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第6話 なんぞこれ
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なんぞこれ、なんぞこれ! なんぞこれえぇぇぇぇぇぇぇえ!!!
今の私と前世《むかし》の私との間を隔てる壁が一気に決壊した瞬間だった。
巫女としての穏やかな笑蛾を少年に向けながら、その内心は荒れ狂っていた。
徐々に時間をかけて混ざり合っていく過程のなか、自我のバランスを保つのに精いっぱいの今の私の中に押し寄せる強い感情。
それはザイと名乗った少年に対する感情だ。
例えるならば、決して誰にも懐かない野生の獣が警戒しながらも心を許し、甘え方を知らず、それでも精一杯すり寄って来る様を目の当たりにしたときの感情。いや、これは感動か?
私にも喜怒哀楽はある。人間と比べれば希薄な感は否めない。
私とヒトでは見ているものが違う。
何せ、私の感情は個に向けるものではなく、種《しゅ》、そのものに向けるものだから。
敬愛する我が神の作りたもうたこの世界、そこに芽生えた命は等しく愛しい。
不滅に近い存在の私は種への存続を必要としない手前、個へ向ける感情は希薄だ。
見知った人間がこの世を去った、それは寂しく、残された者に憐れは感じても死を悼む者、死にゆく者の悲しみは理解できない。
それも全てが悠久に流れる時の中の運命《さだめ》のひとつに過ぎないのだから。
私は羊飼いであって、羊ではないのだ。
(それがどうした事か)
目の前の素直でなく、心を許す事に躊躇し、葛藤している少年の様が、なんというか…….
かわいい。
赤子や子供に対するそれとはまた違う、もう、一、二年もすれば少年から青年になるであろうこのザイという、一個の人間に感情が盛り上がってしょうがない。
この世に生まれて一度も経験したことのない感情だ。
だが、これに近い感情にはここ最近、覚えがある。
ゲームの内容を思いだしてからの登場キャラクターに一喜一憂する人間の頃の私が、特に好ましいキャラに対して抱く感情。
混ざり始めていると言っても今と前世《むかし》の私達の間には隔たりがある。
だから、前世《むかし》の頃の感情が直接私に届く事はないが、最近はぼんやりながらも人間だった頃の感情が思いだされる事があるのだ。
しかし、ここまで鮮明で強いものではなかった。
人間の持つ、強い想いというものに改めて驚かされた。
(しかし、このいじましい生き物をどう扱ったものか)
身の内に突き上げられる衝動に従うと考えたなら、このザイという少年を抱きしめ、可愛がり、思う存分頭を撫でくり回したい。撫でまわして、嫌がる様を堪能したい。
そこまでがセットだ、と私の中の何かが叫ぶ。
しかし、それはしてはいけない事だ。
私だって知っている。
それは変質者、または変態と呼ばれる手合いの所業だ。
「神の落とし子」、「御使い」とも呼ばれ、敬われた私が、一時の衝動に任せてそんな行動に走るとなれば、名折れだ。
それを自身に言い聞かせ、慈愛ある巫女の笑顔の仮面の下で、わきわきと動こうとする指の動きを意志の力でねじ伏せた。
「………………あんたは」
「うん?」
「ああんたの名前」
ぶっきらぼうな物言いの中に垣間見える照れくささの中に残る警戒心。それでもこちらに歩み寄ろうとする態度。
ぎゅんっと一気に心のボルテージが上がる。
私はぐっと腹の底に力を込め、さりげなく腕に収めていた食料を地面に一つ一つ丁寧に置き、その数を数えて自身を落ち着かせた。
「好きに呼べばいい」
少年の眉間に皺が寄る。
「私は見ての通り、旅の巫女だ最近では『巫女様』、『先生』、そのように呼ばれている」
「あんたの名前は?」
苛立ちと不機嫌さの混ざる問いかけに、満足のいく答えでなかった事を理解する。
大抵の者はこれで納得したものだが、さて困った。
「名は、ないな」
「……は?」
仕方なく正直に答えれば、何言ってんだコイツという表情でこちらを見る目とぶつかる。
「今まで、その呼び方で不都合がなかったのだよ、特に名を定める必要がなかった。
だから、その二つの呼び方に不満なら、『あんた』でも『お前』でも好きに呼べば良い」
どうせ、この森が開くまでの短い付き合いだ。
そう思えば、このザイという少年に対する荒れ狂う感情もある意味、貴重な経験とも言える。
ザイは俯き、黙り込んだ。
この、警戒心が強く、素直でない少年の常であれば、「わかった」と即答するものと思ったが、私をどう呼ぶかを考えているようだ。
昨夜出会って、傷の手当をしてやった、ただそれだけの私に対してだ。
それが見て取れるだけに、その様は私の心の刺激してはならない部分に突き刺さる。
なんだこの根が素直な生き物。
耐えろ、私。
穏やかな表情という仮面をかぶり、ぐっと歯を食いしばる。
しばらくして少年がちらり、とこちらへ視線を向け、すぐに伏せる。
「フェイ」
「フェイ?」
唐突に呟かれた言葉に何かの方言か暗号だろうか、と首を傾げる。
「あんたをそう呼ぶ」
それは私を表す名であるらしい。
「ふむ」
フェイ、フェイ、と口の中で繰り返す。
ザイはどこか落ち着かなげだ。
「あ、アンタが気に入らないなら……」
「よし、気に入った」
深き森の乙女、その性質は気まぐれで時に人を助け、時に人を破滅に追いやる。
人間の中に伝わる物語。時として精霊や女神の遣いとして描かれるそれはあくまでも人間の視点であり、その本質は、守るべき地の安寧だ。
人に都合の良いだけの存在でないところが気に入った。
何より私の感情を揺り動かした初めての個の存在であるザイが送ってくれた名前である。
「これより、私はフェイと名乗ろう」
少年の前髪の隙間から覗く瞳が輝いた。その感情は喜び、嬉しさ、そういった類のものだ。
「じゃあ、それで」
素っ気なく答え、私に背を向けた少年の耳は赤い。
今ここで、後ろから抱き着いたりしたらダメだろうな。
そんな事を思いながら、私は採取した食料を取り分けるのだった。
今の私と前世《むかし》の私との間を隔てる壁が一気に決壊した瞬間だった。
巫女としての穏やかな笑蛾を少年に向けながら、その内心は荒れ狂っていた。
徐々に時間をかけて混ざり合っていく過程のなか、自我のバランスを保つのに精いっぱいの今の私の中に押し寄せる強い感情。
それはザイと名乗った少年に対する感情だ。
例えるならば、決して誰にも懐かない野生の獣が警戒しながらも心を許し、甘え方を知らず、それでも精一杯すり寄って来る様を目の当たりにしたときの感情。いや、これは感動か?
私にも喜怒哀楽はある。人間と比べれば希薄な感は否めない。
私とヒトでは見ているものが違う。
何せ、私の感情は個に向けるものではなく、種《しゅ》、そのものに向けるものだから。
敬愛する我が神の作りたもうたこの世界、そこに芽生えた命は等しく愛しい。
不滅に近い存在の私は種への存続を必要としない手前、個へ向ける感情は希薄だ。
見知った人間がこの世を去った、それは寂しく、残された者に憐れは感じても死を悼む者、死にゆく者の悲しみは理解できない。
それも全てが悠久に流れる時の中の運命《さだめ》のひとつに過ぎないのだから。
私は羊飼いであって、羊ではないのだ。
(それがどうした事か)
目の前の素直でなく、心を許す事に躊躇し、葛藤している少年の様が、なんというか…….
かわいい。
赤子や子供に対するそれとはまた違う、もう、一、二年もすれば少年から青年になるであろうこのザイという、一個の人間に感情が盛り上がってしょうがない。
この世に生まれて一度も経験したことのない感情だ。
だが、これに近い感情にはここ最近、覚えがある。
ゲームの内容を思いだしてからの登場キャラクターに一喜一憂する人間の頃の私が、特に好ましいキャラに対して抱く感情。
混ざり始めていると言っても今と前世《むかし》の私達の間には隔たりがある。
だから、前世《むかし》の頃の感情が直接私に届く事はないが、最近はぼんやりながらも人間だった頃の感情が思いだされる事があるのだ。
しかし、ここまで鮮明で強いものではなかった。
人間の持つ、強い想いというものに改めて驚かされた。
(しかし、このいじましい生き物をどう扱ったものか)
身の内に突き上げられる衝動に従うと考えたなら、このザイという少年を抱きしめ、可愛がり、思う存分頭を撫でくり回したい。撫でまわして、嫌がる様を堪能したい。
そこまでがセットだ、と私の中の何かが叫ぶ。
しかし、それはしてはいけない事だ。
私だって知っている。
それは変質者、または変態と呼ばれる手合いの所業だ。
「神の落とし子」、「御使い」とも呼ばれ、敬われた私が、一時の衝動に任せてそんな行動に走るとなれば、名折れだ。
それを自身に言い聞かせ、慈愛ある巫女の笑顔の仮面の下で、わきわきと動こうとする指の動きを意志の力でねじ伏せた。
「………………あんたは」
「うん?」
「ああんたの名前」
ぶっきらぼうな物言いの中に垣間見える照れくささの中に残る警戒心。それでもこちらに歩み寄ろうとする態度。
ぎゅんっと一気に心のボルテージが上がる。
私はぐっと腹の底に力を込め、さりげなく腕に収めていた食料を地面に一つ一つ丁寧に置き、その数を数えて自身を落ち着かせた。
「好きに呼べばいい」
少年の眉間に皺が寄る。
「私は見ての通り、旅の巫女だ最近では『巫女様』、『先生』、そのように呼ばれている」
「あんたの名前は?」
苛立ちと不機嫌さの混ざる問いかけに、満足のいく答えでなかった事を理解する。
大抵の者はこれで納得したものだが、さて困った。
「名は、ないな」
「……は?」
仕方なく正直に答えれば、何言ってんだコイツという表情でこちらを見る目とぶつかる。
「今まで、その呼び方で不都合がなかったのだよ、特に名を定める必要がなかった。
だから、その二つの呼び方に不満なら、『あんた』でも『お前』でも好きに呼べば良い」
どうせ、この森が開くまでの短い付き合いだ。
そう思えば、このザイという少年に対する荒れ狂う感情もある意味、貴重な経験とも言える。
ザイは俯き、黙り込んだ。
この、警戒心が強く、素直でない少年の常であれば、「わかった」と即答するものと思ったが、私をどう呼ぶかを考えているようだ。
昨夜出会って、傷の手当をしてやった、ただそれだけの私に対してだ。
それが見て取れるだけに、その様は私の心の刺激してはならない部分に突き刺さる。
なんだこの根が素直な生き物。
耐えろ、私。
穏やかな表情という仮面をかぶり、ぐっと歯を食いしばる。
しばらくして少年がちらり、とこちらへ視線を向け、すぐに伏せる。
「フェイ」
「フェイ?」
唐突に呟かれた言葉に何かの方言か暗号だろうか、と首を傾げる。
「あんたをそう呼ぶ」
それは私を表す名であるらしい。
「ふむ」
フェイ、フェイ、と口の中で繰り返す。
ザイはどこか落ち着かなげだ。
「あ、アンタが気に入らないなら……」
「よし、気に入った」
深き森の乙女、その性質は気まぐれで時に人を助け、時に人を破滅に追いやる。
人間の中に伝わる物語。時として精霊や女神の遣いとして描かれるそれはあくまでも人間の視点であり、その本質は、守るべき地の安寧だ。
人に都合の良いだけの存在でないところが気に入った。
何より私の感情を揺り動かした初めての個の存在であるザイが送ってくれた名前である。
「これより、私はフェイと名乗ろう」
少年の前髪の隙間から覗く瞳が輝いた。その感情は喜び、嬉しさ、そういった類のものだ。
「じゃあ、それで」
素っ気なく答え、私に背を向けた少年の耳は赤い。
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