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第一章 ~ルバンダート迷宮篇~
スタンピード
しおりを挟む昏い洞窟を進んで、ボス討伐により出現していた上層への階段を上る。
想定通り、階段は本来の5層に繋がっていた。マップと照合しながら出口への最短ルートを辿る。
幸いにしてモンスター達はいなかった。鬼が喰いつくしてしまったのか、或いは鬼から逃げているのか。
ここに来る時感じた、モンスターの異変も無関係ではあるまい。
そんなことを考えながら静かなダンジョンを上がっていく。
5層、4層、3層と上がるがずっと静かなままだ。モンスターとの会敵どころか、戦闘音1つすらしない。
(一体どうなってる……?)
まるでダンジョンからモンスターが全員消えてしまったみたいだ。
「……ねぇ、ボクがダンジョンに潜っていた間に何があったの?」
「さぁな。悪いけど、俺も3日以上は潜ったままなんだ。少なくとも潜ってくるときはこんなことにはなってなかった」
「そっか……」
その後は無言で登っていく。警戒心は緩めずに。……ミルを背負ったままの戦闘は難しいかもしれないが、いざとなれば彼女にも走ってもらう。
もし、今までの層のモンスター達が上層に上がってきているのであれば、逃げるだけでも相当な神経を使う。彼女を背負ったままで出来ることではない。
(いざとなれば、その時は……)
「!……ミドリ!あれ」
「あれは……!」
見えたのは1階層への直通階段。結局3階層もモンスターの一匹もいなかった。
直通階段自体は5階層まで続いていたが、階段の距離的に3階層までは通常の階層間の階段を使った方が早かった。
より早く上層に上がった方がいいとの判断からの行動だったが……こうなるなら、直通階段で一気に上がった方がよかったな。
「ともかく、だ。……おつかれさま、ミドリ」
「……ああ、そうだな」
そうだ。ここまで来たのであれば、出口はもう目と鼻の先だ。これより先に俺たちを妨げる障害は何もない。
一歩、二歩と、歩を進める足が無意識に早くなる。なんだかんだ言っても俺自身ももう数日は閉じ込められたままだったんだ。既に疲労はピークに達している。
そして、ようやく一層まで辿りついた。
迷宮の入り口が、あたたかな太陽の光を以って目の前に佇んでいる。今すぐ飛び込んでしまいたいが、ちゃんと確認しておかなければいけない。
「ミル」
「なんだい?」
「本当にお前の魔法で俺の翼と目は隠されているんだろうな?」
「うん。それは安心して。いまのミドリが吸血鬼だってことは、綿密なボディーチェックとかされない限りはバレないよ。現にボクの姿だって人間にしか見えないでしょ?」
「……そうだな」
事実、ミルは今あの特徴的な蝙蝠のような羽を隠し、目の色も髪と同じピンク色に染めている。
背中に背負った状態の至近距離から見てもわからないのだからミルの言うことは事実なのだろう。……と言うより、最早ここまでくれば彼女を信じるしかないのだが。
「……いくぞ」
緩んだ意識を締め直し、ゆっくりと歩を進める。光を潜り抜け、洞窟を――抜けた。
「うっ……」
強い光に目が眩む。拡散した視界が徐々に結ばれて行き、やがて……
「外だ」
――やがて、暖かな光が、見慣れた風景と共に現れた。
――見慣れない、殺戮の跡と共に。
「これは……何が……」
迷宮入り口周辺に広がる夥しい数の血痕や魔物の死骸。
魔物自体はロアーバットなどを始めとした迷宮内でよく見る魔物だが、おかしい。
「どうして、迷宮の外に魔物が出てるんだ!?」
そうだ。何故迷宮で生まれ、迷宮の中で一生を終えるはずの魔物がこれだけ外に出ている。
「まさか、スタンピードが……」
魔物の軍団が、迷宮から一斉に飛び出してくる現象スタンピード。この状況は伝え聞くその現象に酷似している。
「だが!スタンピードの原因は魔物が増えすぎたことによる氾濫が原因だったはずだ!」
「ああ……」
ミルの言う通り、スタンピードは一般的に迷宮に入りきらなくなった魔物たちが外に溢れてくるのが原因とされている。
だが、ここルバンダート迷宮は初心者向けダンジョンを謳っているぐらいだ、管理はしっかりしている。魔物が増え過ぎないように調整はされているし、スタンピードの兆候があればハンターたちに事前にその通達が――
「ああいや、俺は三日以上潜っていたからそれは無くて当然か」
だとしても、だ。そもそもスタンピードが起こった理由が不明瞭だ。迷宮にモンスターがいなかった理由はこれではっきりしたが、別の疑問点ができてしまった。
「……どうするんだ?ミドリ」
「……一先ず、まだ戦闘が続いているのか確認しよう。もしまだスタンピードが終わっていないなら俺達も加勢に――」
「その必要はないよ。ハンターミドリ」
気付けば、目の前に誰かが立っていた。
いや、正体の分からない集団が立っていた。
いや、
「……ラウル」
「ようミドリ。4日ぶりだな」
「……何で、俺に武器を向けるんだ?」
目の前に立っていたのは、見知った人物で、見たことがある人たちで、迷宮に入る前にも話していた人たちで。
それがなぜ、自分に武器を向けているんだ。
彼らの代表なのだろう。見知った集団の中にいる見覚えのない男が俺の事を静かに見据えている。
博識そうな眼鏡姿に、高そうな燕尾服。切れ長の瞳が感情の一切を見せずにこちらを凝視している。身なりからすればともすれば貴族かと思うほどだが……奴は一体……
「ハンターミドリ……いや、この呼び方は適切ではないな。――容疑者ミドリ。君を、スタンピードの実行犯の疑いありとして、連行させてもらう……勿論、拒否権は存在しないよ」
「俺が……スタンピードを?」
おい、
おいおい、ちょっと待ってくれ。何を言ってる。
「何故俺が?」
「何、簡単なことだ。今回のスタンピードは予兆が全くなかった。そうなると誰かが人為的に起こした可能性が高いわけだが……スタンピードが起きた時間に迷宮へ潜っていた人物の中で、アリバイの確認がとれていないのが君だけだ」
「そして、その背に背負うのは一体どこの誰なんだ?――ハンターギルドの記録では今現在迷宮に潜っていたハンターは君だけのハズなのだが」
「……」
そうか、ミルはハンターギルドに登録しているわけではないのか……いや考えればそうか。元々長期滞在する予定はなかったのだろう。それだったらハンターギルドに足跡を残すよりは黙っていた方が手っ取り早い……こんなことにさえならなければ、だが。
ともかく、まずは誤解を解かなければならない。そのためにも、今の状況を正確に把握する必要がある。
「そもそも、貴方は誰なんだ?」
「おっと、そうだった。私としたことが名乗るのを忘れていたよ」
「私は、ギルバート・シェリフィス。ここ、ルバンダート迷宮を預かる領主だ」
「……何故、領主様がこんな場所まで?」
「いたらおかしいかね?この場所は我が領内だ。そして領内で未曾有の事件が起こっている。……領主として、確認するのは当然のことだと思うのだが」
「……それもそうだな」
領主か、厄介だが逆に好都合でもある。彼さえ誤解が解ければ面倒ごとは一気に片付く。
幸いにして話も通じない、という訳では無さそうだ。どうにかして話の突破口を――
「ああ、悪いがここで話しをするつもりは無いよ。弁明はあるだろうが……牢で聞こう」
「あぁクソ、そういうタイプか正しいな全く!」
そう領主が告げて踵を翻し、それと同時に展開されていた冒険者たちの武器が明確にこちらに敵意を向けた。
「大人しく捕まってくれミドリ!危害を加えるつもりは無いんだ!」
「武器を向けながら、か!?悪いけどそれで信じられるほどいい人間じゃないんでね俺も!」
1秒も待たずにその場を離れる。一瞬でも遅れていればこの体に突き刺さっていたであろう場所に幾つもの矢が突き刺さる。
(殺す気じゃねぇかクソッタレ!)
残念ながら交渉は決裂だ。こうなったからには逃げの一択しか選べる道は無さそうだ。
「おいミル!歩けるか!?」
悪いがミルを背負ったまま、後ろからの追撃を捌きながら逃げ切れる自身は俺には無い。
「悪いけどちょっと無理そうかも!」
「そうか!降ろすぞ!」
そうだよねぇー!と声を上げてミルは抵抗することなく地面に降り立った。
足を着いた瞬間痛みで顔を顰める。けどすぐに立ち直って併走し始めた。
「全く女性の扱いがなってないよミドリ!」
「悪いな!」
「落ち着いたら説教だから!」
「言ってる場合かよ!!」
そう叫んだのも束の間に、第二射が放たれる。木の幹を盾にそれを躱して、また走り始めた。
ミルも何とか着いてこれている。それを視界に収めて――安心しようとしてその背後の影に気づいた。
「チッ、おい!暴れんなよ!」
「えっ?――ひゃあっ!?」
突撃してくるフードローブ姿のハンターが視界に入った時点で、ミルの手を取って手繰り寄せた。
フードはミルがいた場所に腰から提げたマチェットを振り抜いた。ミルのスカートの端が刃に触れて小さく切り裂かれる。
急に引っ張りこまれたミルが、可愛らしい悲鳴をあげる。
「っ、ごめん!」
間一髪だった。事態を把握したミルが顔つきを変えて、フードを見据える。
フードは既に次の攻撃態勢に入っていた。だが今度は不意打ちではない。なら、吸血鬼がそう簡単に遅れを取ることもない。
「……ちっ」
振りかぶったマチェットでの袈裟斬りを、手に持った小ぶりのナイフで器用に受ける。
軌道をそらされて空振りに終わったマチェットを見てフードは舌打ちをした。
次の瞬間――
「うそ!?」
「フン!」
フードがジャンプしたかと思えば、流されたマチェットを重りに遠心力を利用して回し蹴りをミルに向かって繰り出してきた。
受けきれず、ミルが俺のいる方へ倒れ込んでくる。
「ぐおっ」
「きゃっ!」
それを避け切ることが出来ずに、ミルと2人その場で倒れ込む。
体勢を崩した俺の上にミルの華奢な体がのしかかる。重さは大したことはないけれど、残念ながら俺の体も既に限界だ、起き上がるまでに数秒を擁した。
つまるところ、追っ手の攻撃も間に合ってしまう。
「ああ、クソ……」
視界の端に武器を振りかぶるハンター達の姿が見える。
その奥に、静かにこちらを見据えるフードの姿が見えた。先程とは打って変わって、どこか悲しげな、同情的な目をこちらに向けている。
(なんだよ、その目は)
心の中で悪態をつく。声に出ないその声が聞こえた訳でもないだろうが、フードは俺から目線を外す。迫り来る刃がやけにゆっくり見える。ここで殺されるのか、それとも身動きが取れないようにした上で監禁でもされるのか。
(どちらにせよ身体検査でもされれば1発だ。ここまでか)
そんなことを思考して、
「ちょっと待ったぁーー!!!」
大音量の叫び声に思考ごと持っていかれた。
振り下ろされていた刃との間に黒い影が差し込まれる。
甲高い金属音が響いて、一拍遅れて姿が目に映る。
全身を黒と灰色で固めた不審者コーデの後ろ姿。聞き覚えのある声と立ち姿だ、死ぬ間際の走馬灯だろうか。家族の姿を幻視するなんて。
「おい!碧!どうなってんだお前この状況は!」
……
……ん?いやこれさては現実か?
「……空か?」
「俺以外の何に見えんだよ!お前迷宮の深部にいたんじゃねぇのかよ!あと誰だその美少女は!」
俺たちを庇ったのは、迷宮で通信してこちらの状況を伝えていた家族の1人、空だった。
新たな乱入者に警戒してか追っ手の攻撃が止む。その間にミルも体勢を立て直したのか、俺の上から退いて立ち上がろうとしていた。
「ともかくだ!どういう状況かは分からんが双方一旦止まれ!」
双方とは言うが、俺たちが満身創痍なのは見てわかる。事実、空は俺たちに背を向けて追っ手のハンター立ちに向かって上記の言葉を叫んでいた。
ハンターの1人が声を上げる。
「誰かは知らないが首を突っ込まないでもらえるか。これは領主の命令だ。それに逆らうならお前も同罪に――」
「悪いが!」
不服そうなハンターの言葉を遮って、空がこの場の全員に聞こえるように大きな声で告げた。
「俺は王国軍所属の天津空!王国への反逆であると判断されたくなければ、この場は俺の言葉に従ってくれ!」
「……はは」
妙に様になった大見得を切った空に、可笑しくなって俺は小さく笑ったのだった。
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