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第38話 癒しが欲しい
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青く澄んだ空、優しく降り注ぐ陽光、木々を揺らす風を感じ、私はゆっくりと目を閉じた。
ささくれ立ち、疲弊した心をこの世界は労わってくれる。
ヒトや獣や植物がこの世界で意志を持って生きているように、この世界も意志を持って生きている。
『生きる』という概念は種によって、存在の在り方によって様々だが、そのどれもが意志を持つ以上、私は生あるものとして定義する。例えそれが死霊であっても。
百年、千年の時間の感覚で生きている私は今、非常に疲れていた。
10年にも満たない短い時間の中で多くの事がありすぎた。
癒しが欲しい。
小さなザイを抱きしめたい。
照れながらも角を摺り寄せるあの可愛い姿を愛でたい。
映像記録のひとつでも残っていたなら私はあと10年くらいは頑張れる気がする。
きょうだいたちに弱音を吐こうものなら誓いを棄てて、さっさと天に昇れと急かされるに違いない。私が勝手に立てた誓いだ。我が神は好きにせよ、と仰せになった。
だから私が誓いを棄てても気にしない、というのがきょうだいたちの弁だ。
だが、私はこの世界が愛しくて、この目で、この肌で、この世界の成長を感じ、その行く末を見届けたい。どれだけ疲弊していてもそれだけは変わらない。
それにだ、
「フェイ」
足音を鳴らせ、私の前にかがみ込み、労わる視線を向ける鬼人の男。
この男がいる限りは私は天に昇る事はないだろう。
「大丈夫か」
手を伸ばせば触れられる距離にいるのに触れて来ない。
いつも馴れなれしいくらいの距離感にいるザイはここ最近はずっとこの調子だ。
そもそもが私の態度が原因なのだが。
シャスタ鉱山の一件以来、私とザイはどこかぎこちない。
私の身に何があったかをザイは知らない。
あの坑道内には一切何の仕掛けもなかった。
あそこへ飛ばされたのは、恐らくは我が神の御業であろうなと推測できた。
だからと言って、アレは酷いのではなかろうか。
私はザイへと目を向けた。
私を殺した男が目の前にいる。
私を道具を見る目でしか見ていなかった男が私の夫になりたいという。
生前には課金ステージでトラウマを植えられ、今生ではトラウマで済まないレベルでの非道な所業。それを受けたのは私ではなく、彼女なのだが。
ザイとゼノンは同じ存在だが別物だ。分かっているのに躊躇ってしまう。
この身の疲弊は恐らく彼女を受け入れた故に伝播したものだろう。
その存在の受けた被害は甚大で、小さな棘となってザイが私に触れる事すら躊躇わせる。
それを敏感に感じとっているからこそ、ザイは必要以上に私に触れてこない。
普段立てない足音をわざと立てるのもその為だ。
「もう少し、このままでもいいか?」
「……分かった。何かあったら呼べ」
「すまないな」
ザイは表情ひとつ変えずに小さく頷き立ち上がり、踵を返す。
一切振り返らない背中に申し訳なさが募る。
常に側にあった温もりがないのが寂しくもある。
だが、今は何もかもが億劫だ。
私は目を閉じた。
§
(何もかもが腹立たしい!!)
手近にあった太い木の幹を掴み、力を込めればめしり、と音を立て幹が抉れる。
無性に暴れたい衝動に駆られながらもザイは己の感情を制御した。
ここで暴れてしまえばせっかく眠ったフェイが起きてしまう。
できれば眠る彼女に寄り添いたい。その無防備な寝顔をすぐ側で堪能したい。
だが、彼女がそれを許さないならザイに成す術はない。
フェイとザイの関係性は常に彼女が上位なのだから。
皇国の鉱山で一度姿を消して以降、フェイの様子は明らかにおかしかった。
手を伸ばせば躊躇いを見せ、目が合えば憂いを見せる。
何があったか問うても眉を下げ、困った顔で穏やかに笑うばかりだ。
その原因を作ったのはザイの字《あざな》をフェイに教え。フェイを泣かせた何者かだ。
それが何処にいる何者かさえ判ればザイはその相手を殺しに行く。もちろんただでは殺さない。
生まれてきた事を後悔させてからじっくり時間をかけて苦痛と共に息の音を止める。
フェイの言葉通り、別の世界の同一の存在の彼女であればザイには何もできないだろうが、それをしたのは恐らくは別の存在だ。でなければ、あんな深い哀しみを湛えた目で、ザイに縋らねばならない程に追い詰められる筈がない。
あんな彼女は見た事がない。
常に凛とした佇まいで何者が相手であろうと泰然とした態度を崩した事はザイの知る限り一度もない。
個として完結しているフェイはどんな場面にあっても他者に縋る事はなかったし、その必要はなかった。
そんな彼女に縋られるのはザイとて嬉しい。だが、フェイをあそこまで追い詰めた何者かがいるというのであればそれはまた別の話だ。
そうして、フェイは旅の道中に疲れを見せるようになった。
フェイと旅をしてこの方、ザイが疲労に膝をつく事はあってもフェイは常に飄々としていた。
それが徐々に疲労の色を濃く見せるようになり、とうとう倒れたのが10日前の事だ。
ヒトの立ち入らぬ森の中であった事が幸いした。
彼女は森を閉ざし、眠りについた。
時折目を覚まし、ぼんやりと宙を眺める。ザイが声をかければ受け応えはするが、どこか視線がおぼつかない。二言、三言交わして再び眠りに就く。
ずっとそれの繰り返しだ。
坑道の件に関しても、フェイが倒れた事に関しても、ザイは無力だ。
フェイが何かに飲み込まれるように消えたとき、異変を察する事も遅れ、ザイは彼女の名を呼ぶ事しかできなかった。
そして今、フェイが元気を取り戻す事を待つ事しかできない。
ザイがどれだけ訴えても、彼女は銀の御使いを呼ぶ事さえしない。
ザイが気を落ち着け、フェイの元に戻ると彼女の側に人影が二つあった。
一人はザイも知る銀の御使いと、もう一人は初めて見る。
波打つ黄金色《こがねいろ》の髪の銀の御使いよりも頭一つ低い。
男か女かも判断しづらい。
だが、纏う雰囲気は銀の御使いと同じもの。
もう一人もまた、御使いなのだとザイは察した。
銀の御使いがこちらに気づき、穏やかな笑みを向ける。
「久しぶりですね。少し見ない間に随分と大きくなりましたね」
銀の御使いに対してあまり良い印象はないが、それでも小さく会釈を返す。
黄金色の髪の御使いはやはり同じ黄金色の瞳でザイを一瞥しただけで、すぐにフェイへと視線を戻す。
「いもうと」
黄金色の御使いがフェイに呼びかけると、閉じていた瞼が押し上げられる。
「きょうだい……」
「さっきぶり、ずいぶん調子が悪そうだ」
「そう、なのか?」
「そうだよ、今のキミは調子が悪い。何か、変なものを取り込んだ? その顔、心当たりがあるね」
フェイの曇った表情に黄金色の御使いは穏やかに笑んだまま告げる。
「それを渡しなさい」
フェイの胸元を細い指が何かを辿るようになぞる。
フェイは迷うように御使いを見る。
「取り除くけど、いい?」
「除くのは、駄目だ!」
「わかった。じゃあ、取り出すよ。それはそのままボクらが預かる。今の君には荷が重い」
とん、と横たわるフェイの胸の一点を指が叩いた。
その指がずっ、と音を立てて彼女の胸に沈んていく。
「んっ、きょうだいっ」
「我慢しなさい」
身を震わせ、耐えるフェイに対してどこまでも冷静に黄金色の御使いは彼女の中に埋まった指を探るように動かす。その度に息を詰め、細い足が地面を擦る。
動きそうになるザイの身体を銀の御使いの腕が押し留める。
「やっ、それっ」
「うん、コレだね」
ある一点で止まった指が更に深く沈み込む。
黄金色の御使いが眉を潜めた。
「少し厄介だ、辛いかもしれないけど耐えなさい」
声も出す余裕もないのか、フェイは必死な様子で頷いた。
「あっ」
小さな悲鳴と共にずるり、と紅く禍々しい気配を帯びた何かが引きずり出され、それを見た銀の御使いの顔も厳しいものになる。
「何でこんな明らかにヤバいものを自分だけでどうにかしようと思うかな」
ガラス片にも似た小さなそれを金の瞳が覗き込む。
「きょうだい、それは――」
「うん、大体わかった。だったら尚更この子はボクらが預かる。いいね」
有無を言わさぬその様相にフェイはただただ頷いた。
「まったく、最近のキミは身勝手が過ぎる。振り回されるこちらの身にもなりなさい」
「……すまない……?」
「その顔は全く分かっていない顔だ。いいかい、そもそもがだ……」
そう言って黄金色の御使いのフェイに対する説教が始まった。
それを呆気に取られて見ていたザイの前に出された銀の御使いの腕が下げられた。
「アレはしばらくかかりますね、前《・》の分でも言い足りない事があったのでしょう」
「前?」
「最近のあの子は少々行き過ぎる傾向が強くなっていますから。それより、今しばらくは私達がいますから頭を冷やすなら今の内ですよ」
何もかも見透かしたような銀の瞳と物言いに口を開きかけたザイはぐっと口を閉ざし、弱り切ったフェイへと一度だけ視線を向ける。
「…………すぐ戻る」
それだけ言うと彼女らの視界の届かぬ場所を求めて歩き出した。
ささくれ立ち、疲弊した心をこの世界は労わってくれる。
ヒトや獣や植物がこの世界で意志を持って生きているように、この世界も意志を持って生きている。
『生きる』という概念は種によって、存在の在り方によって様々だが、そのどれもが意志を持つ以上、私は生あるものとして定義する。例えそれが死霊であっても。
百年、千年の時間の感覚で生きている私は今、非常に疲れていた。
10年にも満たない短い時間の中で多くの事がありすぎた。
癒しが欲しい。
小さなザイを抱きしめたい。
照れながらも角を摺り寄せるあの可愛い姿を愛でたい。
映像記録のひとつでも残っていたなら私はあと10年くらいは頑張れる気がする。
きょうだいたちに弱音を吐こうものなら誓いを棄てて、さっさと天に昇れと急かされるに違いない。私が勝手に立てた誓いだ。我が神は好きにせよ、と仰せになった。
だから私が誓いを棄てても気にしない、というのがきょうだいたちの弁だ。
だが、私はこの世界が愛しくて、この目で、この肌で、この世界の成長を感じ、その行く末を見届けたい。どれだけ疲弊していてもそれだけは変わらない。
それにだ、
「フェイ」
足音を鳴らせ、私の前にかがみ込み、労わる視線を向ける鬼人の男。
この男がいる限りは私は天に昇る事はないだろう。
「大丈夫か」
手を伸ばせば触れられる距離にいるのに触れて来ない。
いつも馴れなれしいくらいの距離感にいるザイはここ最近はずっとこの調子だ。
そもそもが私の態度が原因なのだが。
シャスタ鉱山の一件以来、私とザイはどこかぎこちない。
私の身に何があったかをザイは知らない。
あの坑道内には一切何の仕掛けもなかった。
あそこへ飛ばされたのは、恐らくは我が神の御業であろうなと推測できた。
だからと言って、アレは酷いのではなかろうか。
私はザイへと目を向けた。
私を殺した男が目の前にいる。
私を道具を見る目でしか見ていなかった男が私の夫になりたいという。
生前には課金ステージでトラウマを植えられ、今生ではトラウマで済まないレベルでの非道な所業。それを受けたのは私ではなく、彼女なのだが。
ザイとゼノンは同じ存在だが別物だ。分かっているのに躊躇ってしまう。
この身の疲弊は恐らく彼女を受け入れた故に伝播したものだろう。
その存在の受けた被害は甚大で、小さな棘となってザイが私に触れる事すら躊躇わせる。
それを敏感に感じとっているからこそ、ザイは必要以上に私に触れてこない。
普段立てない足音をわざと立てるのもその為だ。
「もう少し、このままでもいいか?」
「……分かった。何かあったら呼べ」
「すまないな」
ザイは表情ひとつ変えずに小さく頷き立ち上がり、踵を返す。
一切振り返らない背中に申し訳なさが募る。
常に側にあった温もりがないのが寂しくもある。
だが、今は何もかもが億劫だ。
私は目を閉じた。
§
(何もかもが腹立たしい!!)
手近にあった太い木の幹を掴み、力を込めればめしり、と音を立て幹が抉れる。
無性に暴れたい衝動に駆られながらもザイは己の感情を制御した。
ここで暴れてしまえばせっかく眠ったフェイが起きてしまう。
できれば眠る彼女に寄り添いたい。その無防備な寝顔をすぐ側で堪能したい。
だが、彼女がそれを許さないならザイに成す術はない。
フェイとザイの関係性は常に彼女が上位なのだから。
皇国の鉱山で一度姿を消して以降、フェイの様子は明らかにおかしかった。
手を伸ばせば躊躇いを見せ、目が合えば憂いを見せる。
何があったか問うても眉を下げ、困った顔で穏やかに笑うばかりだ。
その原因を作ったのはザイの字《あざな》をフェイに教え。フェイを泣かせた何者かだ。
それが何処にいる何者かさえ判ればザイはその相手を殺しに行く。もちろんただでは殺さない。
生まれてきた事を後悔させてからじっくり時間をかけて苦痛と共に息の音を止める。
フェイの言葉通り、別の世界の同一の存在の彼女であればザイには何もできないだろうが、それをしたのは恐らくは別の存在だ。でなければ、あんな深い哀しみを湛えた目で、ザイに縋らねばならない程に追い詰められる筈がない。
あんな彼女は見た事がない。
常に凛とした佇まいで何者が相手であろうと泰然とした態度を崩した事はザイの知る限り一度もない。
個として完結しているフェイはどんな場面にあっても他者に縋る事はなかったし、その必要はなかった。
そんな彼女に縋られるのはザイとて嬉しい。だが、フェイをあそこまで追い詰めた何者かがいるというのであればそれはまた別の話だ。
そうして、フェイは旅の道中に疲れを見せるようになった。
フェイと旅をしてこの方、ザイが疲労に膝をつく事はあってもフェイは常に飄々としていた。
それが徐々に疲労の色を濃く見せるようになり、とうとう倒れたのが10日前の事だ。
ヒトの立ち入らぬ森の中であった事が幸いした。
彼女は森を閉ざし、眠りについた。
時折目を覚まし、ぼんやりと宙を眺める。ザイが声をかければ受け応えはするが、どこか視線がおぼつかない。二言、三言交わして再び眠りに就く。
ずっとそれの繰り返しだ。
坑道の件に関しても、フェイが倒れた事に関しても、ザイは無力だ。
フェイが何かに飲み込まれるように消えたとき、異変を察する事も遅れ、ザイは彼女の名を呼ぶ事しかできなかった。
そして今、フェイが元気を取り戻す事を待つ事しかできない。
ザイがどれだけ訴えても、彼女は銀の御使いを呼ぶ事さえしない。
ザイが気を落ち着け、フェイの元に戻ると彼女の側に人影が二つあった。
一人はザイも知る銀の御使いと、もう一人は初めて見る。
波打つ黄金色《こがねいろ》の髪の銀の御使いよりも頭一つ低い。
男か女かも判断しづらい。
だが、纏う雰囲気は銀の御使いと同じもの。
もう一人もまた、御使いなのだとザイは察した。
銀の御使いがこちらに気づき、穏やかな笑みを向ける。
「久しぶりですね。少し見ない間に随分と大きくなりましたね」
銀の御使いに対してあまり良い印象はないが、それでも小さく会釈を返す。
黄金色の髪の御使いはやはり同じ黄金色の瞳でザイを一瞥しただけで、すぐにフェイへと視線を戻す。
「いもうと」
黄金色の御使いがフェイに呼びかけると、閉じていた瞼が押し上げられる。
「きょうだい……」
「さっきぶり、ずいぶん調子が悪そうだ」
「そう、なのか?」
「そうだよ、今のキミは調子が悪い。何か、変なものを取り込んだ? その顔、心当たりがあるね」
フェイの曇った表情に黄金色の御使いは穏やかに笑んだまま告げる。
「それを渡しなさい」
フェイの胸元を細い指が何かを辿るようになぞる。
フェイは迷うように御使いを見る。
「取り除くけど、いい?」
「除くのは、駄目だ!」
「わかった。じゃあ、取り出すよ。それはそのままボクらが預かる。今の君には荷が重い」
とん、と横たわるフェイの胸の一点を指が叩いた。
その指がずっ、と音を立てて彼女の胸に沈んていく。
「んっ、きょうだいっ」
「我慢しなさい」
身を震わせ、耐えるフェイに対してどこまでも冷静に黄金色の御使いは彼女の中に埋まった指を探るように動かす。その度に息を詰め、細い足が地面を擦る。
動きそうになるザイの身体を銀の御使いの腕が押し留める。
「やっ、それっ」
「うん、コレだね」
ある一点で止まった指が更に深く沈み込む。
黄金色の御使いが眉を潜めた。
「少し厄介だ、辛いかもしれないけど耐えなさい」
声も出す余裕もないのか、フェイは必死な様子で頷いた。
「あっ」
小さな悲鳴と共にずるり、と紅く禍々しい気配を帯びた何かが引きずり出され、それを見た銀の御使いの顔も厳しいものになる。
「何でこんな明らかにヤバいものを自分だけでどうにかしようと思うかな」
ガラス片にも似た小さなそれを金の瞳が覗き込む。
「きょうだい、それは――」
「うん、大体わかった。だったら尚更この子はボクらが預かる。いいね」
有無を言わさぬその様相にフェイはただただ頷いた。
「まったく、最近のキミは身勝手が過ぎる。振り回されるこちらの身にもなりなさい」
「……すまない……?」
「その顔は全く分かっていない顔だ。いいかい、そもそもがだ……」
そう言って黄金色の御使いのフェイに対する説教が始まった。
それを呆気に取られて見ていたザイの前に出された銀の御使いの腕が下げられた。
「アレはしばらくかかりますね、前《・》の分でも言い足りない事があったのでしょう」
「前?」
「最近のあの子は少々行き過ぎる傾向が強くなっていますから。それより、今しばらくは私達がいますから頭を冷やすなら今の内ですよ」
何もかも見透かしたような銀の瞳と物言いに口を開きかけたザイはぐっと口を閉ざし、弱り切ったフェイへと一度だけ視線を向ける。
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