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崩壊
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「お父さんが今週中には出張に行くから、そしたらそっちに戻るわ。」
春は華と夏にキスをしながら言った。
冬はパーティー三昧から解放されて、ほっとした。子供二人を連れて自宅へと車を飛ばした。
…ガクさんきっと寂しい思いしてる。
週末で道が空いており、思っていたよりも早く自宅に着いた。
双子用のベビーカーに大きな荷物を持ち、玄関のドアを開けた。
…あ。
見知らぬ女性用のパンプス2足が揃えもせずに転がっていた。
冬はその靴をきちんと揃えて部屋に入った。
「静さん?」
今泉の寝室へ行くと誰も居なかった。心臓がドキドキとしはじめ、胃液があがってくるようだった。
…考えたくない。考えちゃいけない。
ドアを開ける最後の瞬間まで,信じたいと思った。もしかしたら、事情があって泊まらせているだけなのかも知れない。自分の寝室,そして春が普段使っている客間を開けるが,誰も居なかった。
…お願いだから…信じさせて。
小鳥遊の寝室をそっとあけた。
――― 鼻をつくセックスと煙草の匂い
冬は吐き気がした。
遮光カーテンがひかれた薄暗がりの中、乱れたベットの中央で全裸で眠る小鳥遊がいた。
それだけでは無かった…両隣りには全裸で若くて細い見知らぬ女性2人。
そっとゴミ箱を覗くと沢山の使用済みのコンドーム。
まるで嵐の中の小舟に乗っているように、冬の視界がぐらぐらと揺れた。ベッド、ごみ箱の中、散らばった洋服…冬は携帯で次々に写真を撮った。
…こんな時に冷静な自分って…一体。
たった数週間自分がいないだけで…しかも今日帰ると伝えていたのにも関わらず…冬は涙すら出なかった。
メモに震える手で走り書きをして、その上に指輪をそっと置いた。自分の寝室部屋に入り、看護師免許やパスポートなどが入ったバックを掴んだ。
――――― ふえっ…ふえっ…ふえぇぇぇん。
玄関でバギーに乗せたままの夏が、冬の代わりに泣いた。
「ごめんね…ちょっと待っててね。」
持ってきた荷物をそのまま全て持って、ドアを開けてバギーを押して出た。夏の声が広い通路に響いた。
――― バターン
玄関のドアが全てを断ち切るかのように大きな音を立てて、冬の背中で閉まった。重い筈の荷物もバギーもその重さを全く感じなかった。
…現実感が無い。
自分と世界が切り離されてしまったような不思議な気分だった。エレベーターに乗ると、泣き続ける夏に華まで目を覚ましてしまった。
…夏さん…私の方が泣きたいよ。
すぐに現実に引き戻された。まだ先ほどまでエンジンが掛かっていた温かい車内に二人を乗せた。
夏におしゃぶりをあげると チュッチュッと音を立てて吸い、静かに目を閉じた。荷物とバギーをトランクに放り込みエンジンを掛けた。
…出張所なら開いている筈。
冬はその足で、役所へ向かった。
+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:🐈⬛-:+:-:+:-:+
「あら?トーコ?どーしたの?」
数時間前に出て行ったはずの冬が戻ってきたことに春は驚いた。
「ごめん…ちょっと忘れ物しちゃったの。」
冬は自分の部屋へ行き、隅にある金庫を開けた。
帯が掛かった札束、ドル紙幣、貴金属類全てを大きなバッグに詰め込み、ドアを開けっぱなしで慌ただしく戻って来た。
「悪いんだけどこれ預かっておいてくれる?」
何も書かれていない茶封筒には、しっかりと封がされていた。
「なぁに?これ。」
「その時が来れば分かるから…。お母さん色々ありがとうね。」
…冬がお礼なんて一体どうしちゃったのかしら?
春は不思議に思った。
「あれ?もう行くの?華ちゃんと夏さんは?」
春は車の中を覗いた。
「寝てるから車に乗せたままにしたの…すぐ出るつもりだったし。」
…そう。
春は冬の行動に違和感を感じたものの、急いでいる様子だったので、そのまま見送った。
慌ただしく冬が出て行った後、何気なく見ると、冬の寝室のドアが開いていた。
「あら嫌だあの子…ホントに急いでいたのね。」
ドアを閉めようとした時に、ふと金庫のドアが開いているのに気が付いた。
春は慌てて中を見ると、全て空っぽになっていた。
「大変だわ!」
冬に貰った茶封筒を慌てて開いてみた春は凍り付いた。
「なんてこと!!」
書斎に居る健太郎に声を掛けた。
「お父さん。冬が子供を連れていなくなったの!悪いけど見送りにはいけないわ。お手伝いさんには伝えとくわね。」
「おいおい…どうしたんだね。」
春の慌て様に健太郎が驚き、玄関までやってきた。
「もうあの子…帰って来ないかも知れない。」
春は車のカギと、コートを掴んだ。
+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:🐈⬛-:+:-:+:-:+:-:+
今泉は大学時代の友人宅で飲み明かし、怠い体で家へと戻った。マンションのドアノブを回すと、ドアが開いていた。
…ガクさんが開けっ放しなんて珍しい。
パンプスそして、リビングからは女の話し声が聞こえた。今泉がリビングにやってくると、背の高い細い女が2人いた。
「こんにちは~。」
ふたりともきっちりと化粧をしているが、どう見ても20歳前後のまだあどけなさの残る顔をしていた。
「シャワーお借りしましたぁ。」
「私達これで帰るんで~お邪魔しましたぁ。」
今泉の顔を眺めているハルカをサキは引っ張って玄関へと連れていき、荷物を持って慌ただしく出て行った。
今泉は、小鳥遊の寝室を開けると、独特のあの臭いが立ち込める中で、小鳥遊はぐっすり眠っていた。
「ガクさん...。」
今泉は大きなため息をついた。
スマホの電源を入れると、春から不在着信が10回以上あった。
春に電話を掛けながら、冬の寝室に行くと、開けたままのクローゼット、引き出しが見えた。
「静さん…冬がいなくなっちゃったの。今朝早く、家に帰るって華ちゃんと夏さんを連れて出たんだけど…家に帰ってないわよね?」
春は運転中のようだった。
…話が繋がった。
今泉は目を閉じて気持ちを落ち着けようとしていた。
「ええ…僕も友人宅でさっきまで飲んでいて、寝ようと思って、今、家に帰って来たところです。」
ダイニングへ行き、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り、蓋を開けた。
「あと30分でそちらに着くわ。ガクさんはそこに居る?」
何口か飲んでテーブルの上に置いた。
「ええ…寝てますけど。」
今泉の目に走り書きと指輪が目に留まった。
「詳しくはそちらに着いてから話すわ。それまで小鳥遊先生を引き留めておいて頂戴。どこにも行かせないで。お願いね!」
春は早口で言うと電話を切ってしまった。椅子に腰かけ、冬の小さな指輪を指先に触れた。
テーブルの上でカツンと音を立てた。いつもは美しい冬の文字が乱れていた。
冬に電話を掛けたが、すぐに留守番電話になってしまった。今泉の中に怒りがふつふつと湧いてきた。椅子から立ち上がると、寝室のドアを乱暴に開けた。
「小鳥遊先生 服を着て下さいっ!!」
今泉は大きな声、厳しい口調で言った。カーテンを端から端まで乱暴に開くと、優しい光が部屋全体に差し込み、秋の終わりを告げているかのようだった。
窓も掃き出しも全開に開けると、枯葉の香りがする柔らかい風が部屋に流れ込んだ。
ふとみると掃き出しには口紅がべったりと付いた煙草の吸殻が落ちていた。
今泉はそれを乱暴に拾いトイレに流した。
小鳥遊は眩しそうに目を開けた。
「今…何時ですか?」
小鳥遊は怠そうに体を起こし、裸のままベッドの端に腰かけた。
寝不足で頭が割れる様に痛かった。その体には首から胸元に掛けて、口紅とキスマークがびっしりと付いていた。
「話は後!!!良いから早く起きて!!」
今泉が怒鳴った。
「先にシャワーを浴びて、服を着て下さい。春さんがあと20分程でここに来ます。直ちにですっ!」
今泉の声は寝不足と二日酔いの頭に打鐘のように酷く響いた。
言われた通り、重い体でバスルームへと歩いた。洗面所の鏡に自分の姿がチラリと映った。今泉が怒っている理由がやっと思い出せた。
…しまった。
熱めのシャワーを浴びた。ベタベタとした口紅はなかなか取れず、体中が筋肉痛で痛かった。
陰毛には愛液がこびりつき白く乾いていた。風呂から上がり、スウェットをのろのろと履いた。
上半身裸で冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り、棚の上の頭痛薬を飲んだ。
ふと見ると今泉が壁に寄り掛かり、額に手を置き泣いていた。驚いて声を掛けようとした時に、テーブルの上の小さな指輪と走り書きが目に入った。
「あっ。」
思わず手からボトルが滑り床に落ちると、コポコポと音を立てて、水が床に広がった。呆然と立ち尽くしたまま、それを眺めていた。
…離婚届 あとで送ります。
丁度その時に、ドアが乱暴に開く音がしたかと思うと春がズカズカとダイニングに入って来た。小鳥遊を見ると、唇をわなわなと震わせた。
大きな胸に広がる沢山のキスマーク。
―――バチン。
春の平手打ちが小鳥遊の頬に飛んだ。今泉は泣きはらして目で眺め,止めようともしなかった。
バックから茶封筒を取り出し、その中身をバンッと音を立ててテーブルの上に置いた。
冬の結婚指輪がその衝撃で床に落ちた。
「あなた…何を考えているの?」
わざわざ聞かなくても何をしたのか一目瞭然だった。
緑色の枠で縁どられた紙…離婚届には、癖の無い綺麗な字で、冬の名前と捺印がされていた。小鳥遊は余りの出来事に謝罪の言葉すら出てこなかった。
「僕…探してきます。」
小鳥遊が静かに言った。
「無駄よ…あの子もうここには戻って来ないと思う。私にさえ何も言わず出て行ったんだから。」
春の声は怒りで震えていた。
「静さん、通帳とか保険証はどこにしまってあるの?」
今泉に早口で聞いた。
「トーコさんの寝室です…ただ、今朝みたら、クローゼットもあけっぱなしだったから。」
春はバタバタと冬の寝室へ入って行った。ガサガサと書類が入っていそうな場所を探したが、見つからなかった。
「そうだ子供達のパスポートって?」
「ええ…生まれてすぐに冬さんと一緒に作りに行きました。」
なんてこと…春は、大きなため息をついた。
…夢うつつで聞いた、子供の泣き声は、夢では無く本当だったのか。
「可能性は低いけど、静さんの携帯に連絡があるかも知れないからお願いね。じゃぁ。」
玄関へ行きかけて、春はまた戻って来て小鳥遊に指をさしながら言った。
「業者をよこして冬のものは実家に送ってもらうことにするわ。良いわね?あなたには冬のものに一切触れて欲しくないわ!」
怒りは収まらず、くるりと今泉に向き直った。
「じゃあ静さんまたね。これからのことをまた後で話しましょう。」
春は小鳥遊を無視して大急ぎで去って行った。
+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+
小峠は落ち着かなかった。あのふたりから送られてくるはずの写真は届かず、何度メールをしても返事が帰って来なかった。
…何も無かったのか。
週明けの小鳥遊は、普段通り穏やかだった。
「先週末はありがとうございました。」
小峠はさりげなく小鳥遊に聞いた。
「ああ…どうも。楽しかったですね。朝起きたら皆さんが居なくて、先に寝てしまってすみませんでした。」
いつものように穏やかに笑うだけで相変わらずのポーカーフェイスで、何を考えているのかも良く分からなかった。
「ええ…皆がそれぞれ“お持ち帰り”しましたから。」
小峠は意味深に笑っていった。
「そうだったんですか…。それは良かった。」
そう言うと病棟へと向かって歩いて行った。1週間経っても女たちからの連絡は無かった。
…やはり、あの馬鹿女たちは失敗したんだ。
小鳥遊のことだから、誘惑されても追い出してしまったのかも知れないと思った。
何か小鳥遊の弱みを握って、憂さをはらしてやろうと思っていたのに、それが失敗し、小峠は無性に腹が立ち自分がみじめに思えた。
ただ、今泉と小鳥遊の間に何かあったことは確かだった。以前は、昼食を食べたり、こそこそ話をしたりしていたが、最近は一緒に居るところを全く見なくなった。
同じ手術に入ったとしても、おしゃべりも無駄口も一切無く、不気味だった。今日の手術の時もそうだ。
「さぁ…閉じましょう。」
手術顕微鏡をずらし、小鳥遊が一息ついた。
「先生達、最近一緒に居るのを見かけ無くなりましたが、何かあったんですか?」
今泉も小鳥遊もちらりと小峠を見た。しばしの沈黙が流れたが、口を開いたのは小鳥遊だった。
「子供の面倒が忙しくて、一緒に居る時間がめっきり減ってしまったんです。」
今泉はその間何も話さなかった。
「月性さん…奥さんも双子ちゃんなら大変でしょうね。」
小峠は何気なく言った。
「ええ…まぁ。」
小鳥遊は顔色も変えず、いつものように静かに答えたが、内心は今泉の前でこのような質問をしてくる小峠にイライラしていた。
小峠は自分でもおかしいと思うぐらい、冬に執着していた。
…また新たな計画を立てるしかない。
小峠は密かに思った。
今泉は小鳥遊と目さえ合わそうとしなかった。
「そういえば、今泉家の溺愛してる美人猫ちゃんは元気ですか?」
介助の看護師が片づけを始めながら何気なく聞いた。
「ええ…。」
今泉は記録に目を落としながら答えた。
「…でも…家出しちゃったんです。僕が目を離した隙に...とっても可愛がっていたのに。」
今泉の嫌味に小鳥遊は大きなため息をついた。
「そうなんですか!早く見つかると良いですね。」
看護師が心配そうに言った。
「事故にあってなきゃ良いんだけど。」
まるで感情の籠っていないような言い方だった。
「そんな縁起でも無い事…考えちゃ駄目ですよ!綺麗な猫ちゃんなら、きっと新しい飼い主さん見つけて楽しく過ごしてるかも知れませんよ。それにそのうちにひょっこり帰ってくるかも…。」
「新しい飼い主ね…。」
今泉は苦笑しチラリと小鳥遊を見た。
春は華と夏にキスをしながら言った。
冬はパーティー三昧から解放されて、ほっとした。子供二人を連れて自宅へと車を飛ばした。
…ガクさんきっと寂しい思いしてる。
週末で道が空いており、思っていたよりも早く自宅に着いた。
双子用のベビーカーに大きな荷物を持ち、玄関のドアを開けた。
…あ。
見知らぬ女性用のパンプス2足が揃えもせずに転がっていた。
冬はその靴をきちんと揃えて部屋に入った。
「静さん?」
今泉の寝室へ行くと誰も居なかった。心臓がドキドキとしはじめ、胃液があがってくるようだった。
…考えたくない。考えちゃいけない。
ドアを開ける最後の瞬間まで,信じたいと思った。もしかしたら、事情があって泊まらせているだけなのかも知れない。自分の寝室,そして春が普段使っている客間を開けるが,誰も居なかった。
…お願いだから…信じさせて。
小鳥遊の寝室をそっとあけた。
――― 鼻をつくセックスと煙草の匂い
冬は吐き気がした。
遮光カーテンがひかれた薄暗がりの中、乱れたベットの中央で全裸で眠る小鳥遊がいた。
それだけでは無かった…両隣りには全裸で若くて細い見知らぬ女性2人。
そっとゴミ箱を覗くと沢山の使用済みのコンドーム。
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…こんな時に冷静な自分って…一体。
たった数週間自分がいないだけで…しかも今日帰ると伝えていたのにも関わらず…冬は涙すら出なかった。
メモに震える手で走り書きをして、その上に指輪をそっと置いた。自分の寝室部屋に入り、看護師免許やパスポートなどが入ったバックを掴んだ。
――――― ふえっ…ふえっ…ふえぇぇぇん。
玄関でバギーに乗せたままの夏が、冬の代わりに泣いた。
「ごめんね…ちょっと待っててね。」
持ってきた荷物をそのまま全て持って、ドアを開けてバギーを押して出た。夏の声が広い通路に響いた。
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…現実感が無い。
自分と世界が切り離されてしまったような不思議な気分だった。エレベーターに乗ると、泣き続ける夏に華まで目を覚ましてしまった。
…夏さん…私の方が泣きたいよ。
すぐに現実に引き戻された。まだ先ほどまでエンジンが掛かっていた温かい車内に二人を乗せた。
夏におしゃぶりをあげると チュッチュッと音を立てて吸い、静かに目を閉じた。荷物とバギーをトランクに放り込みエンジンを掛けた。
…出張所なら開いている筈。
冬はその足で、役所へ向かった。
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「あら?トーコ?どーしたの?」
数時間前に出て行ったはずの冬が戻ってきたことに春は驚いた。
「ごめん…ちょっと忘れ物しちゃったの。」
冬は自分の部屋へ行き、隅にある金庫を開けた。
帯が掛かった札束、ドル紙幣、貴金属類全てを大きなバッグに詰め込み、ドアを開けっぱなしで慌ただしく戻って来た。
「悪いんだけどこれ預かっておいてくれる?」
何も書かれていない茶封筒には、しっかりと封がされていた。
「なぁに?これ。」
「その時が来れば分かるから…。お母さん色々ありがとうね。」
…冬がお礼なんて一体どうしちゃったのかしら?
春は不思議に思った。
「あれ?もう行くの?華ちゃんと夏さんは?」
春は車の中を覗いた。
「寝てるから車に乗せたままにしたの…すぐ出るつもりだったし。」
…そう。
春は冬の行動に違和感を感じたものの、急いでいる様子だったので、そのまま見送った。
慌ただしく冬が出て行った後、何気なく見ると、冬の寝室のドアが開いていた。
「あら嫌だあの子…ホントに急いでいたのね。」
ドアを閉めようとした時に、ふと金庫のドアが開いているのに気が付いた。
春は慌てて中を見ると、全て空っぽになっていた。
「大変だわ!」
冬に貰った茶封筒を慌てて開いてみた春は凍り付いた。
「なんてこと!!」
書斎に居る健太郎に声を掛けた。
「お父さん。冬が子供を連れていなくなったの!悪いけど見送りにはいけないわ。お手伝いさんには伝えとくわね。」
「おいおい…どうしたんだね。」
春の慌て様に健太郎が驚き、玄関までやってきた。
「もうあの子…帰って来ないかも知れない。」
春は車のカギと、コートを掴んだ。
+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:🐈⬛-:+:-:+:-:+:-:+
今泉は大学時代の友人宅で飲み明かし、怠い体で家へと戻った。マンションのドアノブを回すと、ドアが開いていた。
…ガクさんが開けっ放しなんて珍しい。
パンプスそして、リビングからは女の話し声が聞こえた。今泉がリビングにやってくると、背の高い細い女が2人いた。
「こんにちは~。」
ふたりともきっちりと化粧をしているが、どう見ても20歳前後のまだあどけなさの残る顔をしていた。
「シャワーお借りしましたぁ。」
「私達これで帰るんで~お邪魔しましたぁ。」
今泉の顔を眺めているハルカをサキは引っ張って玄関へと連れていき、荷物を持って慌ただしく出て行った。
今泉は、小鳥遊の寝室を開けると、独特のあの臭いが立ち込める中で、小鳥遊はぐっすり眠っていた。
「ガクさん...。」
今泉は大きなため息をついた。
スマホの電源を入れると、春から不在着信が10回以上あった。
春に電話を掛けながら、冬の寝室に行くと、開けたままのクローゼット、引き出しが見えた。
「静さん…冬がいなくなっちゃったの。今朝早く、家に帰るって華ちゃんと夏さんを連れて出たんだけど…家に帰ってないわよね?」
春は運転中のようだった。
…話が繋がった。
今泉は目を閉じて気持ちを落ち着けようとしていた。
「ええ…僕も友人宅でさっきまで飲んでいて、寝ようと思って、今、家に帰って来たところです。」
ダイニングへ行き、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り、蓋を開けた。
「あと30分でそちらに着くわ。ガクさんはそこに居る?」
何口か飲んでテーブルの上に置いた。
「ええ…寝てますけど。」
今泉の目に走り書きと指輪が目に留まった。
「詳しくはそちらに着いてから話すわ。それまで小鳥遊先生を引き留めておいて頂戴。どこにも行かせないで。お願いね!」
春は早口で言うと電話を切ってしまった。椅子に腰かけ、冬の小さな指輪を指先に触れた。
テーブルの上でカツンと音を立てた。いつもは美しい冬の文字が乱れていた。
冬に電話を掛けたが、すぐに留守番電話になってしまった。今泉の中に怒りがふつふつと湧いてきた。椅子から立ち上がると、寝室のドアを乱暴に開けた。
「小鳥遊先生 服を着て下さいっ!!」
今泉は大きな声、厳しい口調で言った。カーテンを端から端まで乱暴に開くと、優しい光が部屋全体に差し込み、秋の終わりを告げているかのようだった。
窓も掃き出しも全開に開けると、枯葉の香りがする柔らかい風が部屋に流れ込んだ。
ふとみると掃き出しには口紅がべったりと付いた煙草の吸殻が落ちていた。
今泉はそれを乱暴に拾いトイレに流した。
小鳥遊は眩しそうに目を開けた。
「今…何時ですか?」
小鳥遊は怠そうに体を起こし、裸のままベッドの端に腰かけた。
寝不足で頭が割れる様に痛かった。その体には首から胸元に掛けて、口紅とキスマークがびっしりと付いていた。
「話は後!!!良いから早く起きて!!」
今泉が怒鳴った。
「先にシャワーを浴びて、服を着て下さい。春さんがあと20分程でここに来ます。直ちにですっ!」
今泉の声は寝不足と二日酔いの頭に打鐘のように酷く響いた。
言われた通り、重い体でバスルームへと歩いた。洗面所の鏡に自分の姿がチラリと映った。今泉が怒っている理由がやっと思い出せた。
…しまった。
熱めのシャワーを浴びた。ベタベタとした口紅はなかなか取れず、体中が筋肉痛で痛かった。
陰毛には愛液がこびりつき白く乾いていた。風呂から上がり、スウェットをのろのろと履いた。
上半身裸で冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り、棚の上の頭痛薬を飲んだ。
ふと見ると今泉が壁に寄り掛かり、額に手を置き泣いていた。驚いて声を掛けようとした時に、テーブルの上の小さな指輪と走り書きが目に入った。
「あっ。」
思わず手からボトルが滑り床に落ちると、コポコポと音を立てて、水が床に広がった。呆然と立ち尽くしたまま、それを眺めていた。
…離婚届 あとで送ります。
丁度その時に、ドアが乱暴に開く音がしたかと思うと春がズカズカとダイニングに入って来た。小鳥遊を見ると、唇をわなわなと震わせた。
大きな胸に広がる沢山のキスマーク。
―――バチン。
春の平手打ちが小鳥遊の頬に飛んだ。今泉は泣きはらして目で眺め,止めようともしなかった。
バックから茶封筒を取り出し、その中身をバンッと音を立ててテーブルの上に置いた。
冬の結婚指輪がその衝撃で床に落ちた。
「あなた…何を考えているの?」
わざわざ聞かなくても何をしたのか一目瞭然だった。
緑色の枠で縁どられた紙…離婚届には、癖の無い綺麗な字で、冬の名前と捺印がされていた。小鳥遊は余りの出来事に謝罪の言葉すら出てこなかった。
「僕…探してきます。」
小鳥遊が静かに言った。
「無駄よ…あの子もうここには戻って来ないと思う。私にさえ何も言わず出て行ったんだから。」
春の声は怒りで震えていた。
「静さん、通帳とか保険証はどこにしまってあるの?」
今泉に早口で聞いた。
「トーコさんの寝室です…ただ、今朝みたら、クローゼットもあけっぱなしだったから。」
春はバタバタと冬の寝室へ入って行った。ガサガサと書類が入っていそうな場所を探したが、見つからなかった。
「そうだ子供達のパスポートって?」
「ええ…生まれてすぐに冬さんと一緒に作りに行きました。」
なんてこと…春は、大きなため息をついた。
…夢うつつで聞いた、子供の泣き声は、夢では無く本当だったのか。
「可能性は低いけど、静さんの携帯に連絡があるかも知れないからお願いね。じゃぁ。」
玄関へ行きかけて、春はまた戻って来て小鳥遊に指をさしながら言った。
「業者をよこして冬のものは実家に送ってもらうことにするわ。良いわね?あなたには冬のものに一切触れて欲しくないわ!」
怒りは収まらず、くるりと今泉に向き直った。
「じゃあ静さんまたね。これからのことをまた後で話しましょう。」
春は小鳥遊を無視して大急ぎで去って行った。
+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+
小峠は落ち着かなかった。あのふたりから送られてくるはずの写真は届かず、何度メールをしても返事が帰って来なかった。
…何も無かったのか。
週明けの小鳥遊は、普段通り穏やかだった。
「先週末はありがとうございました。」
小峠はさりげなく小鳥遊に聞いた。
「ああ…どうも。楽しかったですね。朝起きたら皆さんが居なくて、先に寝てしまってすみませんでした。」
いつものように穏やかに笑うだけで相変わらずのポーカーフェイスで、何を考えているのかも良く分からなかった。
「ええ…皆がそれぞれ“お持ち帰り”しましたから。」
小峠は意味深に笑っていった。
「そうだったんですか…。それは良かった。」
そう言うと病棟へと向かって歩いて行った。1週間経っても女たちからの連絡は無かった。
…やはり、あの馬鹿女たちは失敗したんだ。
小鳥遊のことだから、誘惑されても追い出してしまったのかも知れないと思った。
何か小鳥遊の弱みを握って、憂さをはらしてやろうと思っていたのに、それが失敗し、小峠は無性に腹が立ち自分がみじめに思えた。
ただ、今泉と小鳥遊の間に何かあったことは確かだった。以前は、昼食を食べたり、こそこそ話をしたりしていたが、最近は一緒に居るところを全く見なくなった。
同じ手術に入ったとしても、おしゃべりも無駄口も一切無く、不気味だった。今日の手術の時もそうだ。
「さぁ…閉じましょう。」
手術顕微鏡をずらし、小鳥遊が一息ついた。
「先生達、最近一緒に居るのを見かけ無くなりましたが、何かあったんですか?」
今泉も小鳥遊もちらりと小峠を見た。しばしの沈黙が流れたが、口を開いたのは小鳥遊だった。
「子供の面倒が忙しくて、一緒に居る時間がめっきり減ってしまったんです。」
今泉はその間何も話さなかった。
「月性さん…奥さんも双子ちゃんなら大変でしょうね。」
小峠は何気なく言った。
「ええ…まぁ。」
小鳥遊は顔色も変えず、いつものように静かに答えたが、内心は今泉の前でこのような質問をしてくる小峠にイライラしていた。
小峠は自分でもおかしいと思うぐらい、冬に執着していた。
…また新たな計画を立てるしかない。
小峠は密かに思った。
今泉は小鳥遊と目さえ合わそうとしなかった。
「そういえば、今泉家の溺愛してる美人猫ちゃんは元気ですか?」
介助の看護師が片づけを始めながら何気なく聞いた。
「ええ…。」
今泉は記録に目を落としながら答えた。
「…でも…家出しちゃったんです。僕が目を離した隙に...とっても可愛がっていたのに。」
今泉の嫌味に小鳥遊は大きなため息をついた。
「そうなんですか!早く見つかると良いですね。」
看護師が心配そうに言った。
「事故にあってなきゃ良いんだけど。」
まるで感情の籠っていないような言い方だった。
「そんな縁起でも無い事…考えちゃ駄目ですよ!綺麗な猫ちゃんなら、きっと新しい飼い主さん見つけて楽しく過ごしてるかも知れませんよ。それにそのうちにひょっこり帰ってくるかも…。」
「新しい飼い主ね…。」
今泉は苦笑しチラリと小鳥遊を見た。
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同じチームの後輩、石橋蓮(25)が異変に気付くが……
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※完結済み、手直ししながら随時upしていきます
※サムネにAI生成画像を使用しています
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