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第一章 武勲までの長い道のり

第十九話 二四七年 司馬懿を引退に追い込む

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 鄧艾から書状を受けた陳泰だったが、郭淮達と同行出来なかったのには事情があった。

 大将軍である曹爽の集会に呼ばれていたのである。

 本来なら夏侯覇が来るべきところだったのだが、代役としてやって来ていた。

 近年魏国内で問題になっている派閥争いの事だと言う事は、予想が付いていた。

 非常に勢力が拮抗している親曹派と親司馬派だが、それでも傾向はあった。

 長年最前線にいて難敵と戦い続けた司馬懿を慕う者は武官に多く、その反動と言うべきか親曹派には文官が多い。

 と言ってもあくまでも傾向に過ぎず、例えば夏侯覇の様な親曹派の武将もいれば、司馬師、司馬昭兄弟の様に文官の親司馬派の者もいる。

 それだけに事態は複雑になり、混迷を深めていた。

 陳泰自身は、もしどちらかに所属しなければならないとなった場合には司馬師や司馬昭と気が合う事から、親司馬派寄りの考え方ではあるのだが、偉大な文官であった父の影響もあってこの集会に代役とはいえ参加する資格を得る事になった。

 また、武官からは毌丘倹や石苞なども呼ばれている。

「皆、よく集まってくれた。各自、酒と料理を楽しんでくれ」

 曹爽が気前良く言うと、楽隊の音色や舞姫達の優雅な舞などが始まった。

「将軍、これは一体?」

 陳泰は不思議そうに、毌丘倹に尋ねてみる。

「おそらく、勢力の盛り返しを図っているのだろうと思う。ほら、太傅は遼東の乱や荊州での呉軍との戦いを自ら勝利に導いているし、高句麗制圧も太傅の策ありきだったから」

 毌丘倹は、言葉を選びながら陳泰に説明する。

 毌丘倹が言う様に、諸葛亮に対しては連戦連敗だったと伝えられる司馬懿だが、相手が諸葛亮でなければ負け知らずである。

 一方大将軍の曹爽は、意気揚々と大軍を率いて蜀への侵攻を行ったが、その結果は散々なものだった。

 実力の差をはっきりと示してしまった事への焦りから今日の様な集まりを催し、その勢力回復を目論んでいるのだろう。

 武官であり前線から戻ったばかりの毌丘倹はそう思っていたし、若い陳泰もそう言う事かと納得していた。

 が、事態はより深刻なものだった。

「皆に聞いて欲しい」

 そう切り出したのは、曹爽陣営の頭脳とも言うべき人物でもある何晏だった。

 色々といわくのある人物で、能力の高さは武帝時代から一目置かれていたのだが、その素行の悪さから重用される事の少なかった人物である。

「今の魏は軍権が二分されている状態にある。これが正常な状態であろうか」

「軍権は大将軍に帰するもの。別の軍権が存在する事は、大将軍の地位を軽んじる事になる!」

 何晏の言葉に乗ってきたのは、曹爽の知恵袋とさえ称される知恵者の桓範かんはんだった。

「太傅と言う職はそもそも相談役であり、兵権を握ったままと言うのもおかしな話。大将軍がいるのだから、太傅は相談役として兵を率いるべきではない」

「そもそも高齢である太傅が兵権を握ったままと言うのもおかしい。ここは引退していただき、軍権は大将軍の元にお返しするべきなのだ」

 何晏や桓範の主張に釣られる様に、夏侯玄や李勝といった面々も口々にその様な事を言い始める。

「ご高齢で引退らしいですよ? 何か言う事はありませんか?」

 毌丘倹は近くにいた王凌に向かって尋ねる。

「あ? 何じゃ、小童。ワシを爺だと言うか?」

「太傅よりご高齢の将軍は、今の発言に対してどう思っているかと興味が湧きまして」

 毌丘倹はあえて騒ぎを起こす様な事を言う。

 王凌がどれほどの豪傑かを知らない者は、少なくともこの場にいる者の中にはいない。

「いえ、将軍の事を指しての事では……」

 勢いに任せて大きな事を言った李勝が、慌てて言い繕おうとする。

 何しろ王凌は先の呉との戦いにおいて多くの武将を切った、未だ現役の先鋒将軍である。

 その後の蜀侵攻にて功を上げる事の出来なかった李勝では、実績においても実力においても比肩する事など出来ない。

「まあ、良い。ワシが高齢である事は事実。だが、仲達のヤツを太傅と言う重責から解放してやるのは悪い話では無いだろう」

「将軍もその席を若い者に譲られては?」

「馬鹿を言うな。仲達のヤツはともかく、ワシはまだまだやれるわい」

 石苞が言うと、王凌は本気とも冗談ともつかない口調で答える。

「ですが、先帝は大将軍と太傅に魏を頼むと言う言葉を遺されたと聞きます。まして幼帝には太傅を父と思う様にとまで言わしめた事は、私達一武将にまで聞き及んでおります。事実、先帝の皇后である郭太后は太傅を父の様に慕い、張氏に母を重ね学んでいるとか。今、ここでこの様に議論する事ではありますまい」

 毌丘倹は真っ向から何晏達に対して反論する。

「小童の言う事ももっとも。しかし、軍権を分けると言うのは気に入らん。そもそもこの魏は曹家が建国した国であり、先代の大将軍曹真殿の時には大将軍が一手に引き受けていた」

「……先代の大将軍は仲達様では?」

 陳泰はそう思ったのだが、それは石苞に止められる。

 この場では曹爽の前の大将軍は、父親であった曹真であると言うのが共通の認識であり、司馬懿が前任者であるとは認めていない空気があった。

「曹真大将軍の後を継ぐ曹爽殿は、確かに今は仲達と比べいささか出遅れている事は否めない。しかし、大将軍としてはまだ若く、仲達はもちろん、かの武帝ですら数多くの敗戦から学んで戦績を重ねてきた。仲達を相談役として大将軍を立てさせると言うのであれば、ワシは賛同するぞ」

 王凌と言う強い味方を得て、親曹派の者達は活気付く。

「ですが、司馬師様、司馬昭様は納得するでしょうか?」

 陳泰が尋ねる。

「曹爽大将軍はその地位を父から譲られたのに対し、太傅を司馬師様が継ぐと言う話では無いのでしょう? お二人からすると太傅を失脚させたと思われるのでは?」

「それなら二人にも引退してもらえば良かろう」

 何晏は事も無げに言う。

「それであれば太傅も安心だろう。引退後を息子達と暮らせるのであれば、それはどの様な贅沢にも勝る有意義な時ではないか」

「何を馬鹿な事を! 譲れぬところを譲って、太傅を最前線から外して養老させる事は良しとしても、功あれど罪無しの司馬兄弟まで遠ざけるとはどう言う事だ!」

「罪無しとは、片腹痛し」

 毌丘倹に対し、夏侯玄が言う。

「曹家の国において、目に余る専横振り。それを罪とせずしてどうする。それを正道に戻す事こそ大義。それこそ我らの為すべき事! 魏を正しく導く事こそ、我らに課せられた責務である!」

 夏侯玄は高らかに言う。

 夏侯家は武帝の血族であり、皇族の一員である事から司馬家の台頭が気に入らないのだろう。

 しかし、司馬師にしても司馬昭にしても功績は大である。

 最近では蜀侵攻の失敗の中で、夏侯玄旗下に所属されていた司馬昭の部隊は被害を出さず、それでも郭淮と連携をとって魏の致命的敗北を回避する事に成功した。

 それは明らかに司馬昭の功績だったが、司馬昭はその功を誇る様な事をせず、敗戦の中にあってその功を讃えられる事を良しとしなかった。

 そんな司馬昭を要職から外す理由は無い。

「なるほど! それこそ魏の正道である!」

 李勝が大袈裟に相槌を打つ。

 それからは親曹派の面々が大騒ぎして、とても毌丘倹の言葉が伝わる様な雰囲気ではなくなっていた。

「魏を割るつもりなのか、こいつらは」

 毌丘倹は呆れながら呟く。

「俺が太傅のところに伝えに行きましょうか」

 陳泰が自ら損な役を買って出る。

「それが良いかも知れないな。この連中に任せるのは面倒事を増やすだけになりそうだ」

 陳泰の家柄は皇族でこそ無いものの、曹家、司馬家にも劣らない名門である。

 この親曹派の者や、毌丘倹や石苞などと比べても話が拗れる事も少ないだろう。

 本人が武の道を選んで邁進しているが、家柄からか教養も十分であり失言で人を怒らせる事も無いと思われる。

 これは本人にその意志が無い限り、と言う事もあるのだが。



 陳泰は日を置かずに、すぐに司馬懿の元にその事を伝えに行く。

「おー、そうかそうか。わかったわかった」

 意外なほど上機嫌に、司馬懿は陳泰に向かって言う。

「太傅、それで良いのですか?」

「良い、良い。はっはっは、これから遊ぶぞー」

「父上、少しは隠して下さい」

 引退して楽しむ気満々と言わんばかりの司馬懿に、司馬師が注意する。

「で、俺達にこの半ボケ老人の面倒を見ろと言う事だな」

「失敬な事を言うな! お前達も一緒に悠々自適の生活を満喫するに決まっておるだろうが!」

「ふざけるなよ、爺。お前の余暇って釣りだろうが!」

「釣りは良いぞー」

 司馬懿はクイクイと竿を振る動きを見せる。

「田舎に引っ込むかー。叔子もどっか行ったしなー」

「なー。子尚ししょう(司馬昭の字)も説得しといてなー」

「それは父上がやれよ」

 司馬師は問答無用と言わんばかりである。

「お前と違って子尚は堅いからなぁ。お前くらい軽ければ良いのになぁ」

「俺のコレは父上のソレでしょうな。子尚のソレは母上のアレで」

「だろうなー」

 予想外に平穏無事で、陳泰としてはいささか拍子抜けだった。

「とは言え、お前、こんな損な役割よく引き受けたなぁ。こんな面倒事、他の連中に任せれば良かったじゃないか。何晏とかヒマだろ? 李勝とか桓範でも良さそうなものだが」

「余計な揉め事を起こさない様に、と言う配慮からです」

「真面目だなぁ。お前といい、叔子といい。そこの爺くらい不真面目でも意外とどうにかなるもんだぞ」

「長男、モノの言い方ってあるぞー」

 司馬懿はそう言うが、司馬師は気にしていない様に見える。

「では郭太后に挨拶しておかないと」

「あー、そこはちゃんとしておかないとなぁ」

 司馬師と司馬懿は、そこは気にしているみたいだ。

 一見すると傍若無人な自由人とも思える様な司馬一族だが、実際にはそんな事も無く、上には謙虚に下には寛容、信賞必罰を常としている。

 自分達だけなら今みたいな感じなのだが、太后に対してまで今みたいな態度を取る事は無いようだ。

 実際に先帝の際には、先帝が年長の司馬懿をからかう様な言動はあった。

 そう、ちょうど今の司馬師とのやり取りの様な感じで、先帝と司馬懿は語り合っていたところを陳泰は見た事がある。

 先帝の曹叡は、実父である曹丕より司馬懿の方に親しみを覚えていたのかも知れない。

 司馬懿は厳しいところは厳しいものの、どこか人を惹きつけるところもある。

 武帝や文帝は、そう言うところを警戒していた節がある。

 陳泰は予想外に平和に済んだ事もあって、肩の荷を下ろした様な気になっていた。



 だが、彼は司馬一族の優秀さは知っていても、その恐ろしさを本当に理解はしていなかった。
 策謀家としての司馬懿、司馬師は陳泰の予想はもちろん、政敵である曹爽もその真の実力を知らなかったのである。
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