ZERO【完結】

Lucas’ storage

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ゼロの大義

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 傷口が火のついたように熱く血が止まらない。
 早く、早く治れよ! いつもみたいに、さっさと治れよ! 頭の中で何度も繰り返す。その時、周りの景色が歪み、白い光に包まれ始めた。未来に戻ろうとしている? 待てよ……今戻ったら、あいつらはどうなるんだよ? あの二人は……人魚は……。
「戻るなっ!」
 俺の叫びもむなしくあっという間に景色が変わった。
 空?
 真下には海が広がっている。
 俺とトキはどんどん加速し、そのまま海のど真ん中に落ちた。落ちた時の衝撃で、一瞬意識が飛びそうになる。俺達の体は海の底へと沈んで行く。
 トキは泳げない。俺が、何とかしないと。あいつに手を伸ばすけど、距離は余計に広がり、俺の息も限界が近づいて来た。
 薄れゆく意識の中、俺が最後に見たのは。桃色の髪を揺らしながら、こっちに向かって泳いでくる『人魚』の姿だった。 
『これで分かったか?』
 キイチ?
『僕達は、僕は、何も悪くない。悪いのは村人だ』
 だけど……。
『君にはどう見えた? 村人達は』
 俺には。
『鬼に、見えなかったか?』


「ゼロ先輩? 気がついたッスか?」
 目を開けると、真っ白な天井とキリの顔が飛び込んで来た。
 現代に戻って来たのか。つーか、よく生きてたな俺。
「病院? トキは?」
「トキ先輩は別の部屋です。怪我がひどいみたいで、まだ目を覚ましてないです。でも、命に別状はないッスよ」
「……そうか」
 起き上がってみても、どこにも痛みはない。
「ゼロ先輩の怪我は治ってるみたいです。海岸でお二人を見つけた時は、とにかく血がすごくて本当に驚きましたよ」
「俺ら海岸にいたのか?」
「え? はい。覚えてないんですか?」
「…………」
「『鬼』と戦ったんですか?」
「……いや。まあ、その事は今度話すわ。それより、お前は何で海岸に?」
 窓の外は暗い。多分、今日はまだ俺達が『過去に行った』その日か。浦島太郎状態にならなくてよかった。
「聞いてます? ゼロ先輩」
「聞いてる聞いてる。もう一回言って」
「聞いてないじゃないスか。お二人の帰りが遅いんで、おれとナナ先輩で探しに行ったんです」
「ナナと?」
 キリは頷く。
「ナナ先輩、ゼロ先輩の怪我を見て倒れちゃったんですよ?」
「は? また?」
「お医者さんは貧血だっておっしゃってましたが」
 そう言って、キリは向かい側のベッドに歩いて行き、そっとカーテンを開けた。
「まだ眠ってるみたいです」
 キリは手招きをする。普通に鬼の事とか話してたけど、よくよく見ればここは大部屋だった。ただ、残りの二つのベッドには誰もいない。俺は向かい側のベッドに行ってカーテンの中を覗き込んだ。 
「……貧血? めっちゃ普通に寝てっけど」
 ものすんごい幸せそうににやけながら寝ていますが。
「たいした事はないそうですから。先輩もナナ先輩も、目が覚めて問題がなければ今日帰っていいそうです」
 キリがそう言いながらナナに布団を掛け直す。
「おい、これ……」
 ベッドの側にかけられたナナのセーラー服には血がついていた。
「ああ、それはゼロ先輩を抱き起こした時についたみたいです。ナナ先輩は無傷ですよ」
「そ、そうか」
 焦った。そういや俺の学ランも向こうにかけられてるし、俺もナナも病院の服だった。
「あ、ナナ先輩のご両親とお兄さん来てますよ。ゼロ先輩のお母さんも」
 キリが病室の外を指差す。
「……説明めんどくさそうだな」
「『竜巻』はもう通用しませんしね」
「あれも最初から通用してなかったけどな。うちの親はいいとして、ナナの親やトキの親は何とかごまかさねーと……」
「トキ先輩のご両親はもう帰っちゃったみたいです。明日また来るって」
 マジか。よく帰れるな。放任主義とは聞いてたけど。
「キリ、お前も帰っていいぞ。もう遅いし」
「え、でも」
「ノバラの看病があるだろ? 早く帰ってやれって。明日ちゃんと全部説明すっから」
「んー……でもイクタ君がついてくれてますし」
「大丈夫だって。俺もナナが起きたら帰るから」
「じゃあ……帰りますね。何かあったら電話下さいね」
 キリはそう言って帰って行った。『人魚』の事を話そうかと思ったけど……明日でいいよな。
「ん……」
「ナナ? 起きたか?」
「うん」
 いや、起きてないじゃん。寝言で返事するなよ。ナナはごろんと寝返りを打ってすやすやと寝息を立てている。
「よく寝るなー」
「どっちかっていうと……」
「ん?」
「白あん」
 すんごいハキハキと寝言言うんですけどこの子。しかも、見てる夢はやっぱり食い物の夢っぽい。
「でも二月です」
 ヤベェ。普通に吹いたわ。何の夢見てんだよ。
「ん……ゼロ?」
「あ、わり。起こした?」
 今度はちゃんと目覚めたみたいです。ナナはびっくりした顔で飛び起きた。
「大丈夫? 怪我は?」
「この通り、全快。お前は?」
「あたしは……大丈夫」
 うわ……また泣き出した。俺はベッドに座ってナナの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「トキ君は?」
「大丈夫だよ。別の部屋にいる」
 ナナは俺の腕を引っ張って、その袖で涙を拭った。
「本当に、本当に、びっくりしたんだから。二人とも死んじゃうんじゃないかって、心配したんだから!」
「……悪い。でもマジで大丈夫だからもう泣くなって」
「もうやだよ……。ゼロが怪我するのやだ……」
 泣き止む気配がないナナに焦る。何か泣きすぎてむせてるし。
「分かったって。もう怪我しねーから、俺は大丈夫だから安心しろ」
 俺はそんなナナの背中をさすってやる。 
「お前こそ大丈夫か? 三回目だぞ。ちゃんと検査してもらった方が……」
「大丈夫だもん」
 そうはいうけどなあ。貧血って、そんなにしょっちゅうなるものなのか?
「とりあえず、医者呼んでくるわ。親も来てるって」
 俺は立ち上がってベッドから離れようとした。
「え? あたしも行……きゃっ!」
 後ろででかい音がして、慌てて振り向くとナナがベッドから落ちていた。
「おい、大丈夫か?」
「うぅーいたいー」
「馬鹿だな、お前は」
 俺はナナをベッドに戻す為に抱き上げた。
「ナナ? 今の音は……あ」
「あ」
 部屋に飛び込んで来たナナのご家族一行。プラスうちの親。固まる俺。
「やだー、ゼロ君たらお姫様抱っこしてるー」
「ゼロよ! 妹をどこへ連れて行く気だ!」
 うわ、カズヤだ。めんどくせえ。
「どこにも連れて行かねーよ」
 俺はナナをベッドに乗せた。
「ナナ、大丈夫?」
「お母さーん。ベッドから落ちたー足痛ーい」
「えぇ? 本当鈍臭いわねアンタは」
 ナナのベッドの周りに家族が集まる。俺と母さんはその場から少し離れた。
「ゼロ君、大丈夫なの? これってもしかして……」
「ああ。でも大丈夫だ。悪いけど他の奴らは適当にごまかしといてくれよ」
「でも……。ねえ、やっぱり鬼退治なんてやめて? 危険よ」
「……今さら後には退けねーよ。それに、奴らの方から来る」
 そう。だから、さっさと決着をつけないと。
「ゼロよ! ちょっと来い!」
 カズヤが病室のドアを開け、何かムカつくポーズで俺を呼んでいる。俺は後の事を母さんに任せて外へ出た。廊下は誰もいなくて静かだ。まあ、こんな時間なら当たり前か。
「一体何があったんだ?」
 カズヤは腕を組んで俺を見下ろす。
「たいした事じゃねーよ」
「竜巻も嘘だろう?」
 バレてるし。馬鹿だと思って油断してたわ。
「あの日僕は生徒会室から、校庭にいた化け物を見た。そして、ナナが襲われているのを見つけた。だから、救出に向かう為に生徒会室から飛び降りたんだ」
「生徒会室って……三階じゃなかったっけ?」
「その後意識が途絶えた」
 ですよね。つーか、よくあれだけの怪我で済んだなコイツ。
「あれは一体何だったんだ? ナナに聞いても竜巻の一点張りなんだ」
「あいつがそう言うならそうなんじゃね?」
 すげーなナナ。まだ竜巻でごまかそうとしてたのか。
「そうか。だったら今回は?」
「…………」
「では、この間の事は? 妹が倒れたのは今回が初めてではないよな?」
「…………」
「話したくないのならいい。だが説明はしろ」
 どっち?
「悪い、カズヤ。今は話せない」
 非常に申し訳ないんですが、めんどくさいので。
「……だったら僕の仮説を聞いてくれ」
 非常に申し訳ないんですが、それもめんどくさい。
「いや、俺もう帰るから」
「まず、あの化け物だ。あれは妹のストーカーじゃないか? 新種の」
 新種の馬鹿がここにいるんですが。
「お前は妹を守る為にそのストーカーを倒した。しかし、今回は友人であるトキという少年もナナを好きだという事が発覚した」
 この人、何で生徒会長になれたんだろう?
「そして、お前達は妹を巡り海岸で戦いを繰り広げた。青春だな」
 そんなクソみたいな青春いらないです。
「どうだ? 当たらずとも遠からずだろう?」
「当たってもないし、めっちゃくちゃ遠いから」
 俺はそう言って病室の扉を開けた。すると、母さんが目を輝かせて駆け寄って来た。
「あ、ゼロ君! 今みんなに説明したからね」
「は?」
「今日は海岸でトキ君と拳で語り合ってただけなのよね? ナナちゃんを巡って!」
「この子ったらモテモテじゃない。いいわね、若いって」
「ま、まだ早いんじゃないか? ナナはまだ中学生じゃないか」
「フッ、僕の仮説は当たっていたな」
 ナナがベッドから「助けて」という視線を送ってくる。すみません、ここには馬鹿しかいないんですか?


「『過去』にそんな事があったのか……」
 親父がタバコの煙を吐き出す。
「そいつんちの場所が、今の小学校の倉庫なのかな?」
「……さあ? つーか、そんな事忘れてたわ」
『お前面白い格好してるな』
「うっせ」
 俺は病院の服のまま境界線に呼ばれた。ナナは念のため今日だけ入院する事になった。が、夜の病院に一人は怖いだの何だの言うから結局俺も泊まるはめになった。で、便所に行ったらここへ引きずり込まれました。鏡あるの普通に忘れてたわ。
「今日はナナちゃんと同じ部屋でお泊りかー。お前、変な事するなよ」
「しねーよ」
「……本当に弱ってるみたいだからなー」
 親父がいつもの地図を広げた。そして、病院を指差す。いくつかある青い光の中、一つだけ弱々しく光っているのが見えた。病気で入院してる奴らよりも、一際弱い光。
「これ……ナナ?」
「ちゃんと診てもらった方がいいんじゃねーか? なんつーか……」
「何だよ?」
 親父は言い淀む。俺の鼓動はどんどん速くなっていった。
『前にも言ったろ? 寿命が近い奴がいたら、分かるって』
「……は?」
「まだ分かんねえ。どっか悪いなら、ちゃんと医者に診て貰えば治るかも知れねぇし」
「寿命が近いって……あいつが、もうすぐ死ぬって事かよ?」
 俺は親父の胸倉を掴んでそう叫んだ。意味が分からない。何でナナが……。
「まだ決まったわけじゃねえって。落ち着け馬鹿。とにかく、明日ちゃんと医者に診て貰うんだ。な?」
「…………」
「ゼロ」
「……分かった」
 そう答えるしかなかった。
 鬼退治の事とか、過去に行った事とか、全部ぶっ飛ぶくらいの衝撃があった。
 だって、あんなに元気なのに。
 寿命が近いなんて言われてもピンと来ない。
 自分やトキは、ついさっきまで死にそうな目にあってた癖に、どこかで絶対に死なないって自信があった。こんな非現実的な事に巻き込まれても……。ああ、そうか。非日常で、非現実的で、そんな毎日だったから。『現実』を見ようとしてなかったんだ。何度も倒れてたのに、あんなにそばにいたのに、何で気づかなかったんだよ。
 その後の親父の話なんか、全然頭に入って来なくて、とにかく早く朝になってくれと祈った。何でもない、間違いだった、あいつはいつも通り元気だって。都合のいい現実を想像しながら。
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