ZERO【完結】

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トケイ ―0日目―

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 旧校舎。何で取り壊さないんだろう。もうボロボロでこうやって簡単に鍵を外して入れてしまうのに。
「よっと」
 俺は立て付けの悪い引き戸を強引に開けた。どうせすぐアオイが追ってくるから、ここでやり過ごそう。
「トケイー」
 げっ、もう来た。
 滑り込むように中に入って、しゃがんで身を隠す。すぐにバタバタと足音が聞こえてきた。
「見つけたー。やっぱりここだった!」
「うわっ!」
 大きな音を立てて扉が開けられる。
「ねえ、いつから?」
 アオイは俺の隣に座って詰め寄って来た。
「何が?」
「いつからあんな事されてたの? 何で言ってくれなかったのよ?」
「…………」
 こういう事になるから言わなかったんだよ。アオイに心配も迷惑もかけたくない。
「…………」
「また」
「え?」
「またそうやって何か考えてるのに、口には出さない。トケイっていつもそうだよね」
 アオイは膝を抱える。だって……口に出したところでどうなるって言うんだ?
 誰も俺の事なんか分かってくれない。俺だって、俺自身の事、何も知らないんだから。
 俺には記憶がない。海で倒れていたところをアオイに助けられたらしい。
「ねえ、今日サボっちゃおうか」
「え?」
「海見に行こうよ。トケイ、何か思い出すかもよ」
 何か、ねぇ。
 『トケイ』って名前もアオイがつけてくれた。名前すら覚えてなかった俺の為に。
「自転車ですぐだよ? ね?」
「……安全運転で頼むよ」
「あれ? もう乗らないんじゃなかったっけ?」
 アオイはいたずらっぽく微笑む。アオイの笑顔に癒される。何だか懐かしい気持ちになるんだ。もしかしたら、記憶を失くす前にどこかで会ってたのかもな……なんて思う。
「しっかり捕まっててね」
「言われなくても」
 自転車は風を切って走り出す。海に向かって。何故だろうか。この景色も俺は知っている気がするんだ。そんなわけないのに。
「いい天気ー! 潮風が気持ちいいね」
 自転車を砂浜に投げ出し、波打ち際に走って行く。
「そうだね」
 誰もいないのに、アオイが立つだけでその景色が明るいものになる。
「トケイ、この海岸には人魚伝説があるんだよ」
「ふぅん」
 アオイはいつも俺に色んな話をしてくれる。なのに、俺はそっけなく返事をするだけ。前の俺は、どんな話に興味を持って、どんな風に答えていたんだろう。アオイと出会う前は、どこで、どんな暮らしをしていたんだろう。
 アオイはどうしてこんな俺に、いつも優しくしてくれるんだろう。
 俺は今、アオイの家で世話になっている。アオイの両親はとても優しくしてくれて……。記憶が戻るまで好きなだけいてくれていいと言ってくれた。
「トケイー、気持ちいいよ!」
 いつの間にか裸足になったアオイは、海に足をつけて俺を呼ぶ。
「まだ冷たいんじゃない?」
「大丈夫だよー」
 ふと思った。
 何で俺を警察に連れて行かなかったんだろう。
 身元がまったく分からないのに、学校にまで行かせてくれている。
「トケイ?」
 何で? おじさん達は『俺』に何の疑問も抱かないのか?
 疑問……アオイも、本当は俺の事どう思っているんだ?
 もしかして、アオイやアオイの両親は『俺』について何か知っているんじゃないのか?
 以前の『俺』は『警察』に行けない理由がある?
 まさかな。いくら何でも……。
 でも、何なんだろう。懐かしさは感じるのに、俺は『この世界』に生きていたという実感がない。俺は……何を求めて、何の為に存在していたか、思い出せる気がしないんだ。
「トケイったら、まーた考え事?」
「え?」
「大丈夫だよ! きっと思い出せる日が来るよ!」
 花のように笑うアオイ。
「思い出せる日が来る……か」
 そんな日が本当に来るのかな。本当に……思い出した方がいいのかな。
 俺は空を見上げた。雲一つない、青い、青い空。そんな空を見ていると、このままでもいいんじゃないかななんて。
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