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第二章
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「ドイツをね」
「愛しているね」
「芸術はドイツにあるんだ」
彼は言った。
「君も知っているだろう?ワーグナーを」
「ああ、勿論ね」
「あのローエングリン」
そのワーグナーの作品の一つである。白銀の騎士が姫の苦境を救う、そうしたロマンシズムに満ちた作品である。彼は今度はそれを話に出してきたのだ。
「あれこそが芸術なんだよ」
「ローエングリンかい、また」
「そうさ。僕はあれを十一歳で観た」
まさに子供の頃である。
「あの時程感動したことはないよ」
「そして今もかい」
「あれこそが芸術なんだ」
まさにそうだというのだった。
「ドイツなんだよ」
「ドイツなんだね、ワーグナーが」
「そうさ。ドイツ的なものがなんだ」
「ニュルンベルグのマイスタージンガーかな、今度は」
オスカーが今度言ったのもワーグナーの作品である。これはワーグナー自身を投影したと言われるドイツの詩人ハンス=ザックスが主人公である。なおこのハンス=ザックスという人物は実在人物である。
「ドイツ的なものというと」
「オーストリアにはそれがない」
苦い声での断言だった。
「何一つとしてね」
「そこまで言うのかい」
「言うさ、何度でもね」
そして彼は実際に言っていた。筆はドイツを語ると穏やかになりオーストリアを語ると荒くなっている。彼の感情がそのまま出ていた。
「ゲルマン的なものはここには何一つとしてないんだ」
「ではここにあるのは何だい?」
「堕落さ」
またしても忌々しげな言葉だった。それで言い切ったのである。
「このオーストリアにあるのはね」
「じゃあ今描いている帝国歌劇場は何だっていうんだい?」
「まさにその象徴だね」
こう言い捨てたのだった。
「それ以外の何者でもないよ」
「そうか。堕落か」
「堕落だよ。ドイツは堕落しない」
何度もドイツへの想いを口にする彼だった。
「まあいいさ。今日はこれで終わるよ」
「もう描かないのかい」
「気が乗らなくなった。何処かに行こう」
「そうかい。じゃあ何処に行くんだい?」
「チョコレートでも飲みに行かないか?」
ヒトラーはこう提案したのだった。
「それでもね」
「チョコレートか。相変わらず好きだね」
オスカーは彼の今の言葉を聞いて思わず述べた。
「お酒も煙草もやらないのにチョコレートは好きだね」
「そうさ。あれが一番いい」
いいとさえ言うのだった。
「甘くて苦くてね」
「わかったよ。じゃあそれを飲みに行こう」
「今からね」
こんな話をしてから絵をなおしてその場を後にするヒトラーとオスカーだった。そしてこの頃街のある場所では一人の男が喫茶店で色々と話をしていた。
如何にもウィーンといった内装だった。装飾もある洒落た白いテーブルとソファーにはあちこちにアラベスク模様を思わせる穴が開けられている。そして天井にはシャングリラまである。店員の服もメイドを思わせるもので中にいるだけで高級な気分にさせる。そんな店だった。
その店の中に今みすぼらしいコートを着た小柄な男がいた。顔にはあばたがあり濃い口髭を生やしている。その目は鋭く黒い髪を後ろに撫で付けている。そんな男だった。
その彼が同じくみすぼらしい身なりの男と色々話をしている。それは。
「そうか、いよいよか」
「ペテルブルグはきな臭くなっている」
そのみすぼらしい身なりの男が口髭の男に話をしていた。
「愛しているね」
「芸術はドイツにあるんだ」
彼は言った。
「君も知っているだろう?ワーグナーを」
「ああ、勿論ね」
「あのローエングリン」
そのワーグナーの作品の一つである。白銀の騎士が姫の苦境を救う、そうしたロマンシズムに満ちた作品である。彼は今度はそれを話に出してきたのだ。
「あれこそが芸術なんだよ」
「ローエングリンかい、また」
「そうさ。僕はあれを十一歳で観た」
まさに子供の頃である。
「あの時程感動したことはないよ」
「そして今もかい」
「あれこそが芸術なんだ」
まさにそうだというのだった。
「ドイツなんだよ」
「ドイツなんだね、ワーグナーが」
「そうさ。ドイツ的なものがなんだ」
「ニュルンベルグのマイスタージンガーかな、今度は」
オスカーが今度言ったのもワーグナーの作品である。これはワーグナー自身を投影したと言われるドイツの詩人ハンス=ザックスが主人公である。なおこのハンス=ザックスという人物は実在人物である。
「ドイツ的なものというと」
「オーストリアにはそれがない」
苦い声での断言だった。
「何一つとしてね」
「そこまで言うのかい」
「言うさ、何度でもね」
そして彼は実際に言っていた。筆はドイツを語ると穏やかになりオーストリアを語ると荒くなっている。彼の感情がそのまま出ていた。
「ゲルマン的なものはここには何一つとしてないんだ」
「ではここにあるのは何だい?」
「堕落さ」
またしても忌々しげな言葉だった。それで言い切ったのである。
「このオーストリアにあるのはね」
「じゃあ今描いている帝国歌劇場は何だっていうんだい?」
「まさにその象徴だね」
こう言い捨てたのだった。
「それ以外の何者でもないよ」
「そうか。堕落か」
「堕落だよ。ドイツは堕落しない」
何度もドイツへの想いを口にする彼だった。
「まあいいさ。今日はこれで終わるよ」
「もう描かないのかい」
「気が乗らなくなった。何処かに行こう」
「そうかい。じゃあ何処に行くんだい?」
「チョコレートでも飲みに行かないか?」
ヒトラーはこう提案したのだった。
「それでもね」
「チョコレートか。相変わらず好きだね」
オスカーは彼の今の言葉を聞いて思わず述べた。
「お酒も煙草もやらないのにチョコレートは好きだね」
「そうさ。あれが一番いい」
いいとさえ言うのだった。
「甘くて苦くてね」
「わかったよ。じゃあそれを飲みに行こう」
「今からね」
こんな話をしてから絵をなおしてその場を後にするヒトラーとオスカーだった。そしてこの頃街のある場所では一人の男が喫茶店で色々と話をしていた。
如何にもウィーンといった内装だった。装飾もある洒落た白いテーブルとソファーにはあちこちにアラベスク模様を思わせる穴が開けられている。そして天井にはシャングリラまである。店員の服もメイドを思わせるもので中にいるだけで高級な気分にさせる。そんな店だった。
その店の中に今みすぼらしいコートを着た小柄な男がいた。顔にはあばたがあり濃い口髭を生やしている。その目は鋭く黒い髪を後ろに撫で付けている。そんな男だった。
その彼が同じくみすぼらしい身なりの男と色々話をしている。それは。
「そうか、いよいよか」
「ペテルブルグはきな臭くなっている」
そのみすぼらしい身なりの男が口髭の男に話をしていた。
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