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「やっぱり……来ると思ってました」
「君は……こんな所で何をしてるのかな?」
鉄竜に帰れといわれた愛は鉄竜の自宅アパートの一階である人物を待っていた。
そして、ちょうど彼はやってきた。むしろ、愛は必ずやってくるという確信があった。妖魔を狩る彼ならば、鉄竜の言う、とんでもない力というものを察知してやってくる事を。
待ち人は、獅子堂正義だ。正義は先ほどとまるで同じ服装を身に纏っているが、表情が先ほどみた鋭く、野獣のような荒々しい雰囲気は無く、事故現場で出会った時のような生気の感じられない力無い顔をしている。
愛はそれに疑問を覚えながらも、正義を真っ直ぐ見据えた。
「……少し、聞きたい事がありましたので」
「そうか……生憎だが、僕も君に聞きたい事があったんだ」
互いがけん制し合うように見つめ合う。先ほど出会ったとき、彼は鉄竜と賭けをしている。
あの時居た闇、つまり、先ほど現れた女性を鉄竜が殺せば、妖魔であっても、命を見逃し、愛の命も救われる。しかし、正義が殺したのなら、愛と鉄竜は妖魔を殺す魔術師たちの手によって殺される。
その賭けの真っ最中だ。けれど、それよりも愛ははっきりさせたい事があった。
愛は一歩前に足を踏み出し、口を開いた。
「獅子堂さんは、あの妖魔の正体をわかっていますよね?」
「当然だよ。正体も分からない妖魔じゃ対処の仕方も変わってくる。それは――君も同じだろう?」
正義の言葉に愛は小さく頷いた。愛の中で既にこの一連の事件の答えは出ている。
あの闇と出会い、正義と出会い、そして、家に襲撃してきて、全てははっきりした。この戦いの結末。そして、いかに鉄竜が救われない道を選ばされている事を。
愛は無意識の間に力の入っていた両肩を脱力させる為、一つ息を吐いた。
「ええ、そうです。私はもう全部分かってます。あの妖魔がどういう正体で、今、何が起こってるのか……」
「それで、話っていうのは、もしかして、賭けを取り下げろ。とかいうつもりかな?」
正義の言葉に愛はすぐさま首を横に振り、小さく笑った。
「そんな訳ありませんよ。私はテツくんを信じてますから。それに――どんな結果であっても、彼は絶対に結果を変えます。貴方の思い通りにはいきませんよ」
「……だろうね。彼からは強い意志を感じるよ」
と、ここで、正義がどこか遠い眼差しをした。まるで過去を思い返すように。
それから一つ正義は一つ息を吐いてから、胸ポケットに手を入れ、タバコを一本口に咥えた。
「それで、君の話したい事とは何かな? それから僕の質問に答えてもらうよ」
「じゃあ、聞かせてもらいます。聞きたいのは、あの妖魔の正体についてです」
「なるほど、答え合わせか。良いよ、聞こうかな?」
正義は近くにあった壁にもたれ掛かり、胸ポケットから一本のタバコを取り出し、咥える。
「あの妖魔の正体、さっきの闇の正体って――エリザベート・バートリー本人ですよね?」
「……フフッ、正解だよ。いや、といっても、まだ半分正解、かな?」
「分かってます。あれはエリザベート・バートリーであって、そうじゃない。そうですよね?」
「君はなかなか鋭い観察眼を持ってるね。では、アレはあの妖魔の真の正体は何かな?」
愛は一つ息を吐いた。この答えは愛にとって最も突き放していた答え。
一番無くてほしかった答え。一番、知りたくなかった答え。一番、たどり着いてほしくなかった答え。
けれど、この答えに辿りついたからこそ、この答えが分かったからこそ、出来る事もある。
それをドタバタの間に鉄竜に伝える事が出来なかったのが、今は非常に悔やまれる。けれど、伝えていたら、彼はどうなっていただろうか。そんな事、想像に難くない。
だからこそ、この推測を確信に変える。愛は真っ直ぐ正義を見つめたまま、口を開いた。
「あの妖魔の真の正体は、『悪魔憑き』。エリザベート・バートリーの悪霊が取り憑いた女の子です」
□
白かった視界が徐々に晴れていく。
瞬間、鉄竜は全身がひんやりと冷える感覚を覚えた。視界は横になり、己が倒れているのを感じる。
「……ん?」
鉄竜はゆっくりと立ち上がり、今までの事を思い出す。そう、あの女、妖艶な吸血鬼に吸血され、鉄竜は力を吸われ、血を吸われた。と、そこまで思い出し、鉄竜はすぐさま立ち上がる。
「って、アイツは!! ん? ここは、どこだ?」
すぐさま鉄竜の頭の上に疑問符が浮かぶ。この場所は見覚えが無かったというよりも、何処だかまるで分からない。辺りに広がるのは誰も入っていない牢獄。鉄製の格子状の檻が鉄竜の立っている通路を挟んで、無数に並んでいる。空間そのものが牢獄であるかのように。
そして、床へとゆっくりと視線を向けると、真っ赤に染まっていて、思わず鉄竜は足を上げた。
「うわっ! これって……血か?」
思わず鉄竜がシューズの裏を確認したが、裏には何も付いていない。ゆっくりと警戒しながら、足を真っ赤な床に乗せるとゆったりと水滴が落ちるかのように波紋が広がる。
どういう原理はまるで理解出来ないが、どうやら落ちる事は無いらしい。鉄竜はくまなく辺りを見渡す。
「マジで、ここは何処だ? 俺は確かにあの妖魔と戦ってた。けど、吸血されて、ここに居る? 意味分からんな。とりあえず……奥に向かってみるか?」
このまま立ち往生していてもしょうがない。鉄竜はゆっくりと一本だけある通路の先へと進んでいく。
先は光すら見えず、ただ横にある檻を封鎖する鉄格子しか見えない。嫌な閉塞感を感じつつも、足を進めていくが、進めど、進めど、景色が変わらない。
進んでも、進んでも、両側には鉄格子の檻があるだけで、果たして進んでいるのか、戻っているのか、わからない、おかしな感覚が鉄竜の中に沸き起こる。
「なんだよ、これ……どうなってんだ?」
言いようも無い不安感と嫌な焦燥感が胸の中に生まれつつも、足を止めずに、進めていく。
水溜りの中を踏みしめるような足音だけが鼓膜を震わせていく中、ポツリと突如、鼓膜を震わせる音が聞こえた……ような気がした。
「ん? なんだ? 何の声だ?」
鉄竜は思わず足を止め、耳を澄ませた。すると、その声は女性のモノだった。
『アーッハッハッハ!! 貴女、ほんっとうにサイコー!! いい声で鳴くわね!!』
「この声……あの妖魔か!? くっそ、何処に居やがる!!」
鉄竜が声を聞いた瞬間に臨戦態勢を取るが、その声は止み、音が消え、沈黙が流れる。
胸の中に疑念が沸き起こり、鉄竜は首を傾げた。
「何だ? 何で、あいつの声が……」
鉄竜はまたもゆっくりと足を進めていくと、またも、妖魔の声が耳に届いた。
『あ~あ、壊れちゃった。なぁ~んだ、ちょこぉ~っと、足切っただけなのに、あぁ~あ、つまんなぁ~い、死んじゃえ』
「……なんだ? これ……」
どんどんと足を進めれば、進めるほど、女性の声がどんどんと聞こえてくる。
『恐怖に震えちゃって、ホント、いい顔するわぁ~。貴女は大事にだぁ~いじにしてあげる』
『ねぇ、やりなさいって言ってるでしょ? なぁに? わたしの言う事、聞けないのぉ? なら、君が死ぬ?』
『……貴女ね、そう、やっぱり、貴女!! 貴女さえ居なければ、ワタシのユメはカナッテタノ!! アナタノセイ、アナタノセイ、アナタノセイ!! 呪ってやる、殺してやる!! キサマ、シンデラクになれると思うなよ!! ゼッタイニ、ゼッタイニ、ノロッテヤルカラナァァァアァァアアアアア!!』
足を進めれば進めるほど、聞いていられないほど狂気を孕んだ声へと変化していく。
鉄竜は思わず歯噛みした。これだけの狂気。ただの人間が感じるにはあまりにも重すぎる。それにこの声はどんどんと強くなっていく。
『みぃつけた? もぅ、逃げられないわよ? だって、アナタは私で、私はアナタ、なんだもの。そ・れ・に。言ったでしょ? 呪ってやるって、死んでラクにしないって……ウフフフフ、貴女は私のお人形』
『ねぇ、何をためらってるの? さっさとヤりなさいよ。貴女はとっくに私と同類なんだから。それとも、私の手伝いが必要? 分かったわ、最初からそう言いなさいよ、全く、お人形さんは私が言わなきゃ分からないんだから、殺すのは――こうやるの』
『……あ~あ、まさか逃げるなんて。けど、良いわ。所詮、私のお人形なんだし、壊れてもいらないし。そ・れ・に、もうすぐ見つけられそうなの。ワタシの王子様……ウフフフフフ』
――そうか。ようやく、理解した。
鉄竜は一つ息を吐いて、足を進めた。そういうことだったのか。これならば、妖魔が彼女であって、記憶喪失や四百年の謎、その全ての辻褄が合う。けれど、だからこそ、鉄竜は思う。
彼女は何一つ救われてなんて居なかったんだ、と。彼女は常に狂気の隣に居たんだ、と。
己が不甲斐無い。分かっていたつもりで、何一つとして分かっていなかった。
彼女はずっとずっとずっとずっと、四百年もの間苦しんでいたんだ。支配され続けていたんだ。
王と奴隷。その関係はずっとずっと続いていた。奴隷だった鉄竜からしてみれば、それは辛いに決まっている。苦しいに決まっている。
鉄竜は思わず走り出した。声は未だ聞こえる。ヒステリックに叫び続ける幾重もの声が聞こえる。
『なぁに? 今更抵抗? その女は今殺しとかないと後々厄介なのよ? 分かる?』
『そう。貴女の心はその二人が繋ぎとめてるの……なら、殺しとこっか? ねぇ、ほら、貴女の大事な人を殺しなさいよ。それに、そっちの血もおいしそうだし……ねぇ、はやく、早くヤりなさいよ』
けれど、足は止めない。きっときっと、この先に――彼女は居た。
通路の最奥。巨大な鉄格子の檻。その中に彼女は居た。
出会った時となんら変わらない艶のある黒髪。男の視線を釘付けにする豊満で柔らかそうな胸。くびれた腰つきと突き出たヒップ。けれど、彼女は顔は違っていた。
出会った時の凛としたものではなく、優しそうでふわふわとした愛らしさのある顔つき。
彼女は首、手首、足首に手錠が付けられ、手のひら、胸、足に槍が突き刺さっていて、磔になっている。
鉄竜は足を止め、彼女を見つめた。すると、彼女は来訪に気が付いたのか、少しだけ垂れていた顔を上げ、鉄竜と視線が交差し、目を丸くした。
「どうして……ここに?」
「……知らねぇよ。けど……俺からしたらラッキーだよ」
鉄竜の胸の中はこんな状況にも関わず、少しばかり心躍っていた。
不謹慎だといえるかもしれない。けれど、それ以上に彼女に出会えた事が何よりも嬉しかった。
鉄竜が小さく微笑むと、彼女は首を傾げる。
「何が、ラッキーなの?」
「ラッキーだろ? お前と出会えたんだからよ」
「何言って……」
彼女が言いかけた瞬間、鉄竜は鉄格子を強く握り、最大限彼女へと近づく。
しかし、彼女は壁に磔にされているのと、鉄格子のせいで、殆ど近づく事は出来ない。けれど、それでも鉄竜は彼女に向け、満面の笑顔を浮かべた。
「お前が本当の姫。そうなんだろ? だから、ようやくだ。俺がお前を助けられる。本当の意味でお前を助けられる。そのチャンスが来た、そういうことだからだ! つまり、俺はお前を助けに来た!」
出会えた事は嬉しい。けれど、それ以上に彼女と出会った事で鉄竜自身がどうするべきかが見えた。
そんな確かなモノが鉄竜の胸の中にはあった――。
「君は……こんな所で何をしてるのかな?」
鉄竜に帰れといわれた愛は鉄竜の自宅アパートの一階である人物を待っていた。
そして、ちょうど彼はやってきた。むしろ、愛は必ずやってくるという確信があった。妖魔を狩る彼ならば、鉄竜の言う、とんでもない力というものを察知してやってくる事を。
待ち人は、獅子堂正義だ。正義は先ほどとまるで同じ服装を身に纏っているが、表情が先ほどみた鋭く、野獣のような荒々しい雰囲気は無く、事故現場で出会った時のような生気の感じられない力無い顔をしている。
愛はそれに疑問を覚えながらも、正義を真っ直ぐ見据えた。
「……少し、聞きたい事がありましたので」
「そうか……生憎だが、僕も君に聞きたい事があったんだ」
互いがけん制し合うように見つめ合う。先ほど出会ったとき、彼は鉄竜と賭けをしている。
あの時居た闇、つまり、先ほど現れた女性を鉄竜が殺せば、妖魔であっても、命を見逃し、愛の命も救われる。しかし、正義が殺したのなら、愛と鉄竜は妖魔を殺す魔術師たちの手によって殺される。
その賭けの真っ最中だ。けれど、それよりも愛ははっきりさせたい事があった。
愛は一歩前に足を踏み出し、口を開いた。
「獅子堂さんは、あの妖魔の正体をわかっていますよね?」
「当然だよ。正体も分からない妖魔じゃ対処の仕方も変わってくる。それは――君も同じだろう?」
正義の言葉に愛は小さく頷いた。愛の中で既にこの一連の事件の答えは出ている。
あの闇と出会い、正義と出会い、そして、家に襲撃してきて、全てははっきりした。この戦いの結末。そして、いかに鉄竜が救われない道を選ばされている事を。
愛は無意識の間に力の入っていた両肩を脱力させる為、一つ息を吐いた。
「ええ、そうです。私はもう全部分かってます。あの妖魔がどういう正体で、今、何が起こってるのか……」
「それで、話っていうのは、もしかして、賭けを取り下げろ。とかいうつもりかな?」
正義の言葉に愛はすぐさま首を横に振り、小さく笑った。
「そんな訳ありませんよ。私はテツくんを信じてますから。それに――どんな結果であっても、彼は絶対に結果を変えます。貴方の思い通りにはいきませんよ」
「……だろうね。彼からは強い意志を感じるよ」
と、ここで、正義がどこか遠い眼差しをした。まるで過去を思い返すように。
それから一つ正義は一つ息を吐いてから、胸ポケットに手を入れ、タバコを一本口に咥えた。
「それで、君の話したい事とは何かな? それから僕の質問に答えてもらうよ」
「じゃあ、聞かせてもらいます。聞きたいのは、あの妖魔の正体についてです」
「なるほど、答え合わせか。良いよ、聞こうかな?」
正義は近くにあった壁にもたれ掛かり、胸ポケットから一本のタバコを取り出し、咥える。
「あの妖魔の正体、さっきの闇の正体って――エリザベート・バートリー本人ですよね?」
「……フフッ、正解だよ。いや、といっても、まだ半分正解、かな?」
「分かってます。あれはエリザベート・バートリーであって、そうじゃない。そうですよね?」
「君はなかなか鋭い観察眼を持ってるね。では、アレはあの妖魔の真の正体は何かな?」
愛は一つ息を吐いた。この答えは愛にとって最も突き放していた答え。
一番無くてほしかった答え。一番、知りたくなかった答え。一番、たどり着いてほしくなかった答え。
けれど、この答えに辿りついたからこそ、この答えが分かったからこそ、出来る事もある。
それをドタバタの間に鉄竜に伝える事が出来なかったのが、今は非常に悔やまれる。けれど、伝えていたら、彼はどうなっていただろうか。そんな事、想像に難くない。
だからこそ、この推測を確信に変える。愛は真っ直ぐ正義を見つめたまま、口を開いた。
「あの妖魔の真の正体は、『悪魔憑き』。エリザベート・バートリーの悪霊が取り憑いた女の子です」
□
白かった視界が徐々に晴れていく。
瞬間、鉄竜は全身がひんやりと冷える感覚を覚えた。視界は横になり、己が倒れているのを感じる。
「……ん?」
鉄竜はゆっくりと立ち上がり、今までの事を思い出す。そう、あの女、妖艶な吸血鬼に吸血され、鉄竜は力を吸われ、血を吸われた。と、そこまで思い出し、鉄竜はすぐさま立ち上がる。
「って、アイツは!! ん? ここは、どこだ?」
すぐさま鉄竜の頭の上に疑問符が浮かぶ。この場所は見覚えが無かったというよりも、何処だかまるで分からない。辺りに広がるのは誰も入っていない牢獄。鉄製の格子状の檻が鉄竜の立っている通路を挟んで、無数に並んでいる。空間そのものが牢獄であるかのように。
そして、床へとゆっくりと視線を向けると、真っ赤に染まっていて、思わず鉄竜は足を上げた。
「うわっ! これって……血か?」
思わず鉄竜がシューズの裏を確認したが、裏には何も付いていない。ゆっくりと警戒しながら、足を真っ赤な床に乗せるとゆったりと水滴が落ちるかのように波紋が広がる。
どういう原理はまるで理解出来ないが、どうやら落ちる事は無いらしい。鉄竜はくまなく辺りを見渡す。
「マジで、ここは何処だ? 俺は確かにあの妖魔と戦ってた。けど、吸血されて、ここに居る? 意味分からんな。とりあえず……奥に向かってみるか?」
このまま立ち往生していてもしょうがない。鉄竜はゆっくりと一本だけある通路の先へと進んでいく。
先は光すら見えず、ただ横にある檻を封鎖する鉄格子しか見えない。嫌な閉塞感を感じつつも、足を進めていくが、進めど、進めど、景色が変わらない。
進んでも、進んでも、両側には鉄格子の檻があるだけで、果たして進んでいるのか、戻っているのか、わからない、おかしな感覚が鉄竜の中に沸き起こる。
「なんだよ、これ……どうなってんだ?」
言いようも無い不安感と嫌な焦燥感が胸の中に生まれつつも、足を止めずに、進めていく。
水溜りの中を踏みしめるような足音だけが鼓膜を震わせていく中、ポツリと突如、鼓膜を震わせる音が聞こえた……ような気がした。
「ん? なんだ? 何の声だ?」
鉄竜は思わず足を止め、耳を澄ませた。すると、その声は女性のモノだった。
『アーッハッハッハ!! 貴女、ほんっとうにサイコー!! いい声で鳴くわね!!』
「この声……あの妖魔か!? くっそ、何処に居やがる!!」
鉄竜が声を聞いた瞬間に臨戦態勢を取るが、その声は止み、音が消え、沈黙が流れる。
胸の中に疑念が沸き起こり、鉄竜は首を傾げた。
「何だ? 何で、あいつの声が……」
鉄竜はまたもゆっくりと足を進めていくと、またも、妖魔の声が耳に届いた。
『あ~あ、壊れちゃった。なぁ~んだ、ちょこぉ~っと、足切っただけなのに、あぁ~あ、つまんなぁ~い、死んじゃえ』
「……なんだ? これ……」
どんどんと足を進めれば、進めるほど、女性の声がどんどんと聞こえてくる。
『恐怖に震えちゃって、ホント、いい顔するわぁ~。貴女は大事にだぁ~いじにしてあげる』
『ねぇ、やりなさいって言ってるでしょ? なぁに? わたしの言う事、聞けないのぉ? なら、君が死ぬ?』
『……貴女ね、そう、やっぱり、貴女!! 貴女さえ居なければ、ワタシのユメはカナッテタノ!! アナタノセイ、アナタノセイ、アナタノセイ!! 呪ってやる、殺してやる!! キサマ、シンデラクになれると思うなよ!! ゼッタイニ、ゼッタイニ、ノロッテヤルカラナァァァアァァアアアアア!!』
足を進めれば進めるほど、聞いていられないほど狂気を孕んだ声へと変化していく。
鉄竜は思わず歯噛みした。これだけの狂気。ただの人間が感じるにはあまりにも重すぎる。それにこの声はどんどんと強くなっていく。
『みぃつけた? もぅ、逃げられないわよ? だって、アナタは私で、私はアナタ、なんだもの。そ・れ・に。言ったでしょ? 呪ってやるって、死んでラクにしないって……ウフフフフ、貴女は私のお人形』
『ねぇ、何をためらってるの? さっさとヤりなさいよ。貴女はとっくに私と同類なんだから。それとも、私の手伝いが必要? 分かったわ、最初からそう言いなさいよ、全く、お人形さんは私が言わなきゃ分からないんだから、殺すのは――こうやるの』
『……あ~あ、まさか逃げるなんて。けど、良いわ。所詮、私のお人形なんだし、壊れてもいらないし。そ・れ・に、もうすぐ見つけられそうなの。ワタシの王子様……ウフフフフフ』
――そうか。ようやく、理解した。
鉄竜は一つ息を吐いて、足を進めた。そういうことだったのか。これならば、妖魔が彼女であって、記憶喪失や四百年の謎、その全ての辻褄が合う。けれど、だからこそ、鉄竜は思う。
彼女は何一つ救われてなんて居なかったんだ、と。彼女は常に狂気の隣に居たんだ、と。
己が不甲斐無い。分かっていたつもりで、何一つとして分かっていなかった。
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出会った時の凛としたものではなく、優しそうでふわふわとした愛らしさのある顔つき。
彼女は首、手首、足首に手錠が付けられ、手のひら、胸、足に槍が突き刺さっていて、磔になっている。
鉄竜は足を止め、彼女を見つめた。すると、彼女は来訪に気が付いたのか、少しだけ垂れていた顔を上げ、鉄竜と視線が交差し、目を丸くした。
「どうして……ここに?」
「……知らねぇよ。けど……俺からしたらラッキーだよ」
鉄竜の胸の中はこんな状況にも関わず、少しばかり心躍っていた。
不謹慎だといえるかもしれない。けれど、それ以上に彼女に出会えた事が何よりも嬉しかった。
鉄竜が小さく微笑むと、彼女は首を傾げる。
「何が、ラッキーなの?」
「ラッキーだろ? お前と出会えたんだからよ」
「何言って……」
彼女が言いかけた瞬間、鉄竜は鉄格子を強く握り、最大限彼女へと近づく。
しかし、彼女は壁に磔にされているのと、鉄格子のせいで、殆ど近づく事は出来ない。けれど、それでも鉄竜は彼女に向け、満面の笑顔を浮かべた。
「お前が本当の姫。そうなんだろ? だから、ようやくだ。俺がお前を助けられる。本当の意味でお前を助けられる。そのチャンスが来た、そういうことだからだ! つまり、俺はお前を助けに来た!」
出会えた事は嬉しい。けれど、それ以上に彼女と出会った事で鉄竜自身がどうするべきかが見えた。
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