DEAREST【完結】

Lucas

文字の大きさ
上 下
130 / 221

第128話 BELL

しおりを挟む
 こんなに泣いたのはいつ以来だろう。
 ああ、そうだ。まだつい最近だ。
 ジュジュの死を知った日だ。
 あの時は、どうやって立ち直ったんだっけ? たくさんたくさん悲しむ時間はあった。どうやって悲しみを乗り越えたんだっけ? 分からない。
「ジュジュ……」
 声に出して呼んでみる。「あ?」なんて、感じの悪い返事が聞きたくて。
 お前の言ってる事は難しいなんて文句を言いながらも、何でもぼくに聞きに来るおかしなジュジュが、字も読めない、数もロクに数えられない馬鹿なジュジュが、おでこをくっつけて熱を測ろうとする無防備なジュジュが、いとしくて、可愛くて、何があっても、絶対一緒にいてくれたジュジュが。
「大好きだったよ、ジュジュ」
 コンコンと、突然聞こえてきたノックの音に慌てて扉から離れる。
「……ベル?」
 お兄さんだ。ぼくは立ち上がってそっと鍵を開けた。
「入ってもいいのか?」
「いいから開けたんだよ」
 そう言うと、お兄さんはかなり遠慮がちに入って来た。ぼくはまたすぐに鍵をかける。
「お前が部屋から出てこないと聞いて」
「船長さんとのお話は?」
「まだ難航中だ」
「ふーん」
 ぼくはベッドのそばの床に座って、そのままもたれかかった。
「ベル、何かあったのか?」
「何かあったのを聞いたから来たんでしょ?」
 真っ赤な目を見られないように、目を逸らしたまま顔を膝にうずめる。
「ディーと何かあったとしか。本人は何も言わないし、タキとフロルの話は要領を得ない。そして、リ……サからお前がここにいると聞いた」
「何で今リサちゃんの名前呼ぶのためらったの?」
「まだ何と呼べばいいか本人に確認していない」
 お兄さん、本当に相変わらず真面目だな。
「それで、ディーと何があったんだ?」
「何にもない。扉の前にいたから……どかせようと思って手掴んだら……何かすっごい怖がりだして」
「あ」
「え? 何?」
 顔を上げると、お兄さんが隣に座った。
「お前には言ってなかったな。ディーはつい最近酔っ払いに暴力を振るわれたばかりで、おそらくそれを思い出したんだろう」
「ぼくは酔っ払いじゃないよ」
「よほど怖い思いをしたんだ。何かのきっかけでその時の記憶が蘇る場合がある」
「そっか、じゃあこれからは気をつけるよ。ごめん……」
「ああ、まあ今はナギがついてるから大丈夫だ」
 隊長さん戻って来たんだ。
「心配していたぞ」
「……隊長さんディーの事大好きだもんね。ぼくの事嫌いになったかな?」
「いや、お前の事をだ。ナギだけじゃなくみんな心配している」
「……タキとフロルも?」
「ああ」
「ディーも?」
「ああ」
「…………」
「ベル、何か思う事があるなら話して欲しい。俺に言いにくいのならナギと選手交代する」
 選手って……。お兄さん真顔だから冗談なのか何なのか分かりにくい。
「……お兄さん、じゃあ聞いていい?」
「ああ」
「ジュジュもハロースカイにいたんだよね? お兄さん達は、どうやってジュジュの死を乗り越えたの?」
「………」
「ぼくは、ぼくは悲しむ時間がたくさんあったし、ジュジュの事を忘れずに全部心に刻んだ」
 ぼくはやっぱりお兄さんの言葉を待たずに話し出す。
「だけど、何だか急に、どうしようもなくなって」
 枯れてしまいそうなくらい、涙が止まらない。
「どうやって、この悲しみを乗り越えたらいいか、分からなくなって。帰りたい……帰りたいよ、お兄さん」
 話し出せば涙と同じように言葉が止まらない。
「ここは嫌だ。みんな、今のぼくを見てくれない。ぼくはカモメなんかじゃない!」
 『カモメ』。
 当たり前のように別人の名前を呼ばれる違和感が、余計にぼくを追いつめる。
「ジュジュのいる路上に帰りたい。ジュジュに会いたいよ!」
 全部吐き出して、何だかこんなのぼくっぽくないななんて急に冷静になって、大きくため息をついた。勝手に泣いて勝手に喋って勝手に疲れた。最終的に出てきた言葉が「ジュジュに会いたい」だ。
 何も乗り越えられてないじゃないか。
 お兄さんの顔が見られなくて、また顔を膝にうずめた。
「……ベル、俺はジュジュの死を乗り越えていない」
 そんなお兄さんの言葉に、またすぐに顔を上げる事になる。
「え?」
「…………」
 少しの間。今度は待つ。
「ベル、俺にはユズという名の恋人がいた」
「え?」
「ユズは、ジュジュと同じ日に同じ場所で死んだ」
「…………」
「俺はユズの死も乗り越えていない」
 お兄さんの横顔は、遠くを見ていなくて、誰かを見ているような目だった。
「死は、乗り越えられるものじゃないと思う」
「……じゃあ、お兄さんも泣いたりする? 悲しくなる?」
「俺は泣かない。ユズが死んでも泣かないと約束をしたから」
 お兄さんの手が動いて自分の首もとへ。ペンダントが静かに鳴る。
「ユズの死は、ジュジュの死は、乗り越えて、置いて来てしまっていいものじゃないと思う」
 お兄さんの言葉が続く。
「乗り越えていいのは、乗り越えるべきなのは悲しみだけでいいと思うんだ」
「悲しみだけ?」
「ああ」
「お兄さんは恋人が死んだ悲しみを乗り越えられたの?」
 お兄さんは頷く。
「どうやって? どうやって乗り越えられたの? ぼくは、どうしても乗り越えられないんだよ……」
 すがるように聞く。お兄さんは前とは変わらないのに、遠く感じる程に大人に見えた。
 お兄さんは十三歳じゃなく十八歳で恋人がいた。悲しみを乗り越えられた。
 ぼくは十二歳じゃなくて十七歳。
 ぼくの知らない五年間は、ぼくに悲しみを乗り越えさせてくれない。
 お兄さんはゆっくりとこっちを見た。
「お前が一人で乗り越えようとするからだ」
「……一人で?」
「俺は、ディーとタキとフロルと共に悲しみを乗り越えた。この先も、共に生きていきたかったから。だから、みんなで心に刻んだ。ユズとジュジュを。一緒に生きていく為に。お前が嫌だと言ったこの『場所』で、俺は悲しみを乗り越えたんだ。みんながいてくれたから、乗り越えられたんだ。今のみんなは、確かにお前の記憶にいない。でも、昔のみんなを知らなくても一から出会い直す事になっても、それでもいいんじゃないか?」
 いつの間にか涙は止まり、お兄さんの話に耳を傾ける。
「思い出がなくなっても、みんなはみんなだ。ディーはディーだ。ベルはベルだ。そのまま、また愛せばいい。記憶じゃなく心で。きっと、またみんなの事を好きになる。ジュジュが愛した仲間だから。そして、みんなで乗り越えよう」
 お兄さんはそう言ってぼくに手を差し出す。
「……何?」
「仲直りの握手だ」
「……ぼくとお兄さんがしても仕方なくない? 喧嘩してないのに」
「確かに」
 手を引っ込めるお兄さん。本当に、冗談なのか何なのか分かんないや、この人。
「可笑しいか?」
 笑ってしまったぼくに尋ねる。
「可笑しいよ」
「そうか」
 お兄さんも笑う。
「一から出会い直す。はじめまして、からでいいの?」
「ああ」
「ぼくは十七歳のカモメじゃないよ?」
「ああ。十二歳のベルだな」
「うん。ぼくはまだ大人になりたくない」
「…………」
「何か可笑しい?」
 笑ったお兄さんに尋ねる。
「いや、俺はまったく逆の事を言ったのを思い出したんだ」
「大人になりたかったの?」
「ああ、ユズを守りたかったから」
「……大人じゃないとできないの?」
「大人になればできると思っていた。ユズの面倒を一生見ていきたいから。でも、自分が子どもなのを言い訳にしていたに過ぎなかった。大人と子どもに境界線なんてないと思う。何歳から大人かなんて今も分からない。だから、お前が十二歳だといえば、お前は十二歳だ。お前の心がそうなら、それが正解なんだと思う」
 ぼくの目には、そう話すお兄さんが大人に見えた。
 今のぼくを否定しないこと、一緒に乗り越えようと言ってくれたこと。大人を求められなかった事。全部が嬉しい。
 冷たい眠りから目が覚めて、ぼくはすぐに『十七歳のぼく』として周りから扱われ、誰にも優しくして貰えなかった。まあ、隊長さんは別だけど。
 だけど、今さら身に染みる。
 優しくして。
 ああ、言いたくなるよね。まだ子どもなんだからって、言いたくなるよ。
 十二歳と十七歳。ベルとカモメにこだわっていたのは、紛れもなくぼく自身。そして、ジュジュを逃げ場にしようとしたのもぼく自身。
「……いいのかな? ぼくは今からみんなと仲間になれる?」
「ああ」
「一緒に乗り越えてくれる?」
「ああ、お前は一人じゃない」
 怖くないと言えば嘘になる。だけど、ぼくはお兄さんに背中を押されるようにして部屋を出た。そして、すぐ隣の部屋の扉をゆっくり開ける。
 みんながぼくを見ていて、『ベル』を心配してくれていて、そんなみんなを見渡してから、とある一人に手を伸ばす。仲直りの握手。それに。
「ぼくは、ベル十二歳です。ちゃんとみんなと、一から仲良くしたいです」
 はじめましての握手。一からの出会い。みんなは笑顔で応えてくれて、目の前の人物は、その小さな暖かい手でぼくの手を握ってくれた。
「よろしくね、ディー」
 ジュジュの愛したものは、きっとこの笑顔だ。
しおりを挟む

処理中です...