ZERO【完結】

Lucas’ storage

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純真なキリ

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 もっと小さかった頃は、両親ももっと優しかった。ノバラも、もっともっと笑っていた。仕事が忙しくなって来た両親に、家の事や妹の事を頼まれた。なのにおれは、反抗して、グレたりして。
 おれがちゃんとすれば、きっとまた昔のようになるはず。
 それに、おれは、何をされても、何を言われても、何があっても。
 おれは、両親のことが……。
「だから、何で他の奴まで巻き込むんだよ!」
 真っ白な空間に響き渡るのはゼロ先輩の声。
「だってよー、またナナちゃんと一緒だと思ったんだって。誰コレ? 浮気?」
 派手な格好をした男の人がタバコを吸いながらおれを指差す。
 何これ? どこココ?
 さっきまでおれの家にいたのに……。
 そうだ、脱衣所から音がして……ゼロ先輩と見に行ったんだ。そしたら、鏡から手が出てきて……それで。
「なーに呆けてんだよ」
「いたっ!」
 デコピンされた。本当に何? 誰?
「キリ、大丈夫か?」
 ゼロ先輩がおれの顔の前で手をヒラヒラと振った。おれは慌てて頭をフル回転させる。
「大丈夫です。ゼロ先輩、もしかしてここが『境界線』ですか? この方は……『番人』?」
「お、急に冷静ー」
 男の人はハハハッと高笑いしておれの頭を撫でた。
「正解。こいつが番人だ。役立たずのな」
「可愛くないねー、お父さん悲しー」
 ゼロ先輩が悪態をついて、番人は…………ん?
「お父さん?」
「お父さんですよ?」
 番人は不敵な笑みを浮かべ、ゼロ先輩は「認めたくねーけどな」とため息をついた。
「ゼロ先輩の?」
「ゼロ先輩のですよ? ん? てー事はコレ、ゼロの後輩か?」
「だったら何だよ? つーか用件は?」
「ああ、そうそう」
 番人はポンッと手を叩くと、おれ達から少し離れた。
「一応気をつけてたんだが、鬼がそっち行ったかも知らん」
 真っ白だった場所に大きな地図が現れた。至る所に光が点滅している。
「これは……おれ達が住んでる町ですか? それに、この光は……もしかしておれ達?」
「お前と違って理解はえーな、このコ。そうそう、その通りよ」
 ゼロ先輩がチッと舌打ちをした。それより気になるのは、他の場所と違ってぼんやりと発光しているあの場所。
「おれの家と……あれは、小学校?」
「そ。鬼が出る時に、いつも別空間にいるみたいになるだろ? この二か所が今その状態なんだよ」
 そんな。もしかしたら、ノバラがまだいるかも知れないのに。
「俺ら今までここにいたけど何にもなかったぞ」
「それなんだよなー。赤い光もないから、鬼はいないはずなんだけど」
「赤い光?」
「ああ、赤い光が鬼。青い光が人間な」
 なるほど。今おれの家に光がないのは『ここ』に来ているからかな。
「奴らも何か考えて来たかなー? ま、そういうわけで気をつけろよーって伝えたかった」
「だけ? ほんっと役に立たねーな!」
「俺だって色々努力してんだよ。でも、しゃーねーだろ。ここじゃ調べられる事も限られてるしさー」
 とりあえず、今のところ『鬼』はいない。姿を隠しているのか、気配を消しているのか分からない。だけど、要注意。
「あの」
 もう少し詳しく話を聞こうとした時、目の前の景色が歪んだ。思わず目を閉じた次の瞬間。
「あれ?」
「戻って来たな」
 そこは、おれ達が元いた脱衣所だった。
「キリ、説明は後な。ちょっと電話してナナが家についてるか確認……ってスマホ上着の中だわ」
 ゼロ先輩は慌ただしく脱衣所を出て行った。
「あれが……『境界線』」
 それに、まさか番人がゼロ先輩のお父さんだったなんて。先輩が前に『巻き込んじまって』って言ってたのはこういう事だったのか。
「ん?」
 その時、浴室の方で音がした。おれはそっと扉を開けてみる。
「え? お父さん?」
 そこにはスーツ姿のお父さんが立っていた。何でこんな所に? 靴も履いたままだし……。
「お帰り。帰ってたんだ……どうしたの?」
 また酔ってるのかな。
「……まだ風呂の準備はできてないのか?」
「あ……今日は先にお風呂入る? すぐ準備するよ。あ、今日先輩が遊びに来」
 そこまで言いかけた時、腕を強く引っ張られて浴室の扉を閉められた。
「な、何? わっ!」
 突然シャワーを頭からかけられる。
「この頭は何だ? どういうつもりだ?」
 頭を押さえられておれは床に手をつく。その間もずっと冷たい水が降り注ぐ。
「お父さん、やめ……」
 スッとシャワーが避けられる。寒くて体が震え出す。この季節にこれは厳しいなぁなんて思っていると、浴室に湯気がたちこもり始めた。それはどんどん増えていく。お父さんがシャワーの温度を上げたんだ。
「お父さ……」
「とんだ不良だな。今その色を落としてやる」
 これはマズイなって思った。火傷もすぐに治るんだろうけど……耐えられるかなぁ、おれ。また頭を押さえつけられる。おれは覚悟を決めて目をつむった。
「うわぁ!」
「えっ?」
 浴室の扉が開けられたかと思うと、お父さんの体が外に飛んだ。同時に中へ入って来たゼロ先輩がシャワーを止める。
「大丈夫か?」
「は、はい」
 壁に手をついて立ち上がると、バスタオルが上からかけられた。
「悪い。手出しちまった」
 浴室の中から外を覗くと、お父さんが廊下の壁にもたれて倒れていた。
「親父、だよな?」
「はい」
「……思ったよりひどい目にあってたんだな、お前。ほら、さっさと拭け。風邪引くぞ」
 ゼロ先輩はお父さんに近づくと。肩に腕を回して持ち上げるように立った。
「気絶してるだけだから、とりあえずリビングに運ぶわ」
「あ、手伝います」
「いいって。お前は着替えてから来い」
 ゼロ先輩はスタスタとリビングに歩いて行ってしまった。おれはすぐにその後を追う。リビングのソファーにお父さんを寝かせるゼロ先輩を、おれは扉の所に立ったまま見ていた。
「電話、どうでした?」
「繋がらない」
「え? じゃあ、やっぱりまだ小学校に?」
「分かんね。この空間のせいなのか知らないけど、どこにも繋がらない状態だ」
「そんな……」
 おれはすぐに玄関に走った。でも何故かドアは開かない。
「ゼロ先輩、玄関が開きません!」
「は? くっそ、鬼を退治しなきゃ出られねーってか?」
「でも、どこに……」
 その時、お父さんがゆっくりと起き上がった。
「お父さん? 大丈夫?」
 お父さんは何も答えずキッチンの方へ歩いていく。おれとゼロ先輩は首を傾げた。
「お父さ……」
 歩み寄るおれの首に、お父さんは腕を回して包丁をつきつけた。
「キリ!」
「動くな!」
 横からお父さんの顔を見てゾッとした。これは……お父さんじゃない。
「キリを離せ」
「ゼロ先輩、おれの事は気にしないで下さい。この人は父じゃありません」
 自分でも驚くくらい冷静にそう言った。ゼロ先輩は眉をひそめる。
「知らんオッサンだったって事か?」
「そうじゃなくて。おそらく『鬼』です。ニセモノか、取り憑いているのかは分かりませんが」
 包丁はおれにピッタリとつきつけられたまま。それでも、おれはほっとしていた。お父さんじゃなかった事に。
「おれは刺されても死にませんから。ゼロ先輩、鬼を倒して下さい」
「出来るわけねーだろ。おい、オッサン。さっさとキリから離れて正体を見せろ」 
 ゼロ先輩が一歩近づくと、お父さんは一歩下がった。
「キ……リ」
「え?」
「すまない……」
 耳元で囁かれる。何で? 『鬼』じゃないの? 何で謝るの?
「お父さん……?」
「自分でも分からない……抑えられないんだ」
 お父さんはそう言って包丁を振り上げた。
 おかしいな……じゃあ、やっぱりお父さんはおれの事……。
「キリ!」
 おれはそのまま目を閉じた。いつまで経っても痛みは来ない。おれは恐る恐る目を開けた。
「くそっ!」
 ドンっと音がして、ゼロ先輩に殴られたお父さんがソファーの辺りまで転がる。
「ゼロ先輩!」
 包丁はゼロ先輩の腕に突き刺さっていた。
 ゼロ先輩が包丁を抜いて、辺りに血が飛び散る。おれはそばにあったタオルで傷口を押さえた。
「す、すみません……おれのせいで」
「気にすんな。それより……」
 肩で息をしながら、ゼロ先輩は視線だけ動かす。床に倒れたお父さんは微動だにしない……だけど、その代わりに、お父さんの影だけが動き始めた。
 影が大きくなって、景色が、家具が、周りのものすべてが大きくなっておれを飲み込んだ。
「……え?」
 そこは、真っ黒な空間。
「ゼロ先輩!」
 おれ以外誰もいない。
「……まさか」
 最後に見た景色は、大きく口を開いた『鬼』の顔で。
「おれ、食べられた?」
 へなへなと座り込む。これって胃の中?
「……散々な一日だな」
 ゼロ先輩大丈夫かな。ノバラ達は今どこにいるんだろう。みんな無事ならいいな。お父さんも……。
 今さらになって手が震える。
 本当は、ゼロ先輩にも、ナナ先輩にも……ノバラにだって、知られたくなかった。
 恥ずかしいとか、情けないとか、怖いから、じゃなくて。
 嫌だったから。
 誰かに言ったら、それは確実に事実になる気がして。
 おれだけなら、なかった事に出来る気がして。
 お父さんに、「何の事?」って笑って言ってあげられる気がして。
 今まで通りの優しいお父さんに戻って貰える気がして。
 だから、知られたくなかった。
 「ひどい目にあってる」なんて思われたくなかった。
 事実をつきつけられたくなかった。ひどい目にあわされてるって、思いたくなかった。だって、おれは、お父さんが……両親のことが大好きだから、信じたくなかったんだ。 
「お酒なんて……飲んでなかったじゃん。お父さん。仕事だなんて言って……いつから、帰って来てなかったっけ。お母さん」
 酔ってるから、仕事だから。どっちもおれがおれ自身をごまかす為に勝手に言ってただけ。
「……ノバラ、ごめん。いつも、お前の方がしっかりしてたよな」
 現実から逃げていたおれを、ノバラが引き戻してくれた。今度は、兄ちゃん自分の力で戻るからな。おれは拳を握りしめ、目の前の壁を思いきり殴った。
「出せっ!」
 壁も床も、おれは周りを殴り続ける。
「出せよっ!」
 殴って、殴って、殴り続ける。
「くそっ!」
 力も喧嘩も弱いのは知ってる。だけど、今回だけは諦められないんだ。
「出せっつってんだろ!」
 おれは力一杯床を殴りつけた。すると、急にその場所が光り始めた。
「え、うわっ」
「キリ!」
「ゼロ先輩?」
 あれ? おれ、戻って来た? 何かゼロ先輩の顔が近い……ていうか、すごく大きく見える。
「お前、どうなっちまったんだ?」
「え……? ええぇぇぇっ!」
 おれは辺りを見回してびっくりした。周りの景色がすべて大きい。と言うか……おれが小さくなってる。
「どういう事スか?」
「いや、俺が聞いてんだけど……。何か、お前が急に小さくなっちまって、それを鬼が飲み込みやがってよ」
 おれはゼロ先輩の手の平の上にいた。まるで小人のように体が縮んでしまっている。リビングの方を見ると、お父さんはさっきと同じように倒れていて、鬼の姿はどこにもない。
「おれ……鬼を倒せたんですか?」
「ん? あ、ああ。よくやったな。お前すげーよ」
「ありがとうございます!」
 おれも鬼を倒せたんだ! 初めて勝てた!
「それより、どうやったら元に戻っ……わっ!」
「あ……よかった、戻れた」
 おれは急に元の大きさに戻った。一体何だったんだ?
「あれ? ゼロ先輩、怪我治ってないんですか?」
 ゼロ先輩の腕からはまだ血が流れている。おれはさっきのタオルで傷口を縛って止血した。
「あー、大丈夫大丈夫。たまーに時間差あんだよな」
「時間差?」
「……うっ」
「あ、お父さん!」
 父さんが頭を押さえながら起き上がった。おれはすぐにそばまで駆け寄る。
「大丈夫?」
「キリ……? ここは……家? 父さんはいつ帰って来たんだ?」
「覚えてないの?」
「……さっきまで会社にいたはずだ」
 覚えてない。そっか……よかった。
「キリ、どうしたんだ? びしょ濡れじゃないか」
 お父さんがそう言っておれの髪に触れる。でもおれは反射的に身を引いてしまった。
「……あ、えっと」
「……お前が怖がるのも無理はないな。あんな事をしてしまっては」
 お父さん……昨日の事は覚えてるのかな。
「大丈夫。おれ、何ともないよ」
 おれはシャツの袖をまくって腕を見せた。
「ね? 若いからすぐ治るんだよ」
「……すまない」
 すると、お父さんは涙を流しておれを引き寄せた。さっきとは違う、優しい手でおれの頭を押さえる。
「どうかしていた。本当に……すまなかった。許してくれ」
 参ったなぁ、もう人前で泣きたくなかったのに。
 謝って欲しかったわけじゃないけど、すごく、すごく嬉しかった。
 お父さんは踏み止まってくれた。『鬼』の悪意に勝ってくれた。人間の良心は『鬼』に勝てるんだ。
 大丈夫。おれ達家族は、変われる。
 家の中の空気が変わっていったような気がした。きっと、元の空間に戻ったんだ。次は、ノバラを助けに行かなくちゃ。
「お父さん……おれ、ノバラを迎えに行ってくるよ。帰って来たら、お父さんの好きな物、たくさん作るね」

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