その名前はリリィ

イケのタコ

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九話 ここにいる

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どうにか、レオンハルトを抑える事ができた昨夜。そのまま部屋の掃除をして、風呂に入って、シーツや服、汚れたものは全て洗濯をした。
精霊にも手伝ってもらいながらも夜な夜なやっていると、いつのまにかソファーで寝落ちしていた。窓から入り込んだ朝日によって目が覚めては、腹が鳴った。
体力を使った後は、当然腹が減ってくる。お腹が鳴り止まないので冷蔵庫を勝手に開けて、朝飯を作る事にした。
卵の殻を割り、ベーコンを付け合わせ、フライパンで一緒に焼く。その横で粥が入った鍋を温める。
目玉焼きと焼いたベーコン。簡単なものだったが、香ばしい美味しそうな匂いに胃がグルグルと誘われる。

『大変だったね、術の影響あるけど彼はだいぶ暴れたね』
「……」
『さっきから無視しないでよ。自分も気持ち良かったじゃん』

腕ごと木の腕輪を強く握ると、骨か、木か、分からないがミシミシと軋む。

『ちょっと暴力反対! 杖を壊したら最後だよっ』
「お前、知っていただろ」
『しっ知らないよ、術の事なんて。僕は魔術師としては万能じゃないんだから』
「ほぼ全能だろ。今考えれば、言葉の端々に知っている風な発言をしていた。あと、あの状況で匂いだけで分かるはずがない」
『…………許してね、ちょーと待って壊さないで、本当に壊したら、ここまでやってきた意味が無くなるから!』

確かにこの杖を壊せば帝都に来た意味がなくなる。けれど、この不確か存在にどうにか罰を与えたいものだ。
俺は腕輪から手を離す。

『もう、短気だな。少しくらい遊びに付き合ってくれてもいいじゃん』
「あれが遊びね。お前とは意見が永遠に合わなそうだな」
『それに、あの時真っ当な判断が出来ていた? イナミなら、そんな判断しないと思うけど」
「……出来てなかったな」

リリィに唆されたとはいえ、昨夜の行動はおかしかった。レオンハルトを煽るような真似。思い返してみれば、自分から罠にかかって遊んでいたようにも感じる。

『それって僕に精神が寄り始めている証拠だから、気をつけて。イナミはイナミなんだから何があっても自身を保ってよ』
「どういう事だ。俺は、いつかはリリィになるのか」
『ならない。魂がそもそも違うから、どうなろうと僕にはなれない。でもそのまま精神を僕側に引きずられたなら最後は精神崩壊を起こす』
「ーーー自分が誰なのか、分からなくなるのか」
『そうなったら、廃人か、死ぬしかないよ。ここにはイナミが、イナミだと証明できる物はないから。だからこそ、ここにいるって思って、誰よりも自身を信じて』
「結構難しいな、自分が誰なのか分からない時があるからな。それも含めて、人を生き返られるリスクか」
『そういう事。まぁ、この杖がある限りは、イナミと僕は別人だって分かるでしょ』
「確かに、性格が違いすぎる」

自分は誰なのか、行き着く先は精神崩壊とは物騒な術だ。そう、人を生き返らせる魔術が単純な物だったら皆こぞって使うか。
話している内に目玉焼きとベーコンが焼き上がり、皿に移し替えていく。温まった粥もつけて、朝ご飯の完成である。
朝ご飯を机に並べて椅子を引き、さて、食べようとした時に、2階から重く硬い物が落ちるような大きな物音がした。
その音がベッドから落ちた事をなんとなく察し。次は階段を駆け降りる音が聞こえては、居間に繋がる扉が力強く開かれた。

「いっここにいた、よ、よかった」

胸に手を当てて、ひと段落するレオンハルト。服も着ずにパンツ姿とは、相当焦って入って駆け抜けた事が伺える。

「おはよう、元気そうだなっ」

食べる前に朝の挨拶はしようと振り返ったが、レオンハルトは急に距離を詰めて来ては、両肩を掴まれた。

「怪我はしてない? どこか痛いところない、動いて本当に大丈夫」

覇気迫る勢いで話しかけて来ては、労わるように体をあちこち触って確認する。
怪我というか、腰の重みなどは精霊に回復してもらったが、まだ昨夜の余波が残っているのかレオンハルトに触られるだけで肌がビリビリと反応して、こしょばゆい。
また思い出しそうなので触る手を掴み取った。

「半裸でウロウロするな。とりあえず、服を着ろ」
「あっ、ごめん」



レオンハルトが着替えをしてから、朝ご飯は仕切り直す事にした。
もう一度、ニ階から降りて来たレオンハルトは白いシャツに茶色いズボンを着て、対面に座る。
レオンハルトの食事は、昨日の事を踏まえて消化の良い粥だけ。
そして、二人は朝ご飯を食べ始めた。

「……昨日の事、覚えているのか」

食事をとりつつ会話の内容は、やはり昨夜の出来事だった。

「実は……所々で記憶が飛んでて、覚えてない方が多いかな……自分が何を言ったのかも分からないくらいには。変な事を言ってないよね」
「言ってない」
「本当に? 嘘ついてない、ーーーあの、無理矢理してない……よね」
「その事はなんとなく覚えているのか」
「気絶はしてないから、なんとなく。もし、していたなら騎士団に突き出しもらって構わないから」
「ない、もちろん合意の上だ」

本人がそう言っているのに、粥を掬うスプーンまで止めてこちらを青い瞳を細めて怪訝そうに見てくる。
何故、そこで頑固になる。覚えてないならそれで良いだろうと思うが、この会話は永遠に押し問答が続きそうなので、話題を変える事にした。

「で、レオンハルトは昨日、何に悩んでいたんだ」
「えっと……なんの話」
「騎士隊長である人間が、みすみす目の前で香水を振り撒かれたりしないよな」
「……」

警戒している相手が目の前にいたというのに、レオンハルトは隙を見せた事になる。
何故なのか。考えれば簡単だ、相手を忘れるほど考え事をしていたから気が抜けていた。
どうやら予想は通りのようで、歯切れが悪そうに粥を飲み込んで、目線は下に向けたままポツリと話し始めた。

「きのう……は大切な人の命日だったんだ。それで少し悩んでいて、気が抜けていたんだと思う。それが原因で迷惑かけた事は本当にごめん」
「ーーーイナミ隊長って人の事か」
「……ロードリックに聞いたんだね。そうだよ、その人の事を考えていた。その日になるといつもそうで、ボーとしているってよく言われるよ」

枯れた笑い飛ばすレオンハルトは、どこかやつれているように見える。

「墓参りくらいは、行かないのか」
「行かないというか、行けないかな。情けない事に、まだ自分に折り合いがつかなくてね。この日が来るたびに後悔ばかりが積もっていくだけで、何も思い浮かばないんだ」

「なんてね、ここからは湿っぽい話になるからおしまいにしようか」とレオンハルトは朝ご飯を進めてきては、自分もゆっくりと食事を再開する。

この男は誰かを恨む事もできずに、ずっと10年間一人で抱え続けていたという訳か。優しいジェイドが屋敷を訪ねてまで、心配するのも無理ないな。
いつものレオンハルトを見ているからこそ、この不安定さは俺でも心配する。
肺の奥底からため息が込み上げてくる。

「レオンハルト」
「うん? どうしたの」
「今日は、そこまで墓参り行くぞ」

レオンハルトはスプーンを手の隙間から落とし、皿がカランと音が鳴る。

「協力しているが相手がそんなグタグタと考え事をしているのは困る。その原因に行くまでだ」
「……急には」
「無理とかいうなよ。昨日の事を懺悔するくらいなら、今日くらい付き合えるだろ」

と言えば、目線を逸らしてレオンハルトは渋々頷いた。

「分かった、ついて行くよ」
「それは良かった」

『すごい、荒療治』と杖が何か言っていたが気にしない。

「敬語やめたんだね」
「そうだな……もう面倒になった。それにもう、そんな関係でもないだろ」
「うん、そっちの方がいいと思うよ」

レオンハルトは小さくいつものように笑った。
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