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第156話 TAKI
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部屋の中に入った途端に、俺の頼りの耳は音を拾わなくなった。
何も考えられなくなった。
でも、目はちゃんとこの光景を映してる。
ごく普通の部屋だった。テーブルがあって、ソファーがあって、クローゼットがあって、ベッドがあって。
カーテンが引かれていて、薄暗くて。
普通じゃないのは、その状況。リサが一直線に医者に向かって歩いていくのが見えた。胸ぐらを掴んで、多分何か怒鳴ってる。俺は、そんな二人のそばに立っているフロルにゆっくり近づいた。
フロルが泣いている。涙を流しながら俺を見ている。
そんなフロルの足元にはあのリュックが転がっていて、フロルの服のボタンは外れていて、俺を見て止めたその手は、確実に自分からボタンを外してる途中で。
俺はただこの場にいたくなかった。どうしても早くフロルを連れ出したかった。
俺はフロルの手を掴んで飛び出した。すぐに駆けつけてきたカモメさんとナギとすれ違ったけど、何か言っていた気もするけど、そんなの構わずに廊下を走り続けた。
そして病院から出て庭を突っ切る。
ようやく音が戻って来た。すぐ後ろから聞こえるフロルの声。門の所に着いた時、腕が後ろに引っ張られるのを感じて振り返った。
フロルがペタンとその場に座っている。繋いだ手に力は入ってなくてスルリと落ちる。フロルは両手で顔を覆いながら泣く。そんなフロルを俺は見下ろしながら突っ立っているだけ。
『特別な検査が必要で……それにはまだかなりの費用が必要でね……』
さっきまで聞いていた医者の話がよみがえる。
『とりあえず、君次第ってところかな』
俺は馬鹿だからすぐには意味が分からなくて。でも、フロルが泣いてるような声も聞こえていて、まずいっていうのは分かってたはずなのに。
フロルの格好を見て、ようやく事態を飲み込んで、最初に感じたのは、怒りだった。
「……何やってんだよ、フロル」
俺の声は届いているはずなのに、フロルは何も答えずに肩を震わせて泣き続ける。
「何とか言えよ! 自分が何しようとしてたか分かってんのかよ!」
泣いているフロルに、俺はただ怒鳴り続けた。
「馬鹿かよお前は! 何あの医者の言いなりになってんだよ!」
馬鹿は俺なのに。
馬鹿でガキな俺は、ナギのように優しく抱きしめてやれない。カモメさんのように優しい言葉をかけてやる事もできない。リーダーのように優しく受け止める度量もない。
男としても、仲間としても、今最低な事をしている。
「俺はそこまでして貰ってまで治りたいなんて思ってねーよ! つーかマジで馬鹿だろ! 明らかに騙されてるだろ! 何で、何でそんな事も分かんねーんだよ!」
口が止まらない。フロルの泣き声をかき消すように喚き散らす。
「フロル! 何とか言えよ!」
いや、フロルのじゃない。自分が泣いていることを気づかれない為にだ。
「ふざけんなよ、マジで……。信じられねーよ」
袖で涙を拭う。
「お前がそんな事平気でする奴だとは思わなかったよ」
どうして何も言い返さないんだよ、フロル。
「最低だよ」
最低なのは俺だって言い返せよ。
お前が怒ってくれねーと、謝れないだろうが。
ちゃんと否定してくれないと、優しくできないだろうが。
いつもみたいに、嘘でもいいから。俺の勘違いだって言ってくれよ。
「仕方ない……よ」
だけど。
「仕方なかったんだよ」
ようやくフロルの口から出てきた言葉は最悪なもので、俺は耳を疑った。
「は? 仕方ないって何? 意味、分かんないんだけど」
俺の声が震える。フロルは相変わらず顔を上げないから、表情が読めない。
「フロルね、どうしてもタキにちゃんと、元気になって欲しかったんだよ……」
フロルの声は俺以上に震えていて、さっき以上に泣いていた。
「だからって、間違ってるだろうが。やり方が」
「でも、仕方なかったんだよ」
「だから、仕方ないって何がだよ!」
「不安で仕方なかったんだよ!」
フロルがバンッと両手を地面についた。
「タキが倒れたり苦しくなったりする度に死んじゃったらどうしようって不安だったんだもん! 確かに原因には気づいてたけど、それでも不安は消えなかったんだよ! 死なない保障なんてどこにもないじゃない!」
「…………」
俺は何も返せなかった。フロルはさらに泣き出す。まるでディーみたいに。
「ずっと……不安だったんだよ」
自分の不安だけでいっぱいいっぱいだった。
フロルに心配ばっかかけて、世話を焼かれる自分が恥ずかしくて嫌で仕方なかった。
心配かけていただけじゃない。自分と同じ思いまでさせていた。
不安にさせていた。
「嘘だって思ってても、ほんの少しの可能性でもすがりたかった……。タキが元気になるなら、どんな事でも耐えられるって思ったから……」
俺はしゃがんでフロルの肩に手を置いた。それでもフロルは顔を上げないから、俺はそのまま話しかけた。
「俺は元気になんてならない。フロルがそんな目にあったら、俺は元気になんてなれない」
「…………」
「不安にさせてて、なのに気づいてやれなくて本当にごめん。でも、俺はフロルにそこまでして欲しくないんだ」
「…………」
「俺、フロルを他の男なんかに触らせたくないんだよ」
「……なんで?」
「何でって、当たり前じゃん」
「あたりまえ?」
下を向いたまま聞いてくるフロル。
「だって……俺達付き合ってるのに、い、嫌に決まってるだろ。そんなの」
こんな恥ずかしい事言わせんなよって思いながら、俺はフロルの肩から手を下ろす。すると、フロルが少しだけ動いてその手を見た。
「付き合ってるから、フロルが他の男の人に触られるの嫌なの?」
「そ、そうだよ」
「……タキも?」
「は?」
「タキもフロルには触りたくない?」
「何言ってんだよ? そんなわけ……」
「だって、タキはフロルに何もしてくれないもん。その事だって不安だったんだよ!」
フロルが拳を握りしめて、さらに頭を垂れてうつむいた。
「もっと恋人同士みたいな事して欲しいのに、キスはダメって言うし、ハグしかしてくれないし。タキにとってはフロルとの愛情表現なんて別にどうでもいい事なんだって。だから、今回の事だって、タキにとってはたいした事じゃないんだって。そう思ったから……だから、フロルは……」
そこまで一気に吐き出して、フロルはまたわんわん泣き出した。俺は今度はフロルに触れられずに、ただその姿を見ていた。
「何とか言ってよ」
「…………」
「タキ……」
「…………」
「どうして何も言ってくれないの? タキは、フロルの事好きじゃないの?」
「す、好きだよ!」
思いの外大きな声を出してしまって、自分でも驚いて口に手を当てた。フロルがぐずぐずと泣きながら、ようやく顔を上げる。
「す、好きに決まってるだろ? だから、俺は、フロルを大事にしたくて……」
「大事に……?」
「そうだよ。だって、俺達十五だぞ」
「もう十五だよ?」
「まだ十五なんだよ。何より、まだ俺がガキすぎるんだ」
俺は恐る恐るフロルの両肩に手を置く。二人の視線がようやくぶつかった。
「俺、他の男がフロルに触るのも嫌だけど……自分がフロルに触れるのも怖いんだよ」
「……どうして?」
「大事にしたいからだよ。俺、馬鹿だしガキだし、お前の事傷つけそうで怖いんだ」
フロルの真っ直ぐな視線に耐えられなくて、今度は俺が俯く。
「本当にさ、お前だけは大事に大事にしたいんだ。絶対に壊さないようにめちゃめちゃ大切にしたいんだよ」
もう絶対に顔を上げられない。だけど、きっと耳まで真っ赤でバレバレだ。
「タキ……ありがとう。フロル、嬉しい」
「お、おう」
フロルの声が、いつものあいつの声に戻った。それを聞いて、俺の体からやっと力が抜ける。
「でも、大丈夫だよ。タキなら安心だもん。それに、フロルは頑丈なのでちょっとくらい乱暴にされても壊れません」
「ら、乱暴になんかするわけねーだろ。だからお前そういう事言うなって」
顔を上げて、でもフロルの方は見ないようにして斜め下を見る俺。フロルはそんな俺の視界に、体を傾けて強引に割り込んで来る。
「タキ、顔真っ赤」
「う、うるせーな! 見るなよ!」
俺はバッと立ち上がって顔をこすった。フロルも立ち上がり、そんな俺の手にそっと触れる。
何も考えられなくなった。
でも、目はちゃんとこの光景を映してる。
ごく普通の部屋だった。テーブルがあって、ソファーがあって、クローゼットがあって、ベッドがあって。
カーテンが引かれていて、薄暗くて。
普通じゃないのは、その状況。リサが一直線に医者に向かって歩いていくのが見えた。胸ぐらを掴んで、多分何か怒鳴ってる。俺は、そんな二人のそばに立っているフロルにゆっくり近づいた。
フロルが泣いている。涙を流しながら俺を見ている。
そんなフロルの足元にはあのリュックが転がっていて、フロルの服のボタンは外れていて、俺を見て止めたその手は、確実に自分からボタンを外してる途中で。
俺はただこの場にいたくなかった。どうしても早くフロルを連れ出したかった。
俺はフロルの手を掴んで飛び出した。すぐに駆けつけてきたカモメさんとナギとすれ違ったけど、何か言っていた気もするけど、そんなの構わずに廊下を走り続けた。
そして病院から出て庭を突っ切る。
ようやく音が戻って来た。すぐ後ろから聞こえるフロルの声。門の所に着いた時、腕が後ろに引っ張られるのを感じて振り返った。
フロルがペタンとその場に座っている。繋いだ手に力は入ってなくてスルリと落ちる。フロルは両手で顔を覆いながら泣く。そんなフロルを俺は見下ろしながら突っ立っているだけ。
『特別な検査が必要で……それにはまだかなりの費用が必要でね……』
さっきまで聞いていた医者の話がよみがえる。
『とりあえず、君次第ってところかな』
俺は馬鹿だからすぐには意味が分からなくて。でも、フロルが泣いてるような声も聞こえていて、まずいっていうのは分かってたはずなのに。
フロルの格好を見て、ようやく事態を飲み込んで、最初に感じたのは、怒りだった。
「……何やってんだよ、フロル」
俺の声は届いているはずなのに、フロルは何も答えずに肩を震わせて泣き続ける。
「何とか言えよ! 自分が何しようとしてたか分かってんのかよ!」
泣いているフロルに、俺はただ怒鳴り続けた。
「馬鹿かよお前は! 何あの医者の言いなりになってんだよ!」
馬鹿は俺なのに。
馬鹿でガキな俺は、ナギのように優しく抱きしめてやれない。カモメさんのように優しい言葉をかけてやる事もできない。リーダーのように優しく受け止める度量もない。
男としても、仲間としても、今最低な事をしている。
「俺はそこまでして貰ってまで治りたいなんて思ってねーよ! つーかマジで馬鹿だろ! 明らかに騙されてるだろ! 何で、何でそんな事も分かんねーんだよ!」
口が止まらない。フロルの泣き声をかき消すように喚き散らす。
「フロル! 何とか言えよ!」
いや、フロルのじゃない。自分が泣いていることを気づかれない為にだ。
「ふざけんなよ、マジで……。信じられねーよ」
袖で涙を拭う。
「お前がそんな事平気でする奴だとは思わなかったよ」
どうして何も言い返さないんだよ、フロル。
「最低だよ」
最低なのは俺だって言い返せよ。
お前が怒ってくれねーと、謝れないだろうが。
ちゃんと否定してくれないと、優しくできないだろうが。
いつもみたいに、嘘でもいいから。俺の勘違いだって言ってくれよ。
「仕方ない……よ」
だけど。
「仕方なかったんだよ」
ようやくフロルの口から出てきた言葉は最悪なもので、俺は耳を疑った。
「は? 仕方ないって何? 意味、分かんないんだけど」
俺の声が震える。フロルは相変わらず顔を上げないから、表情が読めない。
「フロルね、どうしてもタキにちゃんと、元気になって欲しかったんだよ……」
フロルの声は俺以上に震えていて、さっき以上に泣いていた。
「だからって、間違ってるだろうが。やり方が」
「でも、仕方なかったんだよ」
「だから、仕方ないって何がだよ!」
「不安で仕方なかったんだよ!」
フロルがバンッと両手を地面についた。
「タキが倒れたり苦しくなったりする度に死んじゃったらどうしようって不安だったんだもん! 確かに原因には気づいてたけど、それでも不安は消えなかったんだよ! 死なない保障なんてどこにもないじゃない!」
「…………」
俺は何も返せなかった。フロルはさらに泣き出す。まるでディーみたいに。
「ずっと……不安だったんだよ」
自分の不安だけでいっぱいいっぱいだった。
フロルに心配ばっかかけて、世話を焼かれる自分が恥ずかしくて嫌で仕方なかった。
心配かけていただけじゃない。自分と同じ思いまでさせていた。
不安にさせていた。
「嘘だって思ってても、ほんの少しの可能性でもすがりたかった……。タキが元気になるなら、どんな事でも耐えられるって思ったから……」
俺はしゃがんでフロルの肩に手を置いた。それでもフロルは顔を上げないから、俺はそのまま話しかけた。
「俺は元気になんてならない。フロルがそんな目にあったら、俺は元気になんてなれない」
「…………」
「不安にさせてて、なのに気づいてやれなくて本当にごめん。でも、俺はフロルにそこまでして欲しくないんだ」
「…………」
「俺、フロルを他の男なんかに触らせたくないんだよ」
「……なんで?」
「何でって、当たり前じゃん」
「あたりまえ?」
下を向いたまま聞いてくるフロル。
「だって……俺達付き合ってるのに、い、嫌に決まってるだろ。そんなの」
こんな恥ずかしい事言わせんなよって思いながら、俺はフロルの肩から手を下ろす。すると、フロルが少しだけ動いてその手を見た。
「付き合ってるから、フロルが他の男の人に触られるの嫌なの?」
「そ、そうだよ」
「……タキも?」
「は?」
「タキもフロルには触りたくない?」
「何言ってんだよ? そんなわけ……」
「だって、タキはフロルに何もしてくれないもん。その事だって不安だったんだよ!」
フロルが拳を握りしめて、さらに頭を垂れてうつむいた。
「もっと恋人同士みたいな事して欲しいのに、キスはダメって言うし、ハグしかしてくれないし。タキにとってはフロルとの愛情表現なんて別にどうでもいい事なんだって。だから、今回の事だって、タキにとってはたいした事じゃないんだって。そう思ったから……だから、フロルは……」
そこまで一気に吐き出して、フロルはまたわんわん泣き出した。俺は今度はフロルに触れられずに、ただその姿を見ていた。
「何とか言ってよ」
「…………」
「タキ……」
「…………」
「どうして何も言ってくれないの? タキは、フロルの事好きじゃないの?」
「す、好きだよ!」
思いの外大きな声を出してしまって、自分でも驚いて口に手を当てた。フロルがぐずぐずと泣きながら、ようやく顔を上げる。
「す、好きに決まってるだろ? だから、俺は、フロルを大事にしたくて……」
「大事に……?」
「そうだよ。だって、俺達十五だぞ」
「もう十五だよ?」
「まだ十五なんだよ。何より、まだ俺がガキすぎるんだ」
俺は恐る恐るフロルの両肩に手を置く。二人の視線がようやくぶつかった。
「俺、他の男がフロルに触るのも嫌だけど……自分がフロルに触れるのも怖いんだよ」
「……どうして?」
「大事にしたいからだよ。俺、馬鹿だしガキだし、お前の事傷つけそうで怖いんだ」
フロルの真っ直ぐな視線に耐えられなくて、今度は俺が俯く。
「本当にさ、お前だけは大事に大事にしたいんだ。絶対に壊さないようにめちゃめちゃ大切にしたいんだよ」
もう絶対に顔を上げられない。だけど、きっと耳まで真っ赤でバレバレだ。
「タキ……ありがとう。フロル、嬉しい」
「お、おう」
フロルの声が、いつものあいつの声に戻った。それを聞いて、俺の体からやっと力が抜ける。
「でも、大丈夫だよ。タキなら安心だもん。それに、フロルは頑丈なのでちょっとくらい乱暴にされても壊れません」
「ら、乱暴になんかするわけねーだろ。だからお前そういう事言うなって」
顔を上げて、でもフロルの方は見ないようにして斜め下を見る俺。フロルはそんな俺の視界に、体を傾けて強引に割り込んで来る。
「タキ、顔真っ赤」
「う、うるせーな! 見るなよ!」
俺はバッと立ち上がって顔をこすった。フロルも立ち上がり、そんな俺の手にそっと触れる。
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