DEAREST【完結】

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第67話 ZIO

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「ユズちゃんと喧嘩でもしたのかい?」
「え?」
「最後喋らなかったろ?」
 夕食をとっている時、先生がそう質問して来た。スプーンを置いて少し考えて答える。
「……俺が怒らせてしまったようです」
「ほう、何かしたのかい?」
「いえ、ユズの言葉が分からなくて黙ってしまったせいかと」
「言葉?」
「はい。先生、『ほれた』というのはどういう意味なんでしょうか?」
 俺がそう聞くと、先生がスープをむせた。そんなに変な事を聞いたのだろうか。
「なるほどね。何となく事の次第が分かった気がするよ」
 先生は肩を震わせて笑った。俺は首を傾げる。
「悪い悪い。『惚れた』と言うのはね、ある特定の相手に好意を寄せたり、恋心を抱くという事だよ」
 何と。あの短い言葉にそんなに深い意味があったとは。
「君は誰かに『惚れた』のかい?」
 俺が誰かに?
「……分かりません」
 ユズは確かに特別ではある。でも、それが恋心を抱いているかと言えば……まだ確定できない気がする。
「君は真面目だね。それでいて、自分の感情を表現するのが苦手なようだ」
「…………」
「『こういう事』は思ったままの事を、そのまま相手に伝えてみるのがいいと思うけど」
「『こういう事』?」
「さてと、ごちそうさま。いつも遅くまで剣の鍛練をしているみたいだけどたまには早く寝るんだよ」
 先生はそう言って席を立ってしまった。


 次の日、とりあえず仲直りがしたくて俺はユズが来るのを待った。しかし、やって来たのはユズの父親だった。ユズは調子が悪いらしくしばらく往診にして欲しいという事だ。
「分かりました。先生に伝えておきます。あの、ユズは大丈夫なんでしょうか?」
「ん? ああ、いけるいける。ただ、付き添われへんから一人で来させんの心配やしな。あ、良かったら遊びに来たってなー。じゃ!」
 早口で聞き取れなかった。が、最後の部分は分かった。遊びに。つまり、見舞いに行っても大丈夫、という事だろう。
「……見舞いか」
 悩んだ結果、俺はその日見舞いに行かなかった。自分の気持ちに整理がついていない上、そのまま謝ってもまた怒らせてしまう気がした。だから、どうしても会いに行けずに数日が過ぎてしまった。
 そんなある日のことだ。その日は朝から曇っていて、気温もあまり高くない日だった。今日は先生は用事があるらしく午前は休診だった。
「君もどこかに出掛けてもいいよ。誰かのお見舞いとか」
 そう言って出掛けていく先生。それは……ユズの見舞いという事だろうか。答えの出せていない俺はあまり気が向かなかった。だが、ユズの容態が気になってもいた。この数日、何故か聞けず先生も何も言わなかったから。
 窓から外を眺める。そのまましばらく迷っていると数人の人が立ち止まったり通行人も振り返ったりと、何かを気にしている様子が目に入った。
 気になった俺は診療所から出てそこへ近づいてみる。そこにいたのは……。
「ユズ?」
 車椅子の上で前屈みになっていたユズがゆっくりと顔を上げた。俺は人波を押しのけてユズに駆け寄る。
「どうした?」
「疲れたぁ……。しんどいのに来させんなっつーねん」
 しゃがんで顔を覗き込む。やはり顔色が悪くつらそうだ。
「往診になったはずだが何故……」
「あんたが来えへんからやろ」
「俺?」
 その時ポツポツと雨が降ってきた。ここからだと送るより診療所に戻る方が早い。
「とりあえず診療所に行くぞ」
 ユズは黙って頷く。俺は診療所まで車椅子を押して行った。そして、すぐに奥からタオルと毛布を持って来てユズに渡す。ユズは窓の外を見ていた。雨はすでに本降りとなっている。
「……ありがとう」
 ユズはタオルで濡れた髪を拭いた。俺は毛布を広げてユズの膝にかける。
「寒くないか?」
「平気よ」
「でも、顔色が悪い」
「最近調子悪かったんよ……」
「先生を呼んで来る!」
「待て待て待て! 忙しないやつやな! 落ち着き!」
 またもや手を引っ張って止められた。相変わらず力が強い。
「いけるから」
「いける?」
「大丈夫って事。体もしんどかったんやけど、それだけじゃない……」
 ユズは俺の手をさらに強く引っ張った。かがめと言う事か? 俺はユズの前に膝をついた。
「何で一回もお見舞いに来てくれへんかったんよ……待っとったのに」
 ユズはタオルで顔を隠した。
「……見舞いに行っても良かったのか?」
「当たり前やん」
 ユズが顔を上げる。口元はまだタオルで隠したままだが今にも泣き出しそうな目をしていた。
「怒っていたんじゃないのか?」
「ん? あー……そっか。もしかして、それで会いに来んかったん? 気にしいやなー。じゃあほら、仲直り!」
 ユズが俺に手を差し出した。
「握手して! 仲直りの握手!」
「あ、ああ」
 ユズの細くて小さな手と握手をする。それだけなのに、ユズは嬉しそうに笑って手をぶんぶんと強く振った。こんなにもあっさりと仲直りが出来たという事に驚きが隠せない。そして、ユズにまた会えるという事。またこうやってユズの笑顔が見れるという事が嬉しくて仕方なかった。
 手放したもの、失ったもの。たくさんあった。でも。ユズだけは失いたくない。
「今、いい顔してるよ。そんな顔で笑えるんやね」
「え?」
「ジオ、わたしな……」
 そう言いかけたユズの、繋いだ手の力がすうっと抜けていく。
「ユズ?」
 横に倒れそうになったユズの体を受け止める。だけど、あまりに力のないその体に血の気が引いた。
「ユズ! しっかりしろ! ユズ!」
 さっきまで、あんなに強い力で俺の手を掴んでいたのに。たった今……自分の気持ちに気づいたのに。
「ユズ!」
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