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最終章 鼎、倒れる時
第十六話 二六四年 諸葛亮の息子として
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綿竹城では、今回の勝利に湧いていた。
相手が鄧艾本人であった訳ではないが、それでも戦の天才姜維と互角に戦っていた鄧艾軍を相手に、圧勝したと蜀の兵士達は歓声を上げていた。
「魏の鄧艾、口ほどにも無いな」
諸葛瞻ですら、その熱気に当てられていた。
「ですが父上、敵を侮る事は危険です。先帝の義弟にして武神と崇められていた関羽将軍ですら、負けるはずの無い相手に敗れたのは敵を侮ったからです。また先帝も勝利を確信した後、夷陵にて大敗を喫したのですから」
諸葛瞻の長男にして、この戦が初陣となる諸葛尚が諫言する。
と言っても、父が本当にそう思っていない事は諸葛尚も分かっている。
今回諸葛瞻が率いていきたのは成都の防衛軍であり、装備の質で言うのなら地方の守備軍など言うに及ばず、精鋭揃いで最前線で戦い続ける姜維率いる蜀主力軍と比べても劣るところが無い。
だが、実戦経験に乏しく、賊徒や内乱の鎮圧などであればともかく魏や呉といった敵国との戦いの経験は無い。
そこは諸葛瞻にとっても不安の種ではあった。
もちろん、単純な兵のぶつかり合いであれば鄧艾の率いる弱兵には負ける事などないと思う。
それでも勝利を確実にする為には、勝利に酔わせて士気を高く保つ必要があった。
それ故に、諸葛瞻は敢えて大言壮語して余裕を見せているのだ。
「はっはっは! 尚は心配性だな! 油断は確かに危険だが、諸葛瞻将軍もその事は分かっている。それに相手は、呂蒙や陸遜といった過去の大都督では無く、名将の名を得ているとは言え鄧艾は一将軍に過ぎない。ここまで来れたのも、運が良かっただけだろう」
諸葛尚より年長である張遵が、豪快に笑う。
彼は建国の礎であり、先帝の義兄弟で蜀の五虎将軍であった張飛の息子、張苞の子供であり張飛の孫だった。
張飛の娘が劉禅の妻である事もあり、彼もまた皇族の一人でその血筋らしい豪傑の資質を見せる事から将来を嘱望されている。
「張遵は豪胆だな。かの燕人張飛の生まれ変わりの様だ」
諸葛瞻は笑いながら言うが、彼が生まれた時にはすでに張飛は他界しているので直接の面識は無い。
それでも張遵は祖父に例えられる事は嫌いでは無く、得意そうにしている。
「だが、尚や張遵の言う通り油断は出来ない。たとえ幸運があったとしても、あの姜維大将軍と互角に戦う事など、誰にでも出来る事では無い。鄧艾が奇策を用いる隙など与えず、一気に叩く」
諸葛瞻は油断しているつもりはない。
むしろ不安要素を抱えている分、戦を長引かせるのはこちらにとって良いとは思えないかった。
今なら単純なぶつかり合いで勝てる。
だが、この機会を逃した場合、単純なぶつかり合いでは勝てるとは言い切れなくなる事も有り得るが、そうなってくると実戦経験の乏しい軍が作戦行動を一糸乱れぬ行動を取れるとは限らない。
それでも敗れるとは思えないが、諸葛瞻が見据えているのはこの戦ではなく、その先である。
今の蜀は戦に疲れている。
ここで一度大打撃を与え、十分な領土を奪い兵と民を休ませる必要がある。
もしかすると姜維は勢いに任せて長安までと言うかもしれないが、司馬昭率いる四十万の魏軍本隊が守る長安を勢いだけで落とす事など出来るはずがない。
それより内政に、特に黄皓の専横に歯止めをかけなければならないと諸葛瞻は考えていた。
黄皓の権力が強過ぎる為、今では諸葛瞻であっても黄皓に逆らう事は出来ない。
しかしそれは諸葛瞻が家柄だけと思われている事もあり、ここで誰もが認める大手柄を上げる事によって『さすが諸葛亮の息子』との評価を獲れば発言力も強まり、黄皓を追い落とす事も出来る様になる。
今の朝廷は黄皓に牛耳られているが、閻宇こそ黄皓に臣従しているものの諸葛瞻を含むほとんど全ての重臣が黄皓の専横をよく思っていないはずで、それを纏め上げる適任者は常に最前線に出ている姜維ではなく、自分であると諸葛瞻は自負していた。
明日、勝負をつける。
諸葛瞻は絶対の自信を持って、そう決意していた。
一方の鄧艾は敗れた鄧忠と師纂から状況を聞いていた。
「……まさか、あの諸葛亮の息子がそこまで短慮であったとは、夢にも思わなかった。陳寿、丘本の言う通りであったな」
鄧艾は呆れながら言う。
情報として鄧艾が率いている兵士は蜀の民である事は、相手にも伝わっているはずだった。
諸葛亮の息子である諸葛瞻ならば、父の名をかざす事によって鄧艾の率いる蜀の民を完全に魏軍から切り離す事も出来たはずだった。
鄧艾はそれを恐れていた為に、敢えて使者を出して挑発気味に物資の要求をしてみたのだったが、まさか問答無用で兵を差し向けてくるとは思っていなかったのである。
「向こうがその気なら、戦で勝たなければならない訳ですが、こちらの兵が戦ってくれるかどうか」
「その心配はありません」
鄧艾や杜預はその点が心配だったが、蜀の出身である丘本が言う。
「むしろ諸葛丞相の名を汚す行いに、皆怒りを覚えているくらいです」
鄧忠や師纂はその場で説得しようとしたが、その時には失敗した。
が、時間が経って冷静になると諸葛亮が今でも生きているはずがなく、しかも民の弾圧に諸葛亮の名を使った事に兵も怒りを覚え、それをなだめるのに丘本は苦労したと言うほどだった。
「父上! 俺に再戦の好機を与えて下さい!」
「いえ、将軍! この師纂にこそ! 必ず勝利します」
鄧忠と師纂は今すぐにでも兵を率いて飛び出していきそうな勢いで、鄧艾に言う。
「……そうだな、では勝利して見せよ」
「御意!」
鄧艾がそれを認めた事は、杜預や陳寿には意外だった。
これまでの戦略では戦を避けて蜀を内側から弱体化する事を目的としていたのだが、ここで戦に踏み切ると言う事はその戦略を捨てると言う事になる。
鄧忠と師纂はすぐに兵を再編して出撃していく。
「将軍、良かったのですか?」
杜預が尋ねる。
「私は諸葛瞻には期待していたのです。あの仲達様が神の如しと認めていた諸葛亮の息子、どれほどの逸材であるかと。それがこれであれば、生かしておく理由も無い」
珍しく怒りを見せて、鄧艾は言う。
「ですが、向こうもおそらくここで勝負をつけようと考えている事でしょう。忠も師纂も実戦の経験を積んでいますが、兵の装備や質では向こうに分があります。少し向こうの戦い方を見てみたいとも思いました」
諸葛亮の息子と言うだけでなく、この最終防衛線の守将としてやって来たのだから諸葛瞻にはそれなり以上の期待がかかっている。
それに応えるにはそれ相応の実力が必要になるのだが、鄧艾に限らず魏軍は諸葛瞻の事をまったく知らない。
また、魏軍に限らず大事にされてきた事もあって、直接会った事もある陳寿ですら諸葛瞻の戦の実力を知らない為に情報が足りないのだ。
今では鄧忠も師纂も決して弱くない。
だからこそ、相手の実力を測る事が出来る。
ここで勝てれば良し、勝てない様であれば策を用いる必要が出てくる。
鄧艾は本隊を率いて鄧忠達の後を追う。
鄧忠と師纂はそれぞれ両翼に分かれて諸葛瞻の軍に向かっていくが、諸葛瞻軍もそれを受ける形で両翼を伸ばす。
鄧忠と師纂はその両翼を破ろうとするが、逆に押し込まれていく。
そんな中で、一隊がこちらの本隊に突撃してくるのが見えた。
「受けますか?」
杜預が尋ねると、鄧艾は首を振る。
「……陽動ですよ。諸葛の旗を見せつけていますが、あれは諸葛瞻では無いでしょう。あの一隊を受ける為に防御陣を前に出させて、おそらく両翼から別働隊が挟み込むつもりです。こちらが退けばその別働隊は鄧忠と師纂の方に回るでしょう。今は勢いが向こうにありますし、兵の強さも分かりました。全軍に撤退の合図を」
「御意」
杜預はすぐに撤退の合図を出すと、自身が一隊を率いて殿軍を務める。
杜預の防御陣は一隊に楯を持たせて突撃してくる騎馬隊を受ける様に見せているが、特別な訓練を受けた訳ではない者達に楯を持たせているだけである。
もし敵将がそれを見抜いていれば、騎馬の突撃によってその防御陣は一気に突破され蜀軍の包囲作戦は成功していたかもしれない。
しかし殿軍がいかにも慣れた動きを見せた事と、露骨に罠がありそうに見える杜預の防御陣を前に、蜀軍の一隊は無理に突撃する様な事はせずに迂回して引き返していく。
蜀軍としては、鄧艾軍を退かせる事で十分過ぎる戦果を上げていると判断したのだろう。
実際にこの場限りで言うのであれば、その判断は決して誤りでは無い。
その一隊は鄧艾本隊への突撃を断念し、混戦状態となっている両翼でもより劣勢である師纂の方へ突撃する。
その結果、魏軍は改めて敗れる事となった。
「はっはっは! あれが噂に聞く鄧艾とは! まったく歯応えの無い連中だ!」
勝利に湧く綿竹城で、張遵が高笑いしていた。
それもそのはずで、今回が初陣であるにも関わらず張遵は鄧艾軍の片翼を担う師纂を相手に互角以上の戦いを繰り広げ、最終的には圧勝と言うべき戦果を上げていた。
「俺だけでも完全勝利出来たものを、良いところで尚のヤツに手柄を分ける事になってしまったがな」
鄧艾本隊に突撃した諸葛尚だったが、本隊が退くに合わせて少数の防御陣が現れた事に策の気配を感じた事もあって、本隊への突撃を諦めて師纂の軍へと奇襲をかけた事により張遵との連携で大打撃を与える事に成功していた。
もう一方の戦場である鄧忠を抑えたのは、黄崇と言う武将で、劉備以前から長らく蜀の宿将として活躍した黄権の息子である。
だが、黄権は夷陵の戦いにて敗れた後、進退極まって魏に降っている。
黄権の妻子は蜀に残っていた事もあって処罰されそうになったのだが、先帝劉備が、
「黄権が私を裏切ったのではない。私が黄権を裏切ったのだ」
と言った事もあって、その後の生活を約束されたと言う経緯がある人物である。
この諸葛瞻軍にあっては年長の人物だが、相談役も兼ねて任命されている。
その黄崇の部隊も、張遵や諸葛尚ほどでは無かったにしても鄧忠を相手に優位に戦い、諸葛瞻の本隊を動かす事なく鄧忠軍を退かせた。
少なくとも、初日に続き今回も大勝利であると言ってもいい結果である。
しかも奇策を用いて奇襲をかけた初日と違い、今日の戦では完全な戦闘の実力によって魏軍を退けている。
自分達の実力は本物だ、と信じる事が出来る勝利であった。
「諸葛瞻将軍、俺に一つ策があるのですが」
大勝利に気分をよくしている張遵が、諸葛瞻に進言する。
「ほう、豪傑張遵が策とは。是非聞かせてもらいたい」
「呉へ援軍を求めてはいかがでしょうか。と、言ってもこの戦場ではありません。ここでの戦に勝利した後、大将軍と共に雍州に攻め入り長安を目指す事になりましょう。陽動も込みで呉軍と協力すれば、雍州はもちろん、上手くすれば長安さえも攻略する事が出来るでしょう」
張遵の言う策は、下手すれば戦の火を広げる事にもないかねないが、それでも蜀にも呉にも失うモノは少なく得られるモノは多い提案でもある。
「今ならばおそらく呉も動く事でしょう。先の虚報によって呉も戦準備を行っていたはず。すぐにでも大軍を動かす事が出来るでしょう」
黄崇も頷いている。
「なるほど、豪傑張飛の孫はその武勇だけではなく文武に優れた良将に育っていたか。その策、見事なり。だが、より確実に呉を動かす為には、まず鄧艾を打ち破り魏は恐れる様な勢力ではないと見せる事が必要だろう。明日、この地に奇襲を仕掛けた愚か者を打ち破り、魏にはその無謀な遠征が招いた結果を見せつけてやろうではないか」
諸葛瞻の檄で、蜀軍の士気は最高峰とも言える状態となった。
この時の諸葛瞻に限らず、諫め役として参加していたはずの黄崇も、先日は諫言した諸葛尚も、蜀の兵の全てが勝利を疑っていなかった。
相手が鄧艾本人であった訳ではないが、それでも戦の天才姜維と互角に戦っていた鄧艾軍を相手に、圧勝したと蜀の兵士達は歓声を上げていた。
「魏の鄧艾、口ほどにも無いな」
諸葛瞻ですら、その熱気に当てられていた。
「ですが父上、敵を侮る事は危険です。先帝の義弟にして武神と崇められていた関羽将軍ですら、負けるはずの無い相手に敗れたのは敵を侮ったからです。また先帝も勝利を確信した後、夷陵にて大敗を喫したのですから」
諸葛瞻の長男にして、この戦が初陣となる諸葛尚が諫言する。
と言っても、父が本当にそう思っていない事は諸葛尚も分かっている。
今回諸葛瞻が率いていきたのは成都の防衛軍であり、装備の質で言うのなら地方の守備軍など言うに及ばず、精鋭揃いで最前線で戦い続ける姜維率いる蜀主力軍と比べても劣るところが無い。
だが、実戦経験に乏しく、賊徒や内乱の鎮圧などであればともかく魏や呉といった敵国との戦いの経験は無い。
そこは諸葛瞻にとっても不安の種ではあった。
もちろん、単純な兵のぶつかり合いであれば鄧艾の率いる弱兵には負ける事などないと思う。
それでも勝利を確実にする為には、勝利に酔わせて士気を高く保つ必要があった。
それ故に、諸葛瞻は敢えて大言壮語して余裕を見せているのだ。
「はっはっは! 尚は心配性だな! 油断は確かに危険だが、諸葛瞻将軍もその事は分かっている。それに相手は、呂蒙や陸遜といった過去の大都督では無く、名将の名を得ているとは言え鄧艾は一将軍に過ぎない。ここまで来れたのも、運が良かっただけだろう」
諸葛尚より年長である張遵が、豪快に笑う。
彼は建国の礎であり、先帝の義兄弟で蜀の五虎将軍であった張飛の息子、張苞の子供であり張飛の孫だった。
張飛の娘が劉禅の妻である事もあり、彼もまた皇族の一人でその血筋らしい豪傑の資質を見せる事から将来を嘱望されている。
「張遵は豪胆だな。かの燕人張飛の生まれ変わりの様だ」
諸葛瞻は笑いながら言うが、彼が生まれた時にはすでに張飛は他界しているので直接の面識は無い。
それでも張遵は祖父に例えられる事は嫌いでは無く、得意そうにしている。
「だが、尚や張遵の言う通り油断は出来ない。たとえ幸運があったとしても、あの姜維大将軍と互角に戦う事など、誰にでも出来る事では無い。鄧艾が奇策を用いる隙など与えず、一気に叩く」
諸葛瞻は油断しているつもりはない。
むしろ不安要素を抱えている分、戦を長引かせるのはこちらにとって良いとは思えないかった。
今なら単純なぶつかり合いで勝てる。
だが、この機会を逃した場合、単純なぶつかり合いでは勝てるとは言い切れなくなる事も有り得るが、そうなってくると実戦経験の乏しい軍が作戦行動を一糸乱れぬ行動を取れるとは限らない。
それでも敗れるとは思えないが、諸葛瞻が見据えているのはこの戦ではなく、その先である。
今の蜀は戦に疲れている。
ここで一度大打撃を与え、十分な領土を奪い兵と民を休ませる必要がある。
もしかすると姜維は勢いに任せて長安までと言うかもしれないが、司馬昭率いる四十万の魏軍本隊が守る長安を勢いだけで落とす事など出来るはずがない。
それより内政に、特に黄皓の専横に歯止めをかけなければならないと諸葛瞻は考えていた。
黄皓の権力が強過ぎる為、今では諸葛瞻であっても黄皓に逆らう事は出来ない。
しかしそれは諸葛瞻が家柄だけと思われている事もあり、ここで誰もが認める大手柄を上げる事によって『さすが諸葛亮の息子』との評価を獲れば発言力も強まり、黄皓を追い落とす事も出来る様になる。
今の朝廷は黄皓に牛耳られているが、閻宇こそ黄皓に臣従しているものの諸葛瞻を含むほとんど全ての重臣が黄皓の専横をよく思っていないはずで、それを纏め上げる適任者は常に最前線に出ている姜維ではなく、自分であると諸葛瞻は自負していた。
明日、勝負をつける。
諸葛瞻は絶対の自信を持って、そう決意していた。
一方の鄧艾は敗れた鄧忠と師纂から状況を聞いていた。
「……まさか、あの諸葛亮の息子がそこまで短慮であったとは、夢にも思わなかった。陳寿、丘本の言う通りであったな」
鄧艾は呆れながら言う。
情報として鄧艾が率いている兵士は蜀の民である事は、相手にも伝わっているはずだった。
諸葛亮の息子である諸葛瞻ならば、父の名をかざす事によって鄧艾の率いる蜀の民を完全に魏軍から切り離す事も出来たはずだった。
鄧艾はそれを恐れていた為に、敢えて使者を出して挑発気味に物資の要求をしてみたのだったが、まさか問答無用で兵を差し向けてくるとは思っていなかったのである。
「向こうがその気なら、戦で勝たなければならない訳ですが、こちらの兵が戦ってくれるかどうか」
「その心配はありません」
鄧艾や杜預はその点が心配だったが、蜀の出身である丘本が言う。
「むしろ諸葛丞相の名を汚す行いに、皆怒りを覚えているくらいです」
鄧忠や師纂はその場で説得しようとしたが、その時には失敗した。
が、時間が経って冷静になると諸葛亮が今でも生きているはずがなく、しかも民の弾圧に諸葛亮の名を使った事に兵も怒りを覚え、それをなだめるのに丘本は苦労したと言うほどだった。
「父上! 俺に再戦の好機を与えて下さい!」
「いえ、将軍! この師纂にこそ! 必ず勝利します」
鄧忠と師纂は今すぐにでも兵を率いて飛び出していきそうな勢いで、鄧艾に言う。
「……そうだな、では勝利して見せよ」
「御意!」
鄧艾がそれを認めた事は、杜預や陳寿には意外だった。
これまでの戦略では戦を避けて蜀を内側から弱体化する事を目的としていたのだが、ここで戦に踏み切ると言う事はその戦略を捨てると言う事になる。
鄧忠と師纂はすぐに兵を再編して出撃していく。
「将軍、良かったのですか?」
杜預が尋ねる。
「私は諸葛瞻には期待していたのです。あの仲達様が神の如しと認めていた諸葛亮の息子、どれほどの逸材であるかと。それがこれであれば、生かしておく理由も無い」
珍しく怒りを見せて、鄧艾は言う。
「ですが、向こうもおそらくここで勝負をつけようと考えている事でしょう。忠も師纂も実戦の経験を積んでいますが、兵の装備や質では向こうに分があります。少し向こうの戦い方を見てみたいとも思いました」
諸葛亮の息子と言うだけでなく、この最終防衛線の守将としてやって来たのだから諸葛瞻にはそれなり以上の期待がかかっている。
それに応えるにはそれ相応の実力が必要になるのだが、鄧艾に限らず魏軍は諸葛瞻の事をまったく知らない。
また、魏軍に限らず大事にされてきた事もあって、直接会った事もある陳寿ですら諸葛瞻の戦の実力を知らない為に情報が足りないのだ。
今では鄧忠も師纂も決して弱くない。
だからこそ、相手の実力を測る事が出来る。
ここで勝てれば良し、勝てない様であれば策を用いる必要が出てくる。
鄧艾は本隊を率いて鄧忠達の後を追う。
鄧忠と師纂はそれぞれ両翼に分かれて諸葛瞻の軍に向かっていくが、諸葛瞻軍もそれを受ける形で両翼を伸ばす。
鄧忠と師纂はその両翼を破ろうとするが、逆に押し込まれていく。
そんな中で、一隊がこちらの本隊に突撃してくるのが見えた。
「受けますか?」
杜預が尋ねると、鄧艾は首を振る。
「……陽動ですよ。諸葛の旗を見せつけていますが、あれは諸葛瞻では無いでしょう。あの一隊を受ける為に防御陣を前に出させて、おそらく両翼から別働隊が挟み込むつもりです。こちらが退けばその別働隊は鄧忠と師纂の方に回るでしょう。今は勢いが向こうにありますし、兵の強さも分かりました。全軍に撤退の合図を」
「御意」
杜預はすぐに撤退の合図を出すと、自身が一隊を率いて殿軍を務める。
杜預の防御陣は一隊に楯を持たせて突撃してくる騎馬隊を受ける様に見せているが、特別な訓練を受けた訳ではない者達に楯を持たせているだけである。
もし敵将がそれを見抜いていれば、騎馬の突撃によってその防御陣は一気に突破され蜀軍の包囲作戦は成功していたかもしれない。
しかし殿軍がいかにも慣れた動きを見せた事と、露骨に罠がありそうに見える杜預の防御陣を前に、蜀軍の一隊は無理に突撃する様な事はせずに迂回して引き返していく。
蜀軍としては、鄧艾軍を退かせる事で十分過ぎる戦果を上げていると判断したのだろう。
実際にこの場限りで言うのであれば、その判断は決して誤りでは無い。
その一隊は鄧艾本隊への突撃を断念し、混戦状態となっている両翼でもより劣勢である師纂の方へ突撃する。
その結果、魏軍は改めて敗れる事となった。
「はっはっは! あれが噂に聞く鄧艾とは! まったく歯応えの無い連中だ!」
勝利に湧く綿竹城で、張遵が高笑いしていた。
それもそのはずで、今回が初陣であるにも関わらず張遵は鄧艾軍の片翼を担う師纂を相手に互角以上の戦いを繰り広げ、最終的には圧勝と言うべき戦果を上げていた。
「俺だけでも完全勝利出来たものを、良いところで尚のヤツに手柄を分ける事になってしまったがな」
鄧艾本隊に突撃した諸葛尚だったが、本隊が退くに合わせて少数の防御陣が現れた事に策の気配を感じた事もあって、本隊への突撃を諦めて師纂の軍へと奇襲をかけた事により張遵との連携で大打撃を与える事に成功していた。
もう一方の戦場である鄧忠を抑えたのは、黄崇と言う武将で、劉備以前から長らく蜀の宿将として活躍した黄権の息子である。
だが、黄権は夷陵の戦いにて敗れた後、進退極まって魏に降っている。
黄権の妻子は蜀に残っていた事もあって処罰されそうになったのだが、先帝劉備が、
「黄権が私を裏切ったのではない。私が黄権を裏切ったのだ」
と言った事もあって、その後の生活を約束されたと言う経緯がある人物である。
この諸葛瞻軍にあっては年長の人物だが、相談役も兼ねて任命されている。
その黄崇の部隊も、張遵や諸葛尚ほどでは無かったにしても鄧忠を相手に優位に戦い、諸葛瞻の本隊を動かす事なく鄧忠軍を退かせた。
少なくとも、初日に続き今回も大勝利であると言ってもいい結果である。
しかも奇策を用いて奇襲をかけた初日と違い、今日の戦では完全な戦闘の実力によって魏軍を退けている。
自分達の実力は本物だ、と信じる事が出来る勝利であった。
「諸葛瞻将軍、俺に一つ策があるのですが」
大勝利に気分をよくしている張遵が、諸葛瞻に進言する。
「ほう、豪傑張遵が策とは。是非聞かせてもらいたい」
「呉へ援軍を求めてはいかがでしょうか。と、言ってもこの戦場ではありません。ここでの戦に勝利した後、大将軍と共に雍州に攻め入り長安を目指す事になりましょう。陽動も込みで呉軍と協力すれば、雍州はもちろん、上手くすれば長安さえも攻略する事が出来るでしょう」
張遵の言う策は、下手すれば戦の火を広げる事にもないかねないが、それでも蜀にも呉にも失うモノは少なく得られるモノは多い提案でもある。
「今ならばおそらく呉も動く事でしょう。先の虚報によって呉も戦準備を行っていたはず。すぐにでも大軍を動かす事が出来るでしょう」
黄崇も頷いている。
「なるほど、豪傑張飛の孫はその武勇だけではなく文武に優れた良将に育っていたか。その策、見事なり。だが、より確実に呉を動かす為には、まず鄧艾を打ち破り魏は恐れる様な勢力ではないと見せる事が必要だろう。明日、この地に奇襲を仕掛けた愚か者を打ち破り、魏にはその無謀な遠征が招いた結果を見せつけてやろうではないか」
諸葛瞻の檄で、蜀軍の士気は最高峰とも言える状態となった。
この時の諸葛瞻に限らず、諫め役として参加していたはずの黄崇も、先日は諫言した諸葛尚も、蜀の兵の全てが勝利を疑っていなかった。
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