上 下
24 / 52
< 5 >

 5 - 3

しおりを挟む
「――で、返事はなんて? さっき隠れてヴィクト様にデートの話つけてたの、バレバレなんだからね」

「っ!」
 前触れなく聞こえてきたのは賑やかな会話だった。洗濯係の女性陣だろう、僕は声を覚えていた。一団はすぐ近くを通過していく。なんてタイミングと話題だ。
「えーっ! 恥ずかしい……。うん。でもね、実は、当分先かなって濁されちゃった。はぁ。前は男女問わず来る者拒まずだったのに」
「確かにこのところ遊んでるって話聞かないわねぇ」
「もしかして本命ができたのかしら」
 …………本命、か。
 自分の唇から乾いた笑いが溢れた。
 やっぱりからかわれてたんだろうな。想いを言ってしまわなくてよかった。
 心底そう思った。
「もしくはあれじゃない? ほら」
「ん? 何かあったかしら」
「レイチェル様よ」
 あぁきっとそれね、と声が被る。
「もう三年も前のことだなんて。月日が経つのは早いわ」
「えぇ。でも私、きっとヴィクト様はいまだにレイチェル様のことを愛していると思うの」
「一時期は随分荒れてたものね。もう誰とも結婚しないって言っていなかった?」
 その後も彼女たちの話は続いた。いかにヴィクトがレイチェルに対して一途で誠実か、白熱したお喋りは留まるところを知らない。
 それがようやく止むと、打って変わって冷たい静寂が僕たちの間を濡らす。僕は無意識にヴィクトの手を拒んでいた。
 痛い。胸が痛い。手のひらを当ててみても治まらない。虚しい。本命がいてもいなくても、それがレイチェルでもレイチェルでなくても、結局この男の心に僕が住まう余地なんて、初めからなかったんだ。
 そう突きつけられたようで悲しかった。目の奥がつんと痛い。
「ねぇヴィクト……ここで僕とこんな茶番してていいの?」
 なんてことのないように繕う。
「早くそのレイチェルさんって人のところに行きなよ。好きなんでしょ?」
「待ってくれ、違う」
 レイチェルという名前には聞き覚えがある。確か、中央塔で兄さんに会った時に、ヴィクトが零していたのではなかったっけ。
「ふられちゃったのかなんなのか知らないけど、諦めないで頑張りなよ。応援するからさ」
「違うんだ、ユアン様、レイチェルは」
 知りたくない。ヴィクトにとってそれがどんな特別な人物なのか、知りたくなんてない。
 だが、彼の放った言葉は違った意味で僕に衝撃をもたらした。
「いないんだ」
「え?」
「もうこの世にはいない」
 レイチェル・マイルズ。彼女はヴィクトの婚約者だった。三年前の晩夏までは。
 ある日急に行方がわからなくなった。どんなに探しても彼女は見つからなかった。荷造りの痕跡もなかったため遠出の旅行という線は消えた。そもそも彼女の家族ですら何も聞いていなかった。誰もが最悪の想定をした。
 双方の一族総出で捜索に明け暮れてひと月、レイチェルは森の奥深くで発見された。変わり果てた無残な姿だった。
 腐敗の進んだ体には、それでもわかるくらいの大きく深い抉れ傷が三つ、確認できた。とても人間業とは思えなかった。魔物に襲われたのだろうと誰もが口を揃えて言った――
「――それ以来だ。残された憐れな男は魔物殲滅だけを胸に抱えて生きている」
「……っ」
「この世の魔物を一匹残らず殺してやりたいと願って、生きている」


 その夜、僕は眠れなかった。閉じたまぶたの裏に今日の記憶が蘇ってくるからだ。
 衝撃的だった。ヴィクトに婚約者がいたということも、その人が魔物に襲われて亡くなっていたということも、全てが僕を揺るがした。
 レイチェルのことはもちろん不憫でならない。ヴィクトの痛みを思うと底なしにやりきれなくもなる。「魔物殲滅だけを胸に抱えて生きている」だなんて、どれほど彼女のことを愛していたのか……、その愛の深さと誠実さを、痛烈なまでに思い知らされた。
 それなのに。
「笑っちゃうよな」
 後戻りできない自分の気持ちが、ほんと笑える。
 僕はヴィクトが好きだ。
「はは……っ、くそ」
 人知れず下唇を噛む。枕が濡れていく。止められない。頭を抱え込んだ。真っ暗だ。その真っ暗闇に二つ、太陽が浮かぶ。あぁ、もう僕は、どこに行こうと逃げられないんだな。
 ――ユアン様は神子の仕事を全うできれば何かイイことがあるんだろ? 俺もユアン様が働いてくれれば元いた場所に帰ることができる。利害の一致ってやつかな? 
 ヴィクトの声が木霊する。
 ――とにかく俺は早く魔物を倒したい。一体でも多く。そしてこの世界から奴らをなくす。そのためにはなんだってするさ。どうしたらいい?
 そうだ、最初からはっきり言っていたじゃないか。
 ヴィクトが僕に優しいのは神子としてきちんと仕事をしてほしいからだ。それ以上でもそれ以下でもない。いつだってその優先順位の一番上に来るものは魔物殲滅だ。
 ようやく腑に落ちた。
 鳥肌が立つ。
 どこかからグルグルと唸り声が聞こえる。
「やっぱりよかった。好きだなんて言わなくて」
 魔憑きの自分では絶対にヴィクトとは一緒になれない。むしろこの身は彼にとっての討伐対象だ。
 僕が初めて好きになった人は、僕を殺す運命にある人だった。
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

無効の契約は継続中

おはぎ
BL
魔力を無効化し、魔法が効かないリラ。その特性を買われて、公爵家の三男であり騎士のクラウドのために王都へ。クラウドは気難しい質なのか親しくなろうとしても素っ気ない。まぁいいか、どうせなら王都を楽しもう!細かいことは気にしない、誰とでも気さくに仲良くなれるリラが、知らない内に色んな人を振り回しながら王都での生活を楽しみます。

もう人気者とは付き合っていられません

花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。 モテるのは当然だ。でも――。 『たまには二人だけで過ごしたい』 そう願うのは、贅沢なのだろうか。 いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。 「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。 ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。 生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。 ※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中

釣った魚、逃した魚

円玉
BL
瘴気や魔獣の発生に対応するため定期的に行われる召喚の儀で、浄化と治癒の力を持つ神子として召喚された三倉貴史。 王の寵愛を受け後宮に迎え入れられたかに見えたが、後宮入りした後は「釣った魚」状態。 王には放置され、妃達には嫌がらせを受け、使用人達にも蔑ろにされる中、何とか穏便に後宮を去ろうとするが放置していながら縛り付けようとする王。 護衛騎士マクミランと共に逃亡計画を練る。 騎士×神子  攻目線 一見、神子が腹黒そうにみえるかもだけど、実際には全く悪くないです。 どうしても文字数が多くなってしまう癖が有るので『一話2500文字以下!』を目標にした練習作として書いてきたもの。 ムーンライト様でもアップしています。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

【完結】ワンコ系オメガの花嫁修行

古井重箱
BL
【あらすじ】アズリール(16)は、オメガ専用の花嫁学校に通うことになった。花嫁学校の教えは、「オメガはアルファに心を開くなかれ」「閨事では主導権を握るべし」といったもの。要するに、ツンデレがオメガの理想とされている。そんな折、アズリールは王太子レヴィウス(19)に恋をしてしまう。好きな人の前ではデレデレのワンコになり、好き好きオーラを放ってしまうアズリール。果たして、アズリールはツンデレオメガになれるのだろうか。そして王太子との恋の行方は——?【注記】インテリマッチョなアルファ王太子×ワンコ系オメガ。R18シーンには*をつけます。ムーンライトノベルズとアルファポリスに掲載中です。

【完結】片翼のアレス

結城れい
BL
鳥人族のアレスは生まれつき翼が片方しかないため、空を飛ぶことができずに、村で孤立していた。 飛べないアレスは食料をとるため、村の西側にある森へ行く必要があった。だが、その森では鳥人族を食べてしまう獣狼族と遭遇する危険がある。 毎日気をつけながら森に入っていたアレスだったが―― 村で孤立していた正反対の2人が出会い、そして番になるお話です。 優しい獣狼ルーカス × 片翼の鳥人アレス ※基本的に毎日20時に更新していく予定です(変更がある場合はXでお知らせします) ※残酷な描写があります ※他サイトにも掲載しています

【完結】僕の大事な魔王様

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
BL
母竜と眠っていた幼いドラゴンは、なぜか人間が住む都市へ召喚された。意味が分からず本能のままに隠れたが発見され、引きずり出されて兵士に殺されそうになる。 「お母さん、お父さん、助けて! 魔王様!!」 魔族の守護者であった魔王様がいない世界で、神様に縋る人間のように叫ぶ。必死の嘆願は幼ドラゴンの魔力を得て、遠くまで響いた。そう、隣接する別の世界から魔王を召喚するほどに……。 俺様魔王×いたいけな幼ドラゴン――成長するまで見守ると決めた魔王は、徐々に真剣な想いを抱くようになる。彼の想いは幼過ぎる竜に届くのか。ハッピーエンド確定 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/11……完結 2023/09/28……カクヨム、週間恋愛 57位 2023/09/23……エブリスタ、トレンドBL 5位 2023/09/23……小説家になろう、日間ファンタジー 39位 2023/09/21……連載開始

貧乏令嬢の私、冷酷侯爵の虫除けに任命されました!

コプラ
恋愛
他サイトにて日間ランキング18位→15位⇧ ★2500字〜でサクサク読めるのに、しっかり楽しめます♪ 傲慢な男が契約恋愛の相手である、小気味良いヒロインに振り回されて、愛に悶えてからの溺愛がお好きな方に捧げるヒストリカル ロマンスです(〃ω〃)世界観も楽しめます♡  孤児院閉鎖を目論んだと思われる男の元に乗り込んだクレアは、冷たい眼差しのヴォクシー閣下に、己の現実を突きつけられてしまう。涙を堪えて逃げ出した貧乏伯爵家の令嬢であるクレアの元に、もう二度と会わないと思っていたヴォクシー閣下から招待状が届いて…。 「君が条件を飲むのなら、私の虫除けになりなさい。君も優良な夫候補が見つかるかもしれないだろう?」 そう言って、私を夜会のパートナーとしてあちこちに連れ回すけれど、何だかこの人色々面倒くさいわ。遠慮のない関係で一緒に行動するうちに、クレアはヴォクシー閣下の秘密を知る事になる。 それは二人の関係の変化の始まりだった。

処理中です...