DEAREST【完結】

Lucas’ storage

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第55話 JUJU

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「したいからするの。思い立ったら即行動よ!」
「その行動力で駆け落ちしたんだ」
「もう! 言わないでよー」
 リサさんは両手で顔を覆った。あたしらと同じように地べたに座るリサさん。リサさんの綺麗な服が汚れるのにってじっと見てしまう。
「私はジュジュちゃん達といたいからここにいるの。だって、楽しいんだもの」
「関わらない方がいいよ。リサさん、近所の奴らに悪口言われてたじゃん」
「陰口叩くような人達とジュジュちゃんなら断然ジュジュちゃん」
 リサさんは立てた膝におでこをつけた。結婚だってしてるし子どもだっているのに、まるで少女のような人だった。
「何か嫌なのよ」
「何が?」
「そういうおかしな世界が。よそから来た人を毛嫌いしたり、自分より一つでも何か出来ない子がいると見下したり」
「誰の話?」
「村長さん」
 うん。誰?
「お金を持っているかいないかで判断したり、自分達の気に入らない子と仲良くしてたら悪い噂流したり」
「それは近所のババアの話?」
「ご近所の厚化粧おばさまのお話ですわ」
 気取って言ってみせるリサさんに吹き出す。リサさんもクスクスと笑っていた。
「お城、城下町、下町。こんなに分かれてるのに、下町の中でもさらにみんなバラバラ。誰が決めたのかしらね? こういう……」
「おかしな世界?」
「うん」
「んー、仕方ないんじゃね? あたしらの中でもさ、やっぱ自然にそういう関係性は出てくるし」
「そうなの?」
「やっぱ強い奴が仕切るようになってくるんだよ。必要っつーか。誰かがまとめたりしないと、弱い奴は一人で死んじまうし」
「ふんふん」
「要は、力の使い方が違うってだけ」
「力?」
「強いから、守ってやろうって思うのか。強いから、支配してやろうって思うのか」
 あたしは四角い空を見上げた。雲の流れがやたら速い。
「なーんか、ジュジュちゃん大人!」
 リサさんは手を叩いて笑顔を見せた。
「そっかぁ、そうよね。じゃあ、この世界は偉い人達次第?」
「だな。馬鹿なお偉いさんには期待できねーけど。それか、力を持つか」
「私達が?」
 あたしは頷く。
 だって、あたしがこの国の王なら、こんな世界にはしなかった。
 あたしは目を閉じて想像する。そして、一つずつリサさんに説明した。
 お城、城下町、下町を隔てる壁を取っ払おう。まずはそこから。みんな平等に。
 それでも、あたし達は生き物だから。大人、子ども、男、女の力の差は変えられない。
 だから、力のある奴は力のない奴を守る。当たり前に助け合って生きていく。
「うんうん」
 リサさんが目を輝かせて真剣に聞いてくれるものだから、あたしも得意になってどんどん話し続けた。
 力の使い方を間違う奴。さっきリサさんが言った村長さんとか、厚化粧おばさまとか……あたしを買おうとした『悪い大人』達。そういう人達は、処刑。罰を与えて、世界から排除しちゃえばいいんだ。
 そこまで言ってリサさんの顔を見て、あたしの胸はズキンと痛んだ。リサさんは、とても悲しそうな顔であたしを見ていたから。
「リサさ……」
「お母さん、お腹すいたー! 帰りたいー!」
 その時、キョウダイ達と遊んでいた『ディー』が走って来てリサさんに飛びついた。
 リサさんの子ども。甘やかされて大事にされて育ったんだろうなっていう我が儘な子どもだった。
 いつもこうやってキョウダイ達やあたしとリサさんが楽しそうに話し出すと割り込んで来る。今日はちょっと助かったけど……。
 でもまあそうだよな。自分の親が他の子どもに入れ込んでたらいい気はしないよな。
 そして、リサさんはそんなディーにとことん甘かった。
「そうね、そろそろ帰ろっか」
 リサさんが立ち上がる。
 どうしよう、何か言わなきゃ。だって、嫌われたかも知れない。明日から、会いに来てくれないかも知れない。
「………リ」
「きゃあああああっ!」
「うわあああっ!」
 あたしの声が、悲鳴に掻き消された。何事かとあたし達は声がした方向を見る。たくさんの人間が大通りを駆けていくのが見えた。
「何があったのかしら……。行ってみましょう!」
「う、うん!」
 リサさんはディーを抱えて走り出した。あたしもすぐその後を追う。大勢の人間が血相を変えて城下町へ続く門の前に集まっていた。
「ま、『魔物』が街に入ってきた! 助けてくれ!」
「早くここを開けろ!」
「お願い! 中に入れて!」
 門はうんともすんとも言わない。あたし達の顔から血の気が引いていく。すると、リサさんは突然元来た道を引き返し始めた。
「リサさん! どこ行くんだよ?」
「下町にも自警団がいるわ。きっと今はその人達が魔物を食い止めてくれてるはず! だから、その間に子ども達を避難させるの!」
「はぁ? どこにだよ! 門は閉められてたじゃねーか!」
「『港』よ!」
 リサさんが少しだけ振り返ってそう言った。そして、また前を向いて言葉を続ける。
「『海』よ『海』! 魔物は水が苦手かもって、ベル君が言ってたじゃない?」
 『ベル』。今はもうここにはいないあいつ。名前さえ久しぶりに聞いた。
 突然、すごく突然、訳の分からない事を言って街を出ていったあいつ。みんなは、とうとう頭がおかしくなったって言ってたっけ。
「ベル……。あいつが言ってたなら確かだな。よし! みんなを港へ避難させよう!」
 いつもの路上に戻ってきたあたし達はすぐにキョウダイ達を誘導した。
「みんな! 港へ逃げるの! 早く!」
「とにかく走れ! 途中で止まるなよ!」
 キョウダイ達はみんな一斉に駆け出した。避難は完了。あとはあたし達だ。
 振り向いて、足がすくむ。動けない。だって、目の前にいたから。『魔物』が。
 初めて見るそれは『恐怖』しか感じさせない生き物で、どう見ても獣で、人間とは似ても似つかないのに、あのおっさんと同じ『恐怖』を感じさせて、あたしから自由を奪った。
 そして、魔物の牙があたしに迫る。
「ジュジュちゃん!」
 あの日とまったく同じ光景だった。あたしと『魔物』との間に揺れる金髪。ただ、あの日と違ってその金髪はすぐにあたしの視界から消えて真っ赤に染まって地面に倒れたんだ。
 リサさん、綺麗な服が汚れるよ。なんて馬鹿みたいな言葉が口から飛び出しそうになった。悲鳴よりも先に。
 もうあたしにはリサさんの姿しか目に入っていなかったけど、すぐに魔物が標的をまたあたしに戻したのは気配で分かった。
 駄目だ。今度こそ、あたしは死ぬ。そう覚悟を決めて目を閉じようとした瞬間、何かが横切った。
 魔物の体が真っ二つになった。あたし達の住んでいた路上に、さらに血の海が広がった。
 剣を降ろして、少しだけ振り返って横顔を見せたのは、あたしとそんなに変わらない子どもだった。
 遠くから聞こえる悲鳴と助けを呼ぶ声。その男の子はすぐさま走り出す。あたしはそいつの背中を見送った後、また視線を戻した。
「リサさん……」
 あたしのせいだ。あたしのせいでリサさんが死んだ。どうしよう。だって、あたしまだ……何も言ってないよ。
「……お母さん」
「ディー……」
 視線だけ動かす。リサさんを小さくしたような、そっくりな顔をしたディーが母親を見下ろしていた。その大きな青い瞳は乾いていて、ゆっくりとあたしに向けられた。
 その瞳が、あたしに伝えたんだ。
 『お母さんが死んだのはジュジュのせい』って。
「…………」
 あたしは耐えきれなくて、ディーから目を逸らす。
 すると、さっき男の子が飛び出してきた路地裏に誰かが倒れているのが見えた。ダストボックスの陰。まるで隠すように寝かされている女の子。
 あたしはその子を抱きかかえて、港へ向かって走り出した。ディーを置き去りにして。
 だって、あたしはまだ子どもだから一人しか抱えられない。ここにいたらこの子が魔物に襲われてしまう。リサさんは確かにあたしを庇って死んだけど、あたしも人ひとりの『命』を救ったんだ。
 そう、あたしは、この子を『免罪符』にしたんだ。
 無我夢中で逃げた。あたしは、最低で汚い人間だ。
 分かってるよ。ディーの責める目が、リサさんの悲しい顔が、あたしにその事を教えてくれた。
 ベルがいたら何ていうかな。
 魔物のせいかな? 下町の人間を見捨てた国のせい? それとも。
 そうだよ。あたしのせいだよ。


「ん……」
「起きたか。気分はどうだ? 『リサ』」
「ジュジュ……? ここ……」
「城。最初に泊まった部屋だ」
 でかいベッドのど真ん中に横たわる『救世主リサ』。城と聞いて、眉をひそめる。
「何で……」
「覚えてないのか? 教団本部に賊が入ったんだよ。それで、ここまであたしが連れて逃げてきてやったんだぞ?」
「……ちがう」
「ん?」
「何で、押さえて……」
 あたしは、リサに覆い被さるようにして両手を押さえつけていた。
「何でだって? 『花嫁』に逃げられたら困るからに決まってんだろ」
 リサは、ようやく自分がどんな姿で寝ているか気づいたようだ。純白のウエディングドレス。それを見て、リサの顔もドレスのように白くなる。
「おめでとう、リサ」
 リサは抵抗しようとするが、まったく力が入っていない。
「薬効きすぎ。あんまり耐性なかった?」
 あたしはリサの耳元で囁いた。リサはぎゅっと目を瞑って顔を背けた。その反応が無駄に可愛くて、あたしはつい笑ってしまった。
「安心しろよ。ただの睡眠薬だって」
 リサはあたしを睨みつけてくる。分かってるよ。嫌なんだろ? でもさ、変えて欲しいんだよ。救って欲しいんだよ、この『世界』を。
 あたしじゃ無理なんだ。だってあたしは、どうやら力で『支配しようとする』タイプの人間らしいから。お前じゃなきゃダメなんだ。『救世主』なんだろ? 犠牲になってくれよ。
 救ってくれよ。あたし達を助けて。
 リサの頬が濡れる。でも、それはリサの涙じゃない。
「頼むよ、リサ。王子と結婚して」
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