鮮血の非常識

おしりこ

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 愛は目の前に広がる光景に思わず息を呑んだ。
 片や鉄竜の胸を貫き、真っ直ぐ表情すらも伺えない顔を正義へと向ける闇。
 片やピストルの銃口を闇へと突きつけ、眼光鋭く睨み付ける獅子堂正義。
 緊迫した空気が流れ、愛の頬を冷や汗が流れる。
 この緊迫し、静寂が流れる空気の中、最初に口を開いたのは、正義だった。

「そこの君。これは悪い夢だと思って、すぐに帰って彼の治療を優先するべきだ」
「え……あ、えっと……」

 愛が返事に戸惑う。
 彼の治療と言われると困ってしまう。鉄竜に医者は必要が無い。
 現に今も、鉄竜の胸は着実に回復の道を歩んでいる。その証拠に、煙を上げ、肉を焼くような音が愛の耳には届いている。
 だからこそ、治療はもう必要ない。けれど、この状況から逃げ出すべきなのは愛も理解出来る。
 命を簡単に刈り取られる。戦う事も得意な鉄竜がたった一撃で心臓を貫き、殺されかけている。だとするのなら、愛は瞬く間に命を取られるのは当然だ。
 だから、この場から逃げ出す必要がある。けれど、行動を移すよりも先に、闇が動き出す。

「ウウウウウウガアアアアアアアアアアアアッ!!」

 絶叫にも近しい叫び声を上げた闇は突如、頭を抱え、その場にうずくまる。
 瞬間、黒い瘴気のような靄が闇の全身を包み込んだ瞬間、愛に向け、正義が叫んだ。

「君!! すぐにそこから逃げるんだ!」
「へ?」

 刹那、愛は奇妙な浮遊感を覚え、すぐに背中を打ち付ける。

「うっ……いたた……」

 痛む背中を抑え、視線を真っ直ぐ向けたとき。愛は思わず言葉を失った。
 何故、浮遊感に晒されたのか、その答えが眼前に映っていた。
 心臓を貫かれたはずの鉄竜が膝を付いて腰を落とし、何本もある地中から生える槍に貫かれている。首、身体、腕、足、オブジェクトにでもするかのように串刺しにされても尚、鉄竜は肩越しに愛を見る。

「大丈夫かよ……ギリだったな……」
「て、テツくん!?」
「お前は逃げた方が良い……アイツは間違いなく、妖魔だ……ゴホッ!!」

 喉が貫かれたせいか、掠れた声で言い、。勢いそのままに多量の血液を吐き出す鉄竜。全身からは血を噴出し、地面、壁を血で汚していく。地面には水溜りが、壁は血が垂れ流れ、血は煙を上げ、消えていく。この瞬間、愛はすぐに察した。この場に居るのはあまりにも、場違いである、と。
 本格的な戦闘になれば、間違いなく愛は死ぬ。それを二度も鉄竜が救ってくれた。けれど、その鉄竜ももう限界で今はじっと回復を待つとき。しかし、この場から逃げても良いのだろうか。
 愛はギュッと拳を握り締め、血を流して、膝を付いている鉄竜に叫んだ。

「妖魔でも、このままテツくんを置いていけないよ!」
「……お前なら、そう言うって思ってたよ……だったら、絶対に俺の傍を離れんなよ」
「う、うん!」

 愛が小さく頷き、全身から煙を噴出す鉄竜の影に隠れると、正義は真っ直ぐ銃口を闇に向け、口を開いた。

「随分と気性が荒いようだね。前に出会った時はそんなにも――不安定ではなかったはずだ」
「ウゥ……ウォオオオオオオオオオオオオオオアアアアアア!!」

 闇はターゲットを変えたのか、地面を砕くほどの勢いで地を蹴る。
 一陣の風にも匹敵する速度で正義へと肉薄し、闇は右拳を作る。瞬間、地面を砕き割る轟音が愛の鼓膜に届き、砂埃と風圧が全身と視界を包み込む。

「キャッ……」
「愛……」

 鉄竜は風圧に飛ばされないよう愛をしっかりと抱き、愛は鉄竜へと身を寄せ、眼前へと視線を向ける。拳を振り下ろしたであろう闇は地面に腕がめり込み、正義は一歩下がったところで、闇の額に涼しい顔で銃口を突きつけていた。

「なかなかの速度だ。だが、僕には当たらない。そして――君を拘束させてもらったよ」
「ウゥ……ウァッ!?」

 獣のような唸り声を上げる闇は何かに気が付いたのか、足元へと視線を向ける。
 闇の両足の甲に一本のナイフが両足に突き刺さり、杭のようになっている。
 鉄竜は訝しげな表情のまま、口を開いた。

「あの男……相当のやり手だな……」
「テツくん?」
「アイツ、あれだけ視界の悪い中、一発で両足にナイフを刺しやがった。それも地面を砕くくらいの衝撃波と砂埃を受けながらな。とんでもなく、戦い慣れてる証拠だ。それに、あのナイフを足に刺されてから、アイツ動けない。どういう原理かは知らねぇが……何者なんだ、アイツは」

 驚きに目を丸くしている鉄竜に対し、正義は涼しい顔のまま、闇の額に銃口を突きつけた。

「君には悪いけど、死んでもらうよ。それに君を一度逃がした事でまた被害が生まれている。それは僕としても極めて遺憾なんだ。だから、今ここで、君を殺す」
「ウゥ……ウォオアアアアアアッ!」

 闇の存在は銃口を手で鷲掴みにし、そのままへし折る。けれど、正義はそれを読んでいたのか、その腕をサバイバルナイフで軽々と切り落とす。
 闇の腕は彼方へと吹き飛び、噴水のように噴き出す血飛沫が正義の顔を汚すが、一切、冷酷な顔を崩さず、ナイフを闇の眉間であろう部分に突き刺した。

「言ったはずだ。君は殺すと」

 正義は眉間に刺したナイフを素早く抜き取ると、血が一気に噴き出し、シャワーのように降り注ぐ。
 鉄竜、愛の顔や衣服にもべったりと血の雨が降り注ぐが、鉄竜はすぐに疑念の眼差しを血に向ける。
 噴き出した血液のその全てが蒸発し、床、壁が元通りに戻っていく。

「おい、この血……おい、アンタ! そいつ、まだやってねぇぞ!」
「……ああ、分かっているよ。だからこそ、もう一度、殺すのさ」

 一切の迷いも見せず、今度は闇の心臓部らしき場所をナイフで突き刺す。
 声を上げる事も出来ずに、闇の存在は口から血を吐き出し、膝を落す。地面へと吐き出された血液はそのまま蒸発し、空気へと消えていく。正義はその様を一瞥してから、口を開いた。

「やっぱり、まだ不死性を失っていなかったか……。君の不死性は強すぎるね。まだまだ殺し続けなければならないなんて、本当に――人の枠から外れた存在だ。それでいて――汚らしいよ、君は」
「ウゥ……ウゥウウウオオオオオオオオオ!!」

 追い詰められたからなのか、それとも、死を覚悟したからなのか、闇はつんざくような高音を上げ、愛は思わず耳を塞ぐ。このまま耳を曝け出していれば、鼓膜すらも破壊されかねないほどの爆音。
 愛は全身が震わされるような感覚を覚えながらも、闇の存在へと視線を向ける。
 闇の存在を拘束していたであろう両足に突き刺さっていたナイフは弾け抜け、闇の存在はそのまま上空へと飛ぶ。
 正義もあまりの高音に耳を塞ぎ、平然としているのは鉄竜だけだ。
 鉄竜は真っ直ぐ闇の存在を見つめ、口を開いた。

「てめぇ、一体、何者だ?」
「ウグゥ……アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァ!!」

 絶叫と共に闇は背にコウモリのような巨大な翼を生やし、空気を蹴ると同時にその場から飛び去る。

「くっ、逃がすか!!」

 正義は飛び立つと同時にピストルを構え、飛び去る闇に向け、発砲する。
 何発も、何発もの銃声がその場に響き渡り、弾丸が闇の背を確実に追いかける。けれど、どの一撃も闇に炸裂する事はなく、闇はその場を飛び、夜の闇へと、去っていく。
 その姿を見送った鉄竜は一つ息を吐き、腕の中に抱きとめていた愛を見た。

「大丈夫か? 愛」
「うん、ケガは無いよ。テツくんが守ってくれたから。ありがとう」
「……気にするな。逆にここで俺がお前を守れてなかったら、俺がどうにかなってたよ」

 鉄竜は安堵したような様子を見せ、愛はすぐに鉄竜の全身をくまなく観察した。
 既にあれだけ受けた傷跡は全て塞ぎ、噴き出していた血も全てが綺麗さっぱり無くなっている。どうやら、全ての傷が再生したらしい。愛が安堵の息を漏らすと、今度は正義が口を開いた。

「……またも逃がしたか。やはり、一筋縄ではいかないな」

 正義は口にタバコを咥え、火を付け、大きく息を吸う。それから、すぐに疲れを吐き出すように息を吐き、タバコの煙を漂わせ、鉄竜と愛を見つめた。

「君たちは、あの事件現場で出会った子たちだね。なるほど――やはり、悪魔は悪魔を呼ぶ……いや、吸血鬼が吸血鬼を呼んだのかな?」
「……どういう意味だ?」
「しらばっくれられても困るよ。そっちの女の子は関係無いとして、問題は君だ」

 未だ、あの闇の存在が去った後でも、正義は冷酷で野獣のようなギラギラとした眼差しを鉄竜へと向け、口を開いた。

「君は昨日、僕が撃ち、今日、君は確実に命を落としている。なのに、生きている。それが、答えのはずだよ」
「…………」

 正義の言葉を聞いた瞬間、愛は言葉を失った。
 何も疑っていた訳ではない。ただ、頭の中で浮かんでいた疑念とこの事件一連の全て、そして、あの闇の正体まで、その全てが一本の線で繋がってしまった。
 鉄竜が姫を拾ってきた日から始まる、今日この日までの全てが。
 姫の過去。あの闇がうわ言のように紡いだ言葉。そして――吸血鬼という正体。
 その真実はあまりにも残酷で、愛も可能性の一つとして考えていただけで最悪のシナリオ。そして、誰一人が幸せになる事なんてできやしないシナリオ。
 愛が愕然としていると、鉄竜は眉間に皺を寄せ、正義を睨む。

「……昨日? なるほど、そういう事かよ……クソッタレが……」

 一人ごちに呟く鉄竜に正義は冷静沈着に、それでいて、静かに銃口を鉄竜の眉間に向けた。

「やはり、悪魔は悪魔を呼んだ。それも、まさか彼女と同じ吸血鬼とはね。ますます、僕の仕事が増えそうだ」
「生憎だが、あんたに殺されるつもりはねぇ。俺にもちょっと野暮用が出来たんだよ。それに、お前に俺が殺せるのかよ」
「ああ、殺せるさ。死なないなら、死ぬまで殺せばいい。今、ここで」

 正義が極めて冷静に引き金へと指を動かした瞬間、愛は咄嗟に鉄竜の前に出て、両手を広げた。
 正義は眉を寄せ、愛を訝しげに見る。

「君、どういうつもりかな? まさか妖魔を庇い立てするつもりかい? 君も彼と一緒に居て動揺した様子が無かった。つまり、君は知っていたんだろう? 彼が死なないという事を」
「……知ってます。テツくんの事は全部知ってます」
「だったら、尚更そこをどいた方がいい。その男はあまりにも――危険だ」

 正義の冷酷な言葉に愛は怒りが湧き上がるのを覚え、勢いそのままに口を開いた。

「危険? そんなわけない……テツくんの事、何も知らないくせに……殺すなんて手前勝手な事言わないで!」
「……そうか。ならば、君はそこの妖魔を庇うつもりという事かな? 妖魔に与すると?」
「テツくんは妖魔じゃない……悪魔なんかじゃなくて、人間です!」

 鉄竜が悪魔。そんな事あるはずが無い。
 誰かの為に一生懸命になろうとしている人が悪魔なはずが無い。
 もし、鉄竜が悪魔なんだとするなら、今、ここで命を懸けて、愛を守ろうだなんてするはずが無い。
 鉄竜は悪魔なんかではなく、人間だ。だって、愛の為に、姫の為に、命を懸ける事が出来る、他人の為に命を懸けてまでも守ろうとしてくれる、心優しい人なんだから。
 愛は一歩も動かない覚悟を決めると、残念そうに正義は一つ溜息を吐いた。

「……残念だよ。悪いけど、僕は妖魔を殺す魔術師。それは妖魔に与する者も同じだ。つまり、君にも死んでもらうよ」
「やれるものなら、やってみてください。絶対に私はここを動きません」

 愛は毅然とした態度で真っ向から正義を見つめる。
 最初から動くつもりなんて無い。むしろ、動いたらいけない。
 愛には分かっている。この後、どういう結果になるのか。この後、彼がどう動くのか。
 だから、愛はそれを信じるだけだ。彼を救ったときに言ってくれた言葉を信じるだけだ。
 
「なら、君にも死んでもらう」

 正義は冷酷な言葉を投げつけ、引き金へと指を動かし、それを一気に引いた――。
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