大丈夫よ。それとね、詩月くんに会いたいって人が来てるんだけど」
「?」
「あの人なんだけど、知ってる?」
今度は誰だろうと少しだけ顔を出して指差された方を見ると、スーツ姿の美丈夫が周りの注目を集めながら立っていた。
真奈はその人物を見た詩月の顔がパッと明るくなったのを見て目を瞬く。それなりに長い期間一緒に働いてはいたが、ここまで嬉しそうな顔をする詩月を見たのは初めてだった。
「知ってる人です。ちょっと行って来ますね」
「う、うん……。……詩月くん、あんな可愛い顔するんだ」
途端にご機嫌になった詩月の姿にいいものを見たと微笑んだ真奈は、後輩に代わって在庫確認をするべく残りの伝票を手に取った。
「龍惺」
「詩月、お疲れ」
「お疲れ様。どうしたの?」
「お前の顔見に来たのと、残念なお知らせをしに来た」
「残念なお知らせ?」
先程の事もあり危うく勢いのまま抱き着きそうになったのをどうにか堪えて龍惺の傍まで行くと、彼の指が頬に触れそのまま摘まれる。
残念、という事は二人にとっては良くないという事なのだろうが、少しだけ不安になり眉尻を下げると今度は頭を撫でられた。
「今日はいつも以上に遅くなる。迎えに行けそうにねぇから、タクシーでどっちかに帰ってろ。いいな? 絶対タクシー呼んで貰えよ?」
「分かった。今日も龍惺の家で待ってるね」
「ん、家着いたら連絡しろ」
「うん」
仲直りしてから半年ほど経つが、これまでも多少遅くなる事はあっても、ここまで何日も続く事はなかった。やはり詩月か思う以上に忙しいのだろう。その状況で更に詩月の事で負担は掛けたくない。
頷いた詩月にふっと笑った龍惺はもう一度今度は梳くように頭を撫でてから、「じゃあな」と言って店から出て行った。
おそらく仕事の合間を縫って来てくれたのだろうが、その後ろ姿に余計に寂しさを感じて見つめていると、するりと腕が絡め取られビクッと肩が跳ねる。
「安純さん、もしかして今の人彼氏っすか?」
「へ? あ、うん」
「マジっすか。爆イケメンじゃないっすか」
言い方は驚いているのに、声には少しも感情が篭っていないような変わった話し方をするのは、詩月より一年あとに入ってきた女子高生、田崎 明穂だ。
マイペースで無表情で無感情。にこりともしない女の子だが、話好きな子らしく暇さえあればこうして詩月に声を掛けてくる。
普通に彼氏と言われて頷いたものの、特に大きな反応を示さない明穂に少しだけ面食らった。
「田崎さんは、気にならない人?」
「何がっすか?」
「えっと、男同士とか……」
「あー、自分は別にどうでもいいっすね。好きならいいんじゃないっすか?」
「そ、そうなんだ……」
「むしろご馳走様って感じっす」
「?」
どうでもいいと言えるのは凄いなと思っていたが続いた言葉は理解出来ずに首を傾げる。だが明穂は腕を離して眠そうな目で詩月を見上げると、どこから出したのか一冊の本を取り出して「これっす」と見せてきた。
二人の男の子のキャラクターが表紙の漫画のようだが、ヒーローものだろうかと不思議そうな顔をしている詩月に明穂はなんて事ないように答える。
「男同士の恋愛漫画っす。自分、こういうの好きなんすよ」
「へ?」
「これ、結構凄いっすよ。ラブラブなのはもちろんの事、エロ多めでなかなかに萌えるっす」
「え、えろ……」
「安純さん初心っすね。大人であんなイケメン彼氏いて、そういう事しないんすか?」
「や、あの……その質問はおかしいと思う……」
あれ、こんな話をしていただろうか? そもそも人の性事情を尋ねるなど女の子として恥ずかしくはないのか。
いや、明穂だからこそサラッと聞けるのかもしれない。
現役女子高生のペースに飲まれかけているとレジの方ですみませんと呼ばれた。返事をし慌ててカウンター内に入り「お待たせしました」と頭を下げて対応を始める。
明穂は真奈に頼まれて本の品出しを始めたが、詩月と目が合うと無表情のまま親指を立てた。それは一体どういう意味なのか。
(今だに田崎さんって謎が多い子なんだよね……)
悪い子ではないのだが、如何せんマイペースで発言も意味不明な事が多い。それが今時なのか明穂の性格なのか、すでにアラサーとも言える年齢の詩月には十代の、しかも女子の考えは理解出来なかった。
それにしても、今日は龍惺は遅いのか。〝彼〟が来店した日は特に龍惺に引っ付いていると落ち着いたのだが、今夜は帰ってくるまでは一人で過ごさなければいけない。
再会するまでは一人が当たり前だったのに、ずいぶんと欲張りになったものだ。
詩月は仕事に追われながらも、遅く帰ってくる龍惺のために何が出来るかを考えていた。
応援ありがとうございます!
27
お気に入りに追加
832
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる