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 いや、心臓が止まりかけたのはこの国の王国騎士団であり、神官であり、魔導士であったはずだ。神子の正体を突きつけられたのだから。
「魔憑き……?」
 ヴィクトが小さく呟いた。声が震えていた。目を見開いて僕をその視界に捕らえる。表情は驚愕に染まっていた。
 あぁ、ここまでか。
 やっぱり僕は好きな人を裏切って、傷つけて終わるんだ。
 ごめん。ごめんねヴィクト。好きだって言ってくれたのに、僕はヴィクトを騙してた。王国中を騙してた。
『ワタシト同ジ、魔物ト一緒』
 レイチェルの右腕がまっすぐ僕に伸びる。首を狙っている。
『デモ人間ノ味方ヲスルナラ、コロス』
 彼女にためらいはない。
 正直、死んでもいいなと僕は思った。聖騎士の誰かの手を煩わせずに済む。ヴィクトの手を煩わせずに済む。魔物に殺されるだなんて、最高に僕向きじゃないか。
「っ……ユアン様!」
 なのになんで。
「レイチェル! やめろ!」
 どうしてこの人は。
 骨ばった手が僕の首を掴んで絞めるのと、ヴィクトがレイチェルに切りかかるのとは同時だった。手足を動かすのも難儀するはずの体で彼は聖剣を揮う。どうしてなのだろう。もう彼は僕の騎士ではないのに。もう彼は僕の秘密を知ったのに。こんなことしなくていいのに。
 ぐぐぐっと力を込められ、僕の足が床から浮いた。「かはっ」と息を吐いたきりうまく吸えない。苦しい。熱い。肌が焼ける感覚がする。意識が遠のく。涙が滲んだ。聖騎士からは獣のような咆哮を聞いた。もはや遠いのか近いのかさえわからない。
「ウアァァァッ! ユアン様を離せっ!」
 どうしてなのだろう。
 聖騎士はムカデの強烈な一撃を左半身にもろにくらった。それでも引かない。右腕で聖剣を袈裟懸けに振り下ろす。グワンッと風を切り裂く音の次にはレイチェルの腕がバッサリと切り落とされた。僕は一瞬の無重力を感じたあと、床に倒れて激しく咳き込む。体の平衡感覚が完全に失われている。こんな状態で戦えるヴィクトは異常だ。
『キィアァァァ!』
 続けてひと振り、ふた振り。ヴィクトがレイチェルを追いつめる。鬼神が乗り移ったかのようだった。瞳がメラメラと燃えている。僕は染まる彼の右太ももを見て初めて、なぜ彼が立っていられるのかわかった。短剣が突き刺さっている。自分で刺したに違いない。痛みが正常な感覚を保つとでも言わんばかりに。
 どうして? どうしてそこまでして、戦ってくれるのだろう。
「ヴィ、ク……ト」
 僕は泣きたくなった。
 かつての婚約者に剣の切先が向いている。二度目だ。渾身の一突きは、しかし今度は外れなかった。魔物は断末魔のような叫び声を上げ、巨体がのたうち回る。ドシン、ドシンと地面が揺れた。
 ヴィクトは最後、祈るように囁いて、戦いを終わらせた。
「安らかに眠ってくれ。レイチェル」
 そうしてレイチェルは動かなくなり、こと切れた。巨体がじゅわじゅわと蒸発を始める。靄が晴れていく。
 グラグラとした感覚も薄まっていき、レイチェルの消滅と共に他の魔物たち全てがあっけないほどたやすく痕跡を消した。広間に残ったのは誰が流したともわからぬ多量の血痕と、生きる人々の息遣い。
 僕は必死にヴィクトのもとへと這った。右太ももを治癒したい一心だった。陣を展開する時間も惜しい。直接魔力を流し込むほうが早い。
「動くな」
 だが進路が絶たれる。盾を持つ聖騎士が前方に立ち塞がった。男はおもむろに聖剣を抜く。
「だ、団長! なにを!」
 焦りの声を上げたのはヴィクトだった。なるほどこの筋骨隆々な男が団長か。黒々と太い眉毛は意志の強さを感じさせる。頬には横にザックリと一筋の刃物傷が刻まれていた。
「質問に答えてもらう必要がある。魔憑きとはなんだ。貴殿は人間か。それとも魔物か。どちらだ」
「……っ」
「なぜ答えない」
「団長、やめてください! どちらでもいいでしょう!」
「ハッ」
 騎士団長がぐにゃりと顔をしかめてヴィクトを見た。
「どちらでもいいだと? 気でも触れたか? レイチェルのことは気の毒だが……いかなる理由があろうと魔物は絶対悪だ。それは長い歴史の中で証明されている」
「しかし!」
「黙っていろ。俺が問うているのはお前ではない。それとも知っていて報告しなかったのか? だとしたらそれは――」
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