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第三章 泥塗れの龍と手負いの麒麟は
第二話 二五七年 戦が始まる
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諸葛誕の短慮とも言える行動は、賈充を追い返しただけでは事足りず、淮南の兵十万を持って挙兵したのである。
その唐突とも言える謀反に、かつて毌丘倹の乱で戦った楽綝が諌める為に諸葛誕の元へ訪れたのだが、諸葛誕はそれを司馬昭の刺客であると思い込み、切り捨ててしまったのだった。
一応とは言え、諸葛誕にも言い分はあった。
基本的に楽綝は武将であり、ごく僅かな兵とは言え兵を連れて来たのだから、それに対して警戒したと言うのが諸葛誕の言い分だった。
しかし、楽綝が率いていたのは僅か二千。
十万の諸葛誕軍と一戦を構えようとしている兵数ではない事は、誰の目にも明らかである。
また、楽綝はそこまで親司馬派という訳でもない。
それでも諸葛誕が極端な行動に出たのは、楽綝が司馬昭の指示を受けてここへやって来たという事実である。
もっとも、大将軍である司馬昭が使者である賈充を通して楽綝に指示を出す事、それ自体は別に何もおかしい事は無い。
その際に身の危険を守る為にという事で兵を率いる様にとも言われていたし、すでに兵を挙げた状態の諸葛誕の元に赴くというのであれば、それもあり得ないと言えるような事ではないはずだった。
司馬昭や賈充はその時の兵数はかなり多く指示してきたが、楽綝は諸葛誕を刺激する事になると言って断り、最低限の妥協点として二千という数になったのである。
楽綝自身はそこまで諸葛誕の事を知っているとは言えないまでも、一度は同じ戦に参加した者同士であり、名将と称される人物なのだから話せばわかると思った一面もあった。
それがまさか、まともに話すら出来ないとは楽綝も考えていなかった。
こうして、魏の猛将楽進の息子は突然歴史からその名を消す事になったのである。
諸葛誕にしても、これによって後には退けなくなった。
「呉に援軍を求める」
そう諸葛誕が宣言した時も、将軍達の反応は薄かった。
諸葛誕は軍部でも人望厚く実績もあり、将兵からの信頼もある。
それだけに今回の挙兵にも驚きはあったものの、ほとんどの将兵がそれに同調したのだが、呉への援軍には賛同の声は少なかった。
反対というより、呉が兵を出すと思えなかったのである。
「賛成です」
周囲が困惑する中、諸葛誕に賛同したのは呉綱と言う武将だった。
「先の乱で孫峻は何ら手柄を上げる事も無く撤退しています。その後孫俊は急死して孫綝とやらがその地位を継いだらしいのですが、失敗した孫峻と違い武功を立てようと、必ず援軍を出してくれるでしょう」
「うむ、では呉綱よ。呉への援軍を求める使者として出向いてくれるか」
「御意。ですが、それをより確実にする為にも人質を出してはいかがでしょうか」
「人質だと?」
さすがに諸葛誕は難色を示す。
「便宜上人質と言っておりますが、それによって呉の信頼を得る事は出来ます。戦に勝った後にまた呼び戻せばよく、戦の間だけ呉に遊学させると考えれば良いのです」
諸葛誕はすぐには頷かなかったものの、呉綱の言う事には聞くべき点がある事は理解出来た。
そして人質には、諸葛誕の三男である諸葛靚が選ばれた。
呉綱も諸葛靚の才覚は認めていて、人格の面でも呉軍で問題を起こす様な人物ではない事も知っていた事もあり、すぐに呉へ援軍を求める使者として向かった。
呉からすると、魏の内乱は望むところではあるのだが、それによって兵を出すかどうかは悩みどころだった。
誰もが様子見であった中、援軍に積極的だったのは唐咨と言う武将だった。
彼は若い頃に魏の反乱勢力の首領に祭り上げられ、文帝曹丕によって魏を追われて呉に亡命したという経緯があり、魏と言う国に強い恨みを抱いていた人物でもある。
「ふん、諸葛誕が援軍を請うか。面白い事になったものだ」
そう言って笑ったのは文欽だった。
「あの尊大なヤツが頭を下げてきたというのは、悪くない。しかも相手が司馬昭と言うのであればなおの事。大将軍、この援軍、お受け下さい」
降将でありながら孫峻が重用し信頼していた文欽の言葉と言う事もあって、孫綝は援軍を出す事を決めた。
その際に諸葛靚を人質ではあるものの、ある程度の行動の自由を許し、呉綱を近習とする事を許すなどの厚遇をもって迎え入れたのである。
一方の魏軍も、名将諸葛誕謀反と言う一大事に対応を迫られていた。
まず何より最精鋭の雍州方面軍を動かす訳にはいかない事が問題となった。
単純な兵力であれば当然本国の兵力が上である事は言うまでもない事であるが、それでも実戦慣れした武将も多く、士気や練度も高い為、もし同数であれば本国の魏軍より増員が少年兵であったとしても雍州方面軍の方が戦闘能力が高いかもしれないほどだ。
しかし、雍州を虎視眈々と狙う蜀の姜維がこの内乱を黙って見逃すはずもなく、まず間違いなく出兵してくるであろうから雍州の兵は動かすべきではない、と陳泰が司馬昭に直訴したくらいである。
その危険性は十分にあり得る為、司馬昭もそれを入れて直属の胡奮を呼び戻すだけに留まり、都周辺の将兵をかき集めて内乱に当たる事にした。
そこで集まった兵は二十万を超え、諸葛誕軍の倍以上の兵力となったが、司馬昭はそれだけでは手としてはまだ弱いと見て、さらに一手加える事とした。
皇帝曹髦を担ぎ出し、皇帝親征であるとして士気を高めようと画策したのである。
「ほう、大将軍は一地方の反乱鎮圧の為に皇帝たる朕に力を貸せというのか? 魏国皇帝とはそれほど軽い地位であったか。朕は皇帝とはもう少し重いものかと思っておったのだがな」
むしろどこか楽し気に曹髦は、司馬昭に向かって言う。
「魏国太祖であらせられる曹孟徳様は、ご自身が戦場に立ち、兵を奮い立たせ幾度となく勝利を収め、魏の礎を作られました。陛下の言うように、此度の事は所詮一地方の反乱に過ぎないとはいえ、陛下にとっての初陣。勝利によって初陣を飾り、その威光を知らしめるにはうってつけかと」
「子尚よ、その言い分であればまるで朕の初陣を飾る為に公休は謀反を起こした様に聞こえるぞ。朕の威光など戦で示さずとも、そなたら魏の臣下達が国の為に忠義を尽くせばいくらでも示す事も出来よう。むしろこれによって貴重な将兵が失われるのだ。それは大将軍にとっても失態であり、また朕の威光も陰る事となる。それらの事、分かっておるだろうな」
「重々承知しております。して、親征の件は引き受けていただけるのですか?」
「良かろう。朕の威光、存分に示してやろうぞ」
曹髦は大きく頷く。
「皇帝とは言え、随分な物言いでしたな」
賈充がさっそく司馬昭に言う。
「……兄上が避けたかった才なのだろうな。十代にしてあの物言い、さらには言ってくる事も耳が痛い事を突いてくる。覇王の血筋、恐るべしと言うところだ」
司馬昭を眉を寄せて、賈充に答える。
司馬師は曹髦を帝位に就ける事に対し、最初は反対していた。
しかし明帝の妻であった郭皇太后の強い後押しによって、最終的には司馬師も折れて曹髦を皇帝とする事となった。
あの覇王の才覚を見出したからこそ、最初は反対していた司馬師も魏と言う国を立て直す為の御旗足りえると考え、師父と言う座に就く事も考えたのだろう。
だが、それは兄である司馬師の才覚と理想の話であって、司馬昭の話ではない。
少なくとも曹髦は、司馬師の時ほど自分を信用していないという事を、司馬昭は感じていた。
今回無理にでも親征を申し出たのも、司馬昭が諸葛誕の制圧に向かっている間に曹髦が軍事行動に出て力で都を制圧する事を恐れたからと言う一面もある。
確かに曹髦は言ってしまえば十代の少年かもしれないが、それでも皇帝としての威厳たるや曹芳の比ではない。
今であれば叔父の司馬孚をはじめ、多数の臣下が曹髦に同調する事も考えられた。
そうなった場合には、司馬一族は失脚する事になる。
司馬孚や司馬望の一族はマシかもしれないが、それでも閑職に回される事になるはずで、先々には力を取り戻した曹一族から抹殺される恐れすらある。
以前曹爽がやろうとしていたのだから、同じ事が繰り返されても何らおかしくはない。
「だが、まずは目の前の問題を解決させようではないか。公休は敵として軽い者ではない」
司馬昭は曹髦の問題をいったん置いて、諸葛誕の乱制圧の為の軍を編成する。
皇帝曹髦と郭皇太后を担ぐ以上、この二人にある程度近しい人物を置いて少しは不安を取り除いておく必要はある。
「適任は鍾会と石苞でしょう。二人とも皇帝に近しく、また参謀としても将軍としても戦に参加する事に何ら不都合があるわけでも無いのですから」
「そうだな」
司馬昭は賈充の意見を取り入れ、鍾会と石苞の他、胡奮と胡烈の兄弟や陳騫といった司馬昭直属の武将、都の守将であった州泰なども呼び、さらに諸葛誕の副将を務めた事もある王基にも出兵を命じ、総勢二十六万の大軍となって諸葛誕制圧に向かったのである。
その唐突とも言える謀反に、かつて毌丘倹の乱で戦った楽綝が諌める為に諸葛誕の元へ訪れたのだが、諸葛誕はそれを司馬昭の刺客であると思い込み、切り捨ててしまったのだった。
一応とは言え、諸葛誕にも言い分はあった。
基本的に楽綝は武将であり、ごく僅かな兵とは言え兵を連れて来たのだから、それに対して警戒したと言うのが諸葛誕の言い分だった。
しかし、楽綝が率いていたのは僅か二千。
十万の諸葛誕軍と一戦を構えようとしている兵数ではない事は、誰の目にも明らかである。
また、楽綝はそこまで親司馬派という訳でもない。
それでも諸葛誕が極端な行動に出たのは、楽綝が司馬昭の指示を受けてここへやって来たという事実である。
もっとも、大将軍である司馬昭が使者である賈充を通して楽綝に指示を出す事、それ自体は別に何もおかしい事は無い。
その際に身の危険を守る為にという事で兵を率いる様にとも言われていたし、すでに兵を挙げた状態の諸葛誕の元に赴くというのであれば、それもあり得ないと言えるような事ではないはずだった。
司馬昭や賈充はその時の兵数はかなり多く指示してきたが、楽綝は諸葛誕を刺激する事になると言って断り、最低限の妥協点として二千という数になったのである。
楽綝自身はそこまで諸葛誕の事を知っているとは言えないまでも、一度は同じ戦に参加した者同士であり、名将と称される人物なのだから話せばわかると思った一面もあった。
それがまさか、まともに話すら出来ないとは楽綝も考えていなかった。
こうして、魏の猛将楽進の息子は突然歴史からその名を消す事になったのである。
諸葛誕にしても、これによって後には退けなくなった。
「呉に援軍を求める」
そう諸葛誕が宣言した時も、将軍達の反応は薄かった。
諸葛誕は軍部でも人望厚く実績もあり、将兵からの信頼もある。
それだけに今回の挙兵にも驚きはあったものの、ほとんどの将兵がそれに同調したのだが、呉への援軍には賛同の声は少なかった。
反対というより、呉が兵を出すと思えなかったのである。
「賛成です」
周囲が困惑する中、諸葛誕に賛同したのは呉綱と言う武将だった。
「先の乱で孫峻は何ら手柄を上げる事も無く撤退しています。その後孫俊は急死して孫綝とやらがその地位を継いだらしいのですが、失敗した孫峻と違い武功を立てようと、必ず援軍を出してくれるでしょう」
「うむ、では呉綱よ。呉への援軍を求める使者として出向いてくれるか」
「御意。ですが、それをより確実にする為にも人質を出してはいかがでしょうか」
「人質だと?」
さすがに諸葛誕は難色を示す。
「便宜上人質と言っておりますが、それによって呉の信頼を得る事は出来ます。戦に勝った後にまた呼び戻せばよく、戦の間だけ呉に遊学させると考えれば良いのです」
諸葛誕はすぐには頷かなかったものの、呉綱の言う事には聞くべき点がある事は理解出来た。
そして人質には、諸葛誕の三男である諸葛靚が選ばれた。
呉綱も諸葛靚の才覚は認めていて、人格の面でも呉軍で問題を起こす様な人物ではない事も知っていた事もあり、すぐに呉へ援軍を求める使者として向かった。
呉からすると、魏の内乱は望むところではあるのだが、それによって兵を出すかどうかは悩みどころだった。
誰もが様子見であった中、援軍に積極的だったのは唐咨と言う武将だった。
彼は若い頃に魏の反乱勢力の首領に祭り上げられ、文帝曹丕によって魏を追われて呉に亡命したという経緯があり、魏と言う国に強い恨みを抱いていた人物でもある。
「ふん、諸葛誕が援軍を請うか。面白い事になったものだ」
そう言って笑ったのは文欽だった。
「あの尊大なヤツが頭を下げてきたというのは、悪くない。しかも相手が司馬昭と言うのであればなおの事。大将軍、この援軍、お受け下さい」
降将でありながら孫峻が重用し信頼していた文欽の言葉と言う事もあって、孫綝は援軍を出す事を決めた。
その際に諸葛靚を人質ではあるものの、ある程度の行動の自由を許し、呉綱を近習とする事を許すなどの厚遇をもって迎え入れたのである。
一方の魏軍も、名将諸葛誕謀反と言う一大事に対応を迫られていた。
まず何より最精鋭の雍州方面軍を動かす訳にはいかない事が問題となった。
単純な兵力であれば当然本国の兵力が上である事は言うまでもない事であるが、それでも実戦慣れした武将も多く、士気や練度も高い為、もし同数であれば本国の魏軍より増員が少年兵であったとしても雍州方面軍の方が戦闘能力が高いかもしれないほどだ。
しかし、雍州を虎視眈々と狙う蜀の姜維がこの内乱を黙って見逃すはずもなく、まず間違いなく出兵してくるであろうから雍州の兵は動かすべきではない、と陳泰が司馬昭に直訴したくらいである。
その危険性は十分にあり得る為、司馬昭もそれを入れて直属の胡奮を呼び戻すだけに留まり、都周辺の将兵をかき集めて内乱に当たる事にした。
そこで集まった兵は二十万を超え、諸葛誕軍の倍以上の兵力となったが、司馬昭はそれだけでは手としてはまだ弱いと見て、さらに一手加える事とした。
皇帝曹髦を担ぎ出し、皇帝親征であるとして士気を高めようと画策したのである。
「ほう、大将軍は一地方の反乱鎮圧の為に皇帝たる朕に力を貸せというのか? 魏国皇帝とはそれほど軽い地位であったか。朕は皇帝とはもう少し重いものかと思っておったのだがな」
むしろどこか楽し気に曹髦は、司馬昭に向かって言う。
「魏国太祖であらせられる曹孟徳様は、ご自身が戦場に立ち、兵を奮い立たせ幾度となく勝利を収め、魏の礎を作られました。陛下の言うように、此度の事は所詮一地方の反乱に過ぎないとはいえ、陛下にとっての初陣。勝利によって初陣を飾り、その威光を知らしめるにはうってつけかと」
「子尚よ、その言い分であればまるで朕の初陣を飾る為に公休は謀反を起こした様に聞こえるぞ。朕の威光など戦で示さずとも、そなたら魏の臣下達が国の為に忠義を尽くせばいくらでも示す事も出来よう。むしろこれによって貴重な将兵が失われるのだ。それは大将軍にとっても失態であり、また朕の威光も陰る事となる。それらの事、分かっておるだろうな」
「重々承知しております。して、親征の件は引き受けていただけるのですか?」
「良かろう。朕の威光、存分に示してやろうぞ」
曹髦は大きく頷く。
「皇帝とは言え、随分な物言いでしたな」
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「……兄上が避けたかった才なのだろうな。十代にしてあの物言い、さらには言ってくる事も耳が痛い事を突いてくる。覇王の血筋、恐るべしと言うところだ」
司馬昭を眉を寄せて、賈充に答える。
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しかし明帝の妻であった郭皇太后の強い後押しによって、最終的には司馬師も折れて曹髦を皇帝とする事となった。
あの覇王の才覚を見出したからこそ、最初は反対していた司馬師も魏と言う国を立て直す為の御旗足りえると考え、師父と言う座に就く事も考えたのだろう。
だが、それは兄である司馬師の才覚と理想の話であって、司馬昭の話ではない。
少なくとも曹髦は、司馬師の時ほど自分を信用していないという事を、司馬昭は感じていた。
今回無理にでも親征を申し出たのも、司馬昭が諸葛誕の制圧に向かっている間に曹髦が軍事行動に出て力で都を制圧する事を恐れたからと言う一面もある。
確かに曹髦は言ってしまえば十代の少年かもしれないが、それでも皇帝としての威厳たるや曹芳の比ではない。
今であれば叔父の司馬孚をはじめ、多数の臣下が曹髦に同調する事も考えられた。
そうなった場合には、司馬一族は失脚する事になる。
司馬孚や司馬望の一族はマシかもしれないが、それでも閑職に回される事になるはずで、先々には力を取り戻した曹一族から抹殺される恐れすらある。
以前曹爽がやろうとしていたのだから、同じ事が繰り返されても何らおかしくはない。
「だが、まずは目の前の問題を解決させようではないか。公休は敵として軽い者ではない」
司馬昭は曹髦の問題をいったん置いて、諸葛誕の乱制圧の為の軍を編成する。
皇帝曹髦と郭皇太后を担ぐ以上、この二人にある程度近しい人物を置いて少しは不安を取り除いておく必要はある。
「適任は鍾会と石苞でしょう。二人とも皇帝に近しく、また参謀としても将軍としても戦に参加する事に何ら不都合があるわけでも無いのですから」
「そうだな」
司馬昭は賈充の意見を取り入れ、鍾会と石苞の他、胡奮と胡烈の兄弟や陳騫といった司馬昭直属の武将、都の守将であった州泰なども呼び、さらに諸葛誕の副将を務めた事もある王基にも出兵を命じ、総勢二十六万の大軍となって諸葛誕制圧に向かったのである。
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