鮮血の非常識

おしりこ

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006

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「テツくん、殺人現場って?」

 駅から隣町の街中までやってきた愛は隣を歩く鉄竜に問いかける。
 鉄竜は手に持っていた携帯電話を愛と姫が見えるようにかざし、口を開く。

「ああ、さっきちょっと調べたら、面白そうなものが見つかってな」
「……昨夜、23時50分頃、隣町のパーティ会場で殺人事件が発生。女性のみを狙った極めて凶悪な犯行であり、犯行手段は不明。ただ、女性の殆どは四肢を切断されるなどの状況で発見されている……」
「……人が、死んだのか?」

 不安そうに、それでいて心配そうに尋ねる姫に鉄竜は小さく頷く。

「ああ。被害者の数はかなり多い。詳しい人数までは出ていないが……パーティに参加していた殆どの女性は亡くなったらしい。ただ、男は全員が無事だとよ」
「うわあ……随分と偏ってるけど、酷い凶悪犯だね……、けど、そっか……そういう事……」

 鉄竜の考えが読めたのか、愛は顎に手をあて、姫は疑念を抱いているのか首を傾げる。

「何か分かるのか?」
「うん。もしかしたら、姫ちゃんはこれに巻き込まれた被害者だったんじゃないかって事だよ」
「……被害者?」
「うん。昨日、テツくんが姫ちゃんを連れてきたんだけど、ケガをしてたって話をしたよね?」

 愛の言葉に姫を小さく頷くと、愛は更に言葉を続ける。

「その傷、テツくんが見たんだけど、出血量が多くて、どんな傷なのかまでは分からなかったの」
「見たら分かるんじゃないのか?」
「正直、傷を確認するよりも前に俺が撃たれた。簡単に言うなら、命を狙われた。となると、考えられるのは口封じだよ。万が一さ、お前が目を覚まして、俺に助けを求めたら? 事件の犯人だって分かる可能性だってあるだろ? だったら、その場所から逃げてきたお前を殺して、見つけた俺も殺せばいい。人をもう殺してんだから、二人も三人も代わらないだろうからな」
「……そんな事があったのか。しかし、私が本当にそのパーティとやらに参加していたらの話……だろう?」
「その通りだ。だから、それを今から確かめに行く」

 と、鉄竜が言ってから数分後。
 事件の発端となったパーティ会場に到着する。パーティの会場となった建物はホテルだった。
 外観は巨大なビルディング。田舎にはありえない巨大なビルであり、いくつもの部屋がある事は外観から分かる。少なくとも、学生の身分である鉄竜たちが入るような場所ではなく、金持ちの大人たちが入るような建物であり、高級感が溢れていて、歩いていると、思わず足を止めてしまう魅力を放っている。
 けれど、それも今では、事件が遭ったせいか、人は殆ど集まっておらず、入り口の辺りにはここの被害者に送る為なのか、多くの花束が供えられている。
 更には事件現場でもある建物の敷地全体を取り囲むように規制線が張られ、入る事が出来なくなっている

「……やっぱり、入れなくなってるね」
「この黄色いテープは?」
「事件を調べる警察が入れないようにする為のものだよ。流石にこの中に入っちゃうと警察の捜査のジャマをしちゃうからね……」

 世の中の常識として、警察が捜査範囲であるこの規制線の中に入る事は許されない行為だ。
 けれど、それはあくまでも世の中の常識の範囲での話だ。
 既に常識の枠から外れている鉄竜には全くの無縁である。
 鉄竜は何一つ考える事無く、規制線に手を掛け、引き千切る。

「何、怯んでんだよ。貴重な情報かもしれないものが目の前にあるってのによ」
「ちょっ!? テツくん!?」
「鉄竜、そんな事してもいいのか?」
「こんなの別に気にするな。怒られそうになったら逃げればいいだけだろ? とりあえず中に進んでくぞ」

 戸惑い慌てる二人を他所に鉄竜は会場の中へと一歩、また一歩と足を進めていく。
 こんな所で足を止めて、貴重な情報が取れないなんてバカげている。
 鉄竜は入り口から足を進めて行き、パーティ会場の全体図が描かれた案内板を見つめる。

「……パーティがあったのは三階か……」
「高いビルだし、勿論、エレベーター完備だね。それに階段もある。どっちから行くつもりなの? あんまり悠長にしてられないよ」
「ああ。とりあえず、階段から上がるか」

 と、鉄竜、愛、姫の三人が地図で確認した階段のある場所へと足を進めた瞬間。

「ひっ!?」
「な、なに……これ……うっ……」

 眼前に突きつけられた光景に姫が小さな悲鳴を上げ、愛は口元を必死に抑え、凄惨な状況を目に入れないよう、必死に逸らしている。
 それもそうだろう。鉄竜は慣れているから問題ないが、耐性の無い人間ならば、絶句し、あまりの状況から嘔吐してもおかしくはない。壁、床全てが血で濡れていた。
 否、一階だけではないだろう、恐らくこれは三階まで続いている。
 上階の階段の上、更には手すりから血が未だに滴り落ち、その音が階段ホール全体に響き渡っている。そして、血が水溜りのように溜まっている。
 血の飛び散りの状況や、あまりに多すぎる出血量。逃げ惑った人たちがかなり惨たらしく殺されたのだろう。
 
「随分と猟奇的だな……トチ狂ってるのは間違いねぇな。辛いなら、お前らは出てもいいぞ」
「鉄竜は、平気……なのか?」
「ああ。俺は慣れてるからな。こういう状況は二回目だ。ホント、胸糞悪いよな」

 そう言いながら、鉄竜はその場で腰を落とし、手を合わせる。
 この場で命を落とした人たちがいる。
 今でこそ冷静で居られるが、初めてこういう場面に遭遇したときは、鉄竜だって焦ったものだった。
 そして、それが己のせいだったとき。その気持ちはあまりにも筆舌しがたいものだ。
 鉄竜は合掌を済ませてから、立ち上がり、顔を青くする姫と愛に声を掛ける。

「マジで無理しない方がいいぞ」
「いや、私は行く……ここから先には私の記憶に繋がるものがあるかもしれないんだろ……」
「私も行くよ。流石にテツくん一人ほっとけないよ……」
「女は強いな……なら、ちゃんと気をしっかり持てよ」

 姫と愛は鉄竜の言葉に小さく頷き、足を進めていく。
 一歩、また一歩と踏みしめる度に、水溜りを踏むように水音が弾ける。
 その音が薄暗い階段ホール全体へと響き渡り、不気味な印象を抱かせる。
 更には、壁に飛び散るように散布した血液が時折、視界へと入る。
 進めば進むほど心を壊され、見れば見るほど、心が汚されていく。
 時折、足を下へと向ければ、警察が捜査していたのであろう、死体の発見場所。死体が白いテープのようなもので描かれ、本当に人が死んでいたのだと実感させる。

「……テツくん、ここ、本当に……やばいんじゃない……」

 顔面蒼白で歩く愛と姫。限界が近いのか、進む足もたどたどしく、震え出している。
 一歩前を歩く鉄竜は後ろへと振り向き、声を掛ける。

「無理はするなって。今ならまだ戻れる。それに……下手したら、いや、十中八九。ここより先はもっと酷い状況かもしれない」

 上に行けば行くほど、警察の描いた人型の白い線が増えていき、靴底に与える水の感覚が強くなる。
 勿論、水などではない、これは全て血液である。
 壁に飛び散った血もより凄惨さを増して行き、血の塊がそのまま壁に張り付き、滴り落ちている。
 あまりの光景に鉄竜は心配になり、後ろへと視線を向ける。そこで、鉄竜は気が付いた。

「おい、姫? 愛よりもだいぶ顔色悪いぞ」
「ハァ……ハァ……だ、大丈夫だ……」

 足元もおぼつかず、額にじっとりとした脂汗。顔色も悪く、頭痛を堪えているのか必死に頭を抑えている。
 今までとは明らかに状態が違いすぎる。鉄竜はすぐに姫の傍へと駆け寄る。

「大丈夫じゃねぇだろ。この場所にあてられたんだよ。体調は悪くないか?」
「……頭痛が止まらない。ずっとずっと頭の中で重く、呼吸も苦しい……」
「なら、帰るぞ。お前に無茶は……」

 と、鉄竜が言った瞬間、鉄竜の腕をぎゅっと掴む手があった。
 その手は姫のもの。姫は力強く鉄竜のパーカーの袖を掴み、握り締める。

「いや、行かせてくれ……。何か……何かを掴めそうなんだ……忘れていた、何かを……」
「けど、その顔色は流石にまずい。真っ白だぞ」
「そんなのは問題ではない。それよりも、前に進みたい。今、逃したら……いけない気がするんだ」
「テツくん、行かせてあげよう? 姫ちゃんが言ってるんだし……」

 顔色は確かに悪く、足元だっておぼつかないで、フラフラしている。
 けれど、その目に宿る意志の強さは決して死んでいなかった。きっと、彼女は引かないだろう。
 それに何かを掴んでいる。その言葉は充分に信頼できるはずだ。
 鉄竜は姫の手を取り、小さく頷いた。

「分かった。その代わり、無茶だけはするな。無理ならすぐに言えよ」
「ありがとう」
「愛も大丈夫か?」
「うん……まだ大丈夫だよ」
「よし、もうちょいだからな」

 二人を励ますために出来るだけ明るい声を出し、またも階段を上がっていく。
 そして、三階のホールに到着する。既に疲弊している愛と姫。
 対して鉄竜は三階ホールの入り口で閉ざされている扉を見る。
 何かを叩き付けたかのように付着する血痕。それは人の形をかろうじて取っている。

「……こいつは、エグイな。人間をそのまま叩き付けてやがる」
「わざわざ言わないでよ! うぅ……」

 想像してしまったのか、口元を抑える愛。対する姫は限界が近いのか、入り口近くの壁にもたれ掛かり、顔をしかめ、荒々しく呼吸をしている。

「本当に大丈夫か? 姫」
「……そんな、はずはない……わたしは……」
「姫?」
「……わたしは、おまえじゃない……で、でてくる……な……」
「姫っ!」

 何かブツブツと呟き続ける姫の肩を掴み、鉄竜は声を張る。
 姫はビクリと肩を震わせ、その衝撃で頭に被っていたつば広帽子が地面に落ちる。

「て、鉄竜……どうしたんだ? 私は大丈夫だぞ……」
「お前、どうしたんだよ。何かヘンなことずっと言ってたぞ? お前じゃないって……」
「そんな事を言っていたのか……大丈夫だ……私ならまだ……」
「姫……分かった。なら、何も言わねぇ。開けるぞ」

 閉ざされた扉に手を掛け、鉄竜はゆっくりと扉を開く。
 重苦しい音と共に開かれた扉。それと同時に突きつけられた眼前の光景に鉄竜も顔をしかめた。

「うぅ……なに……これ……て、テツくん……」
「愛、姫あまり見るな。これは……惨すぎる」
「鉄竜……」

 鉄竜はすぐさま愛と姫を自身の胸に寄せ、出来る限り眼前の光景が目に入らないようにする。
 常人にはあまりにも辛すぎる光景だ。開けたパーティ会場。乱雑に広げられた机や椅子。
 不規則に並べられた机や椅子は何かが暴れたかのような痕跡を残し、椅子の足、机の角、ありとあらゆる所に血痕を残す。更にはパーティで煌びやかに飾っていたのであろう装飾は全て落ち、踏みにじられ、血が付着している。
 それだけではない。部屋の中心にあったであろうシャンデリアは落ち、ガラス片を辺りに散らばっている。
 壁も床も、装飾品も、家具も、ありとあらゆるもの、空間が血で染まっている。
 鮮血に染まる部屋が、そこにはあった。
 鼻につく血と死の臭い。鉄竜は不快感が胸の中にこみ上げ、ぎゅっと腕の中に収まる姫と愛を抱き締める。

「あまりにも……残酷だ。楽しい時間はきっと、一瞬で……」

 一瞬の出来事だったのだろう。逃げ惑ったのだろう。けれど、殺戮は止まらなかったのだろう。
 逃げる事が出来ても、全ての命は階段で断ち切られたのだろう。
 あまりにも理不尽で、あまりにも不条理。鉄竜は思わず己の犬歯で唇を噛んだ。
 口の中に広がる鉄の味を感じ、口を開いた。

「……誰なんだ、こんな狂気染みた事をしたのは。この中に居た人間が何をしたってんだ……」

 と、鉄竜が口にしたときだった。照明が落ちた薄暗い部屋の中央に、人が居るのを確認できた。
 髪は整えられていないボサボサで乱雑な髪。
 闇に溶け込むようなスーツを着用している、三十代前後の男性がそこに居た。
 男が鉄竜たちの存在に気が付いたのか、振り向いた瞬間、鉄竜は眉を潜めた。
 男はあまりにも、生気を孕んでいなかった。
 瞳は生気に溢れておらず、どこか脱力し、全身から醸し出す雰囲気もどこか気だるげ。
 整えられていない無精髭は清潔感を与えず、むしろ、不可解な怪しさを感じてしまう。
 
「……君たちは、何故、こんな所に? ここは子どもが来るようなところではないよ。それにここは警察の捜査が入る場所だ。立ち入りは禁止だったはずだけどね」
「あんたこそ、こんな所で何をしてる?」

 鉄竜は直感した。この男――何かがおかしい。
 具体的に言葉にする事は出来ない。けれど――この男は自身と同じ、何かが混ざったようなそんな雰囲気を感じる。直感的な、感覚的なものだ。けれど、あまりにも無視できない。
 こうした直感は時として、良く的中してしまうのだから。
 鉄竜が男に警戒心を強くしていると、男はフゥっと一つ溜息を吐き、口を開いた。

「何もそんなに警戒する事は無い。何、僕は少しここで調査をしていただけさ。安心してほしい。僕は正義の味方、だからね」
「……あんたの歳で正義の味方なんてただイタイだけだぞ」
「ハハッ。それは随分と耳に痛いね。けれど、全くもってその通りかもしれないね」

 男は言うと、一歩、また一歩と鉄竜の前へと足を進め、黒コートの胸ポケットに手を入れる。
 瞬間、鉄竜は警戒するが、男は胸ポケットから名刺を取り出し、鉄竜に指し示す。

「僕の名前は獅子堂正義。これから何か、この事件について知ってる事があれば、連絡待っているよ」
「……ああ。分かったよ。何か分かったらな」

 何か大きな火を起こすわけにもいかない。鉄竜は素直に男から名刺を受け取ると、男は満足そうに鉄竜の横を通り、鉄竜が歩いてきた道へと戻っていく。
 そして、数歩歩いてから、男は足を止めた。

「そういえば、君は……随分と変わった歯をしているね? それは――生まれつきかな?」
「……そうだな。そうかもしれないし、そうじゃねぇかもしれないな」

 鉄竜が答えると、革靴の足音が後方から響き渡り、どんどんと小さくなっていく。
 靴音が無くなったとき、鉄竜は安堵の息を漏らす。

「なんだったんだ? あいつは……」
「テツくん、大丈夫? あの人は一体……」
「さあな。気にするだけ無駄だ。それよりも、姫……って、姫?」

 ここで鉄竜はようやく気がついた。
 ずっと腕の中に抱いていた姫の様子が変わっていた事に。
 姫は腕の中で小刻みに何度も震え続け、目の焦点がどんどんとずれていく。
 呼吸は乱れていき、ぎゅっと鉄竜のパーカーを力強く握り締める。

「ハァ……ハァ……なんだ、お前は……ちがう、私は……違う!!」
「おい、姫! どうした!」
「うわあああああっ!?」

 刹那、鉄竜を突き飛ばし、鉄竜の手から姫が離れ、その場に倒れてしまう。
 抱き締められていた愛も姫に突き飛ばされ、床の上に転がる。
 だが、それでも、姫は止まらなかった。むしろ、錯乱状態が更に進む。

「違う! 私は違う! お前は私じゃない! 私はお前じゃない!」

 姫は頭を抱え、何かから逃げるように、何かから逃れるように、何かから避けるように、動き回る。
 苦しみ、もがき、机を蹴り、椅子を投げ飛ばす。あまりにも暴れようが尋常ではない。
 身体のいう事が聞かないのか、それとも、何も見えていないのか、姫は頭を抱えたまま、今度はその場にうずくまる。身体全体が痙攣し、その場で震え続ける。

「違う、違う! 違う、違う、違う、違う、違う! わたしは……のぞんでいない! わたしは、おまえじゃない!」
「おい、姫! しっかりしろ! 何が起こってんだ!」
「姫ちゃん!」

 鉄竜と愛の言葉なんて微塵も届かず、姫は頭を抱え、天を仰ぎ、断末魔を上げる。

「私はお前じゃない! 私は私だ! 私は――お前のように狂っていない! うぐがああああああああああああっ!」

 プツリと糸が切れた人形のように、姫はその場に倒れ伏す。
 鉄竜は泡を食って飛び出し、倒れた姫を抱き上げ、顔を覗き込む。
 姫の顔は蒼白になり、額には脂汗が浮かんでいる。表情もとても苦しそうに歪んでいた。

「おい、姫! 何があった!? おい、姫!!」
「テツくん。すぐにここを離れよう! きっと、姫ちゃんはここで何かきっかけがあったのかもしれないよ! それに、これ以上ここに居たら、姫ちゃんが壊れちゃう!」
「……ああ。愛。俺の背中に掴まれ。すぐに家に向かうぞ」
「うん!」

 愛は言うや否や、すぐに鉄竜の首に手を回し、鉄竜は姫をお姫様抱っこし、背に抱きつく愛に声をかける。

「絶対に離すなよ! 離せば、落ちるからな!」
「うん!」

 その言葉と同時に鉄竜は弾丸のようにその部屋を飛び出した――。
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