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第32話 たずねたい事
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白い霧に包まれた峡谷で、唯一ぽっかりと開けた場所で焚火の近すぎない距離で、彼女を抱きしめる。
フェイがザイを迎えに来てから5年経つ。
この5年、色々あった。いや、何もなかったと言うべきか。
フェイとの旅はザイにとっては過酷だった。死にかけた事もあった。
それでもヴェストに送り返されてなるものかと必死に喰らい付いた。
何だかんだと言いつつも、フェイは一旦懐に入れた相手には甘い。
ヴェストには戻らないし、何がなんでもフェイに付いていくというザイの我儘《・・》も結局は受け入れられた。
その分巡回の予定は随分と遅れたものとなったが、御使いの感覚ではそれほどのものでもないらしい。そんな感覚で生きているならさぞかしヒトは忙しない生き物であることだろう。
皇国と帝国の動きはどんどん不穏さを増していく。周辺の国を落としていく皇国に対して、帝国は表面上は一切動きを見せない。代わりに水面下では活発に動いている。
彼女の立ち寄る人里には決まって帝国と皇国の密偵がいる
密偵がいる事自体はおかしくないがその両国は決まってフェイを狙う。
取り合っている、という風ではない。帝国側が動き、失態を見せた隙を狙って皇国側が手を出してくるのだ。
闇に紛れて襲ってくる事もあれば、白昼堂々襲ってくる事もある。
連中は決まってフェイの生捕りを狙う。
あまりにもしつこかったのでヴェストの情報部と連絡を取り、罠に嵌めてまとめてヴェストに引き渡したら、随分と静かになった。
他国の密偵も多少混ざっていたようだが、ザイには関係ない。
あとは国同士の問題だ。
ザイにとって、フェイさえ無事なら問題ないのだ。
「ザイ、いい加減寝ろ」
腕の中から不満が飛んでくる。
その納得しかねる顔を見て、随分表情豊かになったものだなと思う。そして同時に最近よく見る表情だなと思う。
彼女はザイが寝るまではこうして収まってはいるが、最近は目が覚めると向かいで火の番をしている。
最初は皇国付近の遺跡に向かった時だった。
休む段になり、彼女を抱き寄せ寒いと告げた。
自身には暖が取れる程の温度はないぞと返された。
これは気分の問題だと言えば、何処か納得しかねる顔のままではあったが抵抗される事はなかった。
もちろんただの同衾だ。指一本触れてない。
はっきり言って生殺しである。
それでもフェイがいいと言うならしないという選択肢はザイにない。
彼女を納得させるコツは一切の疚しさをおくびに出さない事だ。
多少おかしな事でもそれが当たり前のように振る舞えばあっさり騙される。
有り体に言えばチョロい。
自分でやっておいて何だが正直その素直さが不安でもある。
が、ヒトでフェイにここまで許されているのがザイだけであるなら問題ない。
だが最近は疑いの目を向けられる事も増えてきたので同じ手はそう長くは使えないなと考える。
あまりにも眠る気配がないと強引に眠らされるので、ザイは早々に目を閉じた。
§
静かな寝息を確認し、やっと眠ったかと安堵の息を吐く。もう少しこのままで良いのではないかという気持ちに蓋をして、そろりと額に手を伸ばし、深い眠りへと導く。
緩んだ腕を確認し、私はザイから身を離し、とある場所へと向かった。
徐々に白くなりゆく霧の中、ゆっくりと歩みを進める。
ここには何度も訪れているが、そこへと向かうのは初めてだ。
そうしてしばらく進めば小さな泉が見えてきた。
嘆きの泉。
この地に足を踏み入れた者が帰った筈もなく、誰も知る事のないそこに名前が付くのは白霧の峡谷が黒鉛の峡谷と呼ばれるようになってから。時間軸で言えばまだ少しばかり先になるが、その元凶を断った今、そう呼ばれる事はないだろう。
私は泉の縁に身を屈め、水面にそっと手を伸ばす。
そうすると水面の中央にひとつぷかり、と泡が浮かび弾ける。
ぷかり、ぷかり、と水底から泡が浮かんでは消えを繰り返す内に黒い影が水面から現れた。
真っ黒な泉一面に広がる重さを感じる黒い髪、病的な白い肌の女だ。
髪に覆われてその顔は見えないが、隙間から覗く真っ赤な瞳は鬼のそれとはまた違う。光はなく、どこか濁った瞳は深い嘆きに彩られている。
嘆き女。この泉の主であり、泉の水自体も嘆きの涙で満たされたもの。
そんな説明文《・・・》が脳裏を過る。
主人公は皇国との戦いと旅の最中、様々な地で仲間を得る。
黒の森では双子の王子と王女
黄土の荒地では片角の鬼《オーガ》
赤龍の顎門では竜人
紺碧の大森林では森の民と呼ばれる種族
そして、黒鉛の峡谷と呼ばれる筈だった白霧の峡谷ではこの嘆き女だ。
共通して言えるのは皇国の侵攻によるものだ。
双子は亡国の元王族
オーガは里の生き残り。
竜人と森の民は滅亡の危機に瀕しながらも主人公たちの協力により退ける。
そしてこの嘆き女はと言えば、黒鉛と呼ばれるようになった霧に苦しめられていたところをとある男に助けられる。男の正体は皇国の手先であり、主人公たちに先んじてこの地に訪れ、黒鉛の元凶が後からやってくるだろう主人公だと嘆き女を唆し、彼女に一目ぼれしたと甘い言葉を囁くのだ。
嘆き女は男にかつての恋人の姿を重ね、主人公たちを排除さえすれば、二人で幸せな未来を築けると信じて襲い掛かる。
一戦を交え、騙された事に深く嘆く彼女を主人公が仲間にするというベタな流れだ。
ひょっとしたらまだいないかもしれないと思いつつも、つい気になった。
彼女に聞きたい事もあったのだ。
「あなた様はどなた様?」
嘆き女は私の姿を認めると、首を傾げた。
「初めまして、幼い化生。私はフェイという」
「フェイ? 深き森の泉の乙女? そんなあなた様が一体私に何の御用?」
「お前にたずねたい事があったのだ」
嘆き女は不思議そうに私を見る。
「この私に? 私よりもたくさんの事を知るあなた様が? この地を元のきれいな場所にしてくれた、私よりもすごいあなた様が?」
「私にも知らない事があるのだよ。かつてヒトの子であったお前に教えて欲しい」
私の言葉に赤い唇が弧を描く。
見る者によっては不気味に映るそれも私には自分の知っている事を大人から聞かれた子供のような笑みに映った。
「私の知っている事ならなんでも聞いて下さいな」
その言葉に頼もしさを感じ、私は彼女にたずねた。
「恋、とは、どういうものなのだろうか?」
フェイがザイを迎えに来てから5年経つ。
この5年、色々あった。いや、何もなかったと言うべきか。
フェイとの旅はザイにとっては過酷だった。死にかけた事もあった。
それでもヴェストに送り返されてなるものかと必死に喰らい付いた。
何だかんだと言いつつも、フェイは一旦懐に入れた相手には甘い。
ヴェストには戻らないし、何がなんでもフェイに付いていくというザイの我儘《・・》も結局は受け入れられた。
その分巡回の予定は随分と遅れたものとなったが、御使いの感覚ではそれほどのものでもないらしい。そんな感覚で生きているならさぞかしヒトは忙しない生き物であることだろう。
皇国と帝国の動きはどんどん不穏さを増していく。周辺の国を落としていく皇国に対して、帝国は表面上は一切動きを見せない。代わりに水面下では活発に動いている。
彼女の立ち寄る人里には決まって帝国と皇国の密偵がいる
密偵がいる事自体はおかしくないがその両国は決まってフェイを狙う。
取り合っている、という風ではない。帝国側が動き、失態を見せた隙を狙って皇国側が手を出してくるのだ。
闇に紛れて襲ってくる事もあれば、白昼堂々襲ってくる事もある。
連中は決まってフェイの生捕りを狙う。
あまりにもしつこかったのでヴェストの情報部と連絡を取り、罠に嵌めてまとめてヴェストに引き渡したら、随分と静かになった。
他国の密偵も多少混ざっていたようだが、ザイには関係ない。
あとは国同士の問題だ。
ザイにとって、フェイさえ無事なら問題ないのだ。
「ザイ、いい加減寝ろ」
腕の中から不満が飛んでくる。
その納得しかねる顔を見て、随分表情豊かになったものだなと思う。そして同時に最近よく見る表情だなと思う。
彼女はザイが寝るまではこうして収まってはいるが、最近は目が覚めると向かいで火の番をしている。
最初は皇国付近の遺跡に向かった時だった。
休む段になり、彼女を抱き寄せ寒いと告げた。
自身には暖が取れる程の温度はないぞと返された。
これは気分の問題だと言えば、何処か納得しかねる顔のままではあったが抵抗される事はなかった。
もちろんただの同衾だ。指一本触れてない。
はっきり言って生殺しである。
それでもフェイがいいと言うならしないという選択肢はザイにない。
彼女を納得させるコツは一切の疚しさをおくびに出さない事だ。
多少おかしな事でもそれが当たり前のように振る舞えばあっさり騙される。
有り体に言えばチョロい。
自分でやっておいて何だが正直その素直さが不安でもある。
が、ヒトでフェイにここまで許されているのがザイだけであるなら問題ない。
だが最近は疑いの目を向けられる事も増えてきたので同じ手はそう長くは使えないなと考える。
あまりにも眠る気配がないと強引に眠らされるので、ザイは早々に目を閉じた。
§
静かな寝息を確認し、やっと眠ったかと安堵の息を吐く。もう少しこのままで良いのではないかという気持ちに蓋をして、そろりと額に手を伸ばし、深い眠りへと導く。
緩んだ腕を確認し、私はザイから身を離し、とある場所へと向かった。
徐々に白くなりゆく霧の中、ゆっくりと歩みを進める。
ここには何度も訪れているが、そこへと向かうのは初めてだ。
そうしてしばらく進めば小さな泉が見えてきた。
嘆きの泉。
この地に足を踏み入れた者が帰った筈もなく、誰も知る事のないそこに名前が付くのは白霧の峡谷が黒鉛の峡谷と呼ばれるようになってから。時間軸で言えばまだ少しばかり先になるが、その元凶を断った今、そう呼ばれる事はないだろう。
私は泉の縁に身を屈め、水面にそっと手を伸ばす。
そうすると水面の中央にひとつぷかり、と泡が浮かび弾ける。
ぷかり、ぷかり、と水底から泡が浮かんでは消えを繰り返す内に黒い影が水面から現れた。
真っ黒な泉一面に広がる重さを感じる黒い髪、病的な白い肌の女だ。
髪に覆われてその顔は見えないが、隙間から覗く真っ赤な瞳は鬼のそれとはまた違う。光はなく、どこか濁った瞳は深い嘆きに彩られている。
嘆き女。この泉の主であり、泉の水自体も嘆きの涙で満たされたもの。
そんな説明文《・・・》が脳裏を過る。
主人公は皇国との戦いと旅の最中、様々な地で仲間を得る。
黒の森では双子の王子と王女
黄土の荒地では片角の鬼《オーガ》
赤龍の顎門では竜人
紺碧の大森林では森の民と呼ばれる種族
そして、黒鉛の峡谷と呼ばれる筈だった白霧の峡谷ではこの嘆き女だ。
共通して言えるのは皇国の侵攻によるものだ。
双子は亡国の元王族
オーガは里の生き残り。
竜人と森の民は滅亡の危機に瀕しながらも主人公たちの協力により退ける。
そしてこの嘆き女はと言えば、黒鉛と呼ばれるようになった霧に苦しめられていたところをとある男に助けられる。男の正体は皇国の手先であり、主人公たちに先んじてこの地に訪れ、黒鉛の元凶が後からやってくるだろう主人公だと嘆き女を唆し、彼女に一目ぼれしたと甘い言葉を囁くのだ。
嘆き女は男にかつての恋人の姿を重ね、主人公たちを排除さえすれば、二人で幸せな未来を築けると信じて襲い掛かる。
一戦を交え、騙された事に深く嘆く彼女を主人公が仲間にするというベタな流れだ。
ひょっとしたらまだいないかもしれないと思いつつも、つい気になった。
彼女に聞きたい事もあったのだ。
「あなた様はどなた様?」
嘆き女は私の姿を認めると、首を傾げた。
「初めまして、幼い化生。私はフェイという」
「フェイ? 深き森の泉の乙女? そんなあなた様が一体私に何の御用?」
「お前にたずねたい事があったのだ」
嘆き女は不思議そうに私を見る。
「この私に? 私よりもたくさんの事を知るあなた様が? この地を元のきれいな場所にしてくれた、私よりもすごいあなた様が?」
「私にも知らない事があるのだよ。かつてヒトの子であったお前に教えて欲しい」
私の言葉に赤い唇が弧を描く。
見る者によっては不気味に映るそれも私には自分の知っている事を大人から聞かれた子供のような笑みに映った。
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その言葉に頼もしさを感じ、私は彼女にたずねた。
「恋、とは、どういうものなのだろうか?」
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