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最終章 鼎、倒れる時
第六話 二六三年 傅僉の戦い
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姜維が望んだ援軍は来ず、また姜維からの指示も出ない状態で蜀軍の前線は戸惑いがあった。
各前線に今回の魏の出征は呉を討つ為の虚報による陽動であり、焦る必要は無い。
そう言う報告が都から前線に送られた事もあり、姜維や廖化以外の前線を守る武将達は姜維が亡国の危機を感じて援軍を要請していた事すら知らない状態だった。
「……魏は呉を攻めるだと?」
最前線となる陽安関を守る傅僉は、副将の蔣舒に確認する。
「そう報告があったでしょう? 報告書、読んでないんですか?」
蔣舒が鼻で笑う様に言う。
この蔣舒と言う人物は、今の蜀の人材不足を象徴する様な者であった。
古来よりこの国では、同姓の者は始祖を同じくする同族であると考えられていた事もあり、蔣舒の姓はかつて大将軍を務めた蔣琬と同姓であった事から期待もされていた。
しかし、同姓と言うだけで同等の能力など期待できるはずもない。
勤勉で堅物だった蔣琬だったのだが、蔣舒は妙に気位ばかりが高く、口から出てくる言葉は立派なのだが行動が伴わず、また妙に人を見下す傾向もあった。
元の期待からであれば都での仕事をしているはずの人材だったはずが、最前線に送られているのも使い道が無いからと、陰口を言われているほどである。
そんな蔣舒だが、自身では文武両道を自負している事もあり、武勇一辺倒の傅僉をあからさまに見下していた。
姜維からも目をかけられている上に、十分に武功を挙げているにもかかわらずである。
「では何故、漢と楽の二城が魏軍に包囲され援軍の要請が来ているのだ! 魏が呉を攻めると言う方が虚報であり、魏の狙いは蜀だ! 今すぐ都に援軍を要請し、大将軍に連絡、この関の軍備も急ぎ整え魏軍を迎え撃つ!」
「何を勝手な事を。まずは報告が先でしょうに」
蔣舒は呆れた様子を隠そうともせずに言うが、実戦で鍛えられた傅僉から睨まれるとさすがに腰が引ける。
「勝手も何も、実際に漢と楽の二城から援軍の要請は来ているのだ! 中央がどう言おうと、その二城を見捨てる事など出来ないだろう! 都に知らせろ! 良いな!」
傅僉は叩きつける様に言うと、すぐに兵を出す準備を始める。
が、その城を助けに行く事は出来なかった。
傅僉が兵を出すより先に、斥候から魏軍の大軍が陽安関に向かってきていると言う報告が入ったのである。
「これでも呉に向かっているとでも言うつもりか! 止むを得ん! 今すぐ兵を出して魏軍を迎撃するぞ!」
「何を言われるか!」
兵を率いて出ていこうとする傅僉を、蔣舒が慌てて止める。
「魏軍の大軍に対して、この関の守備兵は三千程度。籠城以外に手は無いでしょう! この陽安関には連弩も無いのですよ! この上兵を出されては、いかにして関を守ると言うのですか?」
「籠城は十分な兵力が無ければ、戦術としては厳しい。まずは野戦にて敵兵を減らしてから後に籠城しなければ、確実に敗れる。それにわずかでも進軍の足を止めれば、姜維将軍も兵を出してくれるだろう。このまま関に閉じこもっても、何ら益なし」
「何を夢見ているのか! 現実を見よ!」
「貴様こそ、実際の戦場も知らぬ分際で口を挟むな!」
傅僉は蔣舒を突き飛ばして、自ら兵を率いて陽安関を出る。
それに対して魏軍は傅僉の予想より早く進軍して来て、傅僉が兵を伏せる前にその一軍が姿を現した。
旗印から見るに、敵軍の武将は胡烈である。
傅僉は胡烈の事を直接は知らないが、かつて鉄籠山の戦いにて司馬昭の前に立ち蜀軍に対して強固な壁となって武勇を示した胡奮の弟であり、諸葛誕の乱では兄にも劣らぬ猛勇を見せたと言う。
敵として考えるのならば、面倒極まりない相手ではあるのだが、その好戦的な性格の猛将気質は悪くないと傅僉は思う。
上手く行くとは限らないが、例えば鄧艾の様な智将が相手ならば絶望的とは言え、猛将であれば自身の武勇を見せつけたいと思うものである。
「敵将の旗を見るに、胡奮将軍とお見受けいたす! 雍州で示したと言う武勇、この蜀の地でも示せるとお思いか!」
傅僉は敢えて名前を間違えて語りかける。
「いざ、この傅僉がお相手致しますぞ、胡奮将軍!」
「相手を間違えてねぇか?」
傅僉の狙い通り、一人の武将が前に出てくる。
「貴様は何者だ! 俺の相手が務まるのは胡奮将軍くらいだ。貴様の様な凡俗下郎など相手にもならぬ!」
傅僉の挑発の言葉に敵将は怒りの形相を浮かべていたが、突然何かに閃いた様な表情になると、高らかに笑いだした。
「はっはっは! なるほどなるほど、これは予想以上に楽しめそうだ!」
「どうした、恐怖で気が触れたか?」
「ああ、悪りぃな。てめぇの悪あがきが分かると、案外悪くねぇなと評価してんだよ」
敵将は大刀を肩に担ぐと、にやりと笑う。
「よほど腕に自信があるみてぇじゃねぇか。一騎討ちでこの場をなんとかしようと考えたんだろう? 面白そうだから、乗ってやんよ」
「ふん、頭の方は回るみたいだが良くは無さそうだな」
傅僉はそう言うと槍を構える。
「やり合う前に一つ訂正させてもらおうか。知ってて言ってんだとは思うが、俺は弟の胡烈だ」
「ふん、首だけになれば胡の姓だけで十分。胡奮であろうが胡烈であろうが関係ない」
「はっはっは! 面白い事言うなぁ! 笑いの分かっているヤツは嫌いじゃないぜ」
胡烈はそう言うと大刀と手に、馬を走らせる。
ここで胡烈を討つ事が出来れば、いかな大軍と言えども統制を失い数的劣勢にある蜀軍であっても魏軍を圧倒する事が出来る。
傅僉はそれに賭けて、胡烈に向けて槍を突き出す。
十分に鋭い一撃であり、並の武将であればその一撃で胸を貫いた事だろう。
だが、胡烈は寸前のところで大刀によってその突きを防ぐ。
「やるねぇ。挑発に乗ったまま突っ込んでたら、ヤバかったぜぇ」
胡烈は殺気を含んだ笑顔を浮かべて、大刀を構え直す。
「それじゃ次はこっちの……」
「させるか!」
傅僉は胡烈に反撃の隙を与えず、槍の連打を突き出す。
さすがに胡烈も僅かに下がらされたが、それでも討ち取られる様な事は無かった。
すぐに傅僉は追撃をかけるが、胡烈はそれ以上後退する事無く、大刀を振るう。
傅僉は槍を突き出そうとしたが、僅かに胡烈の大刀の方が早い事を察すると槍で大刀を防ぐ。
「いい判断じゃないか」
胡烈はそう言うと、今度は先ほどのお返しとばかりに大刀を乱舞させる。
並の武将であれば傅僉の突きを防ぐ事も、胡烈の大刀を防ぐ事も出来なかったはずだが、二人共名を広めた猛将であり、それに見合った実力もある。
ほぼ互角の戦いを繰り広げてきたが、僅かずつではあるが傾き始めた。
胡烈の方に、である。
おそらく実力は互角だっただろうと傅僉は思ったのだが、決定的な差があった。
精神的な余裕である。
すでにイチかバチかの賭けに出ている傅僉と違って、胡烈には戦いを楽しむ余裕があった。
そのせいもあって、胡烈は場合によっては後退して仕切り直すと言う事も出来たが、傅僉にはそれが許されない。
その差は体力の消耗と言う形で、勝負に影響し始めたのである。
それでも前へ、先手先手と攻撃をしてきた傅僉だったが、それは攻勢を見出すと言うより勝負を焦った手であった。
それを見逃す胡烈ではなく、大刀を一閃させて傅僉の槍を両断する。
傅僉は両断された槍を捨てて剣を抜いたが、その瞬間に胡烈は傅僉の馬の首を切り落としていた。
「勝負アリだな、傅僉。出来る事なら真っ向勝負をしたかったが、こうなっては仕方がない。降伏しろ。殺すには惜しい」
「勝手に勝ったつもりになるな、賊将め!」
傅僉が合図すると、傅僉の兵が魏軍に突撃を始める。
「愚かな。わずかでも勝てるつもりでいたか」
その行動に胡烈は呆れた表情を見せて、胡烈も兵を広げて蜀軍を包囲する様に動く。
傅僉の狙いはあくまでも、魏軍の進軍の足を止める事にあり、胡烈は兵を左右に展開し、中央を僅かに後退させて包囲しようとする動きを見せた為に前進の動きが止まる。
傅僉が改めて合図を送ると、蜀軍は突撃を止めて反転して陽安関に全力で退き始める。
その途中で傅僉も救出され、陽安関に戻った。
「門を開けよ! 魏軍を迎え撃つ!」
傅僉は叫ぶが、門が開く気配は無い。
「何をしている! 早く門を開けよ! 魏軍が迫っているのだぞ!」
叫ぶ声に陽安関の門は応えず、その代わりと言う様に蔣舒が顔を出す。
「門を開けよ、蔣舒! 魏軍が来るぞ!」
「見れば分かる」
鼻で笑う様に、蔣舒は言う。
「あの大軍に対して籠城でも、この関を守れるはずが無いだろうに。ここはもう降るしか無い」
「何を言うか! すぐに都や大将軍から援軍が来る! なればまだ戦える!」
「無理無理。都から援軍なんて来るはずがないでしょうが。もしそのつもりならとっくに送ってるはず。我々は見捨てられたのだから、降っても文句も言われる筋合いは無いでしょうに」
「蔣舒、貴様ぁ!」
「私は無駄死にはゴメンですよ。ましてや、貴方の勝手に付き合うつもりもありませんので」
こうして傅僉は陽安関から締め出され、わずかな手勢だけで魏軍の前に放り出される事になった。
「……よもや、我が国にこれほどの俗物がいたとは。我が命運もここに尽きたか」
傅僉は天を仰いで嘆息する。
「将軍、魏軍が来ます」
兵が不安そうに傅僉に言う。
「降りたい者はいるか?」
傅僉は兵を振り返って確認するが、付き従った兵達の中に降伏を希望する者はいなかった。
「よし、ならば一計がある」
傅僉は兵に計略を伝えると、自ら陣頭に立って兵に突撃体勢を取らせる。
「何だ傅僉、その様は。篭城戦に移るのでは無かったのか?」
胡烈が困惑気味に尋ねる。
「貴様如き、この手勢で十分! 恐れをなしたのは貴様の方だろう!」
「降らぬと言うのであれば、ここで討つしか無いぞ?」
「出来るものなら、やってみろ!」
胡烈の降伏勧告も、傅僉は跳ね除ける。
「ならば仕方がない」
胡烈は先ほど包囲しようとした陣形のまま前進してきたらしく、傅僉はすでに半包囲されている状態だったが、それはわかっていた事でもある。
「行くぞ!」
傅僉はそう叫ぶと、突撃する。
と言っても、中央突破ではない。
もっとも包囲の薄そうなところを狙って突撃し、何としても囲みを破るつもりであるのは見て取れるが、そもそもここで囲みを破ったところで陽安関からの援護も無く、また都に戻る為には南側に突撃しなければならないのだが、傅僉が破ろうとしているのは北側である。
胡烈は傅僉の狙いがわからなかったらしく、包囲の兵を動かすのが遅れた。
それを見逃さず、傅僉は囲みを破る。
が、ここで傅僉は胡烈が想像もしていなかった動きを見せた。
そのまま逃げるのではなく、囲みを破った先に兵の大半を走らせ、自身は僅かな兵を率いて殿軍としてその場に残ったのである。
「兵を逃がす為に残ったか。見事な覚悟とも言えるが、犬死だぞ」
胡烈は傅僉に向かって言う。
すでに傅僉は満身創痍であり、剣を杖に立つのがやっとの状態であったが、その目から力は失われていない。
「この傅僉、蜀の臣下となったからには、死してなお護国の鬼とならん!」
最期まで戦った傅僉だったが、敵兵に捕らえられる事をよしとせずに、自らの剣で自身の首をかき切り、自らの命を絶ったのである。
「蜀の将兵、侮りがたしと言う事か」
胡烈は傅僉の最期を見届けて、そう呟く。
そのまま胡烈は兵を進め、投降の意思を見せた蔣舒によって陽安関をほぼ無傷で通り抜ける事が出来た。
なお余談ではあるが、この時魏に降伏した蔣舒の名は、これ以降三国志正史にも演義にも二度と出てくる事は無く、その後の消息は不明となっている。
各前線に今回の魏の出征は呉を討つ為の虚報による陽動であり、焦る必要は無い。
そう言う報告が都から前線に送られた事もあり、姜維や廖化以外の前線を守る武将達は姜維が亡国の危機を感じて援軍を要請していた事すら知らない状態だった。
「……魏は呉を攻めるだと?」
最前線となる陽安関を守る傅僉は、副将の蔣舒に確認する。
「そう報告があったでしょう? 報告書、読んでないんですか?」
蔣舒が鼻で笑う様に言う。
この蔣舒と言う人物は、今の蜀の人材不足を象徴する様な者であった。
古来よりこの国では、同姓の者は始祖を同じくする同族であると考えられていた事もあり、蔣舒の姓はかつて大将軍を務めた蔣琬と同姓であった事から期待もされていた。
しかし、同姓と言うだけで同等の能力など期待できるはずもない。
勤勉で堅物だった蔣琬だったのだが、蔣舒は妙に気位ばかりが高く、口から出てくる言葉は立派なのだが行動が伴わず、また妙に人を見下す傾向もあった。
元の期待からであれば都での仕事をしているはずの人材だったはずが、最前線に送られているのも使い道が無いからと、陰口を言われているほどである。
そんな蔣舒だが、自身では文武両道を自負している事もあり、武勇一辺倒の傅僉をあからさまに見下していた。
姜維からも目をかけられている上に、十分に武功を挙げているにもかかわらずである。
「では何故、漢と楽の二城が魏軍に包囲され援軍の要請が来ているのだ! 魏が呉を攻めると言う方が虚報であり、魏の狙いは蜀だ! 今すぐ都に援軍を要請し、大将軍に連絡、この関の軍備も急ぎ整え魏軍を迎え撃つ!」
「何を勝手な事を。まずは報告が先でしょうに」
蔣舒は呆れた様子を隠そうともせずに言うが、実戦で鍛えられた傅僉から睨まれるとさすがに腰が引ける。
「勝手も何も、実際に漢と楽の二城から援軍の要請は来ているのだ! 中央がどう言おうと、その二城を見捨てる事など出来ないだろう! 都に知らせろ! 良いな!」
傅僉は叩きつける様に言うと、すぐに兵を出す準備を始める。
が、その城を助けに行く事は出来なかった。
傅僉が兵を出すより先に、斥候から魏軍の大軍が陽安関に向かってきていると言う報告が入ったのである。
「これでも呉に向かっているとでも言うつもりか! 止むを得ん! 今すぐ兵を出して魏軍を迎撃するぞ!」
「何を言われるか!」
兵を率いて出ていこうとする傅僉を、蔣舒が慌てて止める。
「魏軍の大軍に対して、この関の守備兵は三千程度。籠城以外に手は無いでしょう! この陽安関には連弩も無いのですよ! この上兵を出されては、いかにして関を守ると言うのですか?」
「籠城は十分な兵力が無ければ、戦術としては厳しい。まずは野戦にて敵兵を減らしてから後に籠城しなければ、確実に敗れる。それにわずかでも進軍の足を止めれば、姜維将軍も兵を出してくれるだろう。このまま関に閉じこもっても、何ら益なし」
「何を夢見ているのか! 現実を見よ!」
「貴様こそ、実際の戦場も知らぬ分際で口を挟むな!」
傅僉は蔣舒を突き飛ばして、自ら兵を率いて陽安関を出る。
それに対して魏軍は傅僉の予想より早く進軍して来て、傅僉が兵を伏せる前にその一軍が姿を現した。
旗印から見るに、敵軍の武将は胡烈である。
傅僉は胡烈の事を直接は知らないが、かつて鉄籠山の戦いにて司馬昭の前に立ち蜀軍に対して強固な壁となって武勇を示した胡奮の弟であり、諸葛誕の乱では兄にも劣らぬ猛勇を見せたと言う。
敵として考えるのならば、面倒極まりない相手ではあるのだが、その好戦的な性格の猛将気質は悪くないと傅僉は思う。
上手く行くとは限らないが、例えば鄧艾の様な智将が相手ならば絶望的とは言え、猛将であれば自身の武勇を見せつけたいと思うものである。
「敵将の旗を見るに、胡奮将軍とお見受けいたす! 雍州で示したと言う武勇、この蜀の地でも示せるとお思いか!」
傅僉は敢えて名前を間違えて語りかける。
「いざ、この傅僉がお相手致しますぞ、胡奮将軍!」
「相手を間違えてねぇか?」
傅僉の狙い通り、一人の武将が前に出てくる。
「貴様は何者だ! 俺の相手が務まるのは胡奮将軍くらいだ。貴様の様な凡俗下郎など相手にもならぬ!」
傅僉の挑発の言葉に敵将は怒りの形相を浮かべていたが、突然何かに閃いた様な表情になると、高らかに笑いだした。
「はっはっは! なるほどなるほど、これは予想以上に楽しめそうだ!」
「どうした、恐怖で気が触れたか?」
「ああ、悪りぃな。てめぇの悪あがきが分かると、案外悪くねぇなと評価してんだよ」
敵将は大刀を肩に担ぐと、にやりと笑う。
「よほど腕に自信があるみてぇじゃねぇか。一騎討ちでこの場をなんとかしようと考えたんだろう? 面白そうだから、乗ってやんよ」
「ふん、頭の方は回るみたいだが良くは無さそうだな」
傅僉はそう言うと槍を構える。
「やり合う前に一つ訂正させてもらおうか。知ってて言ってんだとは思うが、俺は弟の胡烈だ」
「ふん、首だけになれば胡の姓だけで十分。胡奮であろうが胡烈であろうが関係ない」
「はっはっは! 面白い事言うなぁ! 笑いの分かっているヤツは嫌いじゃないぜ」
胡烈はそう言うと大刀と手に、馬を走らせる。
ここで胡烈を討つ事が出来れば、いかな大軍と言えども統制を失い数的劣勢にある蜀軍であっても魏軍を圧倒する事が出来る。
傅僉はそれに賭けて、胡烈に向けて槍を突き出す。
十分に鋭い一撃であり、並の武将であればその一撃で胸を貫いた事だろう。
だが、胡烈は寸前のところで大刀によってその突きを防ぐ。
「やるねぇ。挑発に乗ったまま突っ込んでたら、ヤバかったぜぇ」
胡烈は殺気を含んだ笑顔を浮かべて、大刀を構え直す。
「それじゃ次はこっちの……」
「させるか!」
傅僉は胡烈に反撃の隙を与えず、槍の連打を突き出す。
さすがに胡烈も僅かに下がらされたが、それでも討ち取られる様な事は無かった。
すぐに傅僉は追撃をかけるが、胡烈はそれ以上後退する事無く、大刀を振るう。
傅僉は槍を突き出そうとしたが、僅かに胡烈の大刀の方が早い事を察すると槍で大刀を防ぐ。
「いい判断じゃないか」
胡烈はそう言うと、今度は先ほどのお返しとばかりに大刀を乱舞させる。
並の武将であれば傅僉の突きを防ぐ事も、胡烈の大刀を防ぐ事も出来なかったはずだが、二人共名を広めた猛将であり、それに見合った実力もある。
ほぼ互角の戦いを繰り広げてきたが、僅かずつではあるが傾き始めた。
胡烈の方に、である。
おそらく実力は互角だっただろうと傅僉は思ったのだが、決定的な差があった。
精神的な余裕である。
すでにイチかバチかの賭けに出ている傅僉と違って、胡烈には戦いを楽しむ余裕があった。
そのせいもあって、胡烈は場合によっては後退して仕切り直すと言う事も出来たが、傅僉にはそれが許されない。
その差は体力の消耗と言う形で、勝負に影響し始めたのである。
それでも前へ、先手先手と攻撃をしてきた傅僉だったが、それは攻勢を見出すと言うより勝負を焦った手であった。
それを見逃す胡烈ではなく、大刀を一閃させて傅僉の槍を両断する。
傅僉は両断された槍を捨てて剣を抜いたが、その瞬間に胡烈は傅僉の馬の首を切り落としていた。
「勝負アリだな、傅僉。出来る事なら真っ向勝負をしたかったが、こうなっては仕方がない。降伏しろ。殺すには惜しい」
「勝手に勝ったつもりになるな、賊将め!」
傅僉が合図すると、傅僉の兵が魏軍に突撃を始める。
「愚かな。わずかでも勝てるつもりでいたか」
その行動に胡烈は呆れた表情を見せて、胡烈も兵を広げて蜀軍を包囲する様に動く。
傅僉の狙いはあくまでも、魏軍の進軍の足を止める事にあり、胡烈は兵を左右に展開し、中央を僅かに後退させて包囲しようとする動きを見せた為に前進の動きが止まる。
傅僉が改めて合図を送ると、蜀軍は突撃を止めて反転して陽安関に全力で退き始める。
その途中で傅僉も救出され、陽安関に戻った。
「門を開けよ! 魏軍を迎え撃つ!」
傅僉は叫ぶが、門が開く気配は無い。
「何をしている! 早く門を開けよ! 魏軍が迫っているのだぞ!」
叫ぶ声に陽安関の門は応えず、その代わりと言う様に蔣舒が顔を出す。
「門を開けよ、蔣舒! 魏軍が来るぞ!」
「見れば分かる」
鼻で笑う様に、蔣舒は言う。
「あの大軍に対して籠城でも、この関を守れるはずが無いだろうに。ここはもう降るしか無い」
「何を言うか! すぐに都や大将軍から援軍が来る! なればまだ戦える!」
「無理無理。都から援軍なんて来るはずがないでしょうが。もしそのつもりならとっくに送ってるはず。我々は見捨てられたのだから、降っても文句も言われる筋合いは無いでしょうに」
「蔣舒、貴様ぁ!」
「私は無駄死にはゴメンですよ。ましてや、貴方の勝手に付き合うつもりもありませんので」
こうして傅僉は陽安関から締め出され、わずかな手勢だけで魏軍の前に放り出される事になった。
「……よもや、我が国にこれほどの俗物がいたとは。我が命運もここに尽きたか」
傅僉は天を仰いで嘆息する。
「将軍、魏軍が来ます」
兵が不安そうに傅僉に言う。
「降りたい者はいるか?」
傅僉は兵を振り返って確認するが、付き従った兵達の中に降伏を希望する者はいなかった。
「よし、ならば一計がある」
傅僉は兵に計略を伝えると、自ら陣頭に立って兵に突撃体勢を取らせる。
「何だ傅僉、その様は。篭城戦に移るのでは無かったのか?」
胡烈が困惑気味に尋ねる。
「貴様如き、この手勢で十分! 恐れをなしたのは貴様の方だろう!」
「降らぬと言うのであれば、ここで討つしか無いぞ?」
「出来るものなら、やってみろ!」
胡烈の降伏勧告も、傅僉は跳ね除ける。
「ならば仕方がない」
胡烈は先ほど包囲しようとした陣形のまま前進してきたらしく、傅僉はすでに半包囲されている状態だったが、それはわかっていた事でもある。
「行くぞ!」
傅僉はそう叫ぶと、突撃する。
と言っても、中央突破ではない。
もっとも包囲の薄そうなところを狙って突撃し、何としても囲みを破るつもりであるのは見て取れるが、そもそもここで囲みを破ったところで陽安関からの援護も無く、また都に戻る為には南側に突撃しなければならないのだが、傅僉が破ろうとしているのは北側である。
胡烈は傅僉の狙いがわからなかったらしく、包囲の兵を動かすのが遅れた。
それを見逃さず、傅僉は囲みを破る。
が、ここで傅僉は胡烈が想像もしていなかった動きを見せた。
そのまま逃げるのではなく、囲みを破った先に兵の大半を走らせ、自身は僅かな兵を率いて殿軍としてその場に残ったのである。
「兵を逃がす為に残ったか。見事な覚悟とも言えるが、犬死だぞ」
胡烈は傅僉に向かって言う。
すでに傅僉は満身創痍であり、剣を杖に立つのがやっとの状態であったが、その目から力は失われていない。
「この傅僉、蜀の臣下となったからには、死してなお護国の鬼とならん!」
最期まで戦った傅僉だったが、敵兵に捕らえられる事をよしとせずに、自らの剣で自身の首をかき切り、自らの命を絶ったのである。
「蜀の将兵、侮りがたしと言う事か」
胡烈は傅僉の最期を見届けて、そう呟く。
そのまま胡烈は兵を進め、投降の意思を見せた蔣舒によって陽安関をほぼ無傷で通り抜ける事が出来た。
なお余談ではあるが、この時魏に降伏した蔣舒の名は、これ以降三国志正史にも演義にも二度と出てくる事は無く、その後の消息は不明となっている。
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