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第一章 武勲までの長い道のり
第二十五話 二四九年 動き始めた麒麟
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この混乱を利用して蜀軍が攻めてくると言う事は、郭淮にとって想定内の事だった。
むしろこの機を逃していつ攻め時があるか、と言うくらいの好機である。
だが、来る事が分かっているのであれば対策も出来る。
郭淮はあえて夏侯覇の兵を最前線に連れて行く事にした。
もし戦場に夏侯覇が現れた時には急に寝返る危険はあるものの、それは後方に置いていた時の方がより危険である。
また、夏侯覇の兵と言っても魏の者である事に変わりはない。
夏侯覇を打ち取るのはもちろん、蜀の兵を倒す事で今回の罪は全て帳消しにすると約束する事で士気を支える事も出来た。
実は十分な対抗策がある、と言う事も知らずに姜維が率いる蜀軍は今こそが好機と見て攻め込んでくる、と言う事になる。
郭淮はすぐに迎撃体勢を整えた。
攻めを担うはずだった夏侯覇がいないので、そこは陳泰に任せる事にする。
近年稀に見る好機であるのは、実は魏も同じ事だった。
「……お待ち下さい。郭淮将軍」
そこに水を差す者がいた。
「将軍の慧眼、まさに見事と言う他ありませんが、いかに好機といえど全軍で前掛りになるのは危険が大き過ぎます。後方の守りを置くことをお勧めします」
南安の新任太守である、鄧艾だった。
「後方の守り、か」
そこは郭淮の悩みの種でもあった。
この絶好機に自らの武勲を捨てて、後方待機の任につきたがる者はまずいない。
十中八九、武勲を立てる機会には恵まれず、戦が終わった時には高みの見物かと言われる事になる。
しかし、必ず必要になる事も間違いない。
「もし良ければ、私と南安軍で後方の守りに……」
「出過ぎたことを申すな! 立場を弁えよ!」
郭淮は鄧艾に向かって、叱責する。
「将軍達を差し置いて、何を言うか!」
「失礼致しました」
鄧艾はすぐに引き下がる。
「いや、将軍達を差し置いての発言。責任はとってもらう。鄧艾と言ったな。貴官と南安軍に後方の守りを任じる。もし妙な動きがあった場合、それ相応の処罰を与える。貴官は以前、太傅にすら逆らった前科があると聞く。今の職は太傅の恩情故であろうが、この郭淮、手心は加えぬぞ。良いな」
「御意」
鄧艾はそう言うと、前線に出ていく魏軍を見送った。
「郭淮将軍のあの言い方は無いんじゃないですかね?」
郭淮達、魏の主力軍が出て行った後、杜預が不満そうに言う。
「ああ、アレは別に怒っていると言うより、周りに聞かせていたんですよ」
当の鄧艾はまったく気にした様子も無く、そんな事を言う。
「周りに? どう言う事です?」
「こちらの予想通りに攻めてきたとは言え、姜維は難敵。出来る事なら郭淮将軍は全力で当たりたいところでしょう。ただ、知将である姜維が後方攪乱を考えないはずがないから、誰かは後方に置く必要があります」
「それは分かります。だから太守がそれを買って出たわけでしょう?」
「まぁね。でも、それなら後方に残りたいと言い出す者も出てきかねない。だから郭淮将軍はキツい言葉で叱責する形で士気を高めたと言う訳で、別に私に対して怒っていたわけではないですよ」
「……納得いかないッスけど、太守がそれで良いと言うのであれば、俺も納得します」
「郭淮将軍くらいになれば、色々難しいでしょうね」
雍州方面軍司令と言うのは、言うなれば対蜀の全責任を背負う立場でもある。
この最前線の司令ともなれば、ただ戦上手と言うだけでは務まらない役目であり、今の魏では郭淮をおいて他に適任はいないだろう。
それだけに気苦労も多い立場ではある。
前線に主力を送り出して数日後、後方の守備軍の前に蜀軍の別働隊が現れ、守備軍も忙しくなった。
旗印を見る限りでは姜維の副将である廖化で、その数も三千から五千と少なくない。
とは言え数こそ少ないものの、守るに適した地形である事から鄧艾は守るだけならさほど難しくないと感じていた。
廖化もそれを察したのか無理に攻めてくるのではなく、陣営を築き長期戦の構えを取る。
そこに僅かとは言え、言いようのない引っかかりと言うか違和感の様なものを鄧艾は覚えた。
蜀としては魏軍は全力で迎撃に出ると思っていたところ、想定していたより守りがしっかりしていた為、手を出しづらくなった。
と、そう言う風に見れば廖化の行動は至って自然にも映るのだが、果たしてそうだろうか。
もし自分なら、と鄧艾は考える。
もし自分なら、ここで長期戦の構えは取らない。
少なくともこの部隊の目的は混乱を起こす事であり、いかに想定外だったとは言えここで長期戦の構えをとっては肝心の混乱を起こす事が出来ない。
守備兵が本隊に援軍を頼むのを待っているのか? とも考えたが、それもさほど強い手とは言えない。
緊急を要すると言うのであればともかく、攻勢に出ている本隊が慌てて反転しなければならない事態と言うほどの事ではない以上、本隊もさほど混乱する事は無いだろう。
むしろ廖化の軍はこちらの予想より多かったとは言え、本隊から一隊でも廖化を狙えば数の優位は簡単にひっくり返る程度の差でしかない。
本来なら急襲するべきところを、あえて長期戦の構えを取るのは何故か。
「……まさか」
「どうかしました?」
鄧艾が呟いたのに、杜預は気づいて尋ねる。
「……地図を持ってきて下さい! 急ぎでお願いします」
「了解しました!」
理由は聞かず、杜預は風の様な速さで走り出すと、瞬く間に地図を持って戻ってくる。
「持ってきました」
そう言うと杜預は、鄧艾の前に地図を広げる。
「ここから狙うとすると、北の洮城か」
「太守、どう言う事ですか?」
地図の後ろから杜預は顔を出して、鄧艾に尋ねる。
「姜維の策です。姜維はこちらが混乱しているところを攻めて来た、と思わせたのです」
鄧艾は地図を見ながら言う。
蜀軍はこちらが混乱している今こそが好機と見て攻めて来た、と魏軍は思っている。
事実そうだろうと思う。
だが、郭淮はすでにその混乱を収めていたので即座に迎撃の体勢を取った。
そこで蜀軍は慌てて退いた、様に見えた。
しかし、それこそ姜維の罠だったのだ。
姜維は、こちらが混乱から立ち直っている事を察していたのだろう。
そこで廖化を攻めさせて、後方の守備軍にその姿を見せる。
後方に残った守備軍は、やはり蜀軍は後方を狙ってきたと思って守りを固める。
これで後方の憂いは防がれたと思った郭淮は、蜀軍を打つ事に全力を傾ける。
それこそ、姜維の狙いであり、姜維の真の狙いは三手目。
後方の拠点、今鄧艾達が守っている白水ではないもう一つの拠点である洮城を陥落させる。
単純に兵站などを考えるのであれば洮城の重要度は高くない。
だが、敵に取られると事情が変わる。
郭淮は前方に蜀軍の主力、後方に姜維を抱える事になり、また白水の鄧艾軍も廖化を前に釘付けにされ、動く事も出来ない。
もし魏軍主力があくまでも蜀軍本隊を狙うのであれば、洮城の姜維は白水の鄧艾軍を討ち、後方を抑えて魏軍を挟み撃ちにする。
魏軍が引き返してくるのであれば、姜維は洮城で守りを固め、蜀軍本隊で郭淮の背後を徹底的に叩く。
「……それじゃ、この戦は……」
「まだです。廖化が動かないと言うのであれば、まだ手はあります。後は間に合うかどうか」
廖化の役割は、あくまでもここで守備軍を釘付けにする事であり、この白水を落とす事ではない。
鄧艾は杜預と五百の兵を残し、旗を立て、交代で休憩を入れながら出来る限り多くの兵に弓を構えさせ、守りは万全である事を敵に見せつける様に言うと、鄧艾自らが二千五百の兵を率いて洮城に向かう。
必要なのは速さである以上、杜預は手元に置いておきたかったが、この白水を失う訳にはいかず、兵を率いるにも杜預以外に適任者が南安軍の中にはいなかった。
媛であれば任せられたかもしれないが、さすがに戦場にまで連れてくる訳にもいかず、媛に守備軍を預けたなどとしれたら郭淮からどんな叱責を受けるか分からないので、杜預に任せるしか無かった。
五百で五千近くの廖化軍を守るのは至難のわざと言えたが、杜預は快く引き受けた。
鄧艾は夜を待って白水から、洮城へ向かう。
さらに使者として郭淮と陳泰の所に、現状を知らせる。
時間が無いので細かく説明する事が出来ないのが悔やまれるが、今の状況で鄧艾達が姜維より先に洮城に入り守る事が出来れば、逆に蜀軍を窮地に追いやる事も出来る。
この策は各部隊の連携が命である。
その連携が途切れた場合、蜀軍本隊、廖化、姜維それぞれの軍が孤立する事になる。
郭淮や陳泰であれば、鄧艾が事細かに説明するまでもなく気付いて手を打つだろう。
今の鄧艾がやるべき事は、姜維より先に洮城に入って守りを固める事である。
色々な悩みはあったが、一度動き出せばそんな事を考える余裕は無くなった。
どんなに思い悩んだとしても、ここで間に合わなければ全てが無駄になる。
鄧艾と南安軍は夜を徹して走り、かろうじて洮城に姜維より先に到着する事が出来た。
そこで集中力が切れそうになるが、これで終了という訳ではない。
鄧艾は取り急ぎ見える位置に旗を立てる様に命じ、それ以外の兵には弓を構えて防備を固めている様に見せた。
実際には鄧艾も含めて弓を構えると言っても、まともに戦う様な余力は無く、実際には防備の為に立っていると言うより弓を構えた状態で休養していると言う様な状態だった。
が、それは蜀軍に分かる様な状況ではなく、僅かな遅れで現れた姜維の軍には洮城の守りは万全に見えた事だろう。
まずは良し、と鄧艾は思いたかったが、まだ油断は出来ない。
この策を用いてきたと言う事は、姜維は魏軍の守備軍は決して多くない事を知っているはずだ。
蜀軍から攻めて来たのだが、その迎撃に出た魏軍がほぼ全軍である事を確認した上で、それぞれの別働隊を動かした。
そのわずかな時間のズレが鄧艾に洮城へ入る時間を作ったのだが、その為姜維はより正確な情報を持っているだろう。
見たところ、姜維の率いてきた軍の数は廖化より少なく三千前後。
問題はここからの姜維の行動である。
もし姜維が博打に出た場合、姜維と廖化がこの洮城と白水に攻撃を仕掛けてくる事もある。
守備軍が少数と予想する姜維であれば、その二箇所を同時に攻撃すればどちらか、あるはい両方を落とす事が出来るかもしれない。
そうすると最初の策の通りとなり、魏軍は窮地に立たされる。
が、どちらも陥落させる事が出来なかった場合、魏軍の主力が反転して後方から攻撃される事になり、そうなった場合全滅は避けられない。
もっとも堅実なのは、策の失敗を認めて即座に撤退する事であるが、二つの拠点のどちらかは兵数が多くない事を姜維は予想しているはずだ。
それを見極めれば勝てると言うこの状況を捨てて、迷わず撤退すると言うのはいくらなんでも消極的過ぎるだろう。
姜維がこの洮城の方を空城だと読んでくれれば、ここで鄧艾が守備を固めて姜維の足を止める事が出来るのだが、もし白水の方を空城と見抜いた場合にはいかに杜預が優秀であっても僅かな兵で守り通す事は困難だ。
鄧艾としても、非常に危険な賭けだったのだが、それを悟らせる訳にはいかない。
そのにらみ合いは、さほど長くは続かなかった。
すぐに魏軍本隊から陳泰の部隊が、白水の廖化の軍を狙って動き出したのである。
その情報を得てからの姜維の動きは早く、洮城攻めを諦めて廖化の救援に向かう。
鄧艾としては一段落だったのだが、この陳泰の動きは鄧艾の想定を超えた、陳泰独自の策の動きだった。
廖化の背後から狙う動きを見せた陳泰に対し、姜維は廖化を救うべく洮城攻めを断念して南下したが、それを狙っていたかの様に廖化は北上して姜維軍と当たる。
それに呼応する様に鄧艾が兵を動かす素振りを見せたので、それを救おうと廖化が北上する動きを見せると、魏軍本隊からさらに一軍が廖化の側面を狙って動く。
その分郭淮の本隊は後方に下がっていたので、蜀軍からも別働隊をだして救援に向かわせたのだが、実はこの別働隊こそ魏軍の狙う本命の標的だった。
陳泰は姜維、廖化をやり過ごして蜀軍の救援部隊を狙い、救援部隊を率いた句安と李歆を包囲する。
これによって姜維と廖化は難を逃れる事が出来たものの、連携を寸断された蜀軍は撤退を余儀なくされ、完全に孤立して包囲された句安と李歆の二将は降伏せざるを得なくなった。
終わってみれば魏軍の圧勝と言う結果であったが、鄧艾の機転がなければ結果は惨敗していたと言う事は、指揮官である郭淮にも分かるほど、鄧艾の卓越した戦術眼が魏軍崩壊を救ったのである。
むしろこの機を逃していつ攻め時があるか、と言うくらいの好機である。
だが、来る事が分かっているのであれば対策も出来る。
郭淮はあえて夏侯覇の兵を最前線に連れて行く事にした。
もし戦場に夏侯覇が現れた時には急に寝返る危険はあるものの、それは後方に置いていた時の方がより危険である。
また、夏侯覇の兵と言っても魏の者である事に変わりはない。
夏侯覇を打ち取るのはもちろん、蜀の兵を倒す事で今回の罪は全て帳消しにすると約束する事で士気を支える事も出来た。
実は十分な対抗策がある、と言う事も知らずに姜維が率いる蜀軍は今こそが好機と見て攻め込んでくる、と言う事になる。
郭淮はすぐに迎撃体勢を整えた。
攻めを担うはずだった夏侯覇がいないので、そこは陳泰に任せる事にする。
近年稀に見る好機であるのは、実は魏も同じ事だった。
「……お待ち下さい。郭淮将軍」
そこに水を差す者がいた。
「将軍の慧眼、まさに見事と言う他ありませんが、いかに好機といえど全軍で前掛りになるのは危険が大き過ぎます。後方の守りを置くことをお勧めします」
南安の新任太守である、鄧艾だった。
「後方の守り、か」
そこは郭淮の悩みの種でもあった。
この絶好機に自らの武勲を捨てて、後方待機の任につきたがる者はまずいない。
十中八九、武勲を立てる機会には恵まれず、戦が終わった時には高みの見物かと言われる事になる。
しかし、必ず必要になる事も間違いない。
「もし良ければ、私と南安軍で後方の守りに……」
「出過ぎたことを申すな! 立場を弁えよ!」
郭淮は鄧艾に向かって、叱責する。
「将軍達を差し置いて、何を言うか!」
「失礼致しました」
鄧艾はすぐに引き下がる。
「いや、将軍達を差し置いての発言。責任はとってもらう。鄧艾と言ったな。貴官と南安軍に後方の守りを任じる。もし妙な動きがあった場合、それ相応の処罰を与える。貴官は以前、太傅にすら逆らった前科があると聞く。今の職は太傅の恩情故であろうが、この郭淮、手心は加えぬぞ。良いな」
「御意」
鄧艾はそう言うと、前線に出ていく魏軍を見送った。
「郭淮将軍のあの言い方は無いんじゃないですかね?」
郭淮達、魏の主力軍が出て行った後、杜預が不満そうに言う。
「ああ、アレは別に怒っていると言うより、周りに聞かせていたんですよ」
当の鄧艾はまったく気にした様子も無く、そんな事を言う。
「周りに? どう言う事です?」
「こちらの予想通りに攻めてきたとは言え、姜維は難敵。出来る事なら郭淮将軍は全力で当たりたいところでしょう。ただ、知将である姜維が後方攪乱を考えないはずがないから、誰かは後方に置く必要があります」
「それは分かります。だから太守がそれを買って出たわけでしょう?」
「まぁね。でも、それなら後方に残りたいと言い出す者も出てきかねない。だから郭淮将軍はキツい言葉で叱責する形で士気を高めたと言う訳で、別に私に対して怒っていたわけではないですよ」
「……納得いかないッスけど、太守がそれで良いと言うのであれば、俺も納得します」
「郭淮将軍くらいになれば、色々難しいでしょうね」
雍州方面軍司令と言うのは、言うなれば対蜀の全責任を背負う立場でもある。
この最前線の司令ともなれば、ただ戦上手と言うだけでは務まらない役目であり、今の魏では郭淮をおいて他に適任はいないだろう。
それだけに気苦労も多い立場ではある。
前線に主力を送り出して数日後、後方の守備軍の前に蜀軍の別働隊が現れ、守備軍も忙しくなった。
旗印を見る限りでは姜維の副将である廖化で、その数も三千から五千と少なくない。
とは言え数こそ少ないものの、守るに適した地形である事から鄧艾は守るだけならさほど難しくないと感じていた。
廖化もそれを察したのか無理に攻めてくるのではなく、陣営を築き長期戦の構えを取る。
そこに僅かとは言え、言いようのない引っかかりと言うか違和感の様なものを鄧艾は覚えた。
蜀としては魏軍は全力で迎撃に出ると思っていたところ、想定していたより守りがしっかりしていた為、手を出しづらくなった。
と、そう言う風に見れば廖化の行動は至って自然にも映るのだが、果たしてそうだろうか。
もし自分なら、と鄧艾は考える。
もし自分なら、ここで長期戦の構えは取らない。
少なくともこの部隊の目的は混乱を起こす事であり、いかに想定外だったとは言えここで長期戦の構えをとっては肝心の混乱を起こす事が出来ない。
守備兵が本隊に援軍を頼むのを待っているのか? とも考えたが、それもさほど強い手とは言えない。
緊急を要すると言うのであればともかく、攻勢に出ている本隊が慌てて反転しなければならない事態と言うほどの事ではない以上、本隊もさほど混乱する事は無いだろう。
むしろ廖化の軍はこちらの予想より多かったとは言え、本隊から一隊でも廖化を狙えば数の優位は簡単にひっくり返る程度の差でしかない。
本来なら急襲するべきところを、あえて長期戦の構えを取るのは何故か。
「……まさか」
「どうかしました?」
鄧艾が呟いたのに、杜預は気づいて尋ねる。
「……地図を持ってきて下さい! 急ぎでお願いします」
「了解しました!」
理由は聞かず、杜預は風の様な速さで走り出すと、瞬く間に地図を持って戻ってくる。
「持ってきました」
そう言うと杜預は、鄧艾の前に地図を広げる。
「ここから狙うとすると、北の洮城か」
「太守、どう言う事ですか?」
地図の後ろから杜預は顔を出して、鄧艾に尋ねる。
「姜維の策です。姜維はこちらが混乱しているところを攻めて来た、と思わせたのです」
鄧艾は地図を見ながら言う。
蜀軍はこちらが混乱している今こそが好機と見て攻めて来た、と魏軍は思っている。
事実そうだろうと思う。
だが、郭淮はすでにその混乱を収めていたので即座に迎撃の体勢を取った。
そこで蜀軍は慌てて退いた、様に見えた。
しかし、それこそ姜維の罠だったのだ。
姜維は、こちらが混乱から立ち直っている事を察していたのだろう。
そこで廖化を攻めさせて、後方の守備軍にその姿を見せる。
後方に残った守備軍は、やはり蜀軍は後方を狙ってきたと思って守りを固める。
これで後方の憂いは防がれたと思った郭淮は、蜀軍を打つ事に全力を傾ける。
それこそ、姜維の狙いであり、姜維の真の狙いは三手目。
後方の拠点、今鄧艾達が守っている白水ではないもう一つの拠点である洮城を陥落させる。
単純に兵站などを考えるのであれば洮城の重要度は高くない。
だが、敵に取られると事情が変わる。
郭淮は前方に蜀軍の主力、後方に姜維を抱える事になり、また白水の鄧艾軍も廖化を前に釘付けにされ、動く事も出来ない。
もし魏軍主力があくまでも蜀軍本隊を狙うのであれば、洮城の姜維は白水の鄧艾軍を討ち、後方を抑えて魏軍を挟み撃ちにする。
魏軍が引き返してくるのであれば、姜維は洮城で守りを固め、蜀軍本隊で郭淮の背後を徹底的に叩く。
「……それじゃ、この戦は……」
「まだです。廖化が動かないと言うのであれば、まだ手はあります。後は間に合うかどうか」
廖化の役割は、あくまでもここで守備軍を釘付けにする事であり、この白水を落とす事ではない。
鄧艾は杜預と五百の兵を残し、旗を立て、交代で休憩を入れながら出来る限り多くの兵に弓を構えさせ、守りは万全である事を敵に見せつける様に言うと、鄧艾自らが二千五百の兵を率いて洮城に向かう。
必要なのは速さである以上、杜預は手元に置いておきたかったが、この白水を失う訳にはいかず、兵を率いるにも杜預以外に適任者が南安軍の中にはいなかった。
媛であれば任せられたかもしれないが、さすがに戦場にまで連れてくる訳にもいかず、媛に守備軍を預けたなどとしれたら郭淮からどんな叱責を受けるか分からないので、杜預に任せるしか無かった。
五百で五千近くの廖化軍を守るのは至難のわざと言えたが、杜預は快く引き受けた。
鄧艾は夜を待って白水から、洮城へ向かう。
さらに使者として郭淮と陳泰の所に、現状を知らせる。
時間が無いので細かく説明する事が出来ないのが悔やまれるが、今の状況で鄧艾達が姜維より先に洮城に入り守る事が出来れば、逆に蜀軍を窮地に追いやる事も出来る。
この策は各部隊の連携が命である。
その連携が途切れた場合、蜀軍本隊、廖化、姜維それぞれの軍が孤立する事になる。
郭淮や陳泰であれば、鄧艾が事細かに説明するまでもなく気付いて手を打つだろう。
今の鄧艾がやるべき事は、姜維より先に洮城に入って守りを固める事である。
色々な悩みはあったが、一度動き出せばそんな事を考える余裕は無くなった。
どんなに思い悩んだとしても、ここで間に合わなければ全てが無駄になる。
鄧艾と南安軍は夜を徹して走り、かろうじて洮城に姜維より先に到着する事が出来た。
そこで集中力が切れそうになるが、これで終了という訳ではない。
鄧艾は取り急ぎ見える位置に旗を立てる様に命じ、それ以外の兵には弓を構えて防備を固めている様に見せた。
実際には鄧艾も含めて弓を構えると言っても、まともに戦う様な余力は無く、実際には防備の為に立っていると言うより弓を構えた状態で休養していると言う様な状態だった。
が、それは蜀軍に分かる様な状況ではなく、僅かな遅れで現れた姜維の軍には洮城の守りは万全に見えた事だろう。
まずは良し、と鄧艾は思いたかったが、まだ油断は出来ない。
この策を用いてきたと言う事は、姜維は魏軍の守備軍は決して多くない事を知っているはずだ。
蜀軍から攻めて来たのだが、その迎撃に出た魏軍がほぼ全軍である事を確認した上で、それぞれの別働隊を動かした。
そのわずかな時間のズレが鄧艾に洮城へ入る時間を作ったのだが、その為姜維はより正確な情報を持っているだろう。
見たところ、姜維の率いてきた軍の数は廖化より少なく三千前後。
問題はここからの姜維の行動である。
もし姜維が博打に出た場合、姜維と廖化がこの洮城と白水に攻撃を仕掛けてくる事もある。
守備軍が少数と予想する姜維であれば、その二箇所を同時に攻撃すればどちらか、あるはい両方を落とす事が出来るかもしれない。
そうすると最初の策の通りとなり、魏軍は窮地に立たされる。
が、どちらも陥落させる事が出来なかった場合、魏軍の主力が反転して後方から攻撃される事になり、そうなった場合全滅は避けられない。
もっとも堅実なのは、策の失敗を認めて即座に撤退する事であるが、二つの拠点のどちらかは兵数が多くない事を姜維は予想しているはずだ。
それを見極めれば勝てると言うこの状況を捨てて、迷わず撤退すると言うのはいくらなんでも消極的過ぎるだろう。
姜維がこの洮城の方を空城だと読んでくれれば、ここで鄧艾が守備を固めて姜維の足を止める事が出来るのだが、もし白水の方を空城と見抜いた場合にはいかに杜預が優秀であっても僅かな兵で守り通す事は困難だ。
鄧艾としても、非常に危険な賭けだったのだが、それを悟らせる訳にはいかない。
そのにらみ合いは、さほど長くは続かなかった。
すぐに魏軍本隊から陳泰の部隊が、白水の廖化の軍を狙って動き出したのである。
その情報を得てからの姜維の動きは早く、洮城攻めを諦めて廖化の救援に向かう。
鄧艾としては一段落だったのだが、この陳泰の動きは鄧艾の想定を超えた、陳泰独自の策の動きだった。
廖化の背後から狙う動きを見せた陳泰に対し、姜維は廖化を救うべく洮城攻めを断念して南下したが、それを狙っていたかの様に廖化は北上して姜維軍と当たる。
それに呼応する様に鄧艾が兵を動かす素振りを見せたので、それを救おうと廖化が北上する動きを見せると、魏軍本隊からさらに一軍が廖化の側面を狙って動く。
その分郭淮の本隊は後方に下がっていたので、蜀軍からも別働隊をだして救援に向かわせたのだが、実はこの別働隊こそ魏軍の狙う本命の標的だった。
陳泰は姜維、廖化をやり過ごして蜀軍の救援部隊を狙い、救援部隊を率いた句安と李歆を包囲する。
これによって姜維と廖化は難を逃れる事が出来たものの、連携を寸断された蜀軍は撤退を余儀なくされ、完全に孤立して包囲された句安と李歆の二将は降伏せざるを得なくなった。
終わってみれば魏軍の圧勝と言う結果であったが、鄧艾の機転がなければ結果は惨敗していたと言う事は、指揮官である郭淮にも分かるほど、鄧艾の卓越した戦術眼が魏軍崩壊を救ったのである。
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この作品は3世紀の【倭国女王・日御子】の波乱万丈の生涯の物語である。
ちなみに、【卑弥呼】【邪馬台国】は3世紀の【文字】を持つ超大国が、【文字】を持たない辺境の弱小蛮国を蔑んで、勝手に名付けた【蔑称文字】であるので、この作品では【日御子〔卑弥呼〕】【ヤマト〔邪馬台〕国】と記している。
言い換えれば、我ら日本民族の始祖であり、古代の女性英雄神【天照大御神】は、当時の中国から【卑弥呼】と蔑まされていたのである。
卑弥呼【蔑称固有名詞】ではなく、日御子【尊称複数普通名詞】である。
【古代史】は、その遺跡や遺物が未発見であるが故に、多種多様の【説】が百花繚乱の如く、乱舞している。それはそれで良いと思う。
【自説】に固執する余り、【他説】を批判するのは如何なものであろうか!?
この作品でも、多くの【自説】を網羅しているので、【フィクション小説】として、御笑読いただければ幸いである。
父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし
佐倉 蘭
歴史・時代
★第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
ある日、丑丸(うしまる)の父親が流行病でこの世を去った。
貧乏裏店(長屋)暮らしゆえ、家守(大家)のツケでなんとか弔いを終えたと思いきや……
脱藩浪人だった父親が江戸に出てきてから知り合い夫婦(めおと)となった母親が、裏店の連中がなけなしの金を叩いて出し合った線香代(香典)をすべて持って夜逃げした。
齢八つにして丑丸はたった一人、無一文で残された——
※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
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