25 / 52
< 6 >
6 - 1
しおりを挟む
「ふうー……うぅ」
いい天気だ。空気が澄んでいる。秋の風は冷たさを孕むようになったが、それも含めて爽やかで気持ちがいい。ぜひともエルドラード中の人にこの清々しさを堪能していただきたい。
僕? 僕は今、馬車に揺られて辿り着いた先、とある屋敷の前にいる。緊張をほぐすために発声練習をしているところだ。
「ふはっ。帰省でここまで挙動不審になる人初めて見た」
「挙動不審なもんか!」
失恋をした日からというもの、僕はひたすらに考えた。考え続けた結果、決めた。この命潰えるまではヴィクトの幸せを願おうと。嫌われ神子だった自分にも等しく接してくれた初めての人なのだ。人付き合いというものを教えてくれた初めての人なのだ。どんなにとげとげしい態度を取っても見放さないでいてくれた初めての人なのだ。僕の恋は叶わなくてもいい。でも彼の思いを叶えてあげたい。そう思うのは自然なことだろう?
だからこれまで以上に仕事に精を出すことにした。早くみんなに文句なしに認められて、ヴィクトが第一部隊に復帰できるように。
意気込んだ僕は、前々からやってみたかった慰問計画を立てるべくペンを取った。これまでこそこそと通っていた孤児院をはじめ、学校や地方教会、貧しい人の多くが暮らすいわゆるスラム地区といったところを候補地として挙げていく。国王にも相談をもちかけ、行くべき場所を精査していった。
するとどうだろう。どこから話を聞いたのか、ルシェルツ伯爵家から訪問を求める打診が届いたのだ。手紙の封を開けてびっくりした。というか拍子抜けした。伯爵が体調を悪くして臥せっているから助けてほしいのだという。それらしい理由を並べてあったけど、読めば要するにぎっくり腰だった。
「もしかしてユアン様、本当はあまり帰ってきたくなかった? 誰かと折り合いが悪いとか」
「うっ、うぐ……あの、その」
打診を受け入れるかは悩みに悩んだ。実の父親である伯爵に対してさえあまりいい思い出がない上、義母がいる。
でもあれから月日が経って、僕も大人になって、ルシェルツ家の面々にも時間薬が効いたと思うんだ。今ならきっと、違う気持ちで接することができるのではないだろうか。
「まぁ詳しくは聞かないよ。助けてほしくなったら言って」
「う、うん。ありがと。じゃあお願い。もし、僕がカッチコッチに固まっちゃったら、再起動させてくれ」
「なにそれ。再起動? どうやって」
「どんな手を使ってくれてもいい。入ったところに池があるから、なんなら落としてくれ」
「ふうん。わかった。じゃあちゅーするね」
「~~~っ!」
僕はグーで呼び鈴を鳴らした。
しばらくののち、細やかな飾りのついた門が開く。向こう側に人の気配を感じた。僕は目を凝らす。伯爵ではない。伯爵夫人でもない。仕着せに身を包んだ侍女だ。
「お待たせいたしました。本日ははるばる、ようこそおいでくださいました」
「あっ、えっと、その。……久しぶり」
「はい。長らくぶりでございます、ユアン様」
彼女のことは覚えている。使用人の女性の中でも比較的年齢が高く、物腰の柔らかな人だった。周りがみな僕を持て余している中で、彼女と彼女の仲のよかったもう一人の侍女だけは、僕に対して同情のようなものを抱いていたのではないかと思う。
同情でも憐憫でも、ありがたかったな。どんな形であれ僕に目をかけてくれる数少ない人のうちの一人だった。
そこまで考えて、この侍女と仲のよかったもう一人の侍女の顔を思い浮かべる。「仲のよかった」と過去形なのには意味がある。その侍女はもうここにはいない。消えてしまったのだ。あの夏、この屋敷から忽然と姿を消してしまった。
「どうぞ。旦那様がお待ちです」
「う、うん」
促されるようにして前庭を進む。ヴィクトが持ち前の気さくさを発揮して侍女に色々と話しかけていた。「子どもの頃のユアン様ってどんな感じだったの?」なんて聞こえたけれど、その答えがどんなものだったかまでは僕の耳は拾わなかった。頭の中には次々とあらゆることが思い出されていた。この屋敷で過ごした日々のこと。家族のこと。森のこと。あの事件のこと。
「ねぇ、覚えてる?」
屋敷の玄関に着いた時、僕は侍女に問いかけていた。ずっとずっと、気になっていたことだ。
「恐れながら何についてのことでしょうか、ユアン様」
「イリサのこと」
「っ……」
侍女の反応は肯定を示していた。
「ねぇ、イリサはどうして、兄さんにあんな仕打ちをしたのかな」
侍女は僕を見つめたきり、いよいよ押し黙ってしまった。ヴィクトが「イリサ?」と不思議そうにしている。
イリサというのは――忘れもしない。三年前、兄さんを死の淵まで追いやった犯人の名前だ。明確な殺意をもって兄さんの食事にだけ毒を盛り、その日の夜には屋敷からいなくなっていた侍女の名前だ。
「同じくルシェルツ家に仕えていた侍女だよ。二人は仲がよかったんだ。だけどイリサが、その、突然辞めてしまって」
「へぇ」
察するものがあったのか、ヴィクトからの追求はなかった。入れ替わるようにして侍女が話しだす。
「ユアン様」
切実な声。意を決したような顔つき。
「どうかお聞き届けくださいませ」
「……なに?」
「イリサは、あの子は、取り返しのつかないことをしました。それはまごうことなき事実です。ですが、私は思うのです。あれは、あの子なりの正義でやったことだと」
……正義?
「虫一匹殺せるような子ではなかったのです! 心優しくて、誰に対しても平等で、私からすれば年の離れた可愛い妹のような存在で」
「ちょ。ちょっと待って……正義だって?」
単純に理解が追いつかない。イリサが兄さんを殺そうとした動機なんて知らないし、皆目見当もつかない。どうしてあんなことをしたのだろうとずっと疑問だった。だけれどもこの侍女の言い方だと、あたかもイリサの行いには正当性があって、兄さんは苦しむに値した人物であるかのようだ。
一体全体、人に毒を盛ることのどこが正義だというのだろう?
「あなたは……やっぱり何か知っているの?」
「それは……」
侍女が口ごもる。そこから具体的な説明が続くことはなかった。彼女はヴィクトのほうを窺い見るようなそぶりを見せ、何かをためらったのち、下を向く。
「申し訳ございません。すべて憶測にございます。本当のことは私にも……わかりません」
いい天気だ。空気が澄んでいる。秋の風は冷たさを孕むようになったが、それも含めて爽やかで気持ちがいい。ぜひともエルドラード中の人にこの清々しさを堪能していただきたい。
僕? 僕は今、馬車に揺られて辿り着いた先、とある屋敷の前にいる。緊張をほぐすために発声練習をしているところだ。
「ふはっ。帰省でここまで挙動不審になる人初めて見た」
「挙動不審なもんか!」
失恋をした日からというもの、僕はひたすらに考えた。考え続けた結果、決めた。この命潰えるまではヴィクトの幸せを願おうと。嫌われ神子だった自分にも等しく接してくれた初めての人なのだ。人付き合いというものを教えてくれた初めての人なのだ。どんなにとげとげしい態度を取っても見放さないでいてくれた初めての人なのだ。僕の恋は叶わなくてもいい。でも彼の思いを叶えてあげたい。そう思うのは自然なことだろう?
だからこれまで以上に仕事に精を出すことにした。早くみんなに文句なしに認められて、ヴィクトが第一部隊に復帰できるように。
意気込んだ僕は、前々からやってみたかった慰問計画を立てるべくペンを取った。これまでこそこそと通っていた孤児院をはじめ、学校や地方教会、貧しい人の多くが暮らすいわゆるスラム地区といったところを候補地として挙げていく。国王にも相談をもちかけ、行くべき場所を精査していった。
するとどうだろう。どこから話を聞いたのか、ルシェルツ伯爵家から訪問を求める打診が届いたのだ。手紙の封を開けてびっくりした。というか拍子抜けした。伯爵が体調を悪くして臥せっているから助けてほしいのだという。それらしい理由を並べてあったけど、読めば要するにぎっくり腰だった。
「もしかしてユアン様、本当はあまり帰ってきたくなかった? 誰かと折り合いが悪いとか」
「うっ、うぐ……あの、その」
打診を受け入れるかは悩みに悩んだ。実の父親である伯爵に対してさえあまりいい思い出がない上、義母がいる。
でもあれから月日が経って、僕も大人になって、ルシェルツ家の面々にも時間薬が効いたと思うんだ。今ならきっと、違う気持ちで接することができるのではないだろうか。
「まぁ詳しくは聞かないよ。助けてほしくなったら言って」
「う、うん。ありがと。じゃあお願い。もし、僕がカッチコッチに固まっちゃったら、再起動させてくれ」
「なにそれ。再起動? どうやって」
「どんな手を使ってくれてもいい。入ったところに池があるから、なんなら落としてくれ」
「ふうん。わかった。じゃあちゅーするね」
「~~~っ!」
僕はグーで呼び鈴を鳴らした。
しばらくののち、細やかな飾りのついた門が開く。向こう側に人の気配を感じた。僕は目を凝らす。伯爵ではない。伯爵夫人でもない。仕着せに身を包んだ侍女だ。
「お待たせいたしました。本日ははるばる、ようこそおいでくださいました」
「あっ、えっと、その。……久しぶり」
「はい。長らくぶりでございます、ユアン様」
彼女のことは覚えている。使用人の女性の中でも比較的年齢が高く、物腰の柔らかな人だった。周りがみな僕を持て余している中で、彼女と彼女の仲のよかったもう一人の侍女だけは、僕に対して同情のようなものを抱いていたのではないかと思う。
同情でも憐憫でも、ありがたかったな。どんな形であれ僕に目をかけてくれる数少ない人のうちの一人だった。
そこまで考えて、この侍女と仲のよかったもう一人の侍女の顔を思い浮かべる。「仲のよかった」と過去形なのには意味がある。その侍女はもうここにはいない。消えてしまったのだ。あの夏、この屋敷から忽然と姿を消してしまった。
「どうぞ。旦那様がお待ちです」
「う、うん」
促されるようにして前庭を進む。ヴィクトが持ち前の気さくさを発揮して侍女に色々と話しかけていた。「子どもの頃のユアン様ってどんな感じだったの?」なんて聞こえたけれど、その答えがどんなものだったかまでは僕の耳は拾わなかった。頭の中には次々とあらゆることが思い出されていた。この屋敷で過ごした日々のこと。家族のこと。森のこと。あの事件のこと。
「ねぇ、覚えてる?」
屋敷の玄関に着いた時、僕は侍女に問いかけていた。ずっとずっと、気になっていたことだ。
「恐れながら何についてのことでしょうか、ユアン様」
「イリサのこと」
「っ……」
侍女の反応は肯定を示していた。
「ねぇ、イリサはどうして、兄さんにあんな仕打ちをしたのかな」
侍女は僕を見つめたきり、いよいよ押し黙ってしまった。ヴィクトが「イリサ?」と不思議そうにしている。
イリサというのは――忘れもしない。三年前、兄さんを死の淵まで追いやった犯人の名前だ。明確な殺意をもって兄さんの食事にだけ毒を盛り、その日の夜には屋敷からいなくなっていた侍女の名前だ。
「同じくルシェルツ家に仕えていた侍女だよ。二人は仲がよかったんだ。だけどイリサが、その、突然辞めてしまって」
「へぇ」
察するものがあったのか、ヴィクトからの追求はなかった。入れ替わるようにして侍女が話しだす。
「ユアン様」
切実な声。意を決したような顔つき。
「どうかお聞き届けくださいませ」
「……なに?」
「イリサは、あの子は、取り返しのつかないことをしました。それはまごうことなき事実です。ですが、私は思うのです。あれは、あの子なりの正義でやったことだと」
……正義?
「虫一匹殺せるような子ではなかったのです! 心優しくて、誰に対しても平等で、私からすれば年の離れた可愛い妹のような存在で」
「ちょ。ちょっと待って……正義だって?」
単純に理解が追いつかない。イリサが兄さんを殺そうとした動機なんて知らないし、皆目見当もつかない。どうしてあんなことをしたのだろうとずっと疑問だった。だけれどもこの侍女の言い方だと、あたかもイリサの行いには正当性があって、兄さんは苦しむに値した人物であるかのようだ。
一体全体、人に毒を盛ることのどこが正義だというのだろう?
「あなたは……やっぱり何か知っているの?」
「それは……」
侍女が口ごもる。そこから具体的な説明が続くことはなかった。彼女はヴィクトのほうを窺い見るようなそぶりを見せ、何かをためらったのち、下を向く。
「申し訳ございません。すべて憶測にございます。本当のことは私にも……わかりません」
8
お気に入りに追加
637
あなたにおすすめの小説
【完結】別れ……ますよね?
325号室の住人
BL
☆全3話、完結済
僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。
ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。
【完結】ワンコ系オメガの花嫁修行
古井重箱
BL
【あらすじ】アズリール(16)は、オメガ専用の花嫁学校に通うことになった。花嫁学校の教えは、「オメガはアルファに心を開くなかれ」「閨事では主導権を握るべし」といったもの。要するに、ツンデレがオメガの理想とされている。そんな折、アズリールは王太子レヴィウス(19)に恋をしてしまう。好きな人の前ではデレデレのワンコになり、好き好きオーラを放ってしまうアズリール。果たして、アズリールはツンデレオメガになれるのだろうか。そして王太子との恋の行方は——?【注記】インテリマッチョなアルファ王太子×ワンコ系オメガ。R18シーンには*をつけます。ムーンライトノベルズとアルファポリスに掲載中です。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
侯爵様の愛人ですが、その息子にも愛されてます
muku
BL
魔術師フィアリスは、地底の迷宮から湧き続ける魔物を倒す使命を担っているリトスロード侯爵家に雇われている。
仕事は魔物の駆除と、侯爵家三男エヴァンの家庭教師。
成人したエヴァンから突然恋心を告げられたフィアリスは、大いに戸惑うことになる。
何故ならフィアリスは、エヴァンの父とただならぬ関係にあったのだった。
汚れた自分には愛される価値がないと思いこむ美しい魔術師の青年と、そんな師を一心に愛し続ける弟子の物語。
【完結】《BL》溺愛しないで下さい!僕はあなたの弟殿下ではありません!
白雨 音
BL
早くに両親を亡くし、孤児院で育ったテオは、勉強が好きだった為、修道院に入った。
現在二十歳、修道士となり、修道院で静かに暮らしていたが、
ある時、強制的に、第三王子クリストフの影武者にされてしまう。
クリストフは、テオに全てを丸投げし、「世界を見て来る!」と旅に出てしまった。
正体がバレたら、処刑されるかもしれない…必死でクリストフを演じるテオ。
そんなテオに、何かと構って来る、兄殿下の王太子ランベール。
どうやら、兄殿下と弟殿下は、密な関係の様で…??
BL異世界恋愛:短編(全24話) ※魔法要素ありません。※一部18禁(☆印です)
《完結しました》
釣った魚、逃した魚
円玉
BL
瘴気や魔獣の発生に対応するため定期的に行われる召喚の儀で、浄化と治癒の力を持つ神子として召喚された三倉貴史。
王の寵愛を受け後宮に迎え入れられたかに見えたが、後宮入りした後は「釣った魚」状態。
王には放置され、妃達には嫌がらせを受け、使用人達にも蔑ろにされる中、何とか穏便に後宮を去ろうとするが放置していながら縛り付けようとする王。
護衛騎士マクミランと共に逃亡計画を練る。
騎士×神子 攻目線
一見、神子が腹黒そうにみえるかもだけど、実際には全く悪くないです。
どうしても文字数が多くなってしまう癖が有るので『一話2500文字以下!』を目標にした練習作として書いてきたもの。
ムーンライト様でもアップしています。
宰相閣下の絢爛たる日常
猫宮乾
BL
クロックストーン王国の若き宰相フェルは、眉目秀麗で卓越した頭脳を持っている――と評判だったが、それは全て努力の結果だった! 完璧主義である僕は、魔術の腕も超一流。ということでそれなりに平穏だったはずが、王道勇者が召喚されたことで、大変な事態に……というファンタジーで、宰相総受け方向です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる