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「――で、返事はなんて? さっき隠れてヴィクト様にデートの話つけてたの、バレバレなんだからね」
「っ!」
前触れなく聞こえてきたのは賑やかな会話だった。洗濯係の女性陣だろう、僕は声を覚えていた。一団はすぐ近くを通過していく。なんてタイミングと話題だ。
「えーっ! 恥ずかしい……。うん。でもね、実は、当分先かなって濁されちゃった。はぁ。前は男女問わず来る者拒まずだったのに」
「確かにこのところ遊んでるって話聞かないわねぇ」
「もしかして本命ができたのかしら」
…………本命、か。
自分の唇から乾いた笑いが溢れた。
やっぱりからかわれてたんだろうな。想いを言ってしまわなくてよかった。
心底そう思った。
「もしくはあれじゃない? ほら」
「ん? 何かあったかしら」
「レイチェル様よ」
あぁきっとそれね、と声が被る。
「もう三年も前のことだなんて。月日が経つのは早いわ」
「えぇ。でも私、きっとヴィクト様はいまだにレイチェル様のことを愛していると思うの」
「一時期は随分荒れてたものね。もう誰とも結婚しないって言っていなかった?」
その後も彼女たちの話は続いた。いかにヴィクトがレイチェルに対して一途で誠実か、白熱したお喋りは留まるところを知らない。
それがようやく止むと、打って変わって冷たい静寂が僕たちの間を濡らす。僕は無意識にヴィクトの手を拒んでいた。
痛い。胸が痛い。手のひらを当ててみても治まらない。虚しい。本命がいてもいなくても、それがレイチェルでもレイチェルでなくても、結局この男の心に僕が住まう余地なんて、初めからなかったんだ。
そう突きつけられたようで悲しかった。目の奥がつんと痛い。
「ねぇヴィクト……ここで僕とこんな茶番してていいの?」
なんてことのないように繕う。
「早くそのレイチェルさんって人のところに行きなよ。好きなんでしょ?」
「待ってくれ、違う」
レイチェルという名前には聞き覚えがある。確か、中央塔で兄さんに会った時に、ヴィクトが零していたのではなかったっけ。
「ふられちゃったのかなんなのか知らないけど、諦めないで頑張りなよ。応援するからさ」
「違うんだ、ユアン様、レイチェルは」
知りたくない。ヴィクトにとってそれがどんな特別な人物なのか、知りたくなんてない。
だが、彼の放った言葉は違った意味で僕に衝撃をもたらした。
「いないんだ」
「え?」
「もうこの世にはいない」
レイチェル・マイルズ。彼女はヴィクトの婚約者だった。三年前の晩夏までは。
ある日急に行方がわからなくなった。どんなに探しても彼女は見つからなかった。荷造りの痕跡もなかったため遠出の旅行という線は消えた。そもそも彼女の家族ですら何も聞いていなかった。誰もが最悪の想定をした。
双方の一族総出で捜索に明け暮れてひと月、レイチェルは森の奥深くで発見された。変わり果てた無残な姿だった。
腐敗の進んだ体には、それでもわかるくらいの大きく深い抉れ傷が三つ、確認できた。とても人間業とは思えなかった。魔物に襲われたのだろうと誰もが口を揃えて言った――
「――それ以来だ。残された憐れな男は魔物殲滅だけを胸に抱えて生きている」
「……っ」
「この世の魔物を一匹残らず殺してやりたいと願って、生きている」
その夜、僕は眠れなかった。閉じたまぶたの裏に今日の記憶が蘇ってくるからだ。
衝撃的だった。ヴィクトに婚約者がいたということも、その人が魔物に襲われて亡くなっていたということも、全てが僕を揺るがした。
レイチェルのことはもちろん不憫でならない。ヴィクトの痛みを思うと底なしにやりきれなくもなる。「魔物殲滅だけを胸に抱えて生きている」だなんて、どれほど彼女のことを愛していたのか……、その愛の深さと誠実さを、痛烈なまでに思い知らされた。
それなのに。
「笑っちゃうよな」
後戻りできない自分の気持ちが、ほんと笑える。
僕はヴィクトが好きだ。
「はは……っ、くそ」
人知れず下唇を噛む。枕が濡れていく。止められない。頭を抱え込んだ。真っ暗だ。その真っ暗闇に二つ、太陽が浮かぶ。あぁ、もう僕は、どこに行こうと逃げられないんだな。
――ユアン様は神子の仕事を全うできれば何かイイことがあるんだろ? 俺もユアン様が働いてくれれば元いた場所に帰ることができる。利害の一致ってやつかな?
ヴィクトの声が木霊する。
――とにかく俺は早く魔物を倒したい。一体でも多く。そしてこの世界から奴らをなくす。そのためにはなんだってするさ。どうしたらいい?
そうだ、最初からはっきり言っていたじゃないか。
ヴィクトが僕に優しいのは神子としてきちんと仕事をしてほしいからだ。それ以上でもそれ以下でもない。いつだってその優先順位の一番上に来るものは魔物殲滅だ。
ようやく腑に落ちた。
鳥肌が立つ。
どこかからグルグルと唸り声が聞こえる。
「やっぱりよかった。好きだなんて言わなくて」
魔憑きの自分では絶対にヴィクトとは一緒になれない。むしろこの身は彼にとっての討伐対象だ。
僕が初めて好きになった人は、僕を殺す運命にある人だった。
「っ!」
前触れなく聞こえてきたのは賑やかな会話だった。洗濯係の女性陣だろう、僕は声を覚えていた。一団はすぐ近くを通過していく。なんてタイミングと話題だ。
「えーっ! 恥ずかしい……。うん。でもね、実は、当分先かなって濁されちゃった。はぁ。前は男女問わず来る者拒まずだったのに」
「確かにこのところ遊んでるって話聞かないわねぇ」
「もしかして本命ができたのかしら」
…………本命、か。
自分の唇から乾いた笑いが溢れた。
やっぱりからかわれてたんだろうな。想いを言ってしまわなくてよかった。
心底そう思った。
「もしくはあれじゃない? ほら」
「ん? 何かあったかしら」
「レイチェル様よ」
あぁきっとそれね、と声が被る。
「もう三年も前のことだなんて。月日が経つのは早いわ」
「えぇ。でも私、きっとヴィクト様はいまだにレイチェル様のことを愛していると思うの」
「一時期は随分荒れてたものね。もう誰とも結婚しないって言っていなかった?」
その後も彼女たちの話は続いた。いかにヴィクトがレイチェルに対して一途で誠実か、白熱したお喋りは留まるところを知らない。
それがようやく止むと、打って変わって冷たい静寂が僕たちの間を濡らす。僕は無意識にヴィクトの手を拒んでいた。
痛い。胸が痛い。手のひらを当ててみても治まらない。虚しい。本命がいてもいなくても、それがレイチェルでもレイチェルでなくても、結局この男の心に僕が住まう余地なんて、初めからなかったんだ。
そう突きつけられたようで悲しかった。目の奥がつんと痛い。
「ねぇヴィクト……ここで僕とこんな茶番してていいの?」
なんてことのないように繕う。
「早くそのレイチェルさんって人のところに行きなよ。好きなんでしょ?」
「待ってくれ、違う」
レイチェルという名前には聞き覚えがある。確か、中央塔で兄さんに会った時に、ヴィクトが零していたのではなかったっけ。
「ふられちゃったのかなんなのか知らないけど、諦めないで頑張りなよ。応援するからさ」
「違うんだ、ユアン様、レイチェルは」
知りたくない。ヴィクトにとってそれがどんな特別な人物なのか、知りたくなんてない。
だが、彼の放った言葉は違った意味で僕に衝撃をもたらした。
「いないんだ」
「え?」
「もうこの世にはいない」
レイチェル・マイルズ。彼女はヴィクトの婚約者だった。三年前の晩夏までは。
ある日急に行方がわからなくなった。どんなに探しても彼女は見つからなかった。荷造りの痕跡もなかったため遠出の旅行という線は消えた。そもそも彼女の家族ですら何も聞いていなかった。誰もが最悪の想定をした。
双方の一族総出で捜索に明け暮れてひと月、レイチェルは森の奥深くで発見された。変わり果てた無残な姿だった。
腐敗の進んだ体には、それでもわかるくらいの大きく深い抉れ傷が三つ、確認できた。とても人間業とは思えなかった。魔物に襲われたのだろうと誰もが口を揃えて言った――
「――それ以来だ。残された憐れな男は魔物殲滅だけを胸に抱えて生きている」
「……っ」
「この世の魔物を一匹残らず殺してやりたいと願って、生きている」
その夜、僕は眠れなかった。閉じたまぶたの裏に今日の記憶が蘇ってくるからだ。
衝撃的だった。ヴィクトに婚約者がいたということも、その人が魔物に襲われて亡くなっていたということも、全てが僕を揺るがした。
レイチェルのことはもちろん不憫でならない。ヴィクトの痛みを思うと底なしにやりきれなくもなる。「魔物殲滅だけを胸に抱えて生きている」だなんて、どれほど彼女のことを愛していたのか……、その愛の深さと誠実さを、痛烈なまでに思い知らされた。
それなのに。
「笑っちゃうよな」
後戻りできない自分の気持ちが、ほんと笑える。
僕はヴィクトが好きだ。
「はは……っ、くそ」
人知れず下唇を噛む。枕が濡れていく。止められない。頭を抱え込んだ。真っ暗だ。その真っ暗闇に二つ、太陽が浮かぶ。あぁ、もう僕は、どこに行こうと逃げられないんだな。
――ユアン様は神子の仕事を全うできれば何かイイことがあるんだろ? 俺もユアン様が働いてくれれば元いた場所に帰ることができる。利害の一致ってやつかな?
ヴィクトの声が木霊する。
――とにかく俺は早く魔物を倒したい。一体でも多く。そしてこの世界から奴らをなくす。そのためにはなんだってするさ。どうしたらいい?
そうだ、最初からはっきり言っていたじゃないか。
ヴィクトが僕に優しいのは神子としてきちんと仕事をしてほしいからだ。それ以上でもそれ以下でもない。いつだってその優先順位の一番上に来るものは魔物殲滅だ。
ようやく腑に落ちた。
鳥肌が立つ。
どこかからグルグルと唸り声が聞こえる。
「やっぱりよかった。好きだなんて言わなくて」
魔憑きの自分では絶対にヴィクトとは一緒になれない。むしろこの身は彼にとっての討伐対象だ。
僕が初めて好きになった人は、僕を殺す運命にある人だった。
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