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「わかった」
 お城に来てくれた人たちとは神子の癒しの力を求めて登城した一般市民のことだ。王に許可をもらって以来僕は、病気や怪我で悩める人々に治癒を施してきた。
 いつもであればそばにヴィクトがはりついて仕事の様子を見守っているのだが、日を重ね、週を重ね、月を重ねる頃には頼んでもいないのに他の騎士たちが広間の警護にあたってくれるようになっていた。だからヴィクトが少し抜けるくらいどうってことないのだ。
「アツアツじゃないと絶対やだからな!」
「任せて。他には? それだけでいいの?」
 やけに余裕だな。と思いつつ首を縦に振る。何を買ってくる気か知らないが、戻ってきた時にこれじゃないとわめき散らせばいいのだ。ふっふっふ。どうだ。名付けてわがまま作戦。我ながら嫌なやつだぜ。
 そう悪い顔をしていると、「ご機嫌だね」なんて言ってヴィクトがほっぺたを摘まんでくる。彼はどうもこれが好きだ。
「でもユアン様、俺がいない間に浮気はだめだよ?」
「う、うわ、はぁ?」
「最近この広間にはハエがたかってきてるからな。くれぐれも気をつけて。いい? あいつとか、あいつとか、あいつもあいつもあいつだってユアン様のこと狙ってるし。あ、一番危ないのはあいつね」
 ヴィクトが迷いなく指し示した先にはこげ茶の短髪を小綺麗にそろえた騎士がいた。
「何回か頭下げに来てるみたいだけど」
「うん、四、五回かな」
「百回は謝らせろ」
 悲しきかな、僕を忌み嫌っていた騎士は逆にヴィクトから徹底的に嫌われることになってしまった。そこまでしなくても、と思うくらいには毛嫌いされている。
「ちょっと牽制しとくか」
「牽制?」
 額に落ちる柔らかな感触。ちゅっというリップ音。
「う、うわ、わわわ、なにすんだよ!」
「なにってキス。ふふっ。好きだよ、ユアン様」
「~~~~っ!」
「あーもうほんっとかわいー。ねぇ返事は? 聞かせてくれないの? 俺のことどう思ってる?」
「好きなもんか!」
「ふうん? 嘘だね。この前唇にキスしたときは嫌がらなかったじゃん。ユアン様も好きだろ、俺のこと」
 僕は息を大きく吸って叫んだ。
「もう黙ってさっさと行け!」
「ふはは。りょうかーい」
 心底楽しげに肩を揺らす聖騎士は、壁際に並ぶ騎士の一団をニッと一瞥すると颯爽とこの場を去って行った。なんてこった。僕はどっと疲れた。心臓が悲鳴をあげている。と、そこに。
「おかーしゃん、神子しゃま、おねつなの? お顔が赤いよ?」
 聞こえてくるのは無垢な声。
「しっ。お口チャックよ。今とぉーってもイイところで、みんなそれを噛みしめてるの。ちょっと待とうね」
 僕は顔を真っ赤にしたまま、ブリキ人形よろしく振り向いた。ギッ、ギッ、ギッ、ピタリ。開いた口が塞がらない。数えきれないほどの瞳が、生暖かい眼差しを送ってきている。穴があったら入りたい……。
「アッ……えぇっと……その、みみみなみな皆々様におかれましては……」
 人間、追い込まれればなんでもできるんだな。僕はこの日この瞬間、何度挑戦しても一度と成功しなかった試みに初めて成功した。治癒の魔法陣と空間に作用する魔法陣との合わせ技だ。大勢の人を同時に治癒できる方法はないかとセレンと一緒に探し続けてきたのだ。それがついに、叶った。とにかく一秒でも早くこの場を去りたかったがゆえに。
「おお、素晴らしい!」
「これが空間治癒……っ」
「あんだけ痛かった膝がすっかりよくなっちまってる! すげぇぞ!」
「おかーしゃんのお顔の傷、なくなってるよ! よかったね!」
「……奇跡だ……奇跡の力だ!」
 そうしてひと仕事を終え市民からの感謝と応援の言葉を汗ダラダラで受け取ると、出しうる限り最速のスピードで南端塔に帰り着く。バタンと扉を閉めた。
 あぁ。これでようやく一息つける。
「どうしたの息を切らして」
「う、わ!」
 と思ったのに。
「びっくりしたぁ」
「そんなに食べたかった? これ」
 何を、と言いかけて口をつぐむ。テーブルをセッティングする聖騎士の腕には紙の包み。中から丁寧に取り出されたそれは、とても香ばしい匂いで部屋を満たした。
「甘い香り……」
「ご所望の通り、アツアツにございます、ユアン様。さあ」
 椅子を引かれ、座らせられる。手を洗いたいと思った次には手拭きを渡された。ナプキンにナイフとフォーク、卓上シロップ。
 気をつけて召し上がれ、と皿に盛りつけられたそれはアップルパイだった。白いバニラアイスが乗っかっていて、下のほうが溶けだしている。
「どうぞ? 早く食べて。冷めても美味しいらしいけどさ」
「城下町で流行ってる、アツアツのもの……」
「ん? そうそう。行列すごかったなぁ。買い方とか聞いてたらなぜかみんな順番譲ってくれてさ。時間かからなくて助かったよ」
「あ、へぇ」
「それよか個人的にはおやっさんにバレずにいるほうが大変だったな。後にも先にも知られたらまずい」
「なんで」
「明日から食事は甘味祭りになるだろうから」
 くすくすとヴィクトが笑う。「紅茶でよかった?」と言って彼は小首をかしげた。なんなんだこの至れり尽くせりっぷりは。
「ねぇ食べないの? もしかして、……俺間違えた?」
 あぁ、そうだ。そうだよ。僕が食べたかったのはこれじゃないんだ。お前は近衛騎士失格だ。もう一回城下へ降りて探してこい。
「た、食べる……けど」
 とは言えなかった。フォークを持つ手が震えた。
「ユアン様? 何かあった?」
「……ううん。美味しすぎて困ったなって」
「そっか。走った甲斐があった。訓練の時より本気出したかもしれない」
「なんで。たかがこんなことのために」
「たかが? それは違う」
 液体の注がれたティーカップがカチャリと音を立てて置かれた。
「あれがしたいとかこれがしたいとか、今まで一切言わずに禁欲的な生活を送ってきた人が、初めて俺に言ってきたわがままなんだ」
 目が合う。甘い痺れが広がっていった。舌全体、喉の奥、そして胸の中いっぱい。
「そんなの全力で応えたいに決まってるだろ。なぁ、他にもして欲しいことあったらなんでも言って」
「っ……ヴィクト」
「俺が全部、叶えてあげる」
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