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 長い空白。

 あいかの告白に対し、つくしは何も言わなかった。頭の整理が追いついていなくて何も言えないのかもしれないが。

 あいかが本気でつくしとセックスをしたいということ。
 あいかが浮気相手と何度もセックスをしているということ。
 そして、今すぐあいかを抱いてほしいということ。

 つくしは目を泳がせるばかりで、まるで叱られた理由がわからない子供のようだ。

「……他の男と寝た女は抱けない?」
「そ、そういうわけじゃないの」
「こっちはそう思っちゃうよ」
「そ、そうだよね……」
「あたしを安心させてよつくしちゃん。お願いだから……」

 依然としてつくしは動こうとしない。これだけ言っても、つくしはあいかとセックスをしてくれないらしい。

「抱いてくれないなら、あたしは今すぐここを出て行く。この家にも、つくしちゃんにも二度と近づかない。……友達に戻っても、そんなのあたしもつくしちゃんも辛いだけだし」
「そ、そんな……」
「あたしはつくしちゃんと離れたくない。でも、それ以上にこんな曖昧な関係は嫌なの。だからお願い、つくしちゃん」

 脅迫にも近い選択の押し付け。しかしあいかはつくしから離れるつもりなんて毛頭ない。なぜなら、つくしは最終的にはあいかを抱いてくれると、愛してくれると信じているからだ。

 つくしがあいかを抱く理由はないのかもしれない。性的な接触がなくても満足できるつくしにセックスは不要だから。もしかしたら、今までもあいかの気持ちを勘違いして拒絶していたのかもしれない。でもあいかを抱かない理由だってない。つくしが本当にあいかのことを愛してくれているのなら、あいかの告白を無碍にはしないはずだ。

「……」
「つくしちゃん……」
「……っ!」
「きゃっ!」

 突然、あいかに飛びつくつくし。不意打ちだったこともあり、あいかはつくしを支えきれず倒れこむ。後ろにソファがなければ怪我をしていたかもしれない。

「つ、つくしちゃん?」
「…………」

 馬乗りになりあいかを見据えるつくし。その瞳は不安気に揺れていて、それでも逸らさずにあいかの瞳を覗き込んでいる。

「め、目を閉じて、あいかちゃん」
「……うんっ」

 瞼を下ろす。いよいよだ。ようやく、ついにこの時が来た。
 心臓の高鳴りが聞こえる。これはあいかの心音。喜びと期待が入り混じっている音だ。
 唇にかすかに風を感じる。これはつくしの吐息。時間が経つにつれ、勢いと熱が高まっていっている。
 胸に重いものが乗る。これはつくしの胸だ。もう、ふたりの距離は密着に近い。
 瞼に何かが落ちてきた。これは――

「……っ!」
「……つくしちゃん」

 瞼を上げると、目の前につくしの顔があった。唇がかすりそうなくらい接近していて、体を少し傾けるだけでも触れ合いそうだ。

「ちが、違うの……これは違くて、こんなはずじゃなくて……」

 つくしは泣いていた。あいかを見つめながら、泪を溜めていた。

「……キス」
「い、今するから、私、あいかちゃんにキスをするって決めたから……!」

 つくしの言葉に連動するように泪が流れ落ちる。目は口ほどに物を言うというのはこういうことなのだろう。

 ……できれば、知りたくなかった。

「……」
「はぁっ……ふぅっ……うぅっ」

 つくしは荒い呼吸を繰り返し、時たま気合を入れるように声を上げている。それでも一向にあいかの唇が塞がれることはなく、つくしの吐息によって乾燥するばかりだ。多分、これ以上待っても無駄なんだろう。

「……もういいよ、つくしちゃん。頑張ってくれてるのはわかったから、無理しないで」
「え?」

 つくしは驚きの声をあげる。その驚きの中に微かに喜びが見えたように思えるが、気のせいだろう。あいかの上から降りる動作がいそいそとしているように感じられるのも、勘違いだろう。

「ご、ごめんね、あいかちゃんとキスするのが嫌なわけじゃないんだけど……」
「うん、わかってる。やっとつくしちゃんのことちゃんとわかったよ、あたし」
「ほんとう?」
「だから……別れよう、つくしちゃん」
「…………えっ?」

 決してあいかに嫌がらせをしているわけじゃなく、あいかにキスをしたくないわけでもなく、つくしはキスができないのだ。感情とは関係なく、思考とは別の場所で、キスをしてはいけないものとして分類してしまっている。きっと、セックスもそうなんだろう。したくないのではなく、することができない。つくしの気持ちに関係なく、体が拒絶している。

 結論としてはとても簡単だ。
 大好きなのも本当で。
 愛しているのも本当で。
 だからこそ抱けないというのは酷く残酷で。
 つくしとあいかは絶望的に心の相性が悪かった。

「ま、待ってあいかちゃん。あいかちゃんは私のことが好きだってさっき……」
「うん、つくしちゃんのことは大好き」
「だ、だったら別れなくても――」
「さっき言ったよね? あたしのことを抱くか、二度と会わないかだって。あたしね、これ以上つくしちゃんのこと嫌いになりたくないんだ」
「で、でも、でも……」

 いつの間にか、つくしの手があいかの服の裾を握りこんでいた。ふるふると震えるほどに強く。

「わかってつくしちゃん。このまま付き合ってても、あたしたちは幸せになれない。きっと、またあたしがつくしちゃんを裏切るから……」
「……それでもいいよ? 私は、つくしちゃんが傍にいてくれるなら、それでも……」
「いいわけないでしょ。そんなのつくしちゃんがかわいそうだし、あたしだってしたくない」
「……や、やだ。お願い、行かないであいかちゃん」

 初めての幼稚園で母親と離される子供みたいだ。離れたくない一心ですがり付いて、自分の願望だけを口にして。
 つくしはあいかにすがり付きながらも、いつか抱いてみせるとは言わないのだ。あいかが我慢しろと、つくしは言っているのだ。

「つくしちゃんにはもっとお似合いの人がいるよ、あたしなんかより……」
「……どうして? どうしてそんなにセックスが大事なの?」
「それは、さっき散々言ったでしょ」
「わからない、わからないよ! 私にはわからない! どうしてセックスなんかでっ……セックスなんかであいかちゃんを取られるなんて、わからない!」
「止めてつくしちゃん」
「好きなの! あいかちゃんのことが好き! いっしょにいたい……いっしょに、いっしょにいてくれるだけでいいの……私、なのに……どうしてっ? あ、あいかちゃんも、わ、私のことを好きだって、なのに……」
「……」
「お願い……お願いあいかちゃん。私を捨てないで。私から離れないで。私といっしょにいて……なんでもするから……お願いだから……」
「……だったら抱いてよ」
「ふざけるのはやめ――」
「ふざけてるのはあんたでしょっ! あたしのことが好きなら少しは歩み寄ってよ! あたしの話を聞いてよ! あたしの望みを叶えてよ!」
「わ、私にできることなら何でもするから、だから……」
「キスもできないくせに! 軽々しくあたしに愛してるなんて言わないで! あたしはあんたのお人形じゃない! 愛でられて、甘やかされて、あんたはそれで満足でも、あたしは幸せなんかじゃないっ!」
「ど、どうしてっ? お話するだけでも楽しいでしょう? 好きな人が自分の傍にいてくれるのは嬉しいでしょうっ? セックスなんてしなくても、それ以外に幸せはたくさんあるでしょうっ?」
「嬉しくて、楽しくて、幸せだからもっと先を求めるの! プラトニックラブなんて知ったことじゃない! あたしは、抱かれないと愛を実感できないのっ!」
「で、でも、でも……」
「わかったでしょ……上手くやっていくなんて無理なの。例えこのまま付き合ったとしても、それはどっちかが犠牲になる幸せなんだよ」
「……うぅ……いや、いやぁ」

 つくしは大粒の泪をぼろぼろと零しながら首を横に振る。まだ納得できないらしい。それとも、納得したくないだけなのだろうか。

「……これだけ言っても、まだあたしのこと好き?」
「好き……大好き……」

 あたしもだ。

「そう……今まで楽しかった。つくしちゃんのことは本当に好きだった。だから、どうか幸せになってね」
「待って!」

 つくしがあいかの足にすがりつく。両腕でしっかりと、強く、あいかを束縛する。地獄に道連れにする亡者のように。

「……離してつくしちゃん」
「お願い、行かないで。お願いだから」
「離して……」
「お願い……」
「……っ!」

 つくしの頭が跳ね上がり、テーブルにぶつかって重い音が響いた。
 あいかの足の甲は強い熱をもち、痛みを訴えている。

 あいかの初めての暴力は、最愛の人に向けて振るわれた。

「……行かないで。私が悪かったから、お願い、あいかちゃん」

 頭から血が流れているというのに、つくしは恨み言も言わず、痛みを訴えることもしない。ただ、壊れたように謝罪と懇願をあいかにぶつけ続ける。

「さよなら……二度と会いたくない」
「いや……いやいやいや……いやああぁぁぁぁああぁっ!」

 つくしの悲鳴を背中に受けながら、あいかは足早に部屋を立ち去った。

 玄関を出て、扉を閉めたところで腰が抜けたように座り込む。興奮していて気づかなかったが、体はとても疲弊していた。立ち上がる体力も残っていない。

 つくしとの喧嘩、別れ、そして暴力。

 つくしの怪我は大丈夫だろうか。つくしは自殺したりしないだろうか。つくしはこれから先幸せになれるだろうか。

 背中を預けた扉の先から泣き声が聞こえた。声をあげてわんわんと、つくしが号泣する声。音の一粒一粒が背中を通って、あいかの心臓に突き刺さる。お前が彼女を泣かせたと、大切にしなければならない人を悲しませたと、あいか自身の非難の声が聞こえた気がした。

「……しょうがないじゃん。……だって、しょうがないじゃん……!」

 小さい頃からいっしょだった、大好きなお姉ちゃんとの決別。
 つくしの泣き声に寄り添うように、あいかは静かに泣き出した。
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