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32話 由鶴

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 あれよあれよと初出勤にして初のVIPルームへと入る銀二郎。部屋に入るなり、この店で一番高いシャンパンのボトルが届けられる。春樹はそれを見届けると早々にVIPルームを出た。銀二郎は今、由鶴とふたりきりだ。手慣れた様子で由鶴自らシャンパンのボトルを開ける。ポンッと弾けるような音がし、ボトルの口から雲のような煙が舞う。かいだことのない甘やかで品のある香りがした。

「ギン君は、好きなお酒ある? 自由に頼んでね」

 そう聞きながら、手酌をしようとする由鶴の手を銀二郎は慌てて止める。けれど、由鶴はそれをやんわりと断り、銀二郎のグラスにもシャンパンを注ぐ。

「恥ずかしながら、お酒はそんなに強くないんです・・・。」

 銀二郎が正直にそう言うと、由鶴はシャンパンを注ぐ手を止めた。

「なんだ、そうだったのか。じゃあ、これは私が一人で飲んでも良いってことかな?」

 由鶴は銀二郎のグラスを取り上げると、こくこくと飲み干した。気を使わせてしまった・・・。少し落ち込んでいると、何飲みたい?とソフトドリンクのメニューを見せてくれる。

 これが・・・大人の余裕・・・・・・。

 注文したオレンジジュースがすぐに届く。持ってきてくれたバニーの女の子にお礼を言って、受け取る。緊張しているのか喉が渇いて、銀二郎はゴクゴクと勢い良く飲んだ。その様子を由鶴がじっと眺める。見られていたことに驚いて、いつものように顔が熱くなるのを感じた。

「落ち着いた?」

「は、はいっ」

 おどおどとした銀二郎の態度に由鶴はクスクスと笑う。
 けれど、その楽しそうな雰囲気は一瞬にして剣呑な雰囲気に変化した。



「さぁ、そろそろ本題に入ろうかな。」

 先程までとは打って変わり、冷たい視線が向けられる。
 何とも言えない空気に背中がゾクリとした。

「ほ、本題、ですか?」

「そうだよ、ギン君。いや、佐野銀二郎くん。」

「・・・・・・・・・え?」


 今、本名で呼ばれた?
 僕、この人に名前教えたっけ?
 いやいや、絶対教えてない。

 わざとらしく、フルネームで銀二郎を呼んだ由鶴は口元に微笑を浮かべる。けれど、その目は一切笑っていなかった。

 背中に冷や汗が伝う。
 考える間もなく、由鶴は話を続ける。

「私は、由鶴。」

「さん、ぼん、ぎ」

 聞き慣れた名前だ。
 何度も何度も耳にした、口にした名前。

「私は、あの子の・・・蓮の父親だ。蓮は母親似だからね、気が付かなかったかな?」

 一体どういうことだ。
 何故、蓮くんのお父さんが僕のことを知っているんだろう。
 
 それに・・・っ。

「なんで、お店に、、知ってたんですか?」

 今日が初日のはずで、店長以外は誰も知らないはずなのに、どうして!銀二郎は、その他諸々をすっ飛ばして思わず聞いた。

「ああ、それは偶然。気に入ってる店なんだ。よく来ていてね。君のこと、よく調べさせて貰ったから、すぐに分かったよ。いずれは会おうと思っていたから、手間が省けて良かった。」

 鼻にかけるようなクツクツとした笑いを絡ませながら、由鶴は言った。
 
「調べたって、なんで」

「んー?わかるだろう、可愛い息子にが付いてちゃ困るんだよ。言ってる意味分かるね?」

 深い谷底に落とされたような気分だ。

 真っ黒い闇に包まれていく。誰も咎める人などいない、どこか心の中で信じて疑わなかった。でも、そんなわけがなかった。セフレなどというただれた関係の挙げ句、蓮も男で自分も男。

「蓮との関係を終わらせなさい。分かったね?」

 いつか終わりが来ることを覚悟していたはずなのに。

 ・・・・・・・・・。

 直ぐに返事をできずにいると、由鶴は追い打ちをかけるように言った。

「まさか君がこんなところで働いているなんてね。本当に、よく似合ってると思うよ、バニーちゃん。」

 耳元で囁くように、静かに脅される。


「・・・・・わかりました。れ・・・息子さんとの関係は、終わりに、します。申し訳ありませんでした。」

 深々と頭を下げて謝罪をする。
 自分で声に出せば現実味を増す。
 言葉が喉に引っかかって上手く出なかった。

 銀二郎の言葉を聞くと、由鶴は満足げに笑顔を作った。よしよしと銀二郎の頭を撫でながら「お店、辞めないでね。」と釘を刺し「ギン君、可愛いから結構気に入ってるんだよ」とあと付け、VIPルームを出た。一人、取り残された銀二郎は放心状態で、しばらくは息すらも吸えなかった。
 




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