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第23話 牙には牙を
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「ひ、ひぃ、ひ、ひ……」
男は呻きながら木の陰に身を潜めていた。息を殺そうにも喉から出る音が上手く抑えられない。
武器は逃げる途中で魔物に食いちぎられ、奪い捨てられた。
どうにか振り切ったはいいが、そこかしこから獣の息遣いが聞こえるようで動悸が収まらない、
がさり
「ひっ!」
叢をかき分ける音に振り返れば外套を目深に被った細身の子供が立っていた。
「お、おまえ……、なんで!」
声を荒げかけて慌てて己の口を塞ぐ。
「…………」
子供は口元に笑みをはいたまま喋らない。
その子供が男に向かって草を数枚重ねたものを差し出した。
「な、なんだ?」
震える手で恐る恐るそれを受け取る。
試しににおいを嗅いでみればよく知った匂いだ。指でその草の感触や形を確かめる。間違いない。
「…………薬草か」
「…………」
子供は答えない。
男が薬草を握り締めたのを確認すると、子供は踵を返す。
「あ、おい、まて……」
言い切る前に子供は暗闇の中に見えなくなった。
男は少し冷静さを取り戻した頭で自身の状況を改めて振り返ってみた。
獣の牙や爪で傷を負い、酷い事になっている。森の瘴気はなくとも、爪や牙に毒を持つ魔物も多い。
「ないよりかは、ましか」
傷に利く薬草ではあるが、確か毒消しの薬の材料にも入っていた筈だ。気休めだが、多少は飲んでおいてもいいかもしれない。男は口を大きく開けて草の束を放り込み、からからに乾いた咥内で唾液の出を意識しながらその草を噛みしめた。
§
「おう、終わったか」
「ん」
黒の森を出たところでザイはゴウキに迎えられた。
「どうした、何か変なモンでも拾い食いしたか?」
しきりに袖口で口を拭うザイにゴウキは訝し気に問いかけた。
「食ってないけど口には入れた」
口の中に残る痺れた感覚に顔を顰めるザイだが、ゴウキに対して気分を悪くしたわけでもない。
あの4人組を森の中へ引き入れる手助けと、逃げた生き残りの場所を教えてくれたのはゴウキだ。
大きな身体で完全に気配を消し、相手の気配を察知する能力にザイは内心で舌を巻いた。
お陰で余計な時間を割かずに済んだ。
ゴウキは警備担当の騎士に声をかける。
「おう、すまんかったな」
「いえ、元々少々きな臭い連中だとギルドからも報告が上がっておりまして、こちらも手間が省けました」
軽い挨拶を交わした後、ゴウキはザイと連れ立って騎士団の臨時の詰め所となっている宿屋へと向かい、預けておいた馬の手綱を受け取った。
「しかし小僧、お前本当に優秀じゃのう」
ゴウキはザイの視線を受けながらしみじみと言った。
まだ調練にすら参加していない15の子供だ。
だが、彼ら4人を嵌めた手腕は見事だと言える。とても直情的な鬼《オーガ》の血が混ざっているとは思えない。
酒場の客が掃け、4人だけが残った事を確認し、外套で姿を覆い隠し、一切言葉を発さず酒で判断力を落とした男達に渡したメモには侵入経路と森の内部の大まかな道筋も書かれていた。巫女様と森の中を歩いたと言っていたが、その際に特に注意を受け、歩かなかった場所をメモに記したという。
いったいどういう頭をしているのかゴウキには理解ができない。
ザイは物陰に潜み、物音や気配を残して魔物の多く潜む場所へと誘導し、襲わせたのだ。
当分の間は黒の森には定期的に警備員を配置する事が決まっている。
4人の冒険者がいなくなった事で騒ぎになる事は恐らくはない。冒険者がある日突然姿を見せなくなるなんて事はそう珍しい事ではないのだ。
例え行方を探す者が現れても大きな手がかりになるようなものはない。
彼らと接触した子供を探そうにも何の特徴もない外套を深く被っただけの、男か女かも分からない細身の子供だ。
後ろ暗い人間は連絡手段としてそういった子供をよく使う。
ザイに辿り着く事はまずない。
この少年に関しては巫女様が連れて来た時点でずぐに調べさせた。上がって来た情報はよくあるものばかりだった。底辺の駆け出し冒険者だという情報も得ていたが、とてもそんな風には思えない。頭はよく回るし非常に用心深い。
ゴウキは当初、多少の手助けはするつもりであった。
ザイの手に余るようならいくらか片づけても良いと思っていた。
しかし、今回ゴウキがした事といえば、ただ騎士団の警備に口利きをして隙間を空けてもらい、逃げた一人のいる方向を教えただけである。
ゴウキの協力がなければどうしたかと問えば、一人ずつ殺してまわる予定だったという。
己の力量をよくわかった上で頭の使い方も悪くはない。場の状況を読む力も備わっている。
このまま城に引き取って育てれば将来は良い将となるだろう。
そうなれば亜人の立場も大きく変わろうというものだ。
それがまた非常に惜しいとゴウキは思う。
(だからこそ、巫女様も供に選んだやもしれん)
まさか、偶然巻き込んだだけの子供だとは夢にも思わないゴウキはそんな事を思う。
巫女様から聞かされた巡回ルートを思えば3年でも厳しいというのがゴウキの見立てだ。
どれだけ素質があろうとも、ヒトとそうでない者との差はそう簡単には埋まらない。
埋まらないと言えば巫女様とこの少年の関係の事もある。
問題はこの子供の熱心な求愛に無自覚に応えておきながら、自分自身は関係ないと割り切っているド天然な巫女様である。
鬼種にとって明かされた諱《いみな》を呼び、贈られた名を受け取るという事は「名を交わす」という行為に他ならない。初夜の契りを交わしていないというだけで、鬼側の視点で言えば、夫婦として成立してしまっている。事実婚である。
巫女様には説明した。
巫女様はゴウキの話を聞いた後、しばらく考えこみ、こちらの予想の斜め上を言いだした。
『それは鬼の仕来りであろう? 私はヒトの枠に当て嵌まらぬ。ノーカンにならんか?』
なるわけがない。
巫女様の言い分もわかるのだ。上位存在から見ればヒトが勝手に決めた事に従う義理はない。
だが、贈られたものを受け取り、相手の要望に応えている以上、取引は成立してしまっている。
少年にはまだ言えない。こちらもまた無自覚に求愛行動に出た訳だが、その意味を正しく理解して尚巫女様へ向ける気持ちは変わらない。が肝心の巫女様の返答がアレである。
言うに言えない。
これは状況の先延ばしだが、今はそれが必要だとゴウキは判断した。
それに正式な儀式に則ったものではないのでまだギリセーフと言えない事もない。
限りなくゼロに近いが成長する過程で視野が広がり、巫女様への恋心を諦め、ヒトの女を娶る可能性もないわけではない。
「…………」
嘘だ。
ゴウキ自身わかっている。これは苦し紛れの現実逃避で、この子供が巫女様を諦める事は絶対にない。角まで捧げた相手だ。掴んだその手を離すとは思えない。
この子供の行動原理は全て巫女様が中心だ。だが、巫女様はそうでない。
問題は山積みだ。
ゴウキは少年の頭を撫でる。
やはり迷惑そうな顔をする。
「小僧、死ぬ気で踏ん張れよ。でなければ、巫女様との旅は許可できんからな」
少年の頭が小さく揺れた。
「それと、お前の字《あざな》を考えんとなあ」
これもまた問題だ。生半可な名前では納得するまい。由来に巫女様を絡めてみれば納得するかもしれないと思い付く。
かつてゴウキが子供の時分、たまたまゴウキの住む集落に、今と寸分たがわぬ姿形の巫女様が立ち寄った時の事が思いだされる。
『それは古き神を由来に持つ名でな……』そう語った巫女様がどんな話をしてくれたのかは覚えていない。中々寝付けないゴウキに寝物語に語って聞かせてくれたものだ。
「明日にでもお前の納得する名をつけてやるわ」
「…………」
ザイは疑わし気にゴウキを見上げた。
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