魔憑きの神子に最強聖騎士の純愛を

瀬々らぎ凛

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 侍女メアリーとの挨拶が習慣と化すのにさほど時間はかからなかった。個人的には大躍進だ。今日は暖かいねなんて天気の話ができるようにもなったし、たまにヴィクトのことで盛り上がったりもする。王国最強の聖騎士は共通の話題としても非常に優秀だった。
 この調子で人との交流というものに慣れていきたい。そろそろもう一段、階段を上ってもいいのかもしれない。できれば料理人たちにお礼を言いたいな。
 そう朝一番に僕が相談をもちかけた相手はやっぱりヴィクトで、彼は快く頷いてくれた。
「お。じゃあ今日は厨房に行く? 世話になってる知り合いがいるから紹介できると思うよ。まぁ相手してもらえるのは午後だろうな。昼の祈りが終わったらご飯食べて、一息ついたら顔出してみようか」
 朝のヴィクトは時たま濡れ髪だ。週に何回か、第一部隊の隊員たちに交ざって走っているらしい。神子付きになっても彼の騎士魂はまったく色褪せていない。
 タオルで髪をかき上げる様は男を感じさせた。結われていない長髪がパサリと落ちる。滴るほどの色気があった。白シャツに簡単な胸当てのみを付けた軽装ということも相まって、なんだかそわそわした気分にさせられる。イイカラダってこういうのを言うんだろうなぁ。僕の貧弱さときたらそこらへんに生える雑草レベルだ。でもいいんだ。雑草だって意外と強いんだぞ。
 奇しくもその雑草根性は昼下がりの厨房で発揮されることとなった。
「きゃっ! ヴィクト様ぁ」
「いやん。来てくださったのぉー?」
「誰に会いに? 私よね?」
「違うわ! 私よ!」
「はぁっ? 俺に決まってる!」
 ヴィクトの姿を目にした途端、さまざまな調理器具を手に持った料理人たちがどっと押し寄せて来たのだ。たった一人の男を中心におしくらまんじゅうが起こった。よく見れば頬を紅潮させた男性も加わっている。
 僕はミンチにされないよう縮こまって踏ん張った。でもさ、雑草根性にも限度があるんだよ。ハンバーグにはなりたくない……うっ。
「ユアン様」
 そんな状況だったから、すっと伸びてきた頼もしい腕にしがみついても仕方なかった。危なかった。助かった。
 と、つかの間。
「ゴルァ! 勝手に持ち場を離れるんじゃねェ! 料理人舐めんじゃねぇぞォ!」
 ひいいっ!
 厨房の奥から百獣の王さえ殺せそうな怒号が飛んできた。ヴィクトの周りに集まっていた人々が「すみません料理長!」と叫んで散っていく。
「ヴィクトォ。てめぇ来るなら前もって許可を取るのが筋だろうがァ。あァ?」
「すいません、おやっさん。でも前もって話をしたら絶対断るでしょうに」
「ったりめぇだ。お前に来られちゃ仕事になんねぇからよォ! 見てみろみーんなお前に釘付けだ。わかってんだったら来るんじゃねェ」
 と、とんでもない場所に来てしまった! 背中に冷や汗が伝う。
「おいてめぇらヴィクトに尻尾振るのやめていい加減手元見やがれ! ケガしても俺は知らねぇぞォ!」
 更なる怒号。しわの深く刻まれた料理長から飛ばされたそれは厨房全体を震わせた後、こちらにも降りかかってきた。
「お前もお前だヴィクトォ! いつまでもチャラチャラしやがってェ!」
「うげ。またそれ?」
「この人だって相手を早く見つけやがれ! 何度も言わせんなァ!」
 ヴィクトが肩をすくめる。
「でもおやっさんだって奥さん亡くしてから独り身貫いてるじゃないですか。かっけぇっすよ」
「俺とお前じゃ残りの人生の長さが違うだろうがァ、この青二才が」
 底なし沼級に怖いけれど、ヴィクトはおやっさんこと料理長と仲がいいみたいだ。よくわからない話をしている。「おやっさんだって」ってことはヴィクトにも過去に何かあったのかもしれない。……だめだ。余計な詮索はやめたほうがいい。少なくとも絶対、今ではない。
「それでそこのボウズッ!」
「ひぃっ」
「このクソ忙しい時にお前さんいったい何しに来たァ……あァン?」
 あぁ、死ぬ。仕事を邪魔した罪で死ぬ。料理人にとってここは戦場だったんだ。軽い気持ちで立ち入ってはいけなかった。
「あ、あの、僕はその、ひひひ日頃のお礼を言いに」
「あァ? 礼だって?」
「ひゃ! ひゃいっ!」
 あまりにガタガタ震えるものだから心配したのだろう、ヴィクトの手がなだめるように僕の背中をさすった。大丈夫だから落ち着いて、と聞こえる。
 僕は息も絶え絶え、百戦をくぐりぬけたような風格の料理長相手に毎日の食事が美味しいことを伝えた。ありがたく思っていることも、そしてこれからもお世話になりますということも。ビビりすぎて十回は噛んだ。
「なんだそりゃァ……飯がウマいだとォ?」
 ぎらりと鋭利な視線が向けられる。
「何を当たり前のこと言ってんだボウズッ! 俺がじきじきに作ってるんだぞォ!」
「そ、そ、そ、そうでしたかぁっ! すみませんでしたぁ!」
 よし、逃げよう。命の危機を感じる。
 そう決意して踵を返した僕の足を三度目の怒号が引き留めた。
「ボウズゥ! 質問は終わってねぇぞォ! お前さんよォ、今夜ァ、何にしてやろうかァ?」
「何にしてっ……ひぃい、いやだミンチだけはいやだぁっ!」
「っぷはっ!」
 ヴィクトが吹き出した。こいつ、あとで絶対シめる。
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