小鳥遊医局長の恋

月胜 冬

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ダンス

シモーネと冬

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ダンスが終わりホールの端へと二人で戻った。ふと見るとシモーネがこちらに向かって歩いてきていた。

「…あシモーネが来ましたよ。」

小鳥遊が囁くと、冬は直ぐに小鳥遊とくっつきベタベタとした。

その様子を見てもシモーネは、ニコニコとしながら冬の前まで歩いてきた。

「ガク…ちょっとトーコと踊りたいんだ?いいかい?」

…200cmぐらいあるんじゃ無いか?

身長が187cmある小鳥遊でもシモーネは見上げる程だった。

「トーコさんが良ければ…。」

小鳥遊はちらりと冬を見た。

「ええ…良いけれど…。今日は何を踊るの?」

「paso dobleかJiue。」

…また際どいところ行きますね。

小鳥遊はいつも踊らされると言っていたのはこの事だったのかと思った。

「シモーネ…私一応病み上がりなんだけど?」

冬は苦笑した。すると小鳥遊をチラリとみた。

「最後の夜に踊ったジャイブがいい。」

シモーネは笑った。

…またそんな意味深発言をすると後で私が困るんですが。

「ちょっとエントランスで練習してこよう♪」

そう言うと冬の肩を抱き連れて行ってしまった。

「先生。また後で踊ってねー。」

冬はシモーネにも分かる様に英語で小鳥遊に言った。

…予備歩から一緒に合わせないと駄目だ…冬はシモーネと話しながら去って行った。

春がやって来た。

「とうとうシモーネに連れて行かれちゃったのね。」

「ええ…ジャイブを踊るそうです。」

「相手がシモーネなら大丈夫ね。あの二人、昔ペアを組んでたのよ。冬の部屋に飾ってある写真…あれシモーネと冬なの。昔は可愛かったのよ~♩バンドに伝えてくるわ~。」

春は楽しそうだった。

「準備出来たら行ってね。」

春が冬に声を掛けた。小鳥遊の側に戻って来た。

「シモーネはgood looking でダンスも上手だし女の子からモテるのよ…グラマラスなモデルさんとか一杯周りにはいるでしょうに…トーコを昔から追い掛け回してたのよね。」

…そんなに昔から知り合いだったのか。

小鳥遊は病院以外での友人の話を冬から聞いた事が無かった。

「あーもう大丈夫。いま行くから。あと5分頂戴。」

ドアの向こうからひょっこりと顔を出して冬が言った。二人がホールに入るとすぐに曲が始まり、踊っていた来賓は、すぐにフロアの端へと捌けた。

…5678

小鳥遊は冬が踊るのを初めて見た。

「あら…フリック間違えて。」

春は笑った。

「昔はね…本当に息の合ったパートナーだったのよ。」

あの二人は付き合っていたんですかね?

「うーん…シモーネはトーコが好きだったけど、トーコは違ったんじゃないかしら?」

冬が綺麗な引き締まった足を跳ね上げるしぐさをする度に、小鳥遊はドキドキしてしまった。

小鳥遊は競技ダンスのことは全く分からなかったが、二人の息があっていることだけはわかった。シモーネも冬も楽しそうに笑いながら踊っていた。

堂々としてて、とても見栄えのするカップルだった。

曲が終わると、大きな拍手が起こった、冬は肩で息をしていた。

「ちょっと間違えてたわね。」

春は笑って言った。

「うん…もう寄る年波には勝てない。」

冬は笑った。

「シモーネありがとう。」

冬がそういうとシモーネは、
また無駄に長いハグを交わした。

「僕のgattina…トーコ。ガクに飽きたらいつでも帰っておいで♪待ってるから。」

小鳥遊はそれを聞いて苦笑した。

「そんなことは自分の一番大切な子に言うことでしょう?」

…しかも飽きたらって…失礼よ。

「la miaトーコ。君だけにだよ。」

…ちょっとお母さん助けてよ!!

冬が春に目で訴えた。

「さぁシモーネ何か飲みましょう。」

そう言って春は再びシモーネを連れ出した。

「僕は悲しいよ…どうしてトーコは僕につれないんだ?ガクより僕の方がどうみたって魅力的で、ワイルドで男性的じゃないか…僕に見向きもしない女の子なんてトーコが初めてだよ。彼女の事を考えると夜も眠れないんだ。」

春にどうにかしてほしいとシモーネは泣きついていた。

「ナルシストもあそこまでいくと嫌味だわ。」

冬はため息をついて、小鳥遊に腕を絡ませた。

「でも…清々しい気はします。」

小鳥遊は眉をひそめる冬を見て微笑んだ。

まだパーティーの客は残って居たが、冬と小鳥遊は春に断って、早めに部屋に帰ることにした。今泉は女性の相手をしている為残っていた。


「あー疲れた。先生…一緒にお風呂入りましょう♪」

冬が当たり前の様にネクタイを緩めた。
その仕草が小鳥遊はとても好きだった。

「あなたの方が疲れたでしょう?」

冬のネックレスを小鳥遊はそっと外し、後ろから抱き寄せた。

「それでも今日は先生が居てくれたから、楽しかった。どうもありがとう。」

綺麗なうなじに唇を這わせた。プールサイドで愛し合った時の美しい冬の姿を何度も反芻していた。

「もうすぐ夏休みも終わっちゃう…あっと言う間だったなぁ。」

「そうですね。」

「ちょっと切ない…かも。なんか働くの嫌になっちゃいますね。」

そう言うと小鳥遊に冬は抱きついた。

「じゃあ…お嫁に来ますか?少し寂しい思いはさせてしまうかも知れませんけれど、不自由はさせないと思いますよ。」

静かに小鳥遊は囁いた。こんな素敵な夜だからこそ言おうと決心した。

「先生…そんな冗談ばっかり言っ…。」

「トーコさん…僕は冗談で言っているのではありません。」

冬はゆっくりと顔をあげた。

「冬さん…僕と結婚して下さい。」

冬は困惑した表情を浮かべた。

「今は…出来ません。」

苦しそうに冬は言った。

「何故ですか?何故僕は待たなければいけないのでしょう?理由を教えて下さい。」

冬の眼がみるみる曇るのが判った。

「それは…」

「それは?」

「僕はあなたを心から愛しています。それなのに…どうしてあなたはそう頑なに拒むのでしょう?」

冬は小鳥遊から離れベッドに腰掛けた。

「…拒んでなんていない。」

苦しそうに冬は呟いた。

「僕はあなたと一緒に居たいんです。今もこれから先もずっと。」

冬はじっとカーペットを見つめていた。

「ガクさん…私ずっと傍にいるじゃないですか。それだけじゃ駄目なんでしょうか?〝大人の関係“以上のものをと貴方が望んだから…だから母にも父にも紹介した。あなたの事が好きだから…それでも足りないのでしょうか?」

冬は小鳥遊の眼をじっと見つめた。

「愛する人が出来たら、一緒に過ごしたい結婚したいと思うのは、普通じゃないですか?僕は人生で初めて誰かを本当に好きになりました。それを教えてくれたのはあなたです。」

「…。」

小鳥遊は冬の隣に座って冬の手を握った。

「あなたは僕を好きだと言ってくれた。」

「…でも。」

冬はゆっくりと口を開いた。

「でも…好きだけじゃ…どうにもならないことがあるのは、ガクさんあなたが一番良くご存じなのではないですか?」

小鳥遊は黙ってしまった。苦い結婚生活を良く知っているからだ。冬の言う通り好きだけでは、一緒に居たいと思うだけではどうにもならないことも沢山あった。

「…でも。僕はあなたとなら、何があっても一緒に乗り越えていけるような気がします。今もこれから先も…。」

「結婚しても…あなたの生活は変わらない…だから、そんなことが言えるのよ。」

…寂しい思い。

冬はただ小鳥遊の帰りを待つだけの生活が想像出来なかった。

「食事を作って帰りが遅いあなたを待って、部屋でひとりで過ごす…とすれば、結婚してもしなくても、今と何も変わらないじゃない。なのに…なのに何故あなたが結婚に拘るのかが判りません。」

…僕は…独り占めしたいんだ。あなたを。

「僕はあなたが、どこかに行ってしまうのでは無いかと不安なんです。何か…保証が欲しい。あなたと繋がっている保証…。」

…自分勝手なのは分ってる。ただ僕はあなたが傍にいてくれているという確証が欲しい。

「僕はあなたが苦しんで居る時には一緒に苦しみたいし、助け合いたい。あなたが何を考えているのかもっと知りたいんです。1年以上あなたの傍に居て、その気持ちは強まるばかりなんです。」

「…。」

「最初はあなたに大人の関係を求めました。あなたと一緒に働いてきて、気になるようになりました。あなたの身体が欲しかった…最初の理由はそうでした。けれど…あなたと付き合ううちに、どんどん惹かれてしまい自分でもどうしようも無いくらいに愛してしまいました。」

冬の眼に怒りが湧いた気がした。

「…保証?保証って何?いくらそんなことしたって…駄目なのよ…抗えない事があるの。どんなに頑張ってみても…。私は今あなたが好きだから傍に居る、一緒に過ごしている…それだけじゃ不十分ですか?」

「トーコさん。」

「私だって…もっと傍に居て欲しい…我儘だって言いたい…けど…それをしないのは、あなたの仕事が大変なことを知っているから。普通に外でデートをしたい…けれど…それをしてしまったら困る事が分かるから。私だって…本当は聞き分けの良い女じゃ無い。」

小鳥遊はしまったと思ったが、遅かった。

「…ごめんなさい。私達の関係が結婚以外は、生産性の無い無駄な関係だとあなたが思っているのなら仕方がありません。あなたが好きです…あなたが考えている以上に…でも今の私にはこれ以上のことは何も出来ませんし、無理なんです。」

「本当にごめんなさい。」

冬は振り返りもせずに、ドレスの衣擦れの音をさせながら、部屋を後にした。

…今度こそ…終わりだ。

小鳥遊は大きなため息をついた。

冬はドレスのまま 暗い浜辺に独り佇んでいた。海風はまだ昼間の熱気を含んでいたが、風が強く思っていたよりも蒸し暑くもなかった。温かい砂の上に腰を下ろした。

…結婚。

自分でも何故逃げてしまったのか判らなかった。誰かをずっと待つだけの生活なんて考えられなかった。

…やっぱり…私には結婚は無理だ。好きだけれど…駄目だ。

判って居た事なのに、とても苦しかった。

…どうしたんだろう…私。何かおかしい。

「あら…トーコ?どうしたの?」

春が健太郎が仲良くこちらに歩いて来た。


「どうしたの?」

「…何でもない。」

「小鳥遊さんと喧嘩でもしたのか?」

「…ううん…何でもない。」

「あぁ…トーコ。どうしちゃったの。」

春は冬の隣に座り抱きしめた。

「大丈夫だから。何でもないの。」

「健太郎さん…私は冬と一緒に暫くここにいますから、先に家に戻ってて下さいな。」

健太郎が頷き家へと戻って行った。春はそれ以上は何も言わず冬の傍にただ座っているだけだった。

寄せては返す波の音だけを二人で30分程聞いていた。

「お母さん…ゴメンね。もう大丈夫だから。」

「さぁ。もう家に帰りましょう。一緒にお風呂に入って今日は寝ましょう。あなたも疲れたでしょう?」

「うん。」

そう言ってゆっくりと立ち上がった。春は何も言わずに付き添った。


家に帰り二人で静かに風呂に入った。室内にたちこめる湯気は、先が見えない自分の人生の様に思えた。ドアを開けると綺麗に逃げていく。

大変な苦難な選択をした時には、こんな風にその先が見えるのだろうか。

「幸福は目の前にあるけど、それでもその先に自分の欲しいものがあったらどうすれば良いんだろう?」

冬は遠くを見る様な目をしていた。

…私はどうすれば良いんだろう?

春は暫く考えてから言った。

「それであなたは諦めがつくなら良いと思う。一度でも“諦め”てしまえば、後悔は一生続くわ。挑戦して失敗することと、挑戦をしないで諦めることは違うから。悔いの無い様にあなたには生きて欲しいと思う。全く悔いの無い人生なんて無いとは思うけど。やった事を後悔するよりも、やらなかった事を後悔する方が後々辛いものよ?」

冬は何も言わなかった。

「あなたも判るでしょうけれど、責任が増すにつれてしがらみは増えるものなのよ。女性の場合は特に家庭と仕事、育児…同時進行が難しいことがこれからどんどん増えるわ。あなたはまだ若いんだし、自分の思うように生きればいい。あなたのしたいことが見えてるのなら、諦める必要は無いんじゃない?自分を信じて進めば良いと思う。」

冬はじっと春の話を聞いていた。

「本当に辛くなったら…死んだ方がましだと思うぐらいしんどくなったら…私も健太郎さんもここにいることを忘れないで頂戴。」

「うん…大丈夫。お母さんありがとう。もう大丈夫だから。」

そういうと冬は笑った。

「お母さん明日と明後日、
車を借りても良い?夕方には戻るから。」

「ええ…良いわよ。」

「じゃあ後で鍵貰いに行くから。」

そう言って冬は風呂から上がった。冬には何か区切りの様なものが付いた気がした。

…私は、いつもひとりでも生きて行けるように、自分の足で立っていたい。

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春が起きると冬の姿はもう無かった。朝ご飯の支度をしていると、今泉が起きて来た。

「春さん…トウコさんが居ないんだけど。」

「昨日車使いたいからって言ってたのよね…。」

…そうですか。

暫くして健太郎が起きて来た。今泉に挨拶すると春の元へ行き、静かに何か話していたが、春にキスをすると、部屋へと戻っていった。

「春さん 冬さんどこへ行くか聞いてませんか?」

「あら…私はてっきりあなたには何か言って行ったのかと思ってたわ。」

春は笑った。今泉はそっと冬の部屋を覗いた。持ってきた荷物はそのまま残って居た。

(トウコさん今どこですか?)

今泉はメッセージを送ったが戻ってこなかった。小鳥遊が起きて来た。冬と会うのは気が重かった。

「あ…先生。トウコさんどこかに出かけちゃったみたいです。さっきメッセージ送ったんですが、まだ返事が帰って来ないんです。」

かずがチラリと小鳥遊を見た。とうとう春が二人に話しかけた。

「あなた達昨日何かあったの?」

今泉と小鳥遊の顔を交互に見つめた。

「何かってなんですか?」

今泉が聞いた。

「珍しく冬が私に隠すこともせずに、何か考え込んでいたから。」

春はふたりの様子を見ていた。

「昨日女性と一緒に居たから?かなぁ。でもそれは大丈夫だとおもったんだけどなぁ。」

今泉が独り言のように言った。

「…昨日の夜、冬さんにプロポーズしたんです。」

小鳥遊は重い口を開いた。

「それだっ!」

春も今泉も同時に声をあげた。

「でも…ごめんなさいって言って彼女部屋を出て行ってしまったんです。」

春は、ちょっと困った顔をした。

「昨日聞かれたのよ冬に…あなたとの事は聞いてないけど、自分を信じて進めば良いってあの子に言っちゃったわよ。マズい事したわね。」

3人とも暫く沈黙したままだった。

夕方になり冬が戻ってきた。

「トーコさん心配しましたよ。どこへ行ってたんですか?」

「あ…ちょっとお土産買いに行ってたの。病棟のみんなに配ろうと思って。その後、ブラブラしてたらあっという間に時間が経っちゃって。」

冬はやけに明るかった。

夕食後は各自で過ごしていた。

冬はジムで汗を流した後、ワインセーラーからワインとグラス、生ハムを冷蔵庫から持ちだし、屋外のプールサイドで足をプールに付けながら、チビチビと飲んでいた。

昨日の事をずっと考えていた。あと数年待って…と言いつつ自分も都合の良いように、生活しているだけじゃないか、特に小鳥遊は、自分よりも年齢が上だし、待たせること自体無理があるような気がした。付き合うのと結婚をするのでは、全く違う。

…自分勝手なのは私の方だ。

冬は大きなため息をついた。足先のプールの水は、部屋から洩れる明かりで水面がキラキラと光り青さを増した。

「やあ…トウコさんこんなところに居たんですね。」

今泉が部屋から出て来た。僕も一緒にお付き合いして良いですか?とグラスを持って来て笑った。どうぞ冬は言うと、隣に座った。

「静さん…昨日ね…小鳥遊先生に結婚して下さいって言われたの。」

「ええ…聞きました。」

「今まで冗談でしか言われたことが無くって…とっても嬉しかった…だけど…。」

冬は沈黙した。

「だけど?」

「だけど…無理なの。自分が良く分からなくなっちゃった。」

冬は水面を見ながら言った。

「私には家で誰かを待つだけの生活なんて出来ない。」

「小鳥遊先生に結婚後は仕事を辞めろとでも言われたの?」

「いいえ…はっきりとは…でも僕だけを見て待ってて欲しいって以前に言われました。」

「そっか…。」

「私は普通の結婚生活なんて出来ないし、それでいて何年も待ってなんて、自分でも残酷だと思った。昨日言われて気が付いたの、先生は“今”結婚したいんだって。」

今泉は黙って聞いていた。

「私…ごめんなさいって言って逃げちゃった。」

「そっか。」

「なのに…悲しいのはなんでなんだろう…。変なの。」

涙が水面に落ちた。

「トウコさん…。」

「思わせぶりなことしていけないから…もう終わりにしようと思うのに…とっても苦しいの。好きだから自由に先生をしなくっちゃって思ったの。」

「ねぇ…静さん。私…。」

「…わかった…いいよ…もう言わなくて。わかったから。」

今泉はそっと冬の肩を抱いた。

「静さんにも…本当にごめんなさい。」

「…でも…僕が…トウコさんを待つのは勝手だよね?」

「でも…。」

「僕は自分が待てるだけ待つ。“今”の僕はそれでもあなたを待っていたい。だからあなたは自分を責めることは無いし、今、白黒つける必要も無い。」

…静さん。

「さぁ…酔ってしまう前に一緒にお風呂に入りましょう。」

今泉は立ち上がり、冬に手を差し伸べた。

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翌日も 冬は朝からどこかに出かけて行き、夕方まで帰って来ることは無かった。

夕食後、皆がリビングで寛いていた。

「ねえお母さんちょっとお願いしたいことがあるんだけど後で部屋に行っても良い?」

「…わかったわ。」

春は片付けをしながら答えた。

…冬は ひとりどこかへ行ってしまった。

小鳥遊は深いため息をついた。

「僕は…完全に間違ったことをしてしまいました。」

春は食後のコーヒーを小鳥遊の前に置いた。

「そうかも知れないわね…。」

「僕は…どうすれば良かったんでしょうか?」

「トーコもあなたが、愛しているということは十分すぎる程分っていると思うの。ただ…」

春は言葉を選んで話しているのが小鳥遊にはよく分かった。

「それが束縛に思えてしまったのかも知れませんね。」

今泉が、春の言葉を続けた。

…この3人の中で冬を理解していないのは自分だけなのか。

「トウコさんは、僕たちが思っている以上に悩んでいたんだと思いますよ。ただそれを見せないから分からなかっただけで。一番苦しんでいるのはトウコさん自身でしょうね。」

今泉はコーヒーを飲みながら言った。

「昨日…プールサイドで独りで飲めもしないワインを飲んでました。“自分で自分のことが判らない”って泣いてました。」

…え?。

「多分本人は泣いていたことに気が付いていなかったと思います。」

春は心配そうな顔をしていた。

「あのパーティーの夜…あの子…独りで海辺で…ドレスのまま座っていたの。私も健太郎さんもびっくりしてしまって…。」



春が遅くまで2人と話し込んでいるのを見て、冬は健太郎の書斎にやってきた。

「お父さん…お願いがあるの。」

「お願いなんて珍しいね。」

そう言って健太郎は微笑んだ。何も言わなかったが、春と同様に冬のことをとても心配していた。ただ、そのことについて聞いたとしても、絶対に理由を言うことは無いということを健太郎は知っていたので、冬に何も聞かなかった。

「これにサインが欲しいの…。」

冬は何枚か紙を渡した。

「保証人?」

健太郎は冬をじっと見つめた。

「うん。お父さんの言う通りだった…いい加減なことしたらいけないって…分ったの。」

何も言わず、万年筆を引き出しからだした。

「そうか…。これからお前はどうするんだい?」

冬は健太郎がサインする紙を眺めながら答えた。

「うーん。自分の信じたことをする…かな。」

サインをしたものを受け取り確認して居た。

「そうか…。」

「…うん。恋愛とか…向いてないことが良く分かった。」

冬は悲しそうに笑った。

「お父さん…ありがとう。」

冬は部屋を出て行った。その後ろ姿を見つめ、健太郎は何かを考えていた。

3人の夏休みもあと2日を残すだけになった。健太郎がクルージングに誘った。

少し沖へ出て、釣りをしたり泳いだり、ジェットスキーを楽しんだり、春が作った料理を船の上で食べたりゆったりと過ごした。

夕方になり日が沈むのを眺め、冬がどこからか買って来た花火を船の上でした。皆が止めるのも聞かず、打ち上げ花火に火をつけたが、船が揺れて倒れてしまい、大騒ぎになった。

「トーコさん!!あなたって人は…プライベートだと一気に子供っぽくなってしまって困りますね。」

冬は、慌てる皆を見て、笑い転げていた。
小鳥遊は本気でトーコの事を怒った。

「先生だってオンオフ激しい変態エロでしょう?私よりも、たち悪いと思いますよ。」

冬が負けじと言い返す見て今泉は 確かに…と言ってお腹を抱えて笑っていた。今泉の様子を見て小鳥遊は、ムッとした。

「変なところが似てるってお互い気がついて無い事が面白いよ。」

今泉は、春に囁くと、春もホントねと笑った。

「もう暗くなったしおよしなさい。」

春の言うことを聞かず、冬は真っ暗な海に飛び込んで船の周りを泳いだり、プカプカと漂ったりしていた。

疲れると船のすぐ近くに出した、大きなフローティングの上に乗って休んだ。独りで泳がせるのも心配なので小鳥遊が一緒に海に入った。

「トーコさん…暗い海…怖くないんですか?」

小鳥遊はフローティングの上から冬を眺めていた。昼間よりも水は温かく気持ちが良かった。ただ、立ったまま泳ぐと、足先には冷たい海水が触れた。

「昼でも夜でも海は怖いけど…こうやって浮いているのが好きなの。」

冬は笑って海からあがり、小鳥遊の隣に寝そべった。今泉と春、健太郎は船の上で何か楽しそうに話をしていた。少し冷えた冬の体に触れた。

「寒くないんですか?」

「…うん大丈夫。」

冬は小鳥遊にそっとキスをし、見つめた。そしてもう一度今度は激しく唇を貪った。

「しょっぱいキスですね。」

小鳥遊は笑った。フローティングの上に寝そべると、星がとても綺麗だった。船に波が当たり、時々チャプンと音を立てた。

「トーコ!そろそろ帰りましょう。」

春が船の上から叫んだ。

「はーい。」

二人とも体を起こした。健太郎が船から二人が乗ったフローティングを引き寄せた。

「今夜…先生の所に行っても良い?」

冬が健太郎に聞こえない様に小さな声で囁いた。小鳥遊は何も言わず微笑み頷いた。

皆がそれぞれ部屋に戻った。冬は風呂に入り、ミネラルウォーターを持って小鳥遊の部屋を訪れた。

「ワインじゃ無いんですね。」

それを見て小鳥遊は笑った。ラップトップは片付けられていた。

「論文は済んだんですか?」

「ええ…休みの間に終わりました。見ますか?」


小鳥遊が椅子に座り、論文を冬に見せた。AVMの症例研究で英文と日本語で書かれたものだった。

研究者には小峠や他の医者の名前も小鳥遊の後に掛かれていた。

「あれ…あの時の患者さんじゃないんですね。」

冬は当たり前のように小鳥遊の膝の上に座った。

「ええ…ちょっと前のになりますね。」

そして小鳥遊もいつものように冬の腰に腕を回した。

「医療英語は難しいですね…ガクさん凄い。」

「凄いでしょう…って思いっきり辞書ひきましたけれど。」

小鳥遊は笑った。

「引用参考文献のチェックぐらいならお手伝い出来るかも。」

「面倒です…あれが一番。」

「日本語も英語に準じているんですよね?じゃあ英語の方をチェックしましょうか?最新のが毎年出てると思うんですが、エディションはどれ使ってます?」

「去年のかなぁ。」

「え?もう今年の出てるはずですよ。殆ど変わらないと思いますけど。キンドル版でも良いのでゲットしておくと良いかも。」

ちょっと待ってて…自分の部屋からキンドルを持ってきて最新版を開いた。

「ああ。トーコさん持ってたんだ。借りれば良かった。」

自分のだったらさっさと変えちゃうけど、一応確認しないと…と言いつつ、文献ひとつずつを冬は確認した。

「あ…ここコロンが抜けてる。」「カンマが無い。」「これページ数ほんとに分らなかったですか?脳外の文献サイトにちょっとログインして見て下さい。探しますから…。」

30分もしないうちに、引用参考文献の修正が済んだ。

「トーコさん凄いですね。最初から見て貰えば良かった。」

「後で自分で確認して下さいね。」

冬は笑った。

「また今度お願いします。」

「えー面倒だから嫌です…。」

そう言いつつも冬は頼めばやってくれるだろう。

「気が向いたらお願いします。」

「バイト料は美味しいご飯で手を打ちましょう。」

そう言って冬は笑った。

小鳥遊は冬を抱き上げベッドへと連れて行った。

「どんなご飯が良いですかね。」

「まずは予約が6ヶ月待ちの寿司屋…が良いなぁ。有名なソムリエがいるレストランとか…ひとりじゃ行きにくいところが良いな。」

小鳥遊は笑った。冬をそっと寝かせ、シャツの裾から大きな手を這わせた。お互いの服を脱がせ合った。冬は黒いブラとセットのショーツ姿になった。

…あ…黒…ちょっとエッチで良いかも。

「そう言えば…先生は、どうして私を大人の関係の相手に選んだんでしょう?」

冬は小鳥遊の手が背中に回りやすいように少し体をそらせた。

「トーコさんは…エッチな体をしてたから。」

…正直過ぎるのもいかがなものか。

冬は苦笑した。

「だって本当の事だもの。だから小峠先生から聞いた時に、これはチャンスだと思いました。僕はずっと以前からあなたの事が気になっていましたが、当時結婚していましたし、真面目で優しくて綺麗なあなたに純情片思いをしてました。あの時は離婚後に来た最大のチャンスだと思いました。」

…エッチとか言ってる時点で純情じゃないですから。

「“大人の関係”と先生に言われた時には、嬉しかったけど、ちょっとがっかりもしたの。」

大きな手がブラのホックを外した。

「がっかり?どうして?」

肩ひもをひとつずつ外すと、冬の形の良い真っ白い綺麗な乳房が現れた。

「うーん。ガクさんも他の先生と同じなんだなぁと思って。」

…あ…ちょっと寒いかも。

冬が言うと小鳥遊はブランケットを掛けた。そして自分はその端に潜り込んだ。

「では…僕はどのようにしてあなたを誘えば良かったんでしょう?」

ブランケットの中で冬を自分に抱き寄せた。

…ガクさんの胸は温かくて気持ちが良い。

「一緒に食事に行きませんか?とか、デートしましょうとか。付き合わない?とかだと、もうそのまんまな感じだから。」

冬は笑った。小鳥遊は冬のうなじに唇をそっとつけた。

「勉強になりました。」

…ちょっとくすぐったい。

冬は首をすくめて笑った。

「では次回、女性を誘う時には実践してみて下さい。」

「もう…次回は無いと思います。」

小鳥遊は冬を仰向けにし、その唇に優しくキスをした。

「でも私じゃ無くても…もっと若くて綺麗な子が居たでしょうに…。」

冬は小鳥遊の広い胸に唇をゆっくりと這わせ、小さな乳首を優しく舌で愛撫した。

「トーコさんは自分を知らなさすぎるんです。あなたは可愛くて魅惑的ですよ。」

…なんか恥ずかしい。

「僕があなたのことをどうしようも無く愛していることに気が付いたのは、アメリカでのあの事件でした。今でも時々動画を見ちゃいます。子供に対する優しさと、野次馬に怒鳴ったあなたの姿…にどうしようもなくムラムラしちゃう♪」

…やっぱり…ベクトルの長さは違えど、方向はエロなんだな。

「…というのは冗談で…あなたと一緒に時間が過ごせて本当に嬉しくて、いつもドキドキさせられました。仕事とプライベートのあなたのギャップが違うのも魅力的でした。」

「先生こそ…エロのギャップが激しすぎて私はびっくりでした。」

「きっとそれは二人ともなんだと思いますよ。今泉先生にも言われたじゃないですか。」

小鳥遊は笑った。

「あぁ あの時? あの時は先生に向かってお馬鹿認定したのかと思ってました。まあ私に言わせれば遅いぐらいでしたが…ね。」

冬は無駄な肉が付いていない小鳥遊の腹部をゆっくりと降りていき、ズボンに手を掛け下げた。それは既にテカテカと大きく膨張していた。冬の口では全てが収まりきらないそれを優しく握り、先を舌でそっと舐めた。
小鳥遊の下腹部に力が入るのが分った。

「トーコさん…今夜は…どうしましょう?」

冬の髪の毛に優しく触れながら聞いた。

「ガクさんがよければ…ゆっくり…時間を掛けて、話をしながら…したい。」

冬は潜っていたブランケットから顔をそっと出した。

「そうですか…ポリネシアン的なってことですね。」

冬は小鳥遊の首に腕を回して、抱きつき囁いた。

「それとも…いつもみたいに激しいのが良いですか?」

温かい冬の息が心地が良かった。

「いいえ…激しいのはいつでも出来ますから、今夜はゆっくり話しながらしてみましょう。」

小鳥遊はそう言って冬の背中を優しく撫でた。

+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:
色々あった休暇が終わり、春がマンションまで送ってくれた。

「お母さんとちょっと出かけて来るから。」

二人をマンション前に下ろした後、どこかへ消えていった。小鳥遊は夕食を一緒に食べようと今泉の部屋へ行き驚いた。冬の荷物が全て無くなっていた。

「一体どういうことですか?」

小鳥遊は動揺していた。

「そういうことなんでしょう。」

今泉は苦笑した。

「先生はこのことご存じだったんですか?」

小鳥遊は今まで冬が使っていた部屋を覗いた。部屋は綺麗に掃除はしてあったが、ガランとしていて何も無かった。

「いいえ…けれど、こうなるだろうと思っていました。」

小鳥遊は困惑して椅子に腰かけた。

「彼女は…けじめをつけたんじゃ無いでしょうか?」

…けじめ?

「彼女はあなたのことを愛しているからこそ…でしょう。」

…昨日だってあんなに愛し合っていたのに。

なぜ冬が離れたのか小鳥遊には全く理解が出来なかった。今泉が春から聞いたこと、冬がプロポーズを受けて悩んでいたことを聞いた。

「トウコさんが身を引けば、今すぐにでも結婚したいあなたは自由になって、他に良い人が見つかるかも知れない思ったのかも知れません。」

小鳥遊は何も言わずに冬が出て行ってしまったことがショックだった。

「あなたとの結婚を断った後、辛いと言って泣いていたのは今思えばそう言うことだったのかも知れません。」

「逃げてしまうことは何となくわかって居ました。けれど…僕は言わずにはいられませんでした。僕は彼女にとって重すぎた…んですね。」

今泉はそれには何も答え無かった。

「僕は遅かれ早かれ…こうなるような気がしていました。あなただけでなく、僕も彼女が居て当たり前になってしまっていたんです。多くを求めすぎていたのかも知れません。」

今泉もため息をついた。

「それでも…僕は彼女を待ちます。自分が待てる範囲で…どのくらいになるか判りませんが、彼女が帰って来てくれる保証はないけれど、今はそれを信じて僕は待ちたいと思います。」

今泉はきっぱりと言った。
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