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第一章 武勲までの長い道のり
第二十話 二四七年 仕組まれた暴動
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鄧艾が苦心したにも関わらず、南安近辺で一斉に暴動が起きた。
やはりと言うべきか、それに合わせて蜀軍も侵攻してきたのである。
が、蜀軍にとって誤算だったのは既に夏侯覇、郭淮の両将軍が援軍に向かっていた事だろう。
特に夏侯覇の足は早く、北回りに暴動の鎮圧に向かう。
そこには既に異民族が溢れ、夏侯覇はそれを鎮圧するべく、敵対する者を切り捨てる。
「無益な乱を収めよ! 魏に逆らったところで、今後どのように生きられる! 剣を捨て、魏の民として生きよ!」
「がっはっは! 驕れる者め、魏は傾き今後やせ衰えていく事がわからぬか!」
「貴様こそ剣を捨て、命乞いをするが良い!」
夏侯覇の言葉を罵倒する様に、二人の上半身裸で筋骨隆々、見るからに異民族の男達が夏侯覇の前に現れる。
「この夏侯覇の相手が務まる様には見えないが、一応戦場のならわしとして名乗らせてやろう。何者だ」
「魏の凡将に名乗るのも惜しいが、この……」
「あー、じゃ、いいや。覚えるのも面倒だし」
夏侯覇は手を振って、本当に面倒そうに言う。
「傲慢は魏将ならではだな! 少しは蜀漢を見習い、歴史の正道に正すが良い!」
「ほう、蛮族のくせに多少は教養があるのか。妙に立派な事を言うじゃないか。似合わないぞ?」
夏侯覇は笑いながら言う。
「ヒャッハー! 汚物は消毒だぁ! とか言ってそうなクセに」
「馬鹿にするにも程がある! この餓何の刀の錆にしてくれよう!」
「なんの、この焼戈が三合と打ち合わずに切って捨ててくれる!」
「分かった、分かった。面倒だからまとめてかかってこい、餓何焼戈」
夏侯覇は笑いながら、二人の異民族の将を挑発する。
その効果は覿面。
二人は血相を変えて夏侯覇に襲いかかる。
それに対し夏侯覇は、一矢で一方の肩を射抜き、素早く弓矢を投げ捨てて剣を抜くと馬を走らせ万全な方の首を一閃して切り飛ばす。
「口ほどにもないぞ、餓何焼戈」
「おのれ、飛び道具とは卑怯なり!」
「二人がかりも十分卑怯だろ?」
夏侯覇は苦笑いして、手負いとなった方を切り捨てる。
「……おっと、どっちがどっちか聞いておくべきだったかな?」
一瞬にして敵将を討ち取った夏侯覇を目にして魏軍の士気はあがり、逆に暴動を引き起こしそれに乗じて攻め込んできた異民族軍の士気は下がる。
だが、士気は下がっていても総崩れの気配は無い。
「気に入らんな。これは異民族の反乱ではなく、蜀の攻撃か」
夏侯覇は周囲を見回し、異民族の軍に対し布陣して戦う意思を見せる。
士気の低下している異民族軍は一時的に軍を下げたが、その布陣は理にかなったものであり、明らかに極めて優秀な武将がいる事が分かる。
夏侯覇は勝ちに乗じて一気に攻め込む事をせず、迎撃の構えに移る。
その布陣を見て、異民族の軍は動く。
と言っても、魏軍に向かってきたのではなく、さらに下がって態勢を立て直しにかかったのである。
実に冷静な、良い手だと夏侯覇は思う。
それだけに気に入らない。
攻撃力に優れる異民族軍だが、この場合退いて態勢を立て直すのではなく、魏軍が迎撃態勢を整える前に無理にでも突き進み攻撃してきたはずだ。
何かいるな、指揮している者が。
「将軍! 異民族の旗を!」
退いている異民族軍が、混乱を避ける為か高らかに将旗を掲げる。
「……なるほど、治無戴か」
夏侯覇もその名は聞き及んでいる。
西涼の者の印象は馬騰や馬超親子など非常に強力な武将である印象が強く、先に切った二人、餓何と焼戈はまさにそう言う人物であった。
だが、魏建国の功臣の一人である賈詡や漢王朝を根底から揺るがした董卓、その軍師を勤めていた李儒などの様に、知略に優れた者も少数ながら存在している。
異民族の豪族である治無戴は、後者らしい様に見える。
もしかすると董卓の様に文武に優れた武将であるかもしれないが、それは戦ってみれば分かる事。
迎撃態勢を取っていたはずの夏侯覇の方が、先に痺れを切らして治無戴の軍に向かって突撃する。
夏侯覇も攻撃に優れた武将であったが為に、この判断に出た。
が、それを狙われていた。
夏侯覇が突き進むごとに異民族軍は退き、夏侯覇の軍は追う。
深追い気味だと夏侯覇が気付いた時、突出した夏侯覇軍の側面に向かって攻撃してくる軍があった。
蜀軍の旗。
姜維の軍が深追いしてきた夏侯覇を狙い、それに呼応する様に治無戴も後退を止めて夏侯覇に向かって攻めかかってくる。
「ちっ、しくじったか。ちょっと調子に乗り過ぎたな」
夏侯覇は進撃の足を止め、治無戴の軍に備える。
配下の武将達はその差配を疑問に思った。
確かに近いのは治無戴の軍であるのだが、数も兵の質も蜀の姜維軍の方が危険である。
にも関わらず夏侯覇は、姜維ではなく治無戴に備えた。
「心配するな。奴らの策に嵌ったのは認めるが、奴らもこちらの策に嵌ったのだ」
夏侯覇はそう言って配下の不安を収めると、治無戴の軍に備える。
無防備となった夏侯覇軍の側面を姜維が攻撃しようとしたまさにその時、その姜維軍を後方から急襲する軍が現れた。
南回りで暴動を鎮圧していたはずの郭淮の軍が、北上して一気に姜維軍に襲いかかったのである。
姜維の策は今回の事で不満を募らせる異民族を蜂起させ、それを鎮圧させるべく都から送られてきた武将を討つ策だった。
この涼州との境目は魏も蜀も大軍を配置させる事の出来ない土地なので、互いに普段からこの地に兵を置いて備えると言う事は無い。
実際に姜維も一万を率いるのが限界の数である。
それでも魏はこの地を奪われる訳にはいかないのだから、複数箇所で農民蜂起などが起きれば、それを短期間に収める為にもそれなりに優秀な武将が数名派遣されると姜維は読み、その武将を狙った。
派遣された武将は夏侯覇と郭淮。
どちらも魏において最重要な武将であり、姜維が予想したより遥かに有能で優秀な武将だった。
だが、それでも姜維の策は見事に的中し、夏侯覇を釣り上げる事は出来た。
あとは討つだけと言う時、姜維が予想出来ない速さで郭淮がやって来たのである。
そこからの姜維の動きは早かった。
姜維は無理に郭淮と戦う事はせず、そのまま北上し続け西側に抜け、治無戴の軍と合流する様な動きで西側に撤退を始めたのである。
郭淮も夏侯覇と合流する動きを見せたが、夏侯覇は僅かに逃げ遅れた治無戴の軍を追撃した。
治無戴こそ逃したものの、この戦で異民族軍にかなりの被害を与える事に成功した上に、近隣の蜂起を完全に鎮圧する事も出来た。
しかし、蜀軍にはさほど被害を与える事が出来なかった事は、いささか心残りとも言えるのだが、それは欲張り過ぎだろう。
「まったく、お前の読み通りか。気に入らんな」
夏侯覇は、合流した郭淮に向かって言う。
「将軍に気に入られる為に提案した策ではございませんので」
郭淮は不満を隠そうともせずに言う。
郭淮軍に合流している鄧艾でさえ、はらはらするほど二人の仲は悪かった。
この二人の不仲の理由は、お互いに性格が合わないと言う以上に深い。
軍歴を比べると郭淮よりかなり浅いものの皇族の一員であり名門の中の名門である夏侯家の出自で、建国の臣である夏侯淵の後継と言う夏侯覇は若くして軍の中核に名を連ねていた。
一方の郭淮は夏侯覇ほどの名門の生まれではなく、早くから軍に在籍していたもののそこで軍歴を重ねて今の地位にある。
それだけでも郭淮と夏侯覇の溝の深さが測れそうなものだが、もう一つ深刻なものがある。
郭淮は夏侯覇の父である夏侯淵が戦死した戦い、定軍山の戦いに参加していた武将であり、夏侯淵の死後いち早く軍を立て直す為に夏侯淵の職権を引き継ぎ、若く経験の浅い立場だったにも関わらず歴戦の名将だった張郃らと共に劉備軍の足を止め、武帝曹操からその能力を認められ、将軍としての名声を高めた経緯がある。
それは夏侯覇からすれば、父の死を利用して名声を得た様にも見えた。
もちろんそんな事は無いのは、夏侯覇も分かっている。
頭で分かっていても、それを飲み込み納得させる事が出来ずにいた。
郭淮にしてもその様な戯言に付き合うつもりは無かったのだが、いかに名門の出とはいえ年齢も軍歴も下の夏侯覇に対しそこまでへりくだる必要は無いとして態度を軟化させなかった事も、悪い方に影響している。
とはいえ、お互いに能力がある事は認めているので、軍として一応の形にはなっていた。
「にしても、早かったな」
「当地に優秀な者がおりましたので」
気に入らないと言う態度は崩さないものの、今では郭淮も夏侯覇を上に立てている。
それが軍として最低限だとしても、形を成している一因でもあるだろう。
「当地の者がいち早く暴動を収めた事もあり、我々は軍を進める事に集中出来ました」
「はっはっは、さすがこの近辺に派遣されているだけのことはあるな。この地は軍務より政務が重要だからな」
夏侯覇は笑いながら言う。
その認識は魏にも蜀にも共通だった事もあり、夏侯覇も、さらには郭淮もこの時には鄧艾の事をさほど意識していなかった。
実際には鄧艾がかなり早めに動いていた事もあり、郭淮は進軍を早める事が出来たのである。
鄧艾は先に陳泰からの書状で、派遣される武将が郭淮と夏侯覇である事を知っていた事もあり、おそらくこの二人は一緒にではなく二手に分かれて進軍すると予想した。
どちらがどう行動するかまではさすがに陳泰からの書状ではわからなかったものの、鄧艾は現地での下調べもあって姜維の策をある程度看破していた。
そこで姜維の裏をかくには、暴動を起こさないのではなく、起きた暴動をいち早く鎮圧させて蜀軍の予想する進撃速度を大幅に上回る事が必要だと考えた。
正直なところ、各地での異民族の不満の募り方は尋常ではなく、もはや暴発は免れないところまで来ていた。
それであれば、魏軍が進むであろう地域のみいち早く沈静化させ、蜀軍や異民族軍が撤退した後に残った地域を鎮圧すると言う事に集中した。
そう言う意味では地域の中央に位置する南安にいた事は、幸いと言えた。
鄧艾や杜預、地元豪族である段信などの尽力もあって、郭淮は見事姜維を急襲する事に成功したのである。
実際にはかなりの離れ業なのだが、一瞬にして異民族の武将二人を切り捨てた夏侯覇や、いかにお膳立てがあったとは言え非常識な速度で進軍して蜀軍を撤退させた郭淮の二人の方が明らかに異常である為、完全に隠れてしまっていた。
本来なら第一功であってもおかしくないくらいなのだが、こう言うツキの無さと自身の武功を大袈裟に誇らないところが鄧艾の出世が遅れた原因でもあった。
「もうここに俺の立てる武功は無い。郭淮、駐屯して後の処理を頼む」
「承知致しました」
夏侯覇の言葉に、郭淮は素直に従う。
と言うのも、夏侯覇が名門の生まれで郭淮が遠慮したから、と言う訳ではなく単純に夏侯覇の方が、将軍位が上なのである。
夏侯覇は武勲に対する嗅覚が人並み外れていると言われるほど、個人での武勲を立てているので出世が早かった。
諸葛亮との戦いでも曹真に付き従った事で勝利を上げてきた夏侯覇に対し、郭淮は司馬懿に付き従った事で連敗を喫してきた。
二人の能力の差と言うよりは、戦場での立場の違いによるものだが、それらの事もあって夏侯覇は順調に出世を続け、郭淮は出世が遅れていると言う差になっていた。
しかし、夏侯覇の個人での武勲を立てる事を優先する態度は、彼が傲慢だと言う風評も生んでいた為、他の部隊からの信頼はどちらかといえば郭淮の方が厚い。
夏侯覇に従えば勝利出来るものの、手柄はけっきょく夏侯覇の物になると思われているところがある。
確かにここからは異民族による暴動の鎮圧であり、個人の武勲と言うのであれば夏侯覇の期待する様な戦いは無いだろう。
夏侯覇は対蜀の前線へ移動し、郭淮は駐屯して暴動鎮圧に当たった。
その結果、郭淮は異民族を一万人以上捕虜として魏に帰順させる事に成功し、その武名を轟かせるに至ったのである。
やはりと言うべきか、それに合わせて蜀軍も侵攻してきたのである。
が、蜀軍にとって誤算だったのは既に夏侯覇、郭淮の両将軍が援軍に向かっていた事だろう。
特に夏侯覇の足は早く、北回りに暴動の鎮圧に向かう。
そこには既に異民族が溢れ、夏侯覇はそれを鎮圧するべく、敵対する者を切り捨てる。
「無益な乱を収めよ! 魏に逆らったところで、今後どのように生きられる! 剣を捨て、魏の民として生きよ!」
「がっはっは! 驕れる者め、魏は傾き今後やせ衰えていく事がわからぬか!」
「貴様こそ剣を捨て、命乞いをするが良い!」
夏侯覇の言葉を罵倒する様に、二人の上半身裸で筋骨隆々、見るからに異民族の男達が夏侯覇の前に現れる。
「この夏侯覇の相手が務まる様には見えないが、一応戦場のならわしとして名乗らせてやろう。何者だ」
「魏の凡将に名乗るのも惜しいが、この……」
「あー、じゃ、いいや。覚えるのも面倒だし」
夏侯覇は手を振って、本当に面倒そうに言う。
「傲慢は魏将ならではだな! 少しは蜀漢を見習い、歴史の正道に正すが良い!」
「ほう、蛮族のくせに多少は教養があるのか。妙に立派な事を言うじゃないか。似合わないぞ?」
夏侯覇は笑いながら言う。
「ヒャッハー! 汚物は消毒だぁ! とか言ってそうなクセに」
「馬鹿にするにも程がある! この餓何の刀の錆にしてくれよう!」
「なんの、この焼戈が三合と打ち合わずに切って捨ててくれる!」
「分かった、分かった。面倒だからまとめてかかってこい、餓何焼戈」
夏侯覇は笑いながら、二人の異民族の将を挑発する。
その効果は覿面。
二人は血相を変えて夏侯覇に襲いかかる。
それに対し夏侯覇は、一矢で一方の肩を射抜き、素早く弓矢を投げ捨てて剣を抜くと馬を走らせ万全な方の首を一閃して切り飛ばす。
「口ほどにもないぞ、餓何焼戈」
「おのれ、飛び道具とは卑怯なり!」
「二人がかりも十分卑怯だろ?」
夏侯覇は苦笑いして、手負いとなった方を切り捨てる。
「……おっと、どっちがどっちか聞いておくべきだったかな?」
一瞬にして敵将を討ち取った夏侯覇を目にして魏軍の士気はあがり、逆に暴動を引き起こしそれに乗じて攻め込んできた異民族軍の士気は下がる。
だが、士気は下がっていても総崩れの気配は無い。
「気に入らんな。これは異民族の反乱ではなく、蜀の攻撃か」
夏侯覇は周囲を見回し、異民族の軍に対し布陣して戦う意思を見せる。
士気の低下している異民族軍は一時的に軍を下げたが、その布陣は理にかなったものであり、明らかに極めて優秀な武将がいる事が分かる。
夏侯覇は勝ちに乗じて一気に攻め込む事をせず、迎撃の構えに移る。
その布陣を見て、異民族の軍は動く。
と言っても、魏軍に向かってきたのではなく、さらに下がって態勢を立て直しにかかったのである。
実に冷静な、良い手だと夏侯覇は思う。
それだけに気に入らない。
攻撃力に優れる異民族軍だが、この場合退いて態勢を立て直すのではなく、魏軍が迎撃態勢を整える前に無理にでも突き進み攻撃してきたはずだ。
何かいるな、指揮している者が。
「将軍! 異民族の旗を!」
退いている異民族軍が、混乱を避ける為か高らかに将旗を掲げる。
「……なるほど、治無戴か」
夏侯覇もその名は聞き及んでいる。
西涼の者の印象は馬騰や馬超親子など非常に強力な武将である印象が強く、先に切った二人、餓何と焼戈はまさにそう言う人物であった。
だが、魏建国の功臣の一人である賈詡や漢王朝を根底から揺るがした董卓、その軍師を勤めていた李儒などの様に、知略に優れた者も少数ながら存在している。
異民族の豪族である治無戴は、後者らしい様に見える。
もしかすると董卓の様に文武に優れた武将であるかもしれないが、それは戦ってみれば分かる事。
迎撃態勢を取っていたはずの夏侯覇の方が、先に痺れを切らして治無戴の軍に向かって突撃する。
夏侯覇も攻撃に優れた武将であったが為に、この判断に出た。
が、それを狙われていた。
夏侯覇が突き進むごとに異民族軍は退き、夏侯覇の軍は追う。
深追い気味だと夏侯覇が気付いた時、突出した夏侯覇軍の側面に向かって攻撃してくる軍があった。
蜀軍の旗。
姜維の軍が深追いしてきた夏侯覇を狙い、それに呼応する様に治無戴も後退を止めて夏侯覇に向かって攻めかかってくる。
「ちっ、しくじったか。ちょっと調子に乗り過ぎたな」
夏侯覇は進撃の足を止め、治無戴の軍に備える。
配下の武将達はその差配を疑問に思った。
確かに近いのは治無戴の軍であるのだが、数も兵の質も蜀の姜維軍の方が危険である。
にも関わらず夏侯覇は、姜維ではなく治無戴に備えた。
「心配するな。奴らの策に嵌ったのは認めるが、奴らもこちらの策に嵌ったのだ」
夏侯覇はそう言って配下の不安を収めると、治無戴の軍に備える。
無防備となった夏侯覇軍の側面を姜維が攻撃しようとしたまさにその時、その姜維軍を後方から急襲する軍が現れた。
南回りで暴動を鎮圧していたはずの郭淮の軍が、北上して一気に姜維軍に襲いかかったのである。
姜維の策は今回の事で不満を募らせる異民族を蜂起させ、それを鎮圧させるべく都から送られてきた武将を討つ策だった。
この涼州との境目は魏も蜀も大軍を配置させる事の出来ない土地なので、互いに普段からこの地に兵を置いて備えると言う事は無い。
実際に姜維も一万を率いるのが限界の数である。
それでも魏はこの地を奪われる訳にはいかないのだから、複数箇所で農民蜂起などが起きれば、それを短期間に収める為にもそれなりに優秀な武将が数名派遣されると姜維は読み、その武将を狙った。
派遣された武将は夏侯覇と郭淮。
どちらも魏において最重要な武将であり、姜維が予想したより遥かに有能で優秀な武将だった。
だが、それでも姜維の策は見事に的中し、夏侯覇を釣り上げる事は出来た。
あとは討つだけと言う時、姜維が予想出来ない速さで郭淮がやって来たのである。
そこからの姜維の動きは早かった。
姜維は無理に郭淮と戦う事はせず、そのまま北上し続け西側に抜け、治無戴の軍と合流する様な動きで西側に撤退を始めたのである。
郭淮も夏侯覇と合流する動きを見せたが、夏侯覇は僅かに逃げ遅れた治無戴の軍を追撃した。
治無戴こそ逃したものの、この戦で異民族軍にかなりの被害を与える事に成功した上に、近隣の蜂起を完全に鎮圧する事も出来た。
しかし、蜀軍にはさほど被害を与える事が出来なかった事は、いささか心残りとも言えるのだが、それは欲張り過ぎだろう。
「まったく、お前の読み通りか。気に入らんな」
夏侯覇は、合流した郭淮に向かって言う。
「将軍に気に入られる為に提案した策ではございませんので」
郭淮は不満を隠そうともせずに言う。
郭淮軍に合流している鄧艾でさえ、はらはらするほど二人の仲は悪かった。
この二人の不仲の理由は、お互いに性格が合わないと言う以上に深い。
軍歴を比べると郭淮よりかなり浅いものの皇族の一員であり名門の中の名門である夏侯家の出自で、建国の臣である夏侯淵の後継と言う夏侯覇は若くして軍の中核に名を連ねていた。
一方の郭淮は夏侯覇ほどの名門の生まれではなく、早くから軍に在籍していたもののそこで軍歴を重ねて今の地位にある。
それだけでも郭淮と夏侯覇の溝の深さが測れそうなものだが、もう一つ深刻なものがある。
郭淮は夏侯覇の父である夏侯淵が戦死した戦い、定軍山の戦いに参加していた武将であり、夏侯淵の死後いち早く軍を立て直す為に夏侯淵の職権を引き継ぎ、若く経験の浅い立場だったにも関わらず歴戦の名将だった張郃らと共に劉備軍の足を止め、武帝曹操からその能力を認められ、将軍としての名声を高めた経緯がある。
それは夏侯覇からすれば、父の死を利用して名声を得た様にも見えた。
もちろんそんな事は無いのは、夏侯覇も分かっている。
頭で分かっていても、それを飲み込み納得させる事が出来ずにいた。
郭淮にしてもその様な戯言に付き合うつもりは無かったのだが、いかに名門の出とはいえ年齢も軍歴も下の夏侯覇に対しそこまでへりくだる必要は無いとして態度を軟化させなかった事も、悪い方に影響している。
とはいえ、お互いに能力がある事は認めているので、軍として一応の形にはなっていた。
「にしても、早かったな」
「当地に優秀な者がおりましたので」
気に入らないと言う態度は崩さないものの、今では郭淮も夏侯覇を上に立てている。
それが軍として最低限だとしても、形を成している一因でもあるだろう。
「当地の者がいち早く暴動を収めた事もあり、我々は軍を進める事に集中出来ました」
「はっはっは、さすがこの近辺に派遣されているだけのことはあるな。この地は軍務より政務が重要だからな」
夏侯覇は笑いながら言う。
その認識は魏にも蜀にも共通だった事もあり、夏侯覇も、さらには郭淮もこの時には鄧艾の事をさほど意識していなかった。
実際には鄧艾がかなり早めに動いていた事もあり、郭淮は進軍を早める事が出来たのである。
鄧艾は先に陳泰からの書状で、派遣される武将が郭淮と夏侯覇である事を知っていた事もあり、おそらくこの二人は一緒にではなく二手に分かれて進軍すると予想した。
どちらがどう行動するかまではさすがに陳泰からの書状ではわからなかったものの、鄧艾は現地での下調べもあって姜維の策をある程度看破していた。
そこで姜維の裏をかくには、暴動を起こさないのではなく、起きた暴動をいち早く鎮圧させて蜀軍の予想する進撃速度を大幅に上回る事が必要だと考えた。
正直なところ、各地での異民族の不満の募り方は尋常ではなく、もはや暴発は免れないところまで来ていた。
それであれば、魏軍が進むであろう地域のみいち早く沈静化させ、蜀軍や異民族軍が撤退した後に残った地域を鎮圧すると言う事に集中した。
そう言う意味では地域の中央に位置する南安にいた事は、幸いと言えた。
鄧艾や杜預、地元豪族である段信などの尽力もあって、郭淮は見事姜維を急襲する事に成功したのである。
実際にはかなりの離れ業なのだが、一瞬にして異民族の武将二人を切り捨てた夏侯覇や、いかにお膳立てがあったとは言え非常識な速度で進軍して蜀軍を撤退させた郭淮の二人の方が明らかに異常である為、完全に隠れてしまっていた。
本来なら第一功であってもおかしくないくらいなのだが、こう言うツキの無さと自身の武功を大袈裟に誇らないところが鄧艾の出世が遅れた原因でもあった。
「もうここに俺の立てる武功は無い。郭淮、駐屯して後の処理を頼む」
「承知致しました」
夏侯覇の言葉に、郭淮は素直に従う。
と言うのも、夏侯覇が名門の生まれで郭淮が遠慮したから、と言う訳ではなく単純に夏侯覇の方が、将軍位が上なのである。
夏侯覇は武勲に対する嗅覚が人並み外れていると言われるほど、個人での武勲を立てているので出世が早かった。
諸葛亮との戦いでも曹真に付き従った事で勝利を上げてきた夏侯覇に対し、郭淮は司馬懿に付き従った事で連敗を喫してきた。
二人の能力の差と言うよりは、戦場での立場の違いによるものだが、それらの事もあって夏侯覇は順調に出世を続け、郭淮は出世が遅れていると言う差になっていた。
しかし、夏侯覇の個人での武勲を立てる事を優先する態度は、彼が傲慢だと言う風評も生んでいた為、他の部隊からの信頼はどちらかといえば郭淮の方が厚い。
夏侯覇に従えば勝利出来るものの、手柄はけっきょく夏侯覇の物になると思われているところがある。
確かにここからは異民族による暴動の鎮圧であり、個人の武勲と言うのであれば夏侯覇の期待する様な戦いは無いだろう。
夏侯覇は対蜀の前線へ移動し、郭淮は駐屯して暴動鎮圧に当たった。
その結果、郭淮は異民族を一万人以上捕虜として魏に帰順させる事に成功し、その武名を轟かせるに至ったのである。
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