ウザキャラに転生、って推しだらけ?!表情筋を殺して耐えます!

セイヂ・カグラ

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パン屋と最推しと俺

20話 王子様の無茶振り!

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「(今日こそ、勝ち取ってみせるぞ『ゼロ』)……。」

 鼻腔をくすぐるのは、ほんのりと甘く香ばしい匂い。ぬくもりのある店の中には、焼き立てのパンがずらりと並んでいる。大きくはない、けれども賑わう小さな店。開店前だというのに人が大勢並ぶ。この町外れにあるパン屋にやってきたのには理由がある。
 こんなパン屋があるとは知らなかった。この場所、この町に訪れることだって初めてだった。俺が今、このパン屋に並んでいる最大の理由…、ユピテル様からの勅令が下されなければ、こんなにも素敵なパン屋と出会うことはできなかっただろう。まったく、推しという存在は偉大すぎる。おいしそうなパンに見惚れながら、俺はクロワッサンを求め、開店を待った。そう、またもユピテル様の気まぐれ。俺のことなんて認識しているかどうかも怪しいユピテル様だが。あの日の出来事が嘘のように何もなかった数日後。学内で俺を見かけるなり、思い出したかのようにユピテル様が突然こんなことを言ってきた。

「下町にとても美味しいパン屋がある。一度食べたきりだけれど、そこのクロワッサンがとても美味しくて気に入ってね。けれどそれは、週に1度の限定で、それも10個までしかない。オレはその店の雰囲気が好きだから、変に騒ぎ立てて買うような真似はしたくないんだ。民と同じように、それを手に入れたいと思っている」

 通りすがりに声をかけて頂いた衝撃は凄かった。美少年を侍らせたままユピテル様はゆったりと俺にそう話し、ニッコリと笑顔を向ける。

「店の名前は『ゼロ』という。君、買ってきてくれるかな?」

 加えて「毎週、がきちんと並んでね?」とおしゃった。まぁとにかく、その言葉には色々な圧があったのだ。全く何を考えていらっしゃるのか分からない。何故わざわざ俺にパンを買いに行く役割を与えたのかも分からない。単なる気まぐれなのか、俺という新しい玩具を見つけただけなのか、俺は王子様の何かしらの興味のセンサーに引っ掛かってしまったようだ。とにかく理由は分からない。しかし、行けと言われたら行くしかない。彼には従うが吉。王子様のお考えを否定したり止めてはいけないのだ、色々な意味で…。それでも俺は、最推し様に与えられた使命に正直、歓喜していたし、興奮もしていた。だって、世界一憧れているキャラひとからのご命令なのだから! これくらいならストーリー展開の邪魔にはならないよな。だって推し様、ご本人からの令だし。うん、大丈夫、問題ない。許容範囲、許容範囲。

 という訳で、俺は言われた通り早朝のパン屋に地味な格好で並んでいる。クロワッサンの販売が、授業の無い毎週のようでよかった。そうでなければ、毎度遅刻する事になっていただろう。一応、身分を隠すため、町民と似たような服装をしている。俺は何のオーラもないので、地味な格好をすると、もうただの一般市民。貴族の『き』の字すらないし、町の若者の中に入ってもカースト下位の陰キャ感が溢れ出している。本来は、これが俺の姿な気がするよ…ははっ。

 ああ、並んでいるパンが全部、美味しそうだ。
 今日もお土産に、いくつか買っていこう。

 ちなみに双子様には、ユピテル様からの勅令だとは伝えていない。俺がどうしても自分で買って食べたいんだとゴネると、いつものが始まったという感じで呆れ顔で許してくれた。もちろん過保護なお母様にはナイショで、得意の魔法を駆使し部屋を抜け出しているわけだ。初日は双子様も護衛に付いてきてくれたが、今日はさすがに早すぎてふたり共、眠っていた。その方が俺も買いやすい。付き合わせるのも申し訳ないからな。

 そんなことを考えながら、ソワソワしてくる。なぜなら相当早くから此処に並んでいるが、既に5人の敵が俺の目の前に居るからだ。限定10個のパンだ。一人ひとつという決まりはない…。実はこのパン屋に並ぶのは、今日が初めてじゃない。もうすでに2度ほど挑戦している。だが、惨敗中。今日なんて日が昇らないうちにやってきたというのに既に5人もの人が居て、もはや恐怖を感じるくらい。ユピテル様は、俺の顔を見るだけでパンを買ってこれなかったのが分かるらしい。美しいお顔でニッコリと微笑んで、顎をクイッと突き出し、もう一度行ってこいと指示する。

 もはや、いつ殺されるかわからない状態だ。3度目は無いような気さえする。
 ていうか、もう絶対ない! 
 今日、クロワッサンを買えなかったら俺は処刑場行きだ…。
 もう二度とユピテル様や推しの皆様のお顔を拝めなくなってしまう! 
 そんなのは嫌だ…!!
 だから俺は今日、絶対にクロワッサンを手に入れるつもりで来たんだ。
 なのに…!なのに…!

「クロワッサン、あるだけください」

 前に並んだ奴が放った言葉に、俺は唖然とした。自分の耳を疑った。

「クロワッサン、売り切れましたー」

 俺が見ていた限り、クロワッサンはあと3つあった。
 それを、全部……? 
 一個ぐらい残してくれても良いじゃないか。
 俺の最推し様が、王子様が食べたがってるんだぞ?
 俺の首が掛かっているんだぞ?
 それを、、この野郎、、こいつ、、!

 理不尽なことを言っているのは分かっている。だが、俺は3度目にしても手に入れられなかったクロワッサンに絶望していた。悔しさに、唇を噛み締め、握りこぶしをつくった。前世も人気な新作ゲームには命がけで並んでいた。その頃の熱が蘇って、燃え上がっていたから余計に悔しい! 誰のせいでもないことは、分かっている。ただ俺の並ぶのが遅かった、それだけ。この戦いに負けた理由は自分にある…。でもっ、でもっ!

「……っ、……、」

 じんわりと目頭が熱くなった。
 日が昇る前から並んで、不眠気味の頭が情緒を不安定にさせる。

 くろ、くろわっさんぅ…、ぅうっ。

 がっくりと肩を落として、俺は何も買わずに店の扉のドアノブに手をかける。
 その瞬間、腕がそっと掴まれた。
 帰ろうとする俺を、引き留める人がいた。
 振り返って目に入り込んだその人に俺は、目を見開く。
 まるでスローモーションみたい。
 時間が止まったんじゃないかと思うくらいに、全てがゆっくりに見えた。
 もしも、声が使えていたら叫んでいただろう。


 だって、俺を引き止めたのはパン屋の格好をしたユピテル様だったから。



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