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第1話 契約結婚
しおりを挟む「私が君を愛することはない!」
結婚式で初めて会った美しい夫は、初夜の寝室でわたくしに触れることもなく足早に立ち去っていきました。
その冷たい言葉が心を突き刺し、わたくしは涙を流しました。
彼が乱暴にドアを閉めたため完全に閉まらず、わたくし付きの侍女ハンナが慌てて飛んで来てくれました。
彼女は夫の乳母を務めたほどの熟練の侍女です。
「なんと乱暴な……。
奥様がおいたわしいですわ。
わたしが育てた坊ちゃまはこんなお方ではなかったのです。
あの卑しい女が坊ちゃまをあんな風にしてしまったのです」
そう涙を流して震えながら、ハンナはわたくしを抱きしめ背中をさすりました。
わたくしはフィリシア・レイノルズ。
伯爵家の娘で15歳になったばかりです。
本日、わが国の頂点ともいえる有力貴族であるハモンド公爵家のご嫡男エミリオ様と結婚いたしました。
だから今はフィリシア・ハモンドです。
わたくしの家は王家からも降嫁があったほどの名門の家柄なのですが、昨年父が詐欺師に騙されて、ほとんどの財産を奪われてしまいました。
残ったのは爵位と古い城、その周辺の猫の額のような土地だけです。
貴族は爵位と領地に掛かる税金を国に収めなくてはなりません。
なのにこれでは伯爵位を維持することどころか、生活していくことすら難しいのです。
後継ぎの5つ年下の弟ガスパルが不憫でなりません。
ですがありがたいことにわたくしには両親から受け継いだ美貌がありました。
ほっそりとした肢体の割に胸が大きく、淡い金髪にコーンフラワーブルーの瞳で、まるで妖精のようだと称えられるほどの姿です。
13歳でデビュタントの舞踏会に出た時は、幸せに満ちあふれていました。
ダンスの申し込みを全員と踊れないほどいただき、婚約の話もたくさん舞い込んでいました。
一番よいものを選ぼうとお父様とお母様が呑気に構えている間に、こんなことになってしまったのです。
貴族にとって財を失うことは、まれにあることです。
ですが災害や戦争のせいでならともかく、詐欺師に騙されて失ったとあれば無能であると表明したのも同然です。
当然、それまで来た釣書は全てお断りのお手紙をいただきました。
爵位も維持できない無能のいる家から、いったいどこのまともな家が結婚を申し込んでくれるでしょうか?
使用人として雇ってもらうことすら、厭われるほどです。
わたくしは普通の結婚を諦めました。
それからのわたくしへの縁談はお金で成り上がった年配の男性か、女癖が悪く妻をとっかえひっかえしている身持ちの悪い男性しかいなくなりました。
しかもその妻が死亡したり、行方不明になったりしているような相手なのです。
そんな時にわたくしたちの元に、ベロニカ様があらわれたのです。
ベロニカ様はこの国の大きな商家の娘で、ハモンド公爵家のご嫡男エミリオ様と幼馴染でいらっしゃいました。
なんでもハモンド家へ御用聞きによく伺って、遊び相手をしていたというのです。
19歳の黒髪の妖艶な美女で、わたくしとは正反対の女性でした。
そしてエミリオ様と愛し合っておられたのです。
「あたくしがお願いしたいのは、こちらのフィリシア様にエミリオの偽の奥様になってほしいんですの」
「それはいったいどういうことですか⁉」
お父様が気色ばみます。
没落寸前とはいえ、伯爵に対してとんでもなく不穏な発言です。
「あたくしが平民なものだから、エミリオとの結婚を反対されておりますの。
彼は今18歳でとても美しく、仕事もできるんですのよ。
だから彼と結婚したい女どもが列をなして狙っておりますの。
ですからあたくしたちに子どもが出来るまで間、妻の座にいて欲しいんです」
「バカな! そんなことが公爵家にバレたら、我々もタダではすみませんぞ」
「ええ、そうですわね。
でもよろしいんですの?
フィリシア様が結婚すれば、一時はお金が入るでしょう。
でもそれだけですわ。
彼らはフィリシア様を弄んで、飽きればゴミのように捨てられるのがオチですわね」
「なんと無礼な!」
でもベロニカ様のおっしゃる通りなのです。
わたくしもそうなるだろうと思っておりました。
離婚ならまだしも、もしかしたら娼館へ売られてしまうかもしれません。
もっと悪ければ殺されてしまいます。
「このことはエミリオにも言ってありますのよ。
白い結婚を3年続ければ、教会が結婚自体をなかったことにしてくれますわ。
その3年間、あたくしの商会とハモンド公爵家から支援が受けられる上に、フィリシア様は未婚のきれいな体のままでいられるんです。
ちょっと醜聞は残ってしまいますけどね。
その間に伯爵様は家を建て直し、婚姻解消後もフィリシア様はまだ18歳ですから初婚として結婚が可能ですの。
いかがです? ご一考の価値はあると思いますわよ」
その日はお帰りいただきましたが、わたくしたちは結局ベロニカ様の申し出を受けることにいたしました。
将来に不安しかない危険な結婚を避ける方法は、これしかなかったのです。
だから旦那様であるエミリオさまの「愛することはない」発言は、当然のことなのです。
ただハモンド公爵家の方はこの取引をご存じないので、わたくしは悲嘆にくれる妻を演じなくてはなりません。
でも浴びせられた冷たい言葉にびっくりして、演技などではなく自然に涙が出てしまいました。
こんな恐ろしいことを言う方が本当にいるんですのね。
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