DEAREST【完結】

Lucas

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第69話 ZIO

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「お帰り……って、ずぶ濡れじゃないか! 大丈夫かい?」
 先生は俺の姿を見て目を丸くした。だが、今はそれよりも。
「大丈夫です。それよりユズは……」
「ああ、大丈夫。目を覚ましたよ」
 それを聞いて俺はすぐに二階へと駆け上がった。そしてユズの病室の扉を勢い良く開けた。
「わ、ビックリしたー。何なんよー」
 ユズは起き上がってベッドに置いたクッションに凭れて座っていた。
「びしょびしょやん。どこ行ってたん?」
 そしていつも通りの笑顔で俺に手を伸ばす。その姿に安堵したが、あんまりな自分の姿が気になって近づけない。
「何してん? タオル貸したるからはよ拭きー」
 ユズはベッドの隣にある引き出しに手を伸ばす。
「いや、いい」
「風邪引くやろ。はよしい」
「……ああ」
 ユズの気迫に圧され俺は渋々タオルを受け取る。
「……何かあったん?」
 大きなクッションにゆったりと体を預けたままユズは俺を見上げた。
「何も」
「嘘つきなや。そんな泣きそうな顔して」
 泣きそう? 俺が?
「もしかして聞いた? わたしの体の事」
 髪を拭く手が止まりユズはふっと笑った。
「分かりやす。わたし、歩けるようになるんかなぁ?」
「……手術を受ければ治ると聞いた」
「手術受けれたら……やけどな。自分でも分かるもん。わたしの体、もてへんかもって……」
 ユズは自分の体を抱きしめるようにしてそう言った。
「……大丈夫だ」
「簡単に言わんといて。もしかしたら、もう帰られへんかもなぁ」
「……帰る? ユズは手術が終わったら国に帰るのか?」
「うん、まあ……そうなると思う。店残して来てるし……わたしだけ残るわけにもいけへんし」
 本日二度目の衝撃だ。何も考えていなかった。ユズはずっと首都に住むものだと思っていた。
 自分の中で嫌な感情が渦巻く。手術を受ければユズは助かる。だけど、どちらにせよもう会えなくなる。自分のした事はこれで本当に正しかったのか。
 いや、ユズが助かるんだ。だったら正しいに決まっている。なのに、この気持ちは何なんだろう?
「ジオ?」
 俺には、ユズを引き止める権利も勇気も力もない。
 ユズと離れたくない。だけど、今の俺は自分が生きていくだけで精一杯だ。
 ユズの面倒は俺が一生見てやる。だから、俺と一緒にいて欲しい。そんな風に言えたらどんなにいいか。
「ジオ……何で泣いてるん?」
 そう言われて、俺は自分の頬に触れた。
「雨だ」
「部屋の中で降るわけないやろ。ちょっとここ座り」
 ユズはベッドをポンポンと叩いた。
「汚れるぞ」
「シーツはまた洗えばいいねん。いいからはよ座り」
「……しかし」
「はよしろや」
「はい」
 俺はベッドに腰掛けた。下水道を通ったせいで臭いが気になったので少しユズから離れて座る。
「『自分の感情を表現するのが苦手』。先生があんたの事そう言ってた」
 ああ、そういえばそう言っていたな。
「わたしは思ってる事すぐ口に出ちゃうタイプやからさー、腹立つ事も、弱音も。だから、今日はあんたの思ってる事聞いたるわ。泣くほどつらいなら、全部吐き出し」
「そう言われても」
「そうやってグダグダ言わんと、余計な事何も考えずに思った事言って」
「思った事……」
「何で泣いたん?」
「俺は……」
「ん」
「……ユズ、俺は」
「うん」
「大人になりたい。今すぐに」
 何も考えず。そう言われて出てきた自分の言葉に驚いた。あまりにも馬鹿みたいな、子どもじみた言葉に。 
「大人?」
 きょとんとしたユズを見て、さらに恥ずかしくなった。
「な、何でもない! 今のは忘れてくれ!」
 俺は慌ててユズから目を逸らす。馬鹿だ俺は。大人になれば何でも出来る。そんな子どもみたいな考えで、おかしな事を口走った。どうかしている。落ち着け、俺。
「……大人になりたい、かぁ」
 復唱しないでくれ、頼むから。
「んー……」
 ユズは俺の顔を覗き込もうとして体を横に倒す。
「あれ? 今日はペンダントしてへんね」
 俺はハッとして胸元を押さえた。城下町の事はユズには知られたくない。俺が勝手にした事だから。
「……ふぅん。なあ、もうちょいこっち来てや」
「い、いやそれは……」
「はやく」
「……わ、分かった」
「もっと」
「ユズまで濡れるぞ。それに……」
「溝にでも落ちたんか?」
 やはり臭っていたか。
「細かい事気にせんとはよこっち来て」
 ユズは俺が座っている方とは反対側に片手をつけと言う。俺は言われた通り腕だけユズを跨ぐ感じで手をついた。かなり距離が近い。そのまま向かい合う俺達。すると、ユズは俺の首に腕を回した。そして、ユズの唇が首筋に触れた。
「ユズ? 何をしてるんだ?」
「ちょっとじっとしてて。んー……うまく出来ん」
 何度もそうやって口をつけるユズ。時々チクッと痛みが走る。
「んー、あ! やっとついた!」
 ようやくユズの腕から解放された。俺は首筋に手を当ててみる。
「ついた? 何がだ?」
「キスマークに決まってるやん」
「…………」
「黙んなや」
「いや、何故突然それをつけようと思ったんだ?」
「大人に近づいた?」
 ユズはそう言って悪戯っぽく笑う。
「………」
「大人のやってる事真似したら、何かちょっと自分も大人になった気せえへん?」
「……そうだろうか」
「焦らんでもあんたは大人になる。いつか必ず」
「ユズもだろう?」
「わたしは……多分無理やから」
 ユズの声が小さくなった。雨の音に消えてしまいそうなくらい。
「……それ、わたしのしるし。消えても、わたしの事忘れんとってな」
 ユズはさっきつけたばかりの跡を指さした。
「それと、あんた涙似合わなすぎやからもう泣いたらあかん。わたしが死んでも泣かんといてな」
「ユズ、何を言ってるんだ?」
「いいから、約束して」
「ユズは死んだりしない。必ず治る」
 気がつくと、ユズの手を握りしめていた。
「……お願いやから泣けへんて約束して」
 ユズはそんな俺の手に自分の手を重ねた。
「……分かった。約束する。俺はもう泣かない」
 ユズは死なないから。だから、泣かない。
「……ありがとー」
 ユズがそうやって笑ってくれるなら、約束だって、何だってする。
 難しいが、自分の感情も上手く表現できるようになりたい。
「ユズ、今なら分かる。俺の、感情。お前となら目を合わせられる理由」 
 しっかりと、目を見つめる。
「俺は、お前に『惚れた』」
 ユズが好きだ。誰よりも。
「……ジオ」
「ああ。俺は『ジオ』だ」
「は?」
 共に過ごせる時間があとわずかだとしても、ユズが生きていてくれるなら……。
「ユズ、俺からも一つ頼んでいいか?」
 俺は『ジオ』として生きる。すべて失った。だけど、ユズにだけは知っていて欲しい。
「うん、何?」
「俺の名前は本当は『ジオ』ではない。だから、二人きりの時は……本当の名前で呼んで欲しいんだ」
「……ほんまの名前何て言うん?」
「『アラン』」


「リーダー! 聞いてます?」
「……え?」
「いや、だからそろそろ休憩しませんかってサイが」
 隠れ家を出て数時間。そうだ、魔物退治の為に『セイラン』という村を目指していた途中だった。ドロが不思議そうに俺を見上げている。
「もしかして歩きながら寝てたんちゃうー?」
 俺の隣には、自分の足でしっかりと立つ『ユカワ』がいた。
「……そうかも知れない」
「リーダーすごーい!」
 サイが手を叩いて笑う。穏やかな森の中。俺達は街道を外れて歩いていた。
「リーダーしっかりー! 今日はアンジュちゃんもちゃんとしっかり歩いてますよー!」
 少し前を歩いていたカモメが振り返る。その手の先にはディーの姿が。背中には『あの剣』をしっかりと背負っている。
 『ナギ』。あの日、初めてディーと出会った日、ディーははっきりと言った。『ナギが処刑された』と。
 ディーの剣を見て、俺はあの『ナギ』だと確信した。だが、いまだにお前が死んだだなんて信じられない。
 ナギ、お前はどんな道を進んで、何故そんな運命に辿り着いてしまったんだ?
『僕の、信じた道?』
 俺はもう騎士の道を歩んでいない。だが、いつかお前の信じた道を知る事が出来るだろうか。いつか、真実を。
『アラン、僕は……僕はね』
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