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第二章 血と粛清の嵐の中で
第三話 二五二年 遠征の面子
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この時期、魏では内政に力を入れる事を司馬師は方針としていたのだが、そうもいかなくなった。
呉の皇帝、孫権の死である。
呉は先年まで後継者争いによる家臣団の分裂があり、ようやく後継者が決まったのが一昨年の事である。
皇帝孫権の死後、その後を継いだのがまだ若い幼帝の孫亮であったのだが、この混乱に乗じない手は無いと言う事になった。
鄧艾が司馬師に与えられた任務は、後方支援の責任者と言ういきなりの大任だった。
その為、汝南太守と言う地位まで与えられたのだが、今回の呉への遠征はかなりの大部隊を動員すると言う事で、太守の仕事はほとんど杜預に丸投げ状態である。
目が回る様な多忙な日々だったのだが、それも鄧艾が汝南太守でありながら今回の戦にも参加する事になっている事が起因していた。
と言っても、後方支援の予備戦力としてである。
鄧艾だけでなく、石苞も予備戦力として後方に回されている。
「士載、お前、また何かやったのか?」
鄧艾と共に後方で予備戦力に回された石苞は、汝南で鄧艾に愚痴っていた。
「……いや、今回は特に睨まれる様な事は……」
していない、とは言い難い。
何しろ、現皇帝曹芳に対する不信を抱いている時点で、大逆の罪と言われても仕方が無い。
「これで今回は手柄を立てる機会も無く、戦も終わるのかぁ」
「まあまあ。陛下と司馬師様から、最前線に放り込んで死ぬまで働かせると言われた身としては、後方支援も良しとしないと」
「アレはいくらなんでも、陛下の冗談だよな?」
「私はあの時が初対面だったので、陛下については仲容の方が詳しいのでは?」
鄧艾と違って順調に出世していった石苞は、一時期毌丘倹の元を離れて情報収集を行っていたのだが、その時に皇族と知り合い、それなりに親しくしているらしい。
特に明帝の第二夫人であった郭皇后から気に入られているらしく、時々文帝の孫である曹髦の教育係も勤めていた事もある。
もっとも、教養においては石苞の方が教わる側で、武芸に関してが主だったと本人は言う。
が、そう言う皇族と親しいからと言って、皇帝と親しいと言う訳でもない。
まして曹芳は、女官は近付ける事を好み、武将などは毛嫌いしているとも言われている。
それについては先日会った時にも実感しているので、単なる噂とも言えないくらいに納得出来た。
「陛下の事を考えても、意味は無いか。それより、目の前の事に集中しよう」
「と、言うと?」
「今回の出征で、仲容や毌丘倹将軍の事は知っている。総大将の司馬師様の事も、ある程度分かっているにしても、他の方々との面識が無い。仲容、教えてくれないか?」
「おう。俺は割と知っている人が多いからな」
鄧艾は資料を見ながら、石苞に質問する。
極論で言ってしまえば、後方支援の鄧艾達に前線の武将の情報などさほど必要無いかも知れない。
しかし、総大将にして一流の戦略家でもある司馬師から代案を用意しておく様にとも言われているので、参加する武将の特性は知っておく必要があった。
司馬師、石苞、毌丘倹の他、見知った名前もあった。
遼東で一緒だった胡遵である。
よく知っていると言う訳ではないが、公孫淵との戦いの際に武勲をあげた人物で、その時には夏侯覇を自身の部隊に編入していた。
あの時は武闘派の牛金が目立っていたが、比較的物腰の柔らかい人物だったと記憶している。
とは言えその実力は本物で、名将の誉れ高い毌丘倹と並び称される実力者でもあった。
戦地が違ったのでほとんど面識は無いが、芍陂の戦いの時にその名を目にした文欽の名もあった。
武勇に優れた猛将なのだが、評判はすこぶる悪い。
戦に長けている事で武将として在籍しているものの、今は亡き曹爽の後ろ盾がなければとても武将として重用される事は無かったとも言われている。
とにかく問題の多い人物で人の好き嫌いも激しいらしく、石苞が言うには同じく遠征に名を連ねる諸葛誕と仲が悪く、双方を認め、双方から認められる毌丘倹がいつも執り成しに苦労していると言う。
今の皇帝、曹芳になってから将軍に復帰した諸葛誕は明帝からは嫌われたものの、知勇兼備の名将であり、知識人としての一面を持つ教養豊かな人物と評判だった。
かの諸葛亮、諸葛瑾と同じ一族の人物であり、
『蜀は龍を、呉は虎を、魏は狗を得た』
と評されるほどである。
「狗ですか?」
と、石苞は毌丘倹に尋ねた事があると言う。
「臣下に持つ時、龍は優れているかもしれないがとても人の手に負えるものではない。虎は龍よりマシとは言え、それでも十分過ぎるほど危険だ。公休(諸葛誕の字)は忠勇に優れ、龍や虎の様に大それた態度で主を脅かす事も無い。臣下と言うのであれば、もっとも優れた人物だと言う意味だよ」
毌丘倹は石苞にそう答えたそうだ。
しかし、その高尚さは少々鼻につくところもあり、その辺りが明帝から『実のない絵に描いた餅』と言われ、遠ざけられた所以でもある。
鄧艾達が姜維と戦っている時、呉に攻め込み勇戦したものの撤退した王昶の名もあった。
同郡出身で同姓と言う事もあって、あの王凌から弟分と可愛がられていたが、血縁関係は無く、王凌の乱の際にはまさに呉との戦いから撤退したばかりの状態だったので乱には加わっておらず、罰を受ける事も無かった人物である。
ちなみに王昶、胡遵、諸葛誕、毌丘倹と、最近目覚しい活躍で名を挙げている陳泰が今の魏を代表する名将として名を挙げられるが、実は陳泰はそれを嫌がっていた。
この面子の中に入れられると、自分の実績は乏しく恥じ入るばかりだと愚痴っていたのを、郭淮達と共に笑いながら聞いていた。
さらに呉から投降した武将である、韓綜の名もあった。
父親は呉の礎を築いたとされる、孫権の父である孫堅の時代から仕えた宿将の韓当である。
どの様な経緯で魏に流れてきたのかは石苞も知らないらしいが、呉の内情に詳しい事を買われてこの出征に名を連ねる事になったのだろう、と石苞は言っていた。
「改めて見ると、凄い面子を集めたよな? そこに総大将として司馬師様が、従軍軍師として司馬昭様も参加するんだろ? 本気だよな」
石苞が感心した様に言う。
鄧艾も同じ様に思うのだが、どこかに引っかかりを感じてもいた。
対呉で考えるのであれば、これ以上揃えようがないくらいに揃っていると言える人選である。
だが、集め過ぎとも思える。
実権を握ったばかりの司馬師にとって、この陣容は扱いやすいとは言えないだろう。
例えば誰もが認める名将の毌丘倹だが、彼は魏の為にならないとなれば相手が誰であろうと正面からぶつかっていく傾向が強い。
遼東では司馬懿と、その後は曹爽にも真っ向から苦言を呈していた。
それどころか、皇帝である明帝曹叡に対してすら恐れる事無く苦言を呈し、諌めた事もあると言うのだから、司馬師にとって扱いやすい武将とは言えない。
文欽と諸葛誕は、今は亡き曹爽の口利きで将軍となった経緯があり、これ以上は無いくらいの親曹派だった。
そんな人物が政敵であった司馬一族と上手く付き合っていけるのかも問題だが、文欽は勇猛と言えば聞こえはいいが粗暴に過ぎる。
諸葛誕にしても知勇兼備の勇将であるには違いないのだが、余りある気位の高さは万人に受け入れられるものではない。
現に曹叡からはそれが原因で罷免されているし、今でも文欽とは反りが合わずにいがみ合っている。
先の敗戦の雪辱に燃える王昶にしても、あの王凌から目をかけられた武将であり、事実上王凌を討伐した司馬師の配下となる事を本人はどう思っているのだろうか。
元老級の宿将の息子であり、血筋で言うのであれば間違いなく出世を約束されていたであろう韓綜にしてもそうである。
何かあって将軍位を奪われて在野に下ったと言うのであっても大事なのだが、わざわざ魏に亡命して来たと言うのも妙と言えば妙な話だった。
戦に敗れて投降すると言うのなら分かるが、自ら呉を捨てて魏に来たと言うのだから、相当な事だろう。
……この陣容、大丈夫か?
急に不安になってきた。
もしそれぞれの武将の能力を数値化する事が出来た場合、この面子はおそらく対呉においては理想的と言うべき人物達であり、これ以上は望めない様な数値になるだろう。
だが、現実はそう簡単な話ではない。
特に相性と言うのは無視出来ない。
先の例えではないが、能力を数値化した場合、この陣容は理想的であると鄧艾も思う。
しかし、その数値通りに能力を発揮できれば、と言う条件が付く。
鄧艾の場合で言えば、石苞や杜預であればその能力を遺憾無く発揮できると思うが、それが淮南の時に罷免した田続の親族達の様な者達であれば、その能力を発揮させる事など出来ない。
そうなったらどれだけ優秀であっても、ほとんど意味を成さなくなってしまう。
司馬師にはその自信がある、と言う事だろうか。
かも知れない。
司馬師は不平屋で皮肉屋、自分以外のほとんどを否定する気難しい異才と評された何晏をして、天下の大事を担うに足る人物と称されたほどである。
とは言え、絶対ではない。
策にしてもそうである。
主力を率いるのは司馬師自らであり、その第一軍を諸葛誕が務める。その数は七万。その大軍だけでも脅威なのだが、さらに別働隊として毌丘倹と王昶がそれぞれの部隊を率いて多方面から進軍する。
毌丘倹と王昶の役割は陽動とは言え、この二人の名将であればその威力はとても無視出来るものではない。
呉建国からの君主であり初代皇帝、その圧倒的な人望で版図をまとめ上げた巨人孫権を失った事は呉にとって大事件であったはず。
もし混乱しているのであれば、とても対応出来ないであろうと鄧艾も考える。
が、ほぼ同じ条件だった芍陂の戦いでは魏は呉の大軍を防ぐ事が出来た。
それは孫礼の勇戦奮闘も然る事ながら、司馬懿と言う精神的支柱があり冷静な対応策を講じていた事も大きい。
もし、呉が同じ様な対応が出来ていたら?
普通に考えれば有り得ない。
二代目である曹叡と初代である孫権では受ける衝撃が違うし、その皇太子は先年決まったばかりの、しかも幼年の皇帝である。
魏も曹芳は幼帝だったが、それを支える司馬懿がいた。
本来であれば呉でその役割を担うはずであった陸遜、全琮、張休らは先の後継者争いによって既にこの世を去っている。
言うなれば、司馬懿や王凌抜きで芍陂を再現する様なものだ。
そう、魏に負ける要素は少なく、呉に勝てる要素は極めて少ない。
「仲容、この戦だけど、後方支援はもしかすると凄く難しくなるかもしれない」
「ん? どう言う事だ? 物資が足りてないのか?」
「いや、そこは心配ないと思う」
荒地だった淮南も、鄧艾が運河を作って十年の内に驚く程豊かになり、生産拠点として十分過ぎるほどに機能している。
だからこそこの大軍を動員出来るのだ。
……私の思い過ごしであってくれれば良いのだが……。
鄧艾はそう思いながらも、少しでも不安を減らす為に現地の調査を司馬昭に申し出た。
呉に攻め込んだ王昶や、呉出身である韓綜はともかく、他の者は呉の地に不慣れであり鄧艾も呉の土地の事は全く知らない。
そこから来る不安を消しておきたかったのである。
しかし、司馬昭からの返事は否だった。
すでに呉の地図が有り韓綜と言う道案内がいるのだから、その調査で向こうに気取られる危険を冒す事こそ不要である、との事だった。
もっともな意見だと、鄧艾も納得せざるを得ない。
もちろん、それで不安が解消されると言う事もないのだが、鄧艾はあえてそれ以上は考えず後方支援の仕事に集中する事にした。
呉の皇帝、孫権の死である。
呉は先年まで後継者争いによる家臣団の分裂があり、ようやく後継者が決まったのが一昨年の事である。
皇帝孫権の死後、その後を継いだのがまだ若い幼帝の孫亮であったのだが、この混乱に乗じない手は無いと言う事になった。
鄧艾が司馬師に与えられた任務は、後方支援の責任者と言ういきなりの大任だった。
その為、汝南太守と言う地位まで与えられたのだが、今回の呉への遠征はかなりの大部隊を動員すると言う事で、太守の仕事はほとんど杜預に丸投げ状態である。
目が回る様な多忙な日々だったのだが、それも鄧艾が汝南太守でありながら今回の戦にも参加する事になっている事が起因していた。
と言っても、後方支援の予備戦力としてである。
鄧艾だけでなく、石苞も予備戦力として後方に回されている。
「士載、お前、また何かやったのか?」
鄧艾と共に後方で予備戦力に回された石苞は、汝南で鄧艾に愚痴っていた。
「……いや、今回は特に睨まれる様な事は……」
していない、とは言い難い。
何しろ、現皇帝曹芳に対する不信を抱いている時点で、大逆の罪と言われても仕方が無い。
「これで今回は手柄を立てる機会も無く、戦も終わるのかぁ」
「まあまあ。陛下と司馬師様から、最前線に放り込んで死ぬまで働かせると言われた身としては、後方支援も良しとしないと」
「アレはいくらなんでも、陛下の冗談だよな?」
「私はあの時が初対面だったので、陛下については仲容の方が詳しいのでは?」
鄧艾と違って順調に出世していった石苞は、一時期毌丘倹の元を離れて情報収集を行っていたのだが、その時に皇族と知り合い、それなりに親しくしているらしい。
特に明帝の第二夫人であった郭皇后から気に入られているらしく、時々文帝の孫である曹髦の教育係も勤めていた事もある。
もっとも、教養においては石苞の方が教わる側で、武芸に関してが主だったと本人は言う。
が、そう言う皇族と親しいからと言って、皇帝と親しいと言う訳でもない。
まして曹芳は、女官は近付ける事を好み、武将などは毛嫌いしているとも言われている。
それについては先日会った時にも実感しているので、単なる噂とも言えないくらいに納得出来た。
「陛下の事を考えても、意味は無いか。それより、目の前の事に集中しよう」
「と、言うと?」
「今回の出征で、仲容や毌丘倹将軍の事は知っている。総大将の司馬師様の事も、ある程度分かっているにしても、他の方々との面識が無い。仲容、教えてくれないか?」
「おう。俺は割と知っている人が多いからな」
鄧艾は資料を見ながら、石苞に質問する。
極論で言ってしまえば、後方支援の鄧艾達に前線の武将の情報などさほど必要無いかも知れない。
しかし、総大将にして一流の戦略家でもある司馬師から代案を用意しておく様にとも言われているので、参加する武将の特性は知っておく必要があった。
司馬師、石苞、毌丘倹の他、見知った名前もあった。
遼東で一緒だった胡遵である。
よく知っていると言う訳ではないが、公孫淵との戦いの際に武勲をあげた人物で、その時には夏侯覇を自身の部隊に編入していた。
あの時は武闘派の牛金が目立っていたが、比較的物腰の柔らかい人物だったと記憶している。
とは言えその実力は本物で、名将の誉れ高い毌丘倹と並び称される実力者でもあった。
戦地が違ったのでほとんど面識は無いが、芍陂の戦いの時にその名を目にした文欽の名もあった。
武勇に優れた猛将なのだが、評判はすこぶる悪い。
戦に長けている事で武将として在籍しているものの、今は亡き曹爽の後ろ盾がなければとても武将として重用される事は無かったとも言われている。
とにかく問題の多い人物で人の好き嫌いも激しいらしく、石苞が言うには同じく遠征に名を連ねる諸葛誕と仲が悪く、双方を認め、双方から認められる毌丘倹がいつも執り成しに苦労していると言う。
今の皇帝、曹芳になってから将軍に復帰した諸葛誕は明帝からは嫌われたものの、知勇兼備の名将であり、知識人としての一面を持つ教養豊かな人物と評判だった。
かの諸葛亮、諸葛瑾と同じ一族の人物であり、
『蜀は龍を、呉は虎を、魏は狗を得た』
と評されるほどである。
「狗ですか?」
と、石苞は毌丘倹に尋ねた事があると言う。
「臣下に持つ時、龍は優れているかもしれないがとても人の手に負えるものではない。虎は龍よりマシとは言え、それでも十分過ぎるほど危険だ。公休(諸葛誕の字)は忠勇に優れ、龍や虎の様に大それた態度で主を脅かす事も無い。臣下と言うのであれば、もっとも優れた人物だと言う意味だよ」
毌丘倹は石苞にそう答えたそうだ。
しかし、その高尚さは少々鼻につくところもあり、その辺りが明帝から『実のない絵に描いた餅』と言われ、遠ざけられた所以でもある。
鄧艾達が姜維と戦っている時、呉に攻め込み勇戦したものの撤退した王昶の名もあった。
同郡出身で同姓と言う事もあって、あの王凌から弟分と可愛がられていたが、血縁関係は無く、王凌の乱の際にはまさに呉との戦いから撤退したばかりの状態だったので乱には加わっておらず、罰を受ける事も無かった人物である。
ちなみに王昶、胡遵、諸葛誕、毌丘倹と、最近目覚しい活躍で名を挙げている陳泰が今の魏を代表する名将として名を挙げられるが、実は陳泰はそれを嫌がっていた。
この面子の中に入れられると、自分の実績は乏しく恥じ入るばかりだと愚痴っていたのを、郭淮達と共に笑いながら聞いていた。
さらに呉から投降した武将である、韓綜の名もあった。
父親は呉の礎を築いたとされる、孫権の父である孫堅の時代から仕えた宿将の韓当である。
どの様な経緯で魏に流れてきたのかは石苞も知らないらしいが、呉の内情に詳しい事を買われてこの出征に名を連ねる事になったのだろう、と石苞は言っていた。
「改めて見ると、凄い面子を集めたよな? そこに総大将として司馬師様が、従軍軍師として司馬昭様も参加するんだろ? 本気だよな」
石苞が感心した様に言う。
鄧艾も同じ様に思うのだが、どこかに引っかかりを感じてもいた。
対呉で考えるのであれば、これ以上揃えようがないくらいに揃っていると言える人選である。
だが、集め過ぎとも思える。
実権を握ったばかりの司馬師にとって、この陣容は扱いやすいとは言えないだろう。
例えば誰もが認める名将の毌丘倹だが、彼は魏の為にならないとなれば相手が誰であろうと正面からぶつかっていく傾向が強い。
遼東では司馬懿と、その後は曹爽にも真っ向から苦言を呈していた。
それどころか、皇帝である明帝曹叡に対してすら恐れる事無く苦言を呈し、諌めた事もあると言うのだから、司馬師にとって扱いやすい武将とは言えない。
文欽と諸葛誕は、今は亡き曹爽の口利きで将軍となった経緯があり、これ以上は無いくらいの親曹派だった。
そんな人物が政敵であった司馬一族と上手く付き合っていけるのかも問題だが、文欽は勇猛と言えば聞こえはいいが粗暴に過ぎる。
諸葛誕にしても知勇兼備の勇将であるには違いないのだが、余りある気位の高さは万人に受け入れられるものではない。
現に曹叡からはそれが原因で罷免されているし、今でも文欽とは反りが合わずにいがみ合っている。
先の敗戦の雪辱に燃える王昶にしても、あの王凌から目をかけられた武将であり、事実上王凌を討伐した司馬師の配下となる事を本人はどう思っているのだろうか。
元老級の宿将の息子であり、血筋で言うのであれば間違いなく出世を約束されていたであろう韓綜にしてもそうである。
何かあって将軍位を奪われて在野に下ったと言うのであっても大事なのだが、わざわざ魏に亡命して来たと言うのも妙と言えば妙な話だった。
戦に敗れて投降すると言うのなら分かるが、自ら呉を捨てて魏に来たと言うのだから、相当な事だろう。
……この陣容、大丈夫か?
急に不安になってきた。
もしそれぞれの武将の能力を数値化する事が出来た場合、この面子はおそらく対呉においては理想的と言うべき人物達であり、これ以上は望めない様な数値になるだろう。
だが、現実はそう簡単な話ではない。
特に相性と言うのは無視出来ない。
先の例えではないが、能力を数値化した場合、この陣容は理想的であると鄧艾も思う。
しかし、その数値通りに能力を発揮できれば、と言う条件が付く。
鄧艾の場合で言えば、石苞や杜預であればその能力を遺憾無く発揮できると思うが、それが淮南の時に罷免した田続の親族達の様な者達であれば、その能力を発揮させる事など出来ない。
そうなったらどれだけ優秀であっても、ほとんど意味を成さなくなってしまう。
司馬師にはその自信がある、と言う事だろうか。
かも知れない。
司馬師は不平屋で皮肉屋、自分以外のほとんどを否定する気難しい異才と評された何晏をして、天下の大事を担うに足る人物と称されたほどである。
とは言え、絶対ではない。
策にしてもそうである。
主力を率いるのは司馬師自らであり、その第一軍を諸葛誕が務める。その数は七万。その大軍だけでも脅威なのだが、さらに別働隊として毌丘倹と王昶がそれぞれの部隊を率いて多方面から進軍する。
毌丘倹と王昶の役割は陽動とは言え、この二人の名将であればその威力はとても無視出来るものではない。
呉建国からの君主であり初代皇帝、その圧倒的な人望で版図をまとめ上げた巨人孫権を失った事は呉にとって大事件であったはず。
もし混乱しているのであれば、とても対応出来ないであろうと鄧艾も考える。
が、ほぼ同じ条件だった芍陂の戦いでは魏は呉の大軍を防ぐ事が出来た。
それは孫礼の勇戦奮闘も然る事ながら、司馬懿と言う精神的支柱があり冷静な対応策を講じていた事も大きい。
もし、呉が同じ様な対応が出来ていたら?
普通に考えれば有り得ない。
二代目である曹叡と初代である孫権では受ける衝撃が違うし、その皇太子は先年決まったばかりの、しかも幼年の皇帝である。
魏も曹芳は幼帝だったが、それを支える司馬懿がいた。
本来であれば呉でその役割を担うはずであった陸遜、全琮、張休らは先の後継者争いによって既にこの世を去っている。
言うなれば、司馬懿や王凌抜きで芍陂を再現する様なものだ。
そう、魏に負ける要素は少なく、呉に勝てる要素は極めて少ない。
「仲容、この戦だけど、後方支援はもしかすると凄く難しくなるかもしれない」
「ん? どう言う事だ? 物資が足りてないのか?」
「いや、そこは心配ないと思う」
荒地だった淮南も、鄧艾が運河を作って十年の内に驚く程豊かになり、生産拠点として十分過ぎるほどに機能している。
だからこそこの大軍を動員出来るのだ。
……私の思い過ごしであってくれれば良いのだが……。
鄧艾はそう思いながらも、少しでも不安を減らす為に現地の調査を司馬昭に申し出た。
呉に攻め込んだ王昶や、呉出身である韓綜はともかく、他の者は呉の地に不慣れであり鄧艾も呉の土地の事は全く知らない。
そこから来る不安を消しておきたかったのである。
しかし、司馬昭からの返事は否だった。
すでに呉の地図が有り韓綜と言う道案内がいるのだから、その調査で向こうに気取られる危険を冒す事こそ不要である、との事だった。
もっともな意見だと、鄧艾も納得せざるを得ない。
もちろん、それで不安が解消されると言う事もないのだが、鄧艾はあえてそれ以上は考えず後方支援の仕事に集中する事にした。
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