焦がれし星と忘れじの月

ミヅハ

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【一ノ月】会食

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 玖珂 龍惺くが りゅうせいは秘書から報告を受けて歯噛みした。
 握った拳で机を力いっぱい殴りたい衝動に駆られたが、場所が場所なだけに押し留めておく。
 何故だ、何故痕跡すら見つけられない。
 たかが人一人を見付けるのにどれだけ時間がかかっているんだ。
 既に時は八年を経過している。あの頃とは姿も雰囲気も変わっているかもしれない。だが珍しい名前なのだ、見付からないはずがない。

「本当に捜してんのか?」
「もちろんです。地方にも足を運び、写真と名前を見せ少しでも似た人がいたら教えて欲しいと声をかけております」
「ッハ、どうだか。お前は〝あん時〟アイツを見逃したからな。オマケにこんなもんまで受け取りやがって」
「お願い、されてしまいましたので……」
「それでも、俺に声をかけることくらい出来ただろうが!」
「行為中に声をかけるなと仰っていたのは龍惺さんではないですか」

 秘書にそう言われ、眉根を寄せて舌打ちをする。
 確かにそんな事を言った記憶はある。だが時と場合によるだろう。ましてやその時は龍惺にとっても一大事だった。
 龍惺は手の中に握り締めた月のキーホルダーを見て目を閉じる。
 今にして思えば、あの頃の自分がやっていた事はクソがつくほど最低な事だ。自分の勝手な感情だけで同じ事を繰り返し、最悪の結果を招いてしまった。

「もう八年だぞ……!」

 そうしてキーホルダーを握って今度こそ机を力なく殴る。
 最初の一年は絶望しかなかった。すぐに捕まえられると思った相手は家族ごと姿を消していて、どこに行ったのか手掛かりさえ見つけられなかった。
 二年目は父親に頭を下げて必死に勉強をした。三年目で都心にある父親の会社に入り、七年目にしてようやく社長の席を譲り受けて本腰を入れて捜せるはずだったのに。
 舐めていた、人一人捜す苦労を。しかもこれは個人的な事だ。〝玖珂〟を代表する者として、例え個人名でも探偵を雇う事は出来ない。
 片手で額を押さえた龍惺は、月のキーホルダーを引き出しにしまうと目の前の秘書を見上げた。

「どんだけ時間がかかってもいい。絶対見付けろ。……瀬尾、あの時の事は俺も悪かったと思ってる。頼む、諦めたくねぇんだ」
「……畏まりました」

 大切で、どうしようもなく愛しくて、死がふたりを分かつまで……いや、死してなお共にいたいと初めて思えた相手だった。
 その気持ちは今も変わっていない。

 龍惺は皺の寄った眉間を人差し指と親指で摘んで揉み、溜め息をついて表情を〝作った〟。

「……今日のスケジュールは?」
「この後九時から、来月から着手予定となっている新事業の、最終的な打ち合わせと確認作業になります。それが終わり次第、箕輪グループとの会合となっておりますので移動をお願い致します」
「分かった」
「本日、19時からの会食は覚えておられますか?」
「……覚えてるよ、バカにしてんのか」
「社長、〝素〟が出ておりますのでお気を付け下さい」

 どれだけやる事があろうとも、社長としてその日のスケジュールくらいは頭にある。言い方が妙に腹が立って眉根を寄せて返すと、冷静な瀬尾に窘められ渋々ながらも咳払いをした。
 そうして肘をついて両手を組むと、〝社長としての玖珂龍惺〟を装い頷く。

「ああ、すまない。気を付けるよ」





 どれだけ回数をこなそうとも、この会食と言うものはあまり好きにはなれない。祖父の代から懇意にしている老舗料亭で美味しい物が食べられるのは嬉しいが、本来和やかなはずの会食で腹の探り合いのような遣り取りをする事は、やっている本人でさえ寒気がする。
 とっとと終わらせて帰りたい。

「しかしいつお会いしても玖珂社長は男前ですな」
「そんな事はありませんよ」
「ご謙遜を。誰か良い人などはおられないので?」
「残念ながら出会いがなくて…今だ寂しい独り身です」
「玖珂社長ともあろうお方が出会いがないなどと、おかしな事をおっしゃる」
「いえいえ、本当の事ですから」
(あー……うぜぇ…)

 大手取引先の社長ではあるが、会うたびに龍惺のプライベートを掘り下げようとするため内心では常にイライラが募っていた。だが、ぜひ娘をなどと言ってこないあたりは弁えているのかもしれない。
 正直、テーブルをひっくり返したいくらいには煮えくり返っているが。

 第一、ずっと詩月を捜している龍惺が他の相手を作る訳もなく、もっぱら右手が恋人だと言うのに何を言っているのか。
 詩月の事は極秘であり瀬尾以外は知らないとはいえ、最愛の人の事さえ話せないのがもどかしい。

「そういえば、高崎会長のお嬢さんが社長に随分ご執心だとお伺いしましたが…」
「ああ……いえ、確かにお見合いを勧められますが、私には勿体ないお方なのでお断りさせて頂いているんですよ」
「おやおや。娘思いの会長としては悔しいでしょうなぁ」
(知るかよ)

 小太りの中年男性が何とも愉快そうに笑うが、さっきからつまらない話しかしない男には辟易していた。何度心の中で舌打ちをした事か。
 ボロが出ないうちに一度席を離れるべきだろう。龍惺は表面上は申し訳なさそうに男を見ると、手洗いに行くと言って頭を下げた。

「いえいえ、構いませんよ」
「すみません。瀬尾、少し頼む」
「畏まりました」

 立ち上がり個室を出る。この部屋は中庭に面しているため、部屋を出てしまえば外の空気によって幾分か落ち着く事が出来た。
 だが方便のために出した言葉も気が緩めば本当に催す訳で、龍惺は苦い顔をして手洗いに行くべく歩き出す。
 さすが高級老舗料亭、随分と静かで落ち着いて心地が良い。

「……つまんねぇな…」

 がむしゃらに生きてきた七年は意識もしなかったが、彼のいない人生がこんなにもつまらないものだとは思わなかった。楽しい事など何もない、嬉しい事も、喜べる事も、今の龍惺には感じる事が出来ない。
 参ったな…と綺麗に磨かれた廊下を歩いていると、曲がり角から従業員が飛び出して来た。
 驚く龍惺に、彼は咄嗟に頭を下げる。

「し、失礼しました! お怪我は御座いませんか?」
「……ああ、大丈夫だ」
「そうですか、良かったです」

 驚きはしたが、ぶつかってはいないため素直にそう言うと、頭を下げたままの彼が安堵の息を吐いた。
 そうして腰を正そうとした時、離れた場所から声がかかる。

「詩月くーん、ちょっといいー?」
「あ、す、すみませんお客様。呼ばれてしまったので失礼致します」

 もう一度会釈し踵を返したその腕を咄嗟に掴もうとした龍惺の手が空を切る。チラリと見えた横顔には確かに見覚えがあった。

(〝しずく〟って、呼ばれてたよな…)

 まさかという期待と、そんな馬鹿なという不安とで心臓がドクドクと脈打つ。龍惺は伸ばした手で口元を押さえ呟いた。
 ずっと捜していた。一分一秒だって忘れられなくて、未練ばかりを募らせてその姿を求めていたのだから。

「詩月……?」





 あの後、どうやって会食を終えたのかは分からない。
 だが一つだけハッキリと覚えている事がある。龍惺が彼を見間違えるはずがないのだから、あの人物は間違いなく詩月だ。

「瀬尾、喜べ」
「はい?」
「見付けたぞ」
「…!」

 やっと、やっとだ。八年掛かったけれどもやっと見付けた。

 バックミラー越しに龍惺がニヤリと笑う姿を見た瀬尾は、内心で気の毒にと呟きながらに溜め息をつく。
 瀬尾の脳裏には、最後に見た詩月の泣きそうな顔が浮かんでいた。
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