DEAREST【完結】

Lucas

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第1話 RISA

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 わたしが死なないと世界は救われないというのに、その男はいとも簡単にわたしを家から連れ出した。
 人目を避けるように路地裏へ入ってそのまま海岸へと向かう。港へ行こうと言っていたくせに男がわたしを連れて来たのは浜辺だった。少し離れた港に一隻の船が泊まっているのが見える。
 潮風に煽られる長い金髪を押さえた。刺繍の入った緑のドレスはスカートが重くて揺れもしない。
 小さなくしゃみが聞こえわたしは男の方に視線を戻す。
 突然の来訪者に腕を引かれるままにやってきた為気づかなかった。その男は胸に子どもを抱いていた。男の纏う藍色のマントの隙間から見える同じ色のケープを纏ったそれは、まるで子猿のようにしがみついていた。
「寒いか? 『ディー』」
「ディー?」
「私の息子の名だ」
 答えない子どもの代わりにわたしが問えば、男は無表情のまま答えた。そして港のを方を指さす。
「『救世主』よ、あの船に乗って街を出るぞ」
「ふざけるな。誰だ、お前」
「『教団』の者が来る予定だったのだろう? どちらにせよ、無理矢理連れ出されていた」
「質問に答えろ」
 男はおもむろに懐から何かを取り出した。子どもは身じろぎひとつしない。男が取り出したものは革袋に入った何か。男はそれを『金貨』だといった。そして、わたしの母親から預かったものだとも。
「私の名は『セナ』。傭兵だ」
「母に雇われたってわけか。でも、わたしは旅になんて絶対出ない」
「だが街は出ろ」
「意味分かんねーよ。金貨はくれてやるからとっとと失せろ」
「金貨は頂く。私は、『これ』で救世主を守るからだ」
「守るって何からだ? 魔物か? 神様か? お前はその金貨でわたしの命を守ってくれるのか?」
 詰め寄るわたしに、セナは動じることなく「ああ」と短く返事をした。
「適当な事言ってんじゃねーよ! できもしない癖に!」
「私は」
「もういい!」
 目の前が滲んできたのでわたしは視線を海へと移した。青と青が混ざるその線に目を凝らす。このシンプルな景色がわたしは大好きだった。
「救世主、私の話を聞いてくれ。とにかく、君は街を出なければいけない。なぜなら」
「金貨を貰ったから?」
「そうだ。君の母親からの依頼だ」
「結局金かよ」
「大切な仕事だ」
 淡々とした受け答えに腹が立つ。まるで劇の台詞のような、決められた同じ言葉を繰り返すこの街の人のようだ。振り返って街の方を見る。目の痛くなるような光景だ。
「見ろよ、セナ。白くて綺麗だった建物が、あのイカレた色の屋根で台なしだ」
 セナはわたしが指差した街並みを見据える。ディーはしがみついたまま顔もあげやしない。わたしは構わずに続けた。
「観光客を呼ぶために、華やかに見せるために、ペンキで塗りたくったんだ。馬鹿みたいに。赤、黄色、緑、青、オレンジ、紫……派手にすりゃあいいってもんじゃねーんだよ。気味わりい……このおかしな光景は、きっとこの街の頭のイカレた住人を表してるんだ」
 自分の色を持たないで、自分の考えもない馬鹿の集まりだ。
「『救世主さま、救世主さま』。イカレた連中は口を揃えてこう言うんだ。『世界を救って下さい』って」
 わたしは自嘲気味に笑った。
「つまりは『死んで下さい』ってこと。わたしの名前は『リサ』だ。『救世主』なんて名前じゃねえ」
 だけど、神託の日から、わたしはずっと『救世主さま』だ。
「こんな街の奴らのために、わたしは死ぬのか? 『束の間』の平和のために? わたし、まだ十五だぞ? こんなに簡単に、運命って決めつけられるものなのか? まだ生きたい。死にたくない。もう、逃げ出したい」
 そこまでぶちまけた時、待ってましたと言わんばかりにセナがわたしの手を掴んだ。
「お、おいセナ!」
 セナはずんずんと船へ一直線に向かう。
「街を出よう」
「またかよ! 行かねーっつってんだろ!」
「逃げればいい」
「は?」
 セナは歩みを止めず、少しだけ振り返ってわたしを見た。
「私は守れと言われた。『君』を。君が逃亡の旅に出るのならそれに付き合う」
「それって……」
「誰も、世界救出の旅に付き合うとは言っていない」 
 セナの瞳には迷いがない。嘘をついていないという事は何となく分かる。
「いまいち腑に落ちない。何でそこまでする理由があるんだ? 本当に金だけか?」
「言っただろう? 私は傭兵だ。これが仕事なんだ」
「仕事……ね。子連れでできる仕事かよ」
「船は一時間後に出る。それまでに決断してくれ」
 思いのほか時間がなくわたしは爪を噛んだ。決断も何も道は一つしかない。なのに、わたしは何故迷う? 未練があるのか。こんな街に。
 わたしはもう一度海の方を見た。先程と変わらない景色が広がっている。
「未練があるのは、こっちの景色かな」
 どうして今思い出すのだろう。海辺の小さな家で母と過ごしたあの日々を。
「セナ、わたしは決めた。わたしは……逃げる。ここから」
 わたしの運命から。
「随分と早かったな。では、さっそく行こうか」
「ちょっと待った。船が出るまでに一時間あるんだろ? 一度家に帰って準備をしたい」
「それではわざわざ教団の者の目を避けてきた意味がない」
 セナがそう言うのを聞いて何故港に直接行かずに浜辺へやってきたのか分かった。それに元々正式な旅立ちとするつもりもなかったことも。
 わたしは一瞬迷った。やはりこの男はどう見ても怪しい。それでも決意は揺るがなかった。どちらにしてもわたしにはもう後戻りできる道はないんだ。
「そっちにも時間がある。あいつらはまだ来ない。それに、どうしても必要なんだ」
 渋るセナを強引に説き伏せわたし達は街の方へと戻って行った。一時間あれば十分だ。どうせなら、派手にやってやる。
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