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【八ノ月】欠片でも
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会見後、社内はてんやわんやしていた。高崎会長の件もそうだが、龍惺が発した詩月の名前への問い合わせが次々と掛かってきた。
もちろん龍惺と瀬尾以外は知らないから答えようはないのだが、この名前を調べないようにと釘を刺しておくべきだったのかもしれない。
龍惺のスマホにも、知人や友人から着信なりメールなりが来ていてげんなりしていたが、その中に久しく見ていなかった名前に数字がついている事に気付いた龍惺は大慌てでそれを開いた。
いつかの答えと星のキーホルダーの写真。やっぱり持ってた、とホッとした龍惺は、自分も月のキーホルダーの事を写真添付と共に話した。
話し合いも出来る事になり、さっさと終わらせようと奮闘したものの結局遅い時間になってしまった。
初めて上がった詩月の部屋は綺麗に整頓されていて、詩月の匂いに疲れた身体も癒える。
詩月と向かい合った龍惺は頭を掻くと、少しだけ俯いて口火を切った。
「……話したい事は山ほどあんだが……。…そうだな、やっぱまずはあの話だよな」
「あの話…?」
「ん。八年前の馬鹿でガキな俺の話。……あの頃の俺は、ネジが数本飛んでってたんじゃねぇかってくらいクソみてぇな思考回路しかしてなかった。お前の事が好きで堪らなくて、どうしたらお前に好きでいて貰えるかばっか考えてて……ホント、短絡的っつーか……辿り着いた答えが、お前に嫉妬して貰う事だったんだよ」
「……ぇ……」
「嫉妬するって事は好きって事だろ? 俺が浮気する事でお前が嫉妬して怒ってくれる……それがどうしようもなく嬉しかったんだ。良かった、俺の事好きなんだって確認出来て幸せだった」
怒りも、悲しみも、嫉妬も、全てが龍惺に向けられて、そこから詩月の想いを感じ取れる事が幸せだった。詩月の気持ちを無視して、ただ自分の欲求のためだけに一番大切な存在を傷付けてた事に気付きもしないで、その結果があれだ。
龍惺は拳を強く握り自嘲気味に笑う。
「結局俺は、自己満足のためにお前を苦しめて傷を負わせただけだった。ホント馬鹿だよな。好きなら大切にするだけで良かったのに…不安なら言葉にすりゃ良かったのに。……ホント、今でも自分に腹が立ってる」
「…………」
「あの時の事、許して貰うつもりはねぇよ。やった理由を言い訳にするつもりもねぇ。ただ…………まだ好きなんだよ、お前の事が。どんだけ頑張っても忘れられなかった」
「…………」
「未練がましくてごめんな」
優しい詩月にトラウマを植え付けた。その事実はどう足掻いても消えないし許される事ではない。
このまま出て行けと言われるか、それとも怒りのあまりに殴られるか、どちらにしろ詩月は怒っていい立場にいる。罵倒するなんて事は出来ないと思うが、それで少しでも気持ちが楽になるなら言葉をぶつけてくれてもいい。
だが、だがそれでも、星のキーホルダーを手放さなかった理由が詩月の思いなら龍惺は願わずにはいられなかった。
彩芽が教えてくれた、詩月の忘れられない人という言葉が頭を過ぎる。
「………もう、本当に無理か? 少しでもチャンスはねぇ?」
「…………」
「こんな事、傷付けた俺が言える立場じゃねぇけど、でもほんの僅かでも希望があんなら、俺はそれに縋りてぇよ。………もう一度お前とやり直したい」
「…………む、り……だよ……」
震える声が否を唱える。
龍惺の喉がヒュッと鳴り今までにないくらい胸に痛みが走った。
そうだよな、無理だよな。と、どこかで納得している自分がいる。
「だって、だってまた同じ事されたら…僕、今度こそ耐えられない…っ」
「もう二度としねぇよ。お前を傷付けるような事、絶対しねぇ」
「少しでも違う人の匂いがしたら疑っちゃうんだよ? 少しでも変なところがあれば信じられなくなるんだよ?」
「俺が誰かと関わる時は事前に言う。立場上出張やら会食やら商談やらあるけど、全部言うから」
無理なのは、あの頃と同じ気持ちを味わうかもしれないから。龍惺を嫌いになった訳でも嫌いな訳でもない。
龍惺は少しだけ前のめりになり詩月の膝の前に手をついた。
必死だと笑われようと、情けないと呆れられようと、気持ちがあるならそれに縋りたい。
「不安な事とか心配な事とか全部言って欲しい。お前の気持ちが少しでも楽になるなら何でもする。だからもう一度だけお前の傍に置いてくんねぇか? 信じろっつーのは難しいかもしんねぇけど、今度こそお前を泣かせねぇようにする。なぁ、詩月………俺は、どうしようもなくお前が好きなんだ…愛してるんだよ」
「……っ…」
俯く詩月からポタポタと涙が落ち始めた。
あの日の雨のように詩月のズボンに染みて広がっていく。
手で顔を覆う事もなく涙を流す詩月に龍惺は狼狽えた。こんなにも泣いている姿の詩月は初めてだ。
龍惺はゆっくりと手を伸ばし、恐る恐る詩月の頬に触れる。その手が一回り小さい手に握られた。
「詩月……」
「…りゅ…せ………りゅう、せい……っ、龍惺……!」
「しず、く……」
「僕だって、忘れた事、ない…! …ずっと、ずっと龍惺が好きだった……!」
吐き出すように何度も名前を呼ぶ詩月に胸が震えた。録音ではなく、目の前で本人の口から発せられた自分の名前。
振り絞った声が好きだと応えてくれた。龍惺は安堵から震える吐息を漏らし腕を伸ばした、
「……詩月」
あの頃と変わらない華奢な身体を抱き寄せるとすぐに背中に腕が回ってきた。胸元に顔を埋めて泣く詩月の髪に頬を寄せ更に強く抱き締める。
やっと、やっと取り戻せた。
「龍惺…、龍惺……っ」
「ここにいる、お前の傍にいるよ」
しゃくり上げながら、それでも確かめるように名前を口にする詩月の背中を優しく撫でると、ジャケットを掴む手に力がこもった。
もう二度同じ過ちは繰り返さない。二度と傷付けない、泣かせない。
そう心に誓った龍惺は、詩月が泣き疲れて眠ってしまうまでずっと抱き締めて背中を撫で続けた。
もちろん龍惺と瀬尾以外は知らないから答えようはないのだが、この名前を調べないようにと釘を刺しておくべきだったのかもしれない。
龍惺のスマホにも、知人や友人から着信なりメールなりが来ていてげんなりしていたが、その中に久しく見ていなかった名前に数字がついている事に気付いた龍惺は大慌てでそれを開いた。
いつかの答えと星のキーホルダーの写真。やっぱり持ってた、とホッとした龍惺は、自分も月のキーホルダーの事を写真添付と共に話した。
話し合いも出来る事になり、さっさと終わらせようと奮闘したものの結局遅い時間になってしまった。
初めて上がった詩月の部屋は綺麗に整頓されていて、詩月の匂いに疲れた身体も癒える。
詩月と向かい合った龍惺は頭を掻くと、少しだけ俯いて口火を切った。
「……話したい事は山ほどあんだが……。…そうだな、やっぱまずはあの話だよな」
「あの話…?」
「ん。八年前の馬鹿でガキな俺の話。……あの頃の俺は、ネジが数本飛んでってたんじゃねぇかってくらいクソみてぇな思考回路しかしてなかった。お前の事が好きで堪らなくて、どうしたらお前に好きでいて貰えるかばっか考えてて……ホント、短絡的っつーか……辿り着いた答えが、お前に嫉妬して貰う事だったんだよ」
「……ぇ……」
「嫉妬するって事は好きって事だろ? 俺が浮気する事でお前が嫉妬して怒ってくれる……それがどうしようもなく嬉しかったんだ。良かった、俺の事好きなんだって確認出来て幸せだった」
怒りも、悲しみも、嫉妬も、全てが龍惺に向けられて、そこから詩月の想いを感じ取れる事が幸せだった。詩月の気持ちを無視して、ただ自分の欲求のためだけに一番大切な存在を傷付けてた事に気付きもしないで、その結果があれだ。
龍惺は拳を強く握り自嘲気味に笑う。
「結局俺は、自己満足のためにお前を苦しめて傷を負わせただけだった。ホント馬鹿だよな。好きなら大切にするだけで良かったのに…不安なら言葉にすりゃ良かったのに。……ホント、今でも自分に腹が立ってる」
「…………」
「あの時の事、許して貰うつもりはねぇよ。やった理由を言い訳にするつもりもねぇ。ただ…………まだ好きなんだよ、お前の事が。どんだけ頑張っても忘れられなかった」
「…………」
「未練がましくてごめんな」
優しい詩月にトラウマを植え付けた。その事実はどう足掻いても消えないし許される事ではない。
このまま出て行けと言われるか、それとも怒りのあまりに殴られるか、どちらにしろ詩月は怒っていい立場にいる。罵倒するなんて事は出来ないと思うが、それで少しでも気持ちが楽になるなら言葉をぶつけてくれてもいい。
だが、だがそれでも、星のキーホルダーを手放さなかった理由が詩月の思いなら龍惺は願わずにはいられなかった。
彩芽が教えてくれた、詩月の忘れられない人という言葉が頭を過ぎる。
「………もう、本当に無理か? 少しでもチャンスはねぇ?」
「…………」
「こんな事、傷付けた俺が言える立場じゃねぇけど、でもほんの僅かでも希望があんなら、俺はそれに縋りてぇよ。………もう一度お前とやり直したい」
「…………む、り……だよ……」
震える声が否を唱える。
龍惺の喉がヒュッと鳴り今までにないくらい胸に痛みが走った。
そうだよな、無理だよな。と、どこかで納得している自分がいる。
「だって、だってまた同じ事されたら…僕、今度こそ耐えられない…っ」
「もう二度としねぇよ。お前を傷付けるような事、絶対しねぇ」
「少しでも違う人の匂いがしたら疑っちゃうんだよ? 少しでも変なところがあれば信じられなくなるんだよ?」
「俺が誰かと関わる時は事前に言う。立場上出張やら会食やら商談やらあるけど、全部言うから」
無理なのは、あの頃と同じ気持ちを味わうかもしれないから。龍惺を嫌いになった訳でも嫌いな訳でもない。
龍惺は少しだけ前のめりになり詩月の膝の前に手をついた。
必死だと笑われようと、情けないと呆れられようと、気持ちがあるならそれに縋りたい。
「不安な事とか心配な事とか全部言って欲しい。お前の気持ちが少しでも楽になるなら何でもする。だからもう一度だけお前の傍に置いてくんねぇか? 信じろっつーのは難しいかもしんねぇけど、今度こそお前を泣かせねぇようにする。なぁ、詩月………俺は、どうしようもなくお前が好きなんだ…愛してるんだよ」
「……っ…」
俯く詩月からポタポタと涙が落ち始めた。
あの日の雨のように詩月のズボンに染みて広がっていく。
手で顔を覆う事もなく涙を流す詩月に龍惺は狼狽えた。こんなにも泣いている姿の詩月は初めてだ。
龍惺はゆっくりと手を伸ばし、恐る恐る詩月の頬に触れる。その手が一回り小さい手に握られた。
「詩月……」
「…りゅ…せ………りゅう、せい……っ、龍惺……!」
「しず、く……」
「僕だって、忘れた事、ない…! …ずっと、ずっと龍惺が好きだった……!」
吐き出すように何度も名前を呼ぶ詩月に胸が震えた。録音ではなく、目の前で本人の口から発せられた自分の名前。
振り絞った声が好きだと応えてくれた。龍惺は安堵から震える吐息を漏らし腕を伸ばした、
「……詩月」
あの頃と変わらない華奢な身体を抱き寄せるとすぐに背中に腕が回ってきた。胸元に顔を埋めて泣く詩月の髪に頬を寄せ更に強く抱き締める。
やっと、やっと取り戻せた。
「龍惺…、龍惺……っ」
「ここにいる、お前の傍にいるよ」
しゃくり上げながら、それでも確かめるように名前を口にする詩月の背中を優しく撫でると、ジャケットを掴む手に力がこもった。
もう二度同じ過ちは繰り返さない。二度と傷付けない、泣かせない。
そう心に誓った龍惺は、詩月が泣き疲れて眠ってしまうまでずっと抱き締めて背中を撫で続けた。
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