DEAREST【完結】

Lucas

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第106話 RISA

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 そんな日々がしばらく続いていた時。
 わたしは、だんだんと体調を崩すようになった。
「王妃様、お加減はいかがですか?」
 ユシアの声だ。わたしは目を開ける。ベッドに横になるわたしを、ユシアが心配そうに見ている。
「んー……だるい」
「少しでも何か召し上がられた方が……」
「食欲ない」
「では、お茶はいかがですか?」
 ハーブの香りに癒される。わたしはゆっくりと体を起こした。
「じゃあ、お茶だけ貰う」
 ユシアはニッコリ笑ってお茶を淹れてくれた。ここ最近こんな感じだ。頭痛いし、だるいし、食欲ない。かといって熱もないし、医者にかかるほどではないかなって。
「美味しいよ、ありがとう」
 お茶を飲むと色々思い出す。ジュジュの入れたお茶はまずかったなーとか、フロルのお茶が一番おいしかったなとか。
 あ、そうだ。今日もベルと書庫に行く約束してたんだった。
「ユシア、わたしちょっと出て……」
 カップを置こうとした手。そのまま力が抜けて、ガシャンという音がした。
「王妃様!」
「あ、ごめん。カップが……」
「そんな事より大丈夫ですか?」
「うん。ちょっとめまいがしただけ……」
 急に動いたからかな。書庫に行くのはちょっと厳しいかも知れない。でも、すっぽかしたらあいつ怒るだろうな。最近体調悪いって事は話してあるけど、拗ねそうだしな。仕方ない。
「なあ、ユシア。ちょっとお願いがあるんだけど」
「はい」
 カップの破片を拾いながら、ユシアが顔を上げる。
「最近よく一緒に散歩してる兵士いるだろ? あいつが薔薇園で待ってるから、今日は行けないって伝えて欲しいんだけど」
「それは構いませんが……」
 歯切れの悪い返事をするユシア。まあ、何となく言いたい事は分かるけど。
「いくら兵士といえど、あまり男性と二人きりになるのは……」
 結婚してるのに、だろ? だけど、わたしはあいつの事を夫だと思った事は一度もない。
「そんなんじゃないから安心しろって。色々外の話を聞かせてもらってるだけだから」
「そうですか……。かしこまりました」
 ユシアはそう言って部屋を出ていく。ユシアとはもうちょっと仲良くなってジュジュの事とか話したりしたかったのにな。やっぱりよそよそしいというか。いや、あれで普通なのか。ジュジュやベルが変わってるんだよな。
「はあ」
 わたしはベッドに横になる。眠い……。
『いい夢見ろよ』
 無理だよ、ジュジュ。わたしは、夢の中でも救世主なんだから。


 どれくらい眠っていただろうか。騒がしい声に目を覚ます。
「離して!」
「ユシア?」
 部屋の中に飛び込んで来たのは、ユシアとベル。
 ユシアは後ろ手をベルに拘束されている。一体、何だよこの状況。
「王妃様、具合はどう?」
 そして、普通に話しかけて来るベル。わたしはわけが分からなすぎてすぐに返事ができない。
「この香り……やっぱり」
 ベルの視線を辿ると、さっきユシアが用意してくれたティーポットがそのままにしてあった。
「いい加減にして下さい! 人を呼びますよ!」
「呼んで困るのはそっちでしょ? そこに証拠もあるのに」
「…………」
 ユシアが唇を噛む。
「ベル……何を言ってるんだ?」
「最近の王妃様の症状を聞いて、色々調べてみたんだよ」
「調べたって何を?」
 きっと髪も服も乱れたままだ。ベッドの上で、わたしは間抜けな顔で話を聞いているのだと思う。
「とある毒草の中毒症状」
「毒……?」
「厳重警備の中、食事に毒を盛るのは難しそうだよね。そして、王妃様からよく聞くお話を思い出しました」
 ベルは淡々と言葉を吐き出す。
 続きを聞きたくない言葉を。
「ユシアのハーブティーのお話。でもまあ、安心して。その様子じゃ致死量じゃないみたいだし。飲み続ければやばかったけど。ね? 王妃様。医学書読むのも警備になったでしょ?」
 だから、褒めてってか? 子どもみたいに期待した目で残酷な言葉を紡ぐ。
 ユシアをわたしが信用していたって事知ってるはずなのに。
 何でそんな事ズバズバ言うかな。
 だけど、ベルを責めるのはまったくもってお門違い。
「ユシア……」
 わたしはユシアの目を見る。ユシアの目は普段とは全然違っていて、そこには憎しみしかなくて。
「だって、あなたのせいじゃない! ジュジュが死んだのはあなたのせいよ!」
 わたしはまだ名前しか呼んでないのに、何も聞いていないのに、ユシアは語るに落ちた。とんでもないフレーズを含んで。
 ベルの表情が固まった事に気づく。
「なのに、あなたはなに食わぬ顔で、平然と贅沢な暮らしを続けている! 夫をないがしろにして若い兵士とお喋り? 大概にしてよ! しかも、私を指名? ジュジュからよく話を聞いていたから? どういう神経してるのよ? 私はジュジュの代わり? あなたにとって、メイドなんて代替品のようなものなのね!」
 頭の痛くなるような話だ。ジュジュの話の通りいい人だな。
 いい人すぎて恨まれてた事に気づかなかったよ。
 本当に、もう嫌になるよ。
 その時、廊下から足音が聞こえた。まずいな、騒ぎを聞きつけられたみたいだ。
「王妃様! 何事ですか?」
 使用人達の今さらのご登場だ。随分早いお着きで感心するね、まったく。
 さてと、わたしの呪いの言葉の出番だ。
「あ、お前らいい所に来たな。この女、クビ」
 わたしは、いまだ茫然としたままのベルに捕まれたユシアを指さした。
「え……?」
「飽きた。話つまんねーし。また前みたいに教団のメイド長に戻しておいて。今すぐ。やっぱダメだなー、お堅い奴は。お前は教団でせかせか働いてるのがお似合いだよ。なあなあ、今メイド長してる奴って誰ー?」
 わたしは使用人の一人に話しかける。
「え? あ、あのエルゼという者が……」
「ふーん。じゃあ、そいつをユシアの代わりに連れてきて。交代。ま、飽きたらまた代えるけど」
 初めてわたしが城に来た日。王子に暴言を吐きまくったわたしをみんなは知っている。この程度の横暴は、誰も不思議に思わない。悲しい事に。
 いやー、第一印象って大事だね。
「やっぱジュジュが一番だったかなー。あいつ馬鹿で扱いやすかったし」
 足を組むわたしを、ユシアは睨みつける。
「あいつの代わりなんていねーよな……。絶対に」
 そんなユシアの目から、涙が零れた。
「ほら、さっさと連れてけよ。メイドは仕事が多くて大変なんだろ? んじゃ、後はよろしくー」
 使用人達は、泣き崩れるユシアを支えるようにして部屋から出ていった。
 パタンと扉が閉まり、静寂が戻って来る。
 これでいい。
 ユシアは、暴君救世主の振る舞いに耐えられなくなった被害者だ。
「……ねえ、王妃様」
 ベルが沈黙を破る。忘れ去られたようにポツンと立っていたベル。
「何?」
「あの人が言ってたジュジュは、ぼくの知ってるジュジュの事かな?」
「……ああ、そうだよ。お前のキョウダイのジュジュだ」
「へー」
「ジュジュは、あの襲撃事件の日に……」
「そうなんだ」
 わたしはゆっくり立ち上がってベルに近づく。声に温もりはないけど、頬に伝う暖かい涙をわたしは指で拭ってやった。
「黙っててごめん」
「ううん」
「ジュジュは、最高にいい奴だった」
「それぼくも知ってるし」
「そうだな。お前の方がよく知ってるだろうな」 
 ベルの涙は止まらない。
「悲しくて胸が張り裂けそうです」
「……ベル」
「ごめんなさい……」
「え?」
 わたしより先にその言葉を口にするベル。ベルは再び呟く。ごめんなさい、ジュジュと。
「何でお前が謝るんだ?」
「ぼく達近衛軍がもっと早く戻って来ていれば、ジュジュは死ななかったかも知れない。外なんかに出てなければ」
「それは違う。お前のせいじゃねーよ」
「ぼくのせいだよ。だって、あの時だって」
「あの時?」
「ぼくが、街を出なければ、リサさんを……救えたかも知れない」
「リサさん……?」
 胸がざわついた。わたしの事を言ってるんじゃないってすぐに分かったから。
「『リサさん』? 誰それ?」
「いや、今お前が言ったんじゃん」
 わたしがそう言うと、ベルは頭を抱えた。
「んー、また何か思い出せそうだった」
「そっか」
「あれ? そういえば王妃様の名前もリサだね」
「うん」
「ああ、そっか。だから『リサ』か」
 一人でうんうんと頷くベルは、ゴシゴシと自分で涙を拭いた。
「ベル?」
「ごめんね、王妃様。少し悲しむ時間を下さい」
「うん」
「ぼくにとって、大切な、大切すぎる命だったから。立ち直るのに時間がかかるかも」
「……うん」
 ベルはわたしに背を向けて扉へと歩く。
「ベル、薔薇園にジュジュの墓があるから」
 その背中に声をかけると、ベルは少しだけ頷いた。そして、振り向かずに言った。
「しばらく、安静にしていれば大丈夫だよ。これ以上摂取しなければ、症状が進む事はないから」
「そうする。ありがとう。お前、医者になれそうだな」
「それもいいかもね」
 扉は、再びパタンという音を立てて閉じた。
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