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結婚指輪
採精室での内緒話
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クリニックへ行く車の中で、二人はコソコソと何かを話し合っていた。春はラジオを聞いていたし、冬はボーっと流れていく景色を眺めていた。
「あ…これ…僕持って無いです。」
今泉が自分と小鳥遊のスマホを見比べている。
「ちょっと待って下さい。今送りますから。」
冬に見られていることも知らず、大の男が二人ともスマホを持って頭を突き合わせ、小さな声で話しあっているのは滑稽だった。
「あの人達…さっきから何やってるのかしらね。」
春がバックミラーで楽しそうにしている二人を確認した。
「どーせ,碌でも無いことよ。」
冬には、その理由がすぐに判った。
帰国に向けて身辺整理をしていて、その準備が着々と進んでいく。
ビルが立ち並ぶ街を出て、高速に乗った。しばらく行くと、畑ばかりの景色になった。
「ジェスとジムのところみたいね。」
春が言った。
「アメリカで式をする時には呼びましょうね。」
冬は窓の外を見たまま何も答えなかった。
「うん…。」
畑の中にぽつぽつと家が増え始め、再び家から大きなビルディングになってきた。集中するためと言って春がラジオを消した。
「無謀な計画だとみんな思ってるんでしょう?」
冬が言い隣で春が笑ったが、振り返ると小鳥遊も今泉も寝ていた。
「男性陣は呑気なものね。」
春がバックミラーで二人の様子を見て笑った。
「あなたが結婚なんてねぇ…。もう独身で過ごすのかと思ってたから、嬉しいわ。」
春が感慨深げに言った。
「…きっと…喜んでいると思うわ。」
…エリック
「あんなに…絶対忘れないと思っていたのに不思議よね…気が付いたら、ガクさんと静さんのことで頭が一杯になってたの。」
「そう…。」
春は前を見ながら微笑んでいた。
「これからも 何をする時も面倒くさがらず、3人で良く話し合いなさいね。」
春は冬の顔をちらりと見た。
「うん…分かってる。」
冬は静かに言った。
「これが上手くいかなかったらどうするの?」
春は心配そうだった。
「もし…これで駄目でも諦めないわ。」
冬がきっぱりと言った。
「え…それは式を延期するということですか?」
いつの間にか小鳥遊が起きていた。
駄目よ…もう招待状送っちゃったものと春が慌てた。
「いいえ…式後にひとりで戻って来て受診します。」
それを聞くと、春は少しほっとしたようだった。
「…ってことは、結婚後も暫くは別居?」
今泉が静かに聞いた。
「…ということになりますね。」
何度か通った建物が見えて来た。
「…そんな。」
小鳥遊が寂しそうだった。
「さぁ…着きましたよ。先生方頑張って下さい。」
冬は朗笑した。
予約時間には少し早かったが、ゆったりと雰囲気の待合室。コーヒーや紅茶が置いてあり、知らなければ高級なホテルのロビーと間違えそうなくらいだ。
「凄いですね。」
春と男性2人は 冬が受付をするのを待っていた。
「産婦人科でも特殊だから…。」
早めに来たのにも関わらす、すぐに看護師に呼ばれ血圧を…と言われ冬は連れて行かれた。
ICSI(顕微授精)で異父二卵性双生児。
小鳥遊は未だに考えていた。本当にこの計画が上手くいくのかも、判らなかったし、高額になると言われる費用も何度聞いても誤魔化して冬は教えてくれない。何とか春から聞き出し、外車2台買える位…と言われた時には絶句した。
小鳥遊と今泉は別室に連れて行かれた。冬と春は細々とした結婚式の確認を待ち時間でしていた。暫くすると看護師がきた。
「旦那さんが呼んでます。」
冬と春は顔を見合わせた。
…やっぱり…静さんか。
「ちょっと行ってくるね。」
冬は待合室のソファから立ち上がり、看護師の後を追った。案内された場所は、クリニックの一番奥まった場所にあり、同じ部屋が何室も並んでいて、まるでカラオケボックスのようだった。
「よくあることなんですよ~。時間はどれだけかけても大丈夫ですから焦らずに。」
ドアの前まで来ると看護師がノックし、奥さんがお見えになりましたよと声を掛けた。
…積極的に手伝うってことだよね。
冬は看護師にお礼を述べて、薄暗い部屋へと入っていった。
…繊細な静さんには厳しかったかも。
「トーコさん。助けて下さい~。」
…え…なんで?
「!!!」
「ガクさん?」
…おい…どうした変態エロ。2秒でチャージじゃないのか?
「携帯のバッテリーが切れちゃったんです。」
…携帯が…Noチャージ。
大きな肩をがっくりと落とし、座り心地の良いプレジデント・チェアに悲しそうに座っていた。
…たかなし…かたなし…。
「調子に乗って車の中で静さんにエロ写真送ってるからですよ。」
「僕…ビジュアルが無いと駄目なんです。」
寂しそうに言ったその手には、エロ画像が沢山詰まっていて大活躍する筈だったスマホが握られていた。
「…普通の男性はそうじゃないんですかね?」
…私に許可なく勝手にエロ画像とった天罰だ。
冬は噴き出しそうになるのを必死に堪えていた。
「僕は…すっかり意気消沈です。」
…駄目だ。
「意気消沈…チン。」
…こんな自信の無いDr.Eros初めてみた。
冬は笑いながら小鳥遊を抱きしめた。
「あなたはまた…面白がって…僕は自信喪失です。」
冬はいつも家でしていたように膝の上に乗って優しくキスをした。
…全く…手のかかるエロだこと。
「…それで…ガクさんは…トーコに何をして欲しいんでしょうか?」
そっと小鳥遊の耳元で囁いた。
「静さんには…内緒にしておいてください…お願いします。」
小鳥遊は悲しそうに言いながらも、冬のブラウスを裾をスカートから引き出し、もぞもぞと胸を弄った。冬は微笑み、自分の手を後ろに回してブラのホックを外した。
「わかってます…言いません。」
静かな部屋に2人のキスの音だけが何度も響いた。
翌日、3人で結婚指輪を買いに行ったが、何でも良いといった冬に機嫌を損ねた小鳥遊を今泉が宥め、長い時間拘ったのは小鳥遊だった。冬は呆れ,その二人の様子を今泉はニコニコと笑って見ていた。冬の左手はまだ浮腫んでいたが、3人で式の前にゆっくり会えるのも今泉と小鳥遊がいるこの時だけだった。
「結局アメリカに来ても、観光らしい場所に連れて行けなくて、ごめんなさい。」
3人はモールのカフェでコーヒーを飲んでいる。
「僕は,それなりに楽しかったですよ。」
今泉は二人を見て微笑んだ。小鳥遊は色々な事があったのに面白いとは何事か?とでも言いたげな顔でチラリと今泉を見た。冬はそんな二人の顔を交互に眺めていた。
「僕たちの顔に何か付いてますか?」
小鳥遊が静かに言った。
「ううん。幸せだなぁと思って…。」
…あんな事が有ったのにも関わらず?
呑気な二人を見ているとため息が出た。
「僕もだよ。」
今泉は冬といる時には、いつも嬉しそうだ。
「でも…暫くは専業主婦でしょう…どうしよう。」
冬はひとり オレンジジュースを飲んでいた。
「トウコさんは、好きな事をすれば良いよ。」
今泉は、シュガー・クッキーをひとつ摘んだ。
「一人で突然居なくなったり放浪の旅には、余り出て欲しくないです。」
小鳥遊が静かに言った。
「放浪の旅って…山下清じゃないんだから。」
冬は,そばをヨチヨチと歩き回る乳幼児を目で追いながら言った。
その小さな女の子は、冬と目が合うと笑った。Hi.sweetie.と声をかけると、こちらに向かってゆっくりと歩いて来た。
「ガクさんが言いたいのは、相談も無しに一人で思い詰め,考え過ぎないで下さいって事ですよ。」
今泉は、小鳥遊の想いを汲んだ。冬はいつでも突拍子のない事を相談も無く決めてしまう。子供の母親は、20代前半に見え,そっちへ行っちゃ駄目よと言いつつ、携帯を弄っていた。
「大丈夫よ。放浪するんだったらこれからは、一人じゃないわ…ね~。」
冬の顔を見て指をさす,小さな女の子に向かって微笑んだ。
「…それは駄目です。」
小鳥遊は、子供が出来、一緒に連れて出て行かれでもしたら大変だと思い、咄嗟に言った。
「変なおじちゃんよねぇ。まだ何にも言ってないのにね~。」
冬は女の子に向かって言うと今泉が横で笑った。
結婚式は来賓は600人を超え盛大なものになった。小鳥遊と冬の友人、仕事関係者全てが招待された。冬は公式に依頼をする形で、初めて小鳥遊に職権乱用して貰い、小峠は、式の日を当直の筈だった。しかし、何故かその当直を山口と変わっていた。冬は小鳥遊の隣で、顔はにこにこ微笑みながら、毒づいてばかりいた。
「ちょっと…なんで禿が来てるの?ちゃんと裏工作してくれたんじゃなかたんですか?」
小鳥遊は笑いを堪えていた。冬のことだから気が付いたら絶対に文句をいう筈だと、先に会場へきていた今泉が言っていたからだ。
「ええ。僕は確かに禿を当直にしましたよ。」
腹立たしいのは目が合うたびに、ニコッと小峠が冬に向けて笑うことだった。小鳥遊は酒を飲んだわけでも無いのに、始終上機嫌だった。
「それだけあなたのことを愛してるってことじゃないんですかね?」
冬がじろりと睨んでも、小鳥遊は、涼しい顔でそ知らぬふりをしていた。静と春が隣の席同士で、楽しそうに笑っているのが見えた。小鳥遊とは対照的に、式が進むにつれて冬は無口になった。ひな壇の上で友人達の出し物を冬はボーっと眺めていた。
「疲れましたか?」
小鳥遊は冬がとても疲れていることが気になっていた。
「ええ…少し…眠いです。」
ここ数日、休みが取れない小鳥遊の代わりに式のことで忙殺されていた冬の身体を案じた。
二人の指には結婚指輪が、今泉の指にも同じものがはめられていたが誰も気が付く者はいなかった。今泉は冬の希望で親族席で春の隣に座っていたので、疑問に思う人が声を掛けたが、とても近しい友人なのでと春は説明していた。
「今日は帰ったらゆっくり休みましょう。」
冬は拒否したが、春が結婚後も来ることになった。3人で住む新居は病院から少し離れた場所であったが、以前よりも広くゆったりとしていた。
結婚式後に、冬と小鳥遊は婚姻届けを提出しに行く予定だった。
「僕は春さんと一緒に先に帰りますから、ふたりでどうぞごゆっくり。」
気を利かせて今泉はマンションへと帰った。
「今日からあなたは 小鳥遊 冬です。」
タクシーに乗り、帰りは少し長いけれど30分程歩いて家に帰りましょうと小鳥遊は言った。
「こうして晴れて、堂々とあなたと手を繋いで歩けます。」
小鳥遊はとても嬉しそうに冬の手をしっかりと握った。またそんな大袈裟な…と笑った冬も手を握られたままで歩いた。
「堅物医局長が、手を繋いで歩いてた…なんて驚かれるかも知れませんよ。」
病院で働いている時のONモードな小鳥遊からは想像が出来ない。
「忘れちゃいましたか?僕は“堅物”だけど、“愛妻家”でもあったんですよ?ですから、別段おかしいことも無いってことです。」
小鳥遊は人通りも少なくなった大通りで、冬をひょいっと横抱きにして歩いた。
「わわわっ…ガクさん…ちょっと恥ずかしいです。」
冬は小鳥遊の腕の中で慌てた。
「恥ずかしくても少し我慢して下さい。あなたは僕を4年近くも待たせたんですから、これぐらいさせてくれても良いでしょう?」
小鳥遊は全く冬を下す気配は無く、こんなに上機嫌の小鳥遊を見たのは冬も初めてだった。
…そうよね。ガクさん4年も良く待ってくれたわ。
冬は苦笑した。
「ガクさん そんなに無理して張り切ったら腰が痛くてオペ出来なくなっちゃいますよ。」
冬は諦めて、大人しく小鳥遊に抱かれていた。
「あなたは、時々さりげなく人を年寄り扱いしますよね?」
横抱きでみる景色はいつもと違って心地が良かった。
「だって…本当のことじゃない。」
「あなたが心配で、歳をとる暇もないぐらいです。」
…この4年の間、色々なことがあった。
「サンジェルマン伯爵を目指し頑張って長生きして下さい。」
冬は小鳥遊の彫の深い整った顔を優しく撫でると、小鳥遊はそんなに長生きするほど苦労はしたくないですねと声を出して笑った。
「でも…死ぬときは僕はトーコさんより絶対に先に逝きます。」
「あら…そんなこと当たり前じゃない。ガクさんの方が随分と年上なんですから。」
「トーコさんとエッチが出来なくなったら嫌だから。」
冬がぎょっとすると、小鳥遊は冗談ですよと笑った。
…いや…今のは、まんざら嘘ではなさそうだ。生涯現役を目指されても私が困る。
面白く無いアメリカンジョークよりも、変態エロ・ジョークの方がある意味とても恐ろしいと冬は思った。
「そういえば…初恋は実らないものだととあなたは以前 僕に言いましたよね?」
小鳥遊はあの雨の花見の日のことを思い出していた。
「そうでしたっけ?」
…冬は忘れてしまったようだ。
恋が甘く切なく,そして苦しいもので、どんなに足掻いても、綿密なプランを立てても思い通りにはいかない…人生で初めての“恋”をしていると小鳥遊が気が付いた日だった。
「ええ。そうでしたよ。あなたの我儘に必死に耐えた4年間でした。…お願いですから、これからは余り僕を振り回さないで下さい。」
ふわふわと小鳥遊の腕の中で揺れながら、冬は少しムッとした。
「あら…我儘なのはお互いさまでしょう?それにこれから先もずっと一緒なのに、たった4年間で愚痴をこぼすなんて、先が思いやられるわ。」
冬はチクチクと刺のある言い方をして小鳥遊を見上げた。
「確かに…。」
小鳥遊は、冬を抱え前を向いたまま何かを思い出したのか笑みを浮かべていた。
「トーコさん…。」
そして小鳥遊はゆっくりと立ち止まって、冬の顔を優しい目で見つめた。
「僕の生涯を掛けてあなたを守ります。これからもずっと傍に居て下さいね。」
冬の胸に甘酸っぱい気持ちがいっぱいに広がった。
「…はい。」
まるでそれは何度目かも分からないプロポーズのようだった。冬の耳が赤くそしてしおらしくなったのを小鳥遊はちらりと見て笑った。
「僕は、あなたにずっと恋をしています。過去もそしてこれから先も…。」
明るくふたりを照らす外套の下で冬をそっと下すと、お互いに暫く静かに見つめ合い微笑んでいた。二人の真っ白な息が、夜の冷たい空気にさらされて、何度も消えていった。ちらほらと降り始めた雪の中で、ふたりは“夫婦”になってから初めての熱く長いくちづけを交わした。
(おわり)
小鳥遊医局長の結婚生活へつづく
「あ…これ…僕持って無いです。」
今泉が自分と小鳥遊のスマホを見比べている。
「ちょっと待って下さい。今送りますから。」
冬に見られていることも知らず、大の男が二人ともスマホを持って頭を突き合わせ、小さな声で話しあっているのは滑稽だった。
「あの人達…さっきから何やってるのかしらね。」
春がバックミラーで楽しそうにしている二人を確認した。
「どーせ,碌でも無いことよ。」
冬には、その理由がすぐに判った。
帰国に向けて身辺整理をしていて、その準備が着々と進んでいく。
ビルが立ち並ぶ街を出て、高速に乗った。しばらく行くと、畑ばかりの景色になった。
「ジェスとジムのところみたいね。」
春が言った。
「アメリカで式をする時には呼びましょうね。」
冬は窓の外を見たまま何も答えなかった。
「うん…。」
畑の中にぽつぽつと家が増え始め、再び家から大きなビルディングになってきた。集中するためと言って春がラジオを消した。
「無謀な計画だとみんな思ってるんでしょう?」
冬が言い隣で春が笑ったが、振り返ると小鳥遊も今泉も寝ていた。
「男性陣は呑気なものね。」
春がバックミラーで二人の様子を見て笑った。
「あなたが結婚なんてねぇ…。もう独身で過ごすのかと思ってたから、嬉しいわ。」
春が感慨深げに言った。
「…きっと…喜んでいると思うわ。」
…エリック
「あんなに…絶対忘れないと思っていたのに不思議よね…気が付いたら、ガクさんと静さんのことで頭が一杯になってたの。」
「そう…。」
春は前を見ながら微笑んでいた。
「これからも 何をする時も面倒くさがらず、3人で良く話し合いなさいね。」
春は冬の顔をちらりと見た。
「うん…分かってる。」
冬は静かに言った。
「これが上手くいかなかったらどうするの?」
春は心配そうだった。
「もし…これで駄目でも諦めないわ。」
冬がきっぱりと言った。
「え…それは式を延期するということですか?」
いつの間にか小鳥遊が起きていた。
駄目よ…もう招待状送っちゃったものと春が慌てた。
「いいえ…式後にひとりで戻って来て受診します。」
それを聞くと、春は少しほっとしたようだった。
「…ってことは、結婚後も暫くは別居?」
今泉が静かに聞いた。
「…ということになりますね。」
何度か通った建物が見えて来た。
「…そんな。」
小鳥遊が寂しそうだった。
「さぁ…着きましたよ。先生方頑張って下さい。」
冬は朗笑した。
予約時間には少し早かったが、ゆったりと雰囲気の待合室。コーヒーや紅茶が置いてあり、知らなければ高級なホテルのロビーと間違えそうなくらいだ。
「凄いですね。」
春と男性2人は 冬が受付をするのを待っていた。
「産婦人科でも特殊だから…。」
早めに来たのにも関わらす、すぐに看護師に呼ばれ血圧を…と言われ冬は連れて行かれた。
ICSI(顕微授精)で異父二卵性双生児。
小鳥遊は未だに考えていた。本当にこの計画が上手くいくのかも、判らなかったし、高額になると言われる費用も何度聞いても誤魔化して冬は教えてくれない。何とか春から聞き出し、外車2台買える位…と言われた時には絶句した。
小鳥遊と今泉は別室に連れて行かれた。冬と春は細々とした結婚式の確認を待ち時間でしていた。暫くすると看護師がきた。
「旦那さんが呼んでます。」
冬と春は顔を見合わせた。
…やっぱり…静さんか。
「ちょっと行ってくるね。」
冬は待合室のソファから立ち上がり、看護師の後を追った。案内された場所は、クリニックの一番奥まった場所にあり、同じ部屋が何室も並んでいて、まるでカラオケボックスのようだった。
「よくあることなんですよ~。時間はどれだけかけても大丈夫ですから焦らずに。」
ドアの前まで来ると看護師がノックし、奥さんがお見えになりましたよと声を掛けた。
…積極的に手伝うってことだよね。
冬は看護師にお礼を述べて、薄暗い部屋へと入っていった。
…繊細な静さんには厳しかったかも。
「トーコさん。助けて下さい~。」
…え…なんで?
「!!!」
「ガクさん?」
…おい…どうした変態エロ。2秒でチャージじゃないのか?
「携帯のバッテリーが切れちゃったんです。」
…携帯が…Noチャージ。
大きな肩をがっくりと落とし、座り心地の良いプレジデント・チェアに悲しそうに座っていた。
…たかなし…かたなし…。
「調子に乗って車の中で静さんにエロ写真送ってるからですよ。」
「僕…ビジュアルが無いと駄目なんです。」
寂しそうに言ったその手には、エロ画像が沢山詰まっていて大活躍する筈だったスマホが握られていた。
「…普通の男性はそうじゃないんですかね?」
…私に許可なく勝手にエロ画像とった天罰だ。
冬は噴き出しそうになるのを必死に堪えていた。
「僕は…すっかり意気消沈です。」
…駄目だ。
「意気消沈…チン。」
…こんな自信の無いDr.Eros初めてみた。
冬は笑いながら小鳥遊を抱きしめた。
「あなたはまた…面白がって…僕は自信喪失です。」
冬はいつも家でしていたように膝の上に乗って優しくキスをした。
…全く…手のかかるエロだこと。
「…それで…ガクさんは…トーコに何をして欲しいんでしょうか?」
そっと小鳥遊の耳元で囁いた。
「静さんには…内緒にしておいてください…お願いします。」
小鳥遊は悲しそうに言いながらも、冬のブラウスを裾をスカートから引き出し、もぞもぞと胸を弄った。冬は微笑み、自分の手を後ろに回してブラのホックを外した。
「わかってます…言いません。」
静かな部屋に2人のキスの音だけが何度も響いた。
翌日、3人で結婚指輪を買いに行ったが、何でも良いといった冬に機嫌を損ねた小鳥遊を今泉が宥め、長い時間拘ったのは小鳥遊だった。冬は呆れ,その二人の様子を今泉はニコニコと笑って見ていた。冬の左手はまだ浮腫んでいたが、3人で式の前にゆっくり会えるのも今泉と小鳥遊がいるこの時だけだった。
「結局アメリカに来ても、観光らしい場所に連れて行けなくて、ごめんなさい。」
3人はモールのカフェでコーヒーを飲んでいる。
「僕は,それなりに楽しかったですよ。」
今泉は二人を見て微笑んだ。小鳥遊は色々な事があったのに面白いとは何事か?とでも言いたげな顔でチラリと今泉を見た。冬はそんな二人の顔を交互に眺めていた。
「僕たちの顔に何か付いてますか?」
小鳥遊が静かに言った。
「ううん。幸せだなぁと思って…。」
…あんな事が有ったのにも関わらず?
呑気な二人を見ているとため息が出た。
「僕もだよ。」
今泉は冬といる時には、いつも嬉しそうだ。
「でも…暫くは専業主婦でしょう…どうしよう。」
冬はひとり オレンジジュースを飲んでいた。
「トウコさんは、好きな事をすれば良いよ。」
今泉は、シュガー・クッキーをひとつ摘んだ。
「一人で突然居なくなったり放浪の旅には、余り出て欲しくないです。」
小鳥遊が静かに言った。
「放浪の旅って…山下清じゃないんだから。」
冬は,そばをヨチヨチと歩き回る乳幼児を目で追いながら言った。
その小さな女の子は、冬と目が合うと笑った。Hi.sweetie.と声をかけると、こちらに向かってゆっくりと歩いて来た。
「ガクさんが言いたいのは、相談も無しに一人で思い詰め,考え過ぎないで下さいって事ですよ。」
今泉は、小鳥遊の想いを汲んだ。冬はいつでも突拍子のない事を相談も無く決めてしまう。子供の母親は、20代前半に見え,そっちへ行っちゃ駄目よと言いつつ、携帯を弄っていた。
「大丈夫よ。放浪するんだったらこれからは、一人じゃないわ…ね~。」
冬の顔を見て指をさす,小さな女の子に向かって微笑んだ。
「…それは駄目です。」
小鳥遊は、子供が出来、一緒に連れて出て行かれでもしたら大変だと思い、咄嗟に言った。
「変なおじちゃんよねぇ。まだ何にも言ってないのにね~。」
冬は女の子に向かって言うと今泉が横で笑った。
結婚式は来賓は600人を超え盛大なものになった。小鳥遊と冬の友人、仕事関係者全てが招待された。冬は公式に依頼をする形で、初めて小鳥遊に職権乱用して貰い、小峠は、式の日を当直の筈だった。しかし、何故かその当直を山口と変わっていた。冬は小鳥遊の隣で、顔はにこにこ微笑みながら、毒づいてばかりいた。
「ちょっと…なんで禿が来てるの?ちゃんと裏工作してくれたんじゃなかたんですか?」
小鳥遊は笑いを堪えていた。冬のことだから気が付いたら絶対に文句をいう筈だと、先に会場へきていた今泉が言っていたからだ。
「ええ。僕は確かに禿を当直にしましたよ。」
腹立たしいのは目が合うたびに、ニコッと小峠が冬に向けて笑うことだった。小鳥遊は酒を飲んだわけでも無いのに、始終上機嫌だった。
「それだけあなたのことを愛してるってことじゃないんですかね?」
冬がじろりと睨んでも、小鳥遊は、涼しい顔でそ知らぬふりをしていた。静と春が隣の席同士で、楽しそうに笑っているのが見えた。小鳥遊とは対照的に、式が進むにつれて冬は無口になった。ひな壇の上で友人達の出し物を冬はボーっと眺めていた。
「疲れましたか?」
小鳥遊は冬がとても疲れていることが気になっていた。
「ええ…少し…眠いです。」
ここ数日、休みが取れない小鳥遊の代わりに式のことで忙殺されていた冬の身体を案じた。
二人の指には結婚指輪が、今泉の指にも同じものがはめられていたが誰も気が付く者はいなかった。今泉は冬の希望で親族席で春の隣に座っていたので、疑問に思う人が声を掛けたが、とても近しい友人なのでと春は説明していた。
「今日は帰ったらゆっくり休みましょう。」
冬は拒否したが、春が結婚後も来ることになった。3人で住む新居は病院から少し離れた場所であったが、以前よりも広くゆったりとしていた。
結婚式後に、冬と小鳥遊は婚姻届けを提出しに行く予定だった。
「僕は春さんと一緒に先に帰りますから、ふたりでどうぞごゆっくり。」
気を利かせて今泉はマンションへと帰った。
「今日からあなたは 小鳥遊 冬です。」
タクシーに乗り、帰りは少し長いけれど30分程歩いて家に帰りましょうと小鳥遊は言った。
「こうして晴れて、堂々とあなたと手を繋いで歩けます。」
小鳥遊はとても嬉しそうに冬の手をしっかりと握った。またそんな大袈裟な…と笑った冬も手を握られたままで歩いた。
「堅物医局長が、手を繋いで歩いてた…なんて驚かれるかも知れませんよ。」
病院で働いている時のONモードな小鳥遊からは想像が出来ない。
「忘れちゃいましたか?僕は“堅物”だけど、“愛妻家”でもあったんですよ?ですから、別段おかしいことも無いってことです。」
小鳥遊は人通りも少なくなった大通りで、冬をひょいっと横抱きにして歩いた。
「わわわっ…ガクさん…ちょっと恥ずかしいです。」
冬は小鳥遊の腕の中で慌てた。
「恥ずかしくても少し我慢して下さい。あなたは僕を4年近くも待たせたんですから、これぐらいさせてくれても良いでしょう?」
小鳥遊は全く冬を下す気配は無く、こんなに上機嫌の小鳥遊を見たのは冬も初めてだった。
…そうよね。ガクさん4年も良く待ってくれたわ。
冬は苦笑した。
「ガクさん そんなに無理して張り切ったら腰が痛くてオペ出来なくなっちゃいますよ。」
冬は諦めて、大人しく小鳥遊に抱かれていた。
「あなたは、時々さりげなく人を年寄り扱いしますよね?」
横抱きでみる景色はいつもと違って心地が良かった。
「だって…本当のことじゃない。」
「あなたが心配で、歳をとる暇もないぐらいです。」
…この4年の間、色々なことがあった。
「サンジェルマン伯爵を目指し頑張って長生きして下さい。」
冬は小鳥遊の彫の深い整った顔を優しく撫でると、小鳥遊はそんなに長生きするほど苦労はしたくないですねと声を出して笑った。
「でも…死ぬときは僕はトーコさんより絶対に先に逝きます。」
「あら…そんなこと当たり前じゃない。ガクさんの方が随分と年上なんですから。」
「トーコさんとエッチが出来なくなったら嫌だから。」
冬がぎょっとすると、小鳥遊は冗談ですよと笑った。
…いや…今のは、まんざら嘘ではなさそうだ。生涯現役を目指されても私が困る。
面白く無いアメリカンジョークよりも、変態エロ・ジョークの方がある意味とても恐ろしいと冬は思った。
「そういえば…初恋は実らないものだととあなたは以前 僕に言いましたよね?」
小鳥遊はあの雨の花見の日のことを思い出していた。
「そうでしたっけ?」
…冬は忘れてしまったようだ。
恋が甘く切なく,そして苦しいもので、どんなに足掻いても、綿密なプランを立てても思い通りにはいかない…人生で初めての“恋”をしていると小鳥遊が気が付いた日だった。
「ええ。そうでしたよ。あなたの我儘に必死に耐えた4年間でした。…お願いですから、これからは余り僕を振り回さないで下さい。」
ふわふわと小鳥遊の腕の中で揺れながら、冬は少しムッとした。
「あら…我儘なのはお互いさまでしょう?それにこれから先もずっと一緒なのに、たった4年間で愚痴をこぼすなんて、先が思いやられるわ。」
冬はチクチクと刺のある言い方をして小鳥遊を見上げた。
「確かに…。」
小鳥遊は、冬を抱え前を向いたまま何かを思い出したのか笑みを浮かべていた。
「トーコさん…。」
そして小鳥遊はゆっくりと立ち止まって、冬の顔を優しい目で見つめた。
「僕の生涯を掛けてあなたを守ります。これからもずっと傍に居て下さいね。」
冬の胸に甘酸っぱい気持ちがいっぱいに広がった。
「…はい。」
まるでそれは何度目かも分からないプロポーズのようだった。冬の耳が赤くそしてしおらしくなったのを小鳥遊はちらりと見て笑った。
「僕は、あなたにずっと恋をしています。過去もそしてこれから先も…。」
明るくふたりを照らす外套の下で冬をそっと下すと、お互いに暫く静かに見つめ合い微笑んでいた。二人の真っ白な息が、夜の冷たい空気にさらされて、何度も消えていった。ちらほらと降り始めた雪の中で、ふたりは“夫婦”になってから初めての熱く長いくちづけを交わした。
(おわり)
小鳥遊医局長の結婚生活へつづく
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