強気なネコは甘く囚われる

ミヅハ

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186センチの景色

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 あの空き教室でうっかり唇奪われちゃった事件から、俺は必死になってアイツから隠れ回った。まぁ昨日は不可抗力だったけども。
 三年なんて一番離れた場所の校舎なのに、何で毎日毎日一年棟にいるわけ? アイツ暇なの? 生徒会の仕事しろよ。
 ちなみに今も絶賛隠れ中。
 何しに来たのか知らないけど、帰った帰った。
「何してるの?」
「うわ!」
 突然目の前に人が現れ驚いた。慌てて口を押さえて覗く。……ほ、気付かれていないようだ。
 今いる場所は階段の前の曲がり角。ここなら近付いて来た事さえ分かれば登るか降りるか出来るからな。
「…香月様から隠れてるんだ」
 香月…様? あいつ他の人からそう仰々しく呼ばれてんの? 王様かよ。
 しかもこの子、すげぇ可愛い顔してるよ。
 こういう子選べばいいのに、何で俺なんて……。
「ねぇ、君でしょ? 香月様の〝恋人〟って」
「違う」
「? でもキスされたんでしょ?」
「!」
 キスという単語にあの空き教室での事を思い出し真っ赤になる。恋愛初心者には向かないあのディープなキス。
 でもたぶん、この子が言ってるのはあっちだろうな。指先の方。
「別に望んでされた訳じゃないし」
「うわ、贅沢。されたい子いっぱいいるのに」
「ほんとだよ…何でして欲しい子にしないんだよ…」
「君さ、今のこの状況がどれだけ凄い事か分かってる?」
「?」
 隠れてる状況? 確かに気付かれてないのは我ながら凄いと思う。アイツ絶対気配とか感じるタイプだろうし。
 だけどその子は怪訝そうな顔をした後、違うよと首を振る。え、エスパー?
の事じゃない。香月様に、〝お気に入り〟飛ばして〝恋人〟として選ばれる事が、だよ」
「でも生徒会役員は選んでんだろ?」
「香月様以外はね。香月様は、高校に入ってからお気に入りさえ作らなくなったから」
「え?」
 じゃあ俺は何なんだよ。突然変異か?
「だから君、結構ヤバい事になってるよ」
「ヤバい事?」
「お気に入りじゃなく恋人になった事で、香月様のファンも、セフレも、君を憎んでる」
 不可抗力だ! 大体俺は選ばれたくてこうなってんじゃないって!
 っていうか今聞き捨てならない単語聞こえましたけど!?
「せ、せふれ?」
「特定の人を作らないお方だからね。それでも抱かれたいって人は多いよ。香月様も基本的に来る者拒まずだし」
「……あんの野郎…やっぱいんじゃねぇか、そういう相手」
「でも所詮はセフレだし、飽きられたらポイだから」
「いいご身分だなぁ、おい」
 あ、何かだんだんイライラして来た。
 じゃか別に俺じゃなくても良かったじゃん。っつか、セフレとやらがいるならそっちでよろしくやればいいじゃねぇか。何でわざわざお気に入りだの恋人だのを作るんだよ。
 何、イジメ? 俺実はイジメられてる?
 眉間に皺を寄せ始めた俺に、その子の細い腕が伸びてくる。首元に触れられビクッとした。
「これ、何か分かってる?」
「これ?」
 意味が分からず首を傾げる。ってか、くすぐったいんで辞めて欲しいんですけど。
「薄くなってるけど、香月様に付けられたんでしょ?」
「付けられた?」
「……え? まさか気付いてない?」
 今度はその子がキョトンとする番だ。
 ものすっごく難しい顔をした後、自分のスマホを取り出してつついてる場所をカメラに収める。それを俺に見せてくれた。
 その子の指が差す場所は、うっすらと赤みがかった痕が残ってる。
「虫にでも刺されたんじゃね?」
「バカなの? キスマークに決まってるじゃない」
「は? き、キスマーク?」
「何だかんだで香月様とそういう雰囲気になってるんだ」
 ふーん、何て話すその子の目が据わって来て赤い痕に爪が食い込む。痛みで顔を顰めると、不意に大きな影が俺たちを覆いその子の手が離れた。
「……触んな」
 ひっくーい声に恐る恐る顔を上げれば、怒った顔のイケメン─香月廉がその子を見下ろしていた。昨日よりはまだ怒りメーター低いけど、イケメンは何してもイケメンってズルいよな。
「香月様!」
 その子の声が高くなり、猫撫で声で廉の腕に抱きつく。
 何か、人の二面性を初めて目の当たりにした気がして怖くなった。
「気安く話し掛けんな。俺にも、コイツにも」
「お前が勝手に決めるなっつの」
「すみませぇん。でも、この子が香月様に選ばれる事がどれほど凄いか理解してなかったので」
「別に凄くねぇし理解して欲しいなんざ思ってねぇよ」
「え? で、でもぉ、香月様に憧れてる人はいっぱいいるから、心構えとかもいるかなぁってぇ」
 鼻にかかった甘ったるくて間延びした声。
 うぇ、ちょっと小さい頃を思い出して気持ち悪くなって来た。下手したら俺も、父さんや母さんの手でこんな風に可愛さアピールする人間に育ってたかもしれないし。
 蝶よ花よ、なんて、俺には似合わない。この顔のせいで散々苦労して来たんだ。人に媚びるなんて。
「心構え?」
「僕はしませんけどぉ、香月様のファンが、ほら、この子に何かするかもしれないでしょう? 香月様が誰に対しても本気にならないの知ってますしぃ…そういう所も、ね?」
「…………」
 座り込んでる場所に冷気が漂いハッとする。やべ、俺トリップしてた。っつか何この寒さ。気温的には暖かいはずなんだけど?
 自分の腕を擦り周りを見た後、そういえば目の前に人がいたんだったと思い見上げると、廉がその子の胸倉を掴んでた。
 え!? 何でこんな事になってんの!?
 俺は慌てて廉の腕を掴む。
「ちょ、何やってんだよ! 離せって!」
「お前ら、俺のもんに何するつもりだ?」
「…っ…ちが、僕はしてな…っ」
「今はしてなくても、する気持ちがあるんだろ?」
「…そんな、事……っ」
「何の話か知んねぇけどとにかく離せって! その子苦しがってるだろ!」
「…………」
「廉!」
 俺が名前を呼んだ瞬間、胸倉を掴んだ腕がピクッとし離れる。ゲホゲホ咳き込むその子の背中を撫で睨み付けた。
「何してんだよ! てめぇの馬鹿力でこんな細い子にあんな事したら死んじゃうだろ! ちょっとは考えろよ!」
 こんな可愛い子にあんな乱暴が出来るなんて信じらんねぇ。
「大丈夫か?」
「……真尋」
「何……っうわ!」
 涙目で噎せる子の背中をひたすら撫でていると、名前を呼ばれた。振り向きもせずつっけんどんに返せばいきなり担ぎ上げられる。
 俺は廉の肩に腹と腕で乗っている状態だ。っつか、片手で俺の体重支えてんのマジ? そりゃ平均男子よりはないけどさぁ。
「春名。てめぇらが何しようと勝手だがな、コイツにだけは手ぇ出すなよ。分かったな」
「……はい…」
 この子春名くんってのか、名前まで可愛いな。
 廉はそれだけを言うと俺を担いだまま階段を下り始めた。
「…はっ、いやいやいや、何で俺は担がれてんだよ。降ろせ」
「じっとしてろ」
「誰がてめぇの言う事なんざ聞く、か………ひぇ、ちょ、待て待て待て!」
 バシバシと肩を叩き降ろして貰おうと暴れるが、一瞬の浮遊感の後、視界がぐらぐらする。五段くらいジャンプで階段を飛ばした挙句、物凄い速さで降り始めた事に俺は恐怖を覚えた。わざとか? わざとだな? ってか落ちる!
「こ、怖い怖い!」
 俺はもう必死で、相手が誰とか関係なく、落とされないために何かにしがみつきたくて廉の頭を抱え込んだ。ギュッと目を閉じて階段を意識しないようにして、ひたすらネコを数える。ネコ好きなんだよ、俺。
「真尋」
 呼ばれて、階段を降りる際のガクガクとした振動がなくなっている事に気付いた。そっと目を開ければアッシュグレイのふわふわした髪が目の前にある。
「……あれ?」
「何だ、誘ってんのか?」
「は? んな訳ねーだろバーカバーカ」
 何言ってんだよコイツは。
 俺はパッと手を離して担ぎ上げられた時の状態に戻る。そうして気付いた。いつもより遥かに高い目線に。
「……うわ」
「何だ」
「すご。これがいつもお前が見てる高さ? 天井近! 手が届く!」
 どう見積ってもコイツの背が俺より10センチ以上高い事は分かっていた。
 憧れの180センチ超えの目線は思ったよりも高くて、色んな物が見渡せる。
 天井のシミ、ヒビ割れ、木の葉の揺れ、絡み合った枝。あ、あんなとこに紙飛行機引っかかってら。誰だよ、赤点をこんな風な飛ばした奴。
「すごいなぁ……空にも届きそう」
 真っ青な空に手を伸ばす。こんなに空が近いの初めてだ。
 曇って、近くで見るとどんな感じなんだろ。
 そんな事を思っていると、いきなり支えてた腕が緩み重力によってガクッと下がって、今度は横抱きにされていた。いわゆるお姫様抱っこ……って何でだ。
「ちょ、何? いい加減降ろしてくんね? しかもこれ…」
「お前はほんとに…」
「何……」
 言葉の途中で唇が塞がれる。
 一瞬何が起こったか分からなかった俺は、我に返ってガッシリとした胸元を押し返した。でもビクともしない。
 この間みたいに啄まれて唇を舐められると力が抜けてしまう。
「ん……っ…」
 肩を支えている手が俺の耳を擽り始めた。ピリッと小さな電流が走り押し返していたはずの手で廉の制服を握る。
 待って、マジでこのままじゃマズイ。また流される。
「ん?」
「…ふぁ……」
 何かに気付いた廉が俺を片手で抱き直し、ポケットからスマホを取り出す。俺はあれだけでヘタレてしまって、廉の肩に頭を寄りかからせて目を瞑った。
 触れ合わせてるだけなのに何だあのテクニック。
 ハイスペマンな上にテクニシャンなのかよ(混乱)
「もしもし。……ああ、その件ならもう片付いてる。…いや、まだ渡してない。ああ。……分かった分かった。すぐ戻る」
 あー、電話だったのか。戻るって事は、教室か生徒会室か?
 スマホをポケットに戻した廉は小さく舌打ちし、薄く目を開けた俺の頬に触れると目元に口付けてからようやく降ろしてくれた。
 ちょっとフラついたけど、俺は解放された喜びからさっきまで弄ばれていた唇を手の甲で拭い距離を取る。
「この変態!」
「気持ち良かったくせに」
「き、気持ち良くなんてねぇよ! 自意識過剰男!」
「まぁいいけど。真尋」
「……な、何だよ」
 イケメンが急に真面目な顔をするな。さっとファイティングポーズを取った俺に肩を竦め、たった一歩で俺との距離を縮めると頭に手が乗せられた。
「あんま一人になんなよ」
「へ?」
「じゃあな」
 ポンポンと叩いて後ろ手に振りながら去っていく。その姿がまさにイケメンで、俺は少しばかりドキッとしてしまったのだけれども。
 今の、どういう意味だ?
 一分ほど考えたけど分からなくて、仕方ないから俺は考える事を放棄した。分かんねぇもんは分かんねぇんだし。
 ってか急いで戻んねぇと。アイツのせいで授業サボったり遅れたりと散々だ。
 次に会ったら絶対文句言ってやる。
 俺はそんな事を意気込みながら教室に向かって走り出した。その後ろ姿を、誰かが見ている事にも気付かないで。
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